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文学部をめぐる病い—教養主義・ナチス・旧制高校 単行本 – 2001/6/1

3.6 5つ星のうち3.6 23個の評価

商品の説明

内容(「MARC」データベースより)

あなたは、ヘッセ「車輪の下」の最初の翻訳者がどういう人物だったか、知っていますか? 「二流」の男たちの悔しさ、怨念、悲哀、出世欲、自覚なき体制順応から見た、「文学部」の構造とそのメンタリティ。

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 松籟社 (2001/6/1)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2001/6/1
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 単行本 ‏ : ‎ 356ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4879842168
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4879842169
  • カスタマーレビュー:
    3.6 5つ星のうち3.6 23個の評価

著者について

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高田 里恵子
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カスタマーレビュー

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上位レビュー、対象国: 日本

2021年8月21日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
もっと短い文だと、ありがたい。文が表す意味内容に対して、文の量が長い。
2人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2008年9月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
めっちゃ面白かった。でもかなり重いです。
ガンに犯されたエリートを主人公にした悲劇の物語。
実はそれをつづる著者自身が、ガンに犯されている。
著者の痛々しい告白記。例えるならこんな感じ。
筆の振るえが行間から伝わってくるような本です。

旧制高校エリートの中でも理系でもなく、法学部でも
なく、文学部(しかも独文)が本書の主役。
現在からすれば、エリートでありながら、実学から程
遠い(ようにみえる)文学部の話しなど、それだけで
もう充分読者を限定する。

軍隊におけるエリートの扱いや、翼賛会文化部長の内
部崩壊戦略?など、文学部ならではの微妙でわかりに
くいねじれた立位置を丁寧に跡付け楽しめる。
「へえー」の連続でした。

しかし。。。文体が蓮実重彦風なのは何故?
「〜遠く離れて」とか「凡庸」(二流)なとか。
あこがれてるのでせうか?蓮実重彦自体、本書の主人
公達そのもののようなきがするけど(あ、彼は「一流」か)。

これも頭のいい女性がよく出す大物、権威をぶった切る的
なものかと思ったけど、ちょっと違いました。
安全な立位置を確保したうえでの野次馬本ではなく、重く
ウェットな告白本です。
14人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2020年12月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
東京帝国大学文学部独文科を巡る物語である。幕末に開国して以来日本はヨーロッパ・アメリカを学ぶ「必要」がありお雇い外国人からドイツ、フランス、英語を学び、それらの外国語は次に日本人で秀でた者を教授にすることで先進国文化を採り入れ続けた。東京帝大はそうした役割を担ったのであり、文学部独文科はドイツ文学を日本に広める秀才の集まりであった。秀才集団も中では各々の能力、性格、器量、人格などの尺度により序列が着く。栄達のトップは学部の教授になることであるが、多くは高校、他大学のドイツ語教師になり、他に翻訳者、作家、となりベストセラーを連発すればその作家は出世、と思われた、らしい。ここに大東亜戦争が絡まり、ナチスが絡み、ナチスに加担した独文研究者は戦後になって当然批判されたのだが、うまく切り抜けた者(高橋健二)が居り、切り抜けられなかった者も居る。 中野孝次は家が貧しかった為にコンプレックスを抱えて生きた、と。丸谷才一は(英文科であったが)中野孝次程度(の作家)と思われては不満だったらしい。こうした種々雑多の人々(秀才?)がドイツ文学、文化を日本に紹介し、その弟子たちがいまもその役割を果たし続けているのだろう。こうした人たちがドイツ文学を訳していたのか、、、といささか感慨にふけりました。旧制高校や新生大学でドイツ語教授となり、将来は殆ど使うことのない「第二外国語」を教えて生徒にコンプレックスを与えていた者たちはこうした奇妙な集団出身であったのか、と何だかバカバカしくなった次第です。
2人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2023年9月10日に日本でレビュー済み
自覚症状―まず、何が問題なのか
病歴―大政翼賛会文化部と第一高等学校
病源―さらば、東京帝国大学
自己診断―高学歴者の悲哀
症例―学校小説としての『ビルマの竪琴』
伝説―『車輪の下』、あるいは男の証明
余病―中野孝次、カフカから清貧へ
2017年9月20日に日本でレビュー済み
『文学部をめぐる病い――教養主義・ナチス・旧制高校』(高田里惠子著、松籟社。出版元品切れだが、amazonで入手可能)には、心底、驚かされた。

