慈遠和尚の序文が振っている。
「先祖が不調法をしておくと必ず子孫にわざわいが及ぶというが、ご先祖がこんな十牛図というような不調法なものを作った。だから、何とかこれに目鼻をつけて世間に通じるようにしておかんというと児孫が困る」
人は、思慮分別を覚えたばかりに善いだの悪いだの、損だの得だの、憎いだの可愛いだの、男だの女だの泥田の中に足を突っ込んで「本来の自己」を失ってしまった。
無文老師は臨済なので二六時中、明けても暮れても「無ーッ、無ーッ。」とやっておれば必ずパッと目が開くときがあると提唱されている。
美人が前にきても抱こうという念が起こらない。酒が出ても飲むという念が起こらなくなって初めて「牛」を掴まえることができる。
妄想を払うのに三時間骨を折る。そして一秒でも一分でも五分でも三昧(非思量)になればいつどこで拾物をせんとも限らない。声より得入するとも限らない。それには三昧を持続するということが大切であると。
人間というものは、座禅をしてみると「いらざる余分の考え」つまり精神の浪費がいかに多いかがわかる。モーターの空回り、電灯のつけっ放しである。
世間の人は、妄想の影法師を眺めている。念を捨てなければならない。
鏡のようにスカーッとして一念もないところが真実の姿である。(大円鏡智、本来無一物)
そして、いつも初めて。(前後際断)
(追記)
私事であるが、癌の疑いで再度、専門病院で高度の検査を受ける事になった。
その時、人は言うに及ばず機械・建物・着衣の全てに名状しがたい「いとおしさ」を感じた。
これは、その日一日中続いた。
これは、一時の「悟り」ではなかろうか。
ただ、次の日以降は日常に戻った。
だが、癌手術を終え退院後暫く経って、子どもからお父さんは変わった。何んで変わったのと聞かれた。
答えは多分、一度死んだからである。
私に変わったと云う自覚はなかった。そう言われればそうかと云う程度である。
そう言えば退院の日、看護婦さん全員から、涙を流さんばかりの別れを惜しまれた。
今でも不思議である。
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十牛図-禅の悟りにいたる十のプロセス- 単行本 – 1982/7/16
山田 無文
(著)
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『十牛図』は北宋の末ごろの廓庵師遠(かくあんしおん)禅師によって作られたもので、人間が本来もっている仏性を、中国でもっとも身近な動物である牛にたとえ、その仏性を求める修行過程が、牧童が牛を飼い馴らすのになぞらえ、十枚の絵とコメントと詩で表現されています。
- 本の長さ180ページ
- 言語日本語
- 出版社禅文化研究所
- 発売日1982/7/16
- ISBN-10488182015X
- ISBN-13978-4881820155
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商品の説明
出版社からのコメント
『十牛図』は北宋の末ごろの廓庵師遠(かくあんしおん)禅師によって作られた者で、人間が本来もっている仏性を、中国でもっとも身近な動物である牛にたとえ、その仏性を求める修行過程が、牧童が牛を飼い馴らすのになぞらえ、十枚の絵とコメントと詩で表現されています。
A5判 180頁 1982.7 発行
A5判 180頁 1982.7 発行
抜粋
天地の間に求めるものは何もない。飯に会うては飯を喫し、茶に会うては茶を喫するだけだ。飢来たれば飯を喫し、困じ来たれば眠るだけだ。腹がへったら飯を喰い、眠うなったら寝るだけだ。
空を飛ぶ鳥に足跡はない。何もあとに残さない。そのように何もあとに残さないのが仏法である。仏法、仏法にあらず、これを仏法と名づく。これが仏法というものだ。こういうことを信じなければいけないとか、こういう仏さんを拝まなければならんとか、これだけは守らなければならないとか、そういう規約などというものは仏法には何もない。本来の自分の心が分かりさえすればよい。それが仏法である。―本文より―
空を飛ぶ鳥に足跡はない。何もあとに残さない。そのように何もあとに残さないのが仏法である。仏法、仏法にあらず、これを仏法と名づく。これが仏法というものだ。こういうことを信じなければいけないとか、こういう仏さんを拝まなければならんとか、これだけは守らなければならないとか、そういう規約などというものは仏法には何もない。本来の自分の心が分かりさえすればよい。それが仏法である。―本文より―
著者について
山田無文老師略年譜
1900(明治32)年 愛知県北設楽郡武節村に生まる。父山田徳四郎、母コウの三男。
1922(大正11)年 臨済宗大学二年編入。大正14年3月卒業。
