小学3年生の読み聞かせ用に購入。
文体が少し難しく感じますが、絵もインパクトがあり、何かを感じさせる良い本だと思います。
小1、小3の我が子に読み聞かせたところ、かなり真面目に聞き入っていましたが、小1の息子がかなり怖がっていたので、読み聞かせは今回は見送りました。高学年になったら使ってみたいと思います。
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くもの糸 大型本 – 2003/5/1
- 言語日本語
- 出版社新世研
- 発売日2003/5/1
- ISBN-104880121509
- ISBN-13978-4880121505
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
生前大ドロボウであったカンダタは、地獄の底でくもの糸を見つけて上ります。これは、おしゃか様が極楽からたらしてくれたものでした。しかし…。芥川竜之介の名作を藤川秀之が絵本化。
登録情報
- 出版社 : 新世研 (2003/5/1)
- 発売日 : 2003/5/1
- 言語 : 日本語
- ISBN-10 : 4880121509
- ISBN-13 : 978-4880121505
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,070,352位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 78,041位絵本・児童書 (本)
- - 282,277位文学・評論 (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
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(1892-1927)東京生れ。東京帝大英文科卒。在学中から創作を始め、短編「鼻」が夏目漱石の激賞を受ける。
その後今昔物語などから材を取った王朝もの「羅生門」「芋粥」「藪の中」、中国の説話によった童話「杜子春」などを次々と発表、大正文壇の寵児となる。西欧の短編小説の手法・様式を完全に身に付け、東西の文献資料に材を仰ぎながら、自身の主題を見事に小説化した傑作を多数発表。1925(大正14)年頃より体調がすぐれず、「唯ぼんやりした不安」のなか、薬物自殺。「歯車」「或阿呆の一生」などの遺稿が遺された。
カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2015年9月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2012年4月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
とにかく、絵が素晴らしく、大きい絵本なので、40人ほどの子供たちの前でも、読み聞かせできます。子どもたちも、その絵に、引き込まれていくような感じでした。
2017年4月12日に日本でレビュー済み
小2の子どもに読み聞かせました。
絵を怖がっていましたが、芥川龍之介のくもの糸の地獄が可愛いわけがない。
じごくのそうべえみたいな笑える地獄とは違います。
物語の解釈は人それぞれかと思います。
文末の「極楽ももう昼近くになったのでございましょう。」も恰好いいです。
極楽のお釈迦さまにとっては何気ない日常の一コマで、カンダタにくもの糸をたらしたのもお釈迦さまのただの気まぐれだったのかもしれません。
絵を怖がっていましたが、芥川龍之介のくもの糸の地獄が可愛いわけがない。
じごくのそうべえみたいな笑える地獄とは違います。
物語の解釈は人それぞれかと思います。
文末の「極楽ももう昼近くになったのでございましょう。」も恰好いいです。
極楽のお釈迦さまにとっては何気ない日常の一コマで、カンダタにくもの糸をたらしたのもお釈迦さまのただの気まぐれだったのかもしれません。