私が大学1年の時、大きな影響を受けた『車輪の下』(ヘルマン・ヘッセ著、高橋健二訳、新潮文庫)の訳者・高橋健二が、戦争中はナチス文学を積極的に翻訳紹介しながら、戦後はナチスに抵抗したドイツ人作家たちの翻訳者に転じた人物だと告発されているからだ。著者の高田里惠子は、当時の変節漢たちの代表選手として高橋に焦点を合わせているのだが、高橋という人物が東京帝国大学文学部独文科における「二流の人間」だったことが、大きく影響していると断言している。

高橋と独文科の同期生たちや周辺の人物との複雑な関係を糸口に、彼らと旧制高校、教養主義との関わりに対する鋭い考察が展開されていく。

「旧制高校生の教養主義とは読者の態度を指す言葉である。それが受動的あるいはディレッタント的と批判される所以であるが、しかし、謙虚で上質な読者は、書きたがり屋だが才能のない(高橋のような)文学青年よりよほど文化への貢献度は高いと思われる(こうした読者の消失こそ、現在叫ばれる『教養の危機』の本質であろう)」。透徹した指摘である。

「今こそ、われわれドイツ文学者は、ナチス文学・文化についてもっと知りたいという一般読者の気持ちにこたえなければならぬ、『既に欲求は高まっている。今は行為が待たれているのである』と高橋健二は力説する」。

「『ドイツ戦歿学生の手紙』は、ナチス政権の成立とともに普及版が出された。高橋健二が抄訳したのはこの普及版のほうであり、新たに付け加えられた編者序文には、ナチス・ドイツへの賛同と、若い学生たちの死がこの新生ドイツ誕生のための尊い犠牲死であったことがはっきりと記されている」。

「(東京帝国大学独文科の1年後輩で、『ビルマの竪琴』で知られる)竹山(道雄)は『憑かれた人々』というエッセイのなかで、ナチスのために旗振りをした(高橋のような)日本のドイツ文学者たちを半ば茶化しながら、彼らがお人好しで無防備であったが故にそのような行動に出てしまった様子を描きだす。竹山は意図的に、彼らをはじめから箸にも棒にもかからない二流の人間として描いており、弁護を買って出るほどの関心をもっていないように見える」。

「高橋健二が強調する、祖国あるいは軍部のあり方に疑問をもちつつ戦争に協力しなければならなかった高学歴者たちの苦悩・・・」。事後の言い訳に過ぎない。

「高橋健二は、自らの『抵抗』がファシズムへの曖昧で明るい協力となってしまったことにまったく無自覚であった。・・・高橋健二は自分自身をあくまで『引きずりこまれ』、そして『ベストをつくした』ほうと信じるがゆえに、決して『教訓』を残すことはないし、反省とは無縁である」。

「(高橋は)伊藤整の作家らしい波瀾万丈の人生と自分の人生とを比して『私は一高、東大とストレートなコースを通って、すぐに高校の教師になり、職歴に乏しく、定年で大学を退いた。最も単調な歩みをした』と振りかえってみせる」。その鉄面皮ぶりには、ほとほと呆れてしまう。

『車輪の下』から『ペーター・カーメンツィント』『デーミアン』へと私をヘルマン・ヘッセの世界に導いてくれた先達というだけでなく、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテへの目を開かせてくれた恩人として、長らく尊敬の対象であった高橋だけに、本書の衝撃は並大抵ではなく、私を複雑な感情に陥らせたのである。

