この古典的名作とされる小説を、今更ながら読んでみた。それは、先日読んだ三浦英之さんのルポルタージュ「太陽の子」でもこの作品について言及があり、その中の1章にも「闇の奥」というタイトルが付けられていたから。また、この小説がフランシス・F・コッポラ監督の名作映画「地獄の黙示録」の元となっているのは有名な話だが、その辺りの関連も紐解いてみたかったから。
コンラッド自身が1890年に蒸気船船長として当時のベルギー領コンゴに渡った、その経験を基に書かれたというこの小説~マーロウという「語り手」がコンラッド自身のアバターなんだろうが、ここにはベルギー国王レオポルト2世による非情で苛烈な黒人奴隷労働の姿はほぼ描かれていない。そして、コンゴ河上流(この作品中に明示はされていない)の密林で象牙取引を一手に仕切る謎の男:クルツ(Kurtz)~彼が映画「地獄の黙示録」では米軍カーツ大佐に置き換えられている。その一種「カルト宗教の教祖」のような異様な影響力と周囲住民の崇拝ぶり~このクルツもあのカーツ大佐(マーロン・ブランド)もスキンヘッドである。そうした「あの映画との関連性」を私は興味深く読んだ。
一方、訳者:藤永茂氏による解説には、この小説が1975年にナイジェリアの黒人作家によって激しく批判された後の経緯が詳しく記されている。原始の荒野(Wilderness)が「人間の精神的闇・残虐性」などを誘因する・惹起する~といった「考え方・捉え方」が「白人種によるアフリカ蔑視・偏見の象徴」と見られたようだが、E・サイードもこの黒人作家同様にこの小説を激しく非難していたようで、確かに「アフリカの闇」を前景化させることで欧米列国の植民地支配の構造・加害性が"Washing"されるという危惧は私も理解する。しかし、ハンナ・アーレントが指摘する「ナチの文筆家たちの多くがアフリカ生まれの在外ドイツ人だった」という事実は、どう考えればいいのだろう?彼らはこの小説の「クルツ」という人物に「小ヒトラー」の幻影を見るが、その指摘は多分正鵠を得ている。
重要なのは、そうした欧米以外の言論人の指摘が、1890年頃~1910年頃までの約20年間のベルギー国王によるコンゴ支配で、象牙やゴム採取のための奴隷労働によって数百万人のコンゴ人が犠牲になったこと~それがナチスドイツによる600万人以上とも言われるユダヤ人などの「ホロコースト」に比べて余りに世界的に注目されていない~ほとんど無視されてきたも同然なことへのアフリカ・アラブ世界からの異議申し立てでもあり、この小説が描いた世界が「白人から見た一面的アフリカ像」であることへの反発なのだろう。
欧米文学界でのこの作品評価はそうした批判をも超えて今も非常に高いようだが、この小説の「物語」の良し悪し云々とはまた別に、色々考えさせられるいい読書体験だった。
<付記>この解説(訳者あとがき)では、当時のベルギーによる残虐な搾取・支配を告発する英国外交官ロジャー・ケイスメントのことも出て来る。後にアイルランド独立運動家として活動し、英国によって反逆罪で処刑されたこのアイルランド人のことは、バルガス=リョサ「ケルト人の夢」に詳細に描かれている。これも実にいい小説・評伝だった。
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闇の奥 単行本 – 2006/4/1
- 本の長さ284ページ
- 言語日本語
- 出版社三交社
- 発売日2006/4/1
- ISBN-104879191620
- ISBN-13978-4879191625
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登録情報
- 出版社 : 三交社 (2006/4/1)
- 発売日 : 2006/4/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 284ページ
- ISBN-10 : 4879191620
- ISBN-13 : 978-4879191625
- Amazon 売れ筋ランキング: - 638,722位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2023年10月6日に日本でレビュー済み
2022年10月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
岩波文庫では味わえなかったニュアンスが良く解りました。「闇の奥の奥」も併せて読み、常識が根本から覆りました・・・。
2022年10月1日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
岩波文庫版の誤訳を正し、原書の本質を捉えた註釈も含む、闇の奥の決定版です。
2007年3月8日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
こういう翻訳もある。「怒り」を動機とする訳。
「「闇の奥」の奥」を読むためにも、読みましょう。
この訳と解説によって、はじめて、なぜ不思議な冒頭部と最終部が必要だったのか?
