都市テクスト論的な「ものの考え方」についてすこし。
われわれは日常的に多くのモノ・コト・ヒトとの関わりを持っている。それはこの時代・社会が生み出した様々なシステムに網羅され、馴致されることでもある。そのこと自体はよいことでも悪いことでもない。だが、慌ただしい日常を生きるなかで、みずから(の身体)を取り巻く無数のシステムを意識的に見つめることはあまりない。本当にそれでいいのだろうか? あらゆる物事の表層、わかりやすいストーリーだけを受け入れて生きていれば、われわれの世界に対する感度は確実に脆弱化してゆく。
人がある障壁に突き当たったとき、それを一挙に解決できるようなマジックは存在しない。その障壁を突破するために必要なのは、問題のごく小さな、見えにくい部分を拾い集め、吟味する力だ。日常においても学問においてもそれは同じ。ならばこの二つを分け隔てることなく、みずからの生きるこの世界そのものを広大なテクストとして認識してみよう。――これが著者・田口の考え方だと私は解釈している。
つまり都市テクスト論は、文学研究におけるひとつのアプローチに留まらない。いや、留まらないと思った方がより楽しめるはずだ。その思考法と実践は、われわれが世界という茫漠たるテクストを強靱に生き抜く(Survive)ためのトレーニングでもある。
※星4つとしたのは、第Ⅰ部総論第一章において、テクスト理論に内在するアポリア、すなわち「恣意的な読みのインフレーション」を克服するための理論的強度をいか構築しうるかという点がやや説明不足に思えたため。
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都市テクスト論序説 単行本 – 2006/6/1
田口 律男
(著)
- ISBN-104879842400
- ISBN-13978-4879842404
- 出版社松籟社
- 発売日2006/6/1
- 言語日本語
- 本の長さ472ページ
登録情報
- 出版社 : 松籟社 (2006/6/1)
- 発売日 : 2006/6/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 472ページ
- ISBN-10 : 4879842400
- ISBN-13 : 978-4879842404
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,218,649位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 1,757位文学理論
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2006年10月8日に日本でレビュー済み
都市論? ――前田愛だろ?
テクスト論? ――ソシュール以後の言語哲学から出てきたやつらだろ?
ちょっとした文学フリークや研究者なら、私の知識に数倍する人名をあげられるはず。しかし、だ。
都市テクスト論? ――なにそれ?
本書のタイトルにもなっている「都市テクスト論」は著者のオリジナルタームである。これが今後市民権を得るかどうかは、今のところまったく定かではない。
まえがきで、著者はテクストを弁当に喩えている。この比喩自体にはなんの斬新さもないのかもしれないが、我々が見ておくべきなのはそのちとまずい比喩ではなく、作られたもの(織られたもの)を分節化する著者の意識である。食えばよかった食材が(読むだけでわかるはずだった言葉が)、吟味され(遅延され)、おいしい――まずい(おもしろい――つまらない)の単純な分節化を超えていく。(あれ? 意外に的を射た比喩じゃないか。)
それは効率的ではないし、速さもないし、情報量だって少ないのかもしれない。しかし、手触りがある。いくら壇上の人が断定で語っても得られない、手工業のミクロな視線がある。
もしあなたが言葉に対して、効率や速さや情報量ではなく、小さなもの、奥にあるもの、広さや可能性を信じられるのならば、この本を手に取るのもいいだろう。
ただし、星五つはつけない。読んだ限り必ずしも「都市」というタームに固執する必要はないと思うからだ。著者が言うように、「身体」と呼応する「世界」として、「都市」を想定しているのであって、その分節化は浮動していく余地が残るのではないか(近代文学を扱うことのみを考えれば「都市」がよく馴染むのであろうが)。
前田愛の後に田口律男が来るのかどうかに興味はない。が、『「都市テクスト論」が「都市論」や「テクスト論」を超えていけるのか?』これは興味深い。
テクスト論? ――ソシュール以後の言語哲学から出てきたやつらだろ?
ちょっとした文学フリークや研究者なら、私の知識に数倍する人名をあげられるはず。しかし、だ。
都市テクスト論? ――なにそれ?
本書のタイトルにもなっている「都市テクスト論」は著者のオリジナルタームである。これが今後市民権を得るかどうかは、今のところまったく定かではない。
まえがきで、著者はテクストを弁当に喩えている。この比喩自体にはなんの斬新さもないのかもしれないが、我々が見ておくべきなのはそのちとまずい比喩ではなく、作られたもの(織られたもの)を分節化する著者の意識である。食えばよかった食材が(読むだけでわかるはずだった言葉が)、吟味され(遅延され)、おいしい――まずい(おもしろい――つまらない)の単純な分節化を超えていく。(あれ? 意外に的を射た比喩じゃないか。)
それは効率的ではないし、速さもないし、情報量だって少ないのかもしれない。しかし、手触りがある。いくら壇上の人が断定で語っても得られない、手工業のミクロな視線がある。
もしあなたが言葉に対して、効率や速さや情報量ではなく、小さなもの、奥にあるもの、広さや可能性を信じられるのならば、この本を手に取るのもいいだろう。
ただし、星五つはつけない。読んだ限り必ずしも「都市」というタームに固執する必要はないと思うからだ。著者が言うように、「身体」と呼応する「世界」として、「都市」を想定しているのであって、その分節化は浮動していく余地が残るのではないか(近代文学を扱うことのみを考えれば「都市」がよく馴染むのであろうが)。
前田愛の後に田口律男が来るのかどうかに興味はない。が、『「都市テクスト論」が「都市論」や「テクスト論」を超えていけるのか?』これは興味深い。