私の驚きは、これだけでは済まなかった。最終章に登場する中野孝次が、その出身階級に対するコンプレックスを克服しようと苦労の末、東京帝国大学文学部独文科に入ったものの、解消できず、フランツ・カフカを経て『清貧の思想』に至る泥濘(ぬかるみ)のような過程が描かれているからだ。

「中野は、家庭の事情で、と言っても貧しさだけの所為ではなく、大工の家庭には子供に教育を受けさせるという考えじたいが欠けていたからなのだが、中学校に進学できず、専検(専門学校入学者資格検定資格)と呼ばれた試験を経て、ようやく旧制高校に、そして帝国大学にもぐりこんだのである。だが、日本における『車輪の下』の位置を考察したときに触れたように、教育による階級上昇という現象の残酷さを、中野孝次はいやというほど思い知らされることになる。竹山道雄が描くような男同士の友情世界は、出自の貧しさにコンプレックスを抱く中野孝次にとっては、時にはただ屈辱感をもたらすだけのものとなった。重要なのは、専検受験生の中野少年が、われわれが(多少皮肉をこめて)考察してきた旧制高校的なるものに対して尋常でない憧れを抱いていたことである。文化の香り、男と男の友情、弊衣破帽、高下駄やマント、自分もいつかあの世界に入りこむのだという気持ちだけが少年の心を支えていた。貧しさのなかで孤独に受験勉強を続ける少年は、ただ一つの救いにすがりつくかのように教養主義的読書に熱中する。つまり、昭和10年代に復活した旧制高校的教養主義をまずはただ書物によってのみ吸収しようとしていたのだった。だから中野孝次の教養主義は、恥ずかしいくらい(中野じしんが恥じている)純粋なかたちであらわれてしまい、中野が自伝的連作のなかでそのように描いているようにパロディにしかなりえない。ベストセラーになった『清貧の思想』は、かつて中野孝次を魅了し呪縛していた教養主義(=非庶民的西洋文化)に対する、あるいは上級学校に対する遅ればせの復讐であり、出自を裏切ろうとした自分自身に対する処罰でもあったのだ。今ではすっかり人生の説教師の風格を備えた中野孝次の自伝的小説群を、怨念に満ちみちた学校物語として読み直してみること、それがこの章の課題である。中野孝次の復讐心は、教養主義と旧制高校と東京帝国大学独文科から、最後の威厳を奪いとることだろう」。

またまた驚くことに、中野の自伝的小説の中に、我が敬愛する丸谷才一が登場しているではないか。「(国学院)大学の同僚であった英語教師晴田が大学を辞め筆一本の生活に入ったころから、主人公の心に動揺が芽生えはじめていたのだった(晴田のモデルは丸谷才一)。このまま、大学教師というものに安住していていいのだろうか。上級学校に憧れ、学校のなかに生きてきた男が、はじめて学校に疑問をもったのだった。大学教師になったあと、ある程度の生活の安定を得、また翻訳を中心とする仕事上の成功もあって、中野孝次は、長年苦しめられてきた出自に関するコンプレックスからようやく解放される。橋本一明や丸谷才一との競いあいや付きあいも、たしかに今思いかえせば『虚栄心や負けずぎらいに駆りたてられ、精一杯背伸びしている当時の自分を思いだすのは苦痛』といった種類のものであっても、しかし、そこには東大独文科時代の憤懣はもはや存在しない」。

私の興味を掻き立てて已まないカフカまで登場するに至っては、驚きも極まれりだ。「カフカは、中野の個人史においても、また日本のドイツ文学研究史においても、重要な転換点をもたらしたと言えよう。カフカという作家とともに、日本のドイツ文学受容の存り様が大きく変わる。つまり、教養主義の終焉である。独文研究室のなかでつねに違和感をもちつづけたという中野孝次がカフカの『最も早い時期の発見者』のひとりとなりえたのは、偶然ではあるまい。専検受験者のころから中野を呪縛してきた教養主義文化から逃れられたのは、カフカのおかげであろうし、また、カフカ翻訳の仕事の成功が、その後の中野の活躍、小説家にいたるまでの道を切りひらいたことも確かだ」。