そこに描写される4人とは誰なのか?なぜ不思議な聞き語り構造になっているのか?が理解できました。
また、既訳が、ある「決定的」な(あまりにもノンポリティカルな)誤訳の連鎖をしている結果、
混迷状態に陥っているか、が分かりました。ビールの都はパリではありません。
単に古典が再訳されたというものでは全くありません。
既訳を読んだヒトも本訳を決定稿として読んだ方が良い。
そして「「闇の奥」の奥」も読みましょう。
さらに「地獄の黙示録(完全版)」を、何重にも罪深いモノとして観ましょう。
本訳のクルツに映画のカーツを期待しないように。
「「闇の奥」の奥」を読むためにも、読みましょう。
この訳と解説によって、はじめて、なぜ不思議な冒頭部と最終部が必要だったのか?
そこに描写される4人とは誰なのか?なぜ不思議な聞き語り構造になっているのか?が理解できました。
また、既訳が、ある「決定的」な(あまりにもノンポリティカルな)誤訳の連鎖をしている結果、
混迷状態に陥っているか、が分かりました。ビールの都はパリではありません。
単に古典が再訳されたというものでは全くありません。
既訳を読んだヒトも本訳を決定稿として読んだ方が良い。
そして「「闇の奥」の奥」も読みましょう。
さらに「地獄の黙示録(完全版)」を、何重にも罪深いモノとして観ましょう。
本訳のクルツに映画のカーツを期待しないように。
2007年5月14日に日本でレビュー済み
非常に興味深く、そして、意外な面白さを
提供しているのは、かつて東大英文科教授
を務め本邦初訳及び改訳を50年前に果た
した中野好夫氏に、堂々対決を挑んだ藤永氏
の演繹的誤訳訂正のプロセスである。
えっ、白く塗られた墓の都市はパリじゃな
かったの?・・・・・・などなど。
拍子抜けするほどシンプルで、他愛もない
筋書きに、魂を揺さぶるように詩的で瞑想的
な味付けをなされた原作の心が、またひとつ
裸にされたと言うべきか。
植民地主義であるとか、ジェノサイドである
とか、闇の本体について壮厳なテーマで語ら
れることの多い本作であるが、クルツ個人の
煩悩と、いささか醒めた語り部マーロウの、
ちょっとした葛藤、くらいに読んでも良いの
ではないかと、正直、思う。
マーロウが熱く語れば語るほど、話の聞き役
である船長・重役も、弁護士爺さんも、会計士
も、静かにマッチを擦るに惰す。
アフリカ行きの前後で頭囲がどれほど変化するか
調べたいと言った、検診医の興味。あるものに
とってのホラーが、別のものにとってはその程度
のものでしかないという現実もまた、コンラッド
が示したかったダークネスかとおもいます。
象牙集め、イコール、現地人の信仰集めに偶然成功を
果たし、神である事の孤独と不安にさいなまれた
ある男の死にザマ。それはスペイン、イギリス、
フランスの、その後を象徴する寓話でもあるのだが、
これが100年前の予言書となりえたことを、コンラ
ッド自身は知らずにいたかと思うと、感慨深い。
提供しているのは、かつて東大英文科教授
を務め本邦初訳及び改訳を50年前に果た
した中野好夫氏に、堂々対決を挑んだ藤永氏
の演繹的誤訳訂正のプロセスである。
えっ、白く塗られた墓の都市はパリじゃな
かったの?・・・・・・などなど。
拍子抜けするほどシンプルで、他愛もない
筋書きに、魂を揺さぶるように詩的で瞑想的
な味付けをなされた原作の心が、またひとつ
裸にされたと言うべきか。
植民地主義であるとか、ジェノサイドである
とか、闇の本体について壮厳なテーマで語ら
れることの多い本作であるが、クルツ個人の
煩悩と、いささか醒めた語り部マーロウの、
ちょっとした葛藤、くらいに読んでも良いの
ではないかと、正直、思う。
マーロウが熱く語れば語るほど、話の聞き役
である船長・重役も、弁護士爺さんも、会計士
も、静かにマッチを擦るに惰す。
アフリカ行きの前後で頭囲がどれほど変化するか
調べたいと言った、検診医の興味。あるものに
とってのホラーが、別のものにとってはその程度
のものでしかないという現実もまた、コンラッド
が示したかったダークネスかとおもいます。
象牙集め、イコール、現地人の信仰集めに偶然成功を
果たし、神である事の孤独と不安にさいなまれた
ある男の死にザマ。それはスペイン、イギリス、
フランスの、その後を象徴する寓話でもあるのだが、
これが100年前の予言書となりえたことを、コンラ