私の周りでも、「両親とも本など一切、手にしない家庭で育った」と言う人がいる。そういう人たちが大人になり、独創的な文筆活動を行っているのを目の当たりにすると、やはり、出自よりも本人の努力が物を言うのだという感を強くする。
9人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2008年7月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
個人的に教養と言うものにこだわりがある一方で、教養の意味が漠然としすぎて何なのかがよくわからないため、タイトルにある「教養主義」に引かれ購入してみたのだが、本書で「教養」についての言及はあったのだろうか? 私の読解力がないせいか、はたまた著者の言わんとするところが全く別次元に存在するせいか、何について書いているのかがさっぱりわからない著作である。著者の責任ではないかも知れないが、私には全く理解できない内容だったので☆1つ。
9人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2011年5月8日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「車輪の下」「青春はうるわし」「春の嵐」「デミアン」、「ゲーテ詩集」「ゲーテ知と愛の格言集」の訳者・編者高橋健二が、あろうことか戦中大政翼賛会文化部長を務め、戦後公職追放にあったこと。私たちの学生時代、活字が小さく印刷も不鮮明で愛着の湧かなかった木村・相良「独和辞典」の東京帝大独文のボス木村謹治教授のもとでは、ユダヤ人ハイネやアメリカに亡命したトーマス・マンを卒論のテーマとして選ぶことはできず、ゼミでは教授の方針によりナチス文学を読ませていたとのこと。

青春、ロマン、教養などのイメージに包まれた高橋が、実は戦意高揚組織翼賛会で働いていたなどというのはギョッとする悪い冗談だが、さもありなんという気がする。
ナチスドイツが着々と力を備え、近衛・東条内閣・軍部はこれに乗る。ヒトラーユーゲントがやってくる、ベルリン・オリンピックは見事なものだ。「教養」に魅せられた旧制高校のエリート向けにドイツ文学の翻訳・随想の類はどんどん売れる。帝大のドイツ文学部は各地の高校にドイツ語教師をいくらでも供給できた。要するにドイツ文学者たちにとってはいい時代だったのだ。所詮ドイツ語教師はドイツ語教師であって「主義者」でも思想家でもないのだから無邪気に時流に乗ったということだろう。

かといって本書の主眼は、かってのドイツ文学者たちのナチズムへの加担を追及したり、旧制高校の教養主義の限界を論及することでなく、いわんや「文学部」(東大)批判では「毛頭ない」と著者はいう。それらをひっくるめて「二流ということ」、そしてその悲哀についての研究なのだとしている。

読んでいてフラストレーションがたまるのは、まさにこの「意図的なあいまいさ」である。言いたいことの7割ほどいったあとで、それは主眼ではないと身をかわす。批判対象を腰を据えて批判せず、これは文学部をめぐる「病い」であって私はその「病原」「病歴」「症例」を提示しているにすぎないという逃げのスタンス。
「いやったらしい」などの女性独特の言葉使い。私にはこれらが気になった。
著者はいったい何を恐れているのだろう。自らが「病原」東大独文卒であり、かっての「教養主義」を共感した患者の一人ではなかったかという負い目なのだろうか?

「二流であることの悲哀」については解らなくもなかったが、それを跡づけたところで「だから?今更それで何になるの?」というのが読後感である。

著者自身、それなりの夢と野心を持って独文をめざされたはず。であれば一世代前の「時流に恵まれた?」先輩たちを羨んだり、敗戦後あたふたとつじつま合わせに腐心する彼らを憫笑したりする暇があるのなら、本来のドイツ文学研究の領域でいい仕事をすべきだろう。そうでなくともドイツ語・ドイツ文学の人気凋落はまぎれもないのだから。
29人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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