ッド自身は知らずにいたかと思うと、感慨深い。
2006年9月23日に日本でレビュー済み
フランシス・フォード=コッポラ監督の映画『地獄の黙示録』の原作として有名に成ったコンラッド(1857−1924)の小説である。コンラッドは、元々はポーランド人で、イギリスに帰化した人物であった。その為、コンラッドの文学においては、例えば『エイミイ・フォスター』などがそうだが、異文化の出会いと断絶が、大きな主題と成って居る。
この小説は、一人の船乗りが、コンゴ川を船で遡り、そこで自分が見た光景を語ると言ふ物語である。当時のヨーロッパ人にアフリカ奥地の社会がどう映ったかが語られて居て興味深いが、コンラッドが、この作品で、当時のアフリカ奥地を描いた視線は非常に否定的な視線である。それは、美術や音楽などの、アフリカ文化の優れた側面を度外視した物で、コンラッドのそうした視点は明らかに一面的な物である。当然、今日の目で見れば、批判されるべき点は有るが、それはそれで、一つの視点であり、必要以上に批判されるべきではないと、私は思ふ。
この小説を原作にしたコッポラ監督の『地獄の黙示録』が公開された時、五木寛之氏は、週刊『プレイボーイ』でコッポラ監督と対談して居る。その中で、五木氏は、コッポラ監督の『地獄の黙示録』における東南アジアの描かれ方が、コンラッドの『闇の奥』におけるアフリカ奥地の描かれ方と余りにも同じである事に驚いたと言ふ趣旨の発言をして、『地獄の黙示録』を批判して居る。私は、五木氏の批判に同意しないが、氏が『地獄の黙示録』を観てそう感じた理由は分からなくはない。
(西岡昌紀・内科医)
この小説は、一人の船乗りが、コンゴ川を船で遡り、そこで自分が見た光景を語ると言ふ物語である。当時のヨーロッパ人にアフリカ奥地の社会がどう映ったかが語られて居て興味深いが、コンラッドが、この作品で、当時のアフリカ奥地を描いた視線は非常に否定的な視線である。それは、美術や音楽などの、アフリカ文化の優れた側面を度外視した物で、コンラッドのそうした視点は明らかに一面的な物である。当然、今日の目で見れば、批判されるべき点は有るが、それはそれで、一つの視点であり、必要以上に批判されるべきではないと、私は思ふ。
この小説を原作にしたコッポラ監督の『地獄の黙示録』が公開された時、五木寛之氏は、週刊『プレイボーイ』でコッポラ監督と対談して居る。その中で、五木氏は、コッポラ監督の『地獄の黙示録』における東南アジアの描かれ方が、コンラッドの『闇の奥』におけるアフリカ奥地の描かれ方と余りにも同じである事に驚いたと言ふ趣旨の発言をして、『地獄の黙示録』を批判して居る。私は、五木氏の批判に同意しないが、氏が『地獄の黙示録』を観てそう感じた理由は分からなくはない。
(西岡昌紀・内科医)
2006年12月12日に日本でレビュー済み
中篇小説ながら その後に与えた影響は大きかった。
映画「地獄の黙示録」がこれを原作にしている話は有名である。原作は 植民地時代のアフリカだが これをベトナム戦争時代のインドシナ半島に翻案したのが映画である。「地獄の黙示録」を哲学的な映画と評する向きがあるが それは コンラッドのお陰である。
村上春樹の「羊をめぐる冒険」にも本書が出てくるといわれている。主人公がこもる 北海道の別荘に「コンラッドの本」が出てくるが これは設定上 まず「闇の奥」と言ってよい。村上は「現代の北海道」に翻案したわけだ。
人間の心の奥に潜むものの話だ。心を「闇」というコンラッドの 奇妙な ニヒリズムが味わいである。この本も新訳が出るまでになった点も興味深い。今なお 人をして読ましめるということなのだろう。
映画「地獄の黙示録」がこれを原作にしている話は有名である。原作は 植民地時代のアフリカだが これをベトナム戦争時代のインドシナ半島に翻案したのが映画である。「地獄の黙示録」を哲学的な映画と評する向きがあるが それは コンラッドのお陰である。
村上春樹の「羊をめぐる冒険」にも本書が出てくるといわれている。主人公がこもる 北海道の別荘に「コンラッドの本」が出てくるが これは設定上 まず「闇の奥」と言ってよい。村上は「現代の北海道」に翻案したわけだ。
人間の心の奥に潜むものの話だ。心を「闇」というコンラッドの 奇妙な ニヒリズムが味わいである。この本も新訳が出るまでになった点も興味深い。今なお 人をして読ましめるということなのだろう。