1929(昭和4)年 妙心寺専門道場掛錫、ついで天龍寺専門道場に転錫し、関精拙老師に参ずる。
1949(昭和24)年 花園大学学長に就任。
1953(昭和28)年 祥福寺専門道場師家となる。
1964(昭和39)年 (財)禅文化研究所長就任。
1978(昭和53)年 妙心寺派管長に就任。花園大学名誉学長。
1988(昭和63)年 遷化。
1900(明治32)年 愛知県北設楽郡武節村に生まる。父山田徳四郎、母コウの三男。
1922(大正11)年 臨済宗大学二年編入。大正14年3月卒業。
1929(昭和4)年 妙心寺専門道場掛錫、ついで天龍寺専門道場に転錫し、関精拙老師に参ずる。
1949(昭和24)年 花園大学学長に就任。
1953(昭和28)年 祥福寺専門道場師家となる。
1964(昭和39)年 (財)禅文化研究所長就任。
1978(昭和53)年 妙心寺派管長に就任。花園大学名誉学長。
1988(昭和63)年 遷化。
登録情報
- 出版社 : 禅文化研究所 (1982/7/16)
- 発売日 : 1982/7/16
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 180ページ
- ISBN-10 : 488182015X
- ISBN-13 : 978-4881820155
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著者について
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2017年6月10日に日本でレビュー済み
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心理学者の河合隼雄さんの本に見たのが最初でした(廓庵、「さがしてごらんきみの牛」‥)。
禅の、「十牛図」。牛とは、真の自己だとか…
老師独特の語り口調がおもしろい、読みやすいです。
この本に添えられた十牛図の、牛の絵もよかったです。
禅の、「十牛図」。牛とは、真の自己だとか…
老師独特の語り口調がおもしろい、読みやすいです。
この本に添えられた十牛図の、牛の絵もよかったです。
2018年8月29日に日本でレビュー済み
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ショックとしか言いようがありません。
大切にしようと思っていた本だったのに、
はじめの方の数ページですが、うっすらと折れ跡がありました。
アマゾンで新品の本の購入で初めてです。
大切にしようと思っていた本だったのに、
はじめの方の数ページですが、うっすらと折れ跡がありました。
アマゾンで新品の本の購入で初めてです。
2016年5月29日に日本でレビュー済み
黄色い帯の、カラッと澄んだ言葉に惹き付けられて 読んでみた。
乾いた土にゆっくり水が染み込むような、無文老師の語り。
これまで十牛図は 大まかにしか知らなかったけれど、懇切丁寧に 講話は展開され、安心して読める。
読みやすさは、その内容も もちろんのこと、
個人的には 本文のレイアウトも一役買っていると感じた。ほどよい “間” があって、リラックスして入り込める。
禅に関して全くの素人なので、文中、聞き慣れない禅師エピソードも、ふーん、面白いなあと思ったり、これ何だろ?と疑問な禅語は、ネット検索をしてみた。
また、『 自分がいつも真実でおれるということは、念を捨てていくということ 』 ・・P.100
『何も思うことのない清浄な心が、この何もかもある宇宙とぴったりと一つになったところ、
それより他にお互いの絶対的な拠り所はないはずである』・・P.154
など、思わずハッとしてページをめくる指がとまったことも。
新しく得るものや 拾える概念も皆無、あとに響いて残るものも何もないけれど、それで良い、何もないけど映るすべて、というような印象があった。
読みたくなったら、気の向くまま開こうと思う。
手に取る度に、新鮮で自由な本。
乾いた土にゆっくり水が染み込むような、無文老師の語り。
これまで十牛図は 大まかにしか知らなかったけれど、懇切丁寧に 講話は展開され、安心して読める。
読みやすさは、その内容も もちろんのこと、
個人的には 本文のレイアウトも一役買っていると感じた。ほどよい “間” があって、リラックスして入り込める。
禅に関して全くの素人なので、文中、聞き慣れない禅師エピソードも、ふーん、面白いなあと思ったり、これ何だろ?と疑問な禅語は、ネット検索をしてみた。
また、『 自分がいつも真実でおれるということは、念を捨てていくということ 』 ・・P.100
『何も思うことのない清浄な心が、この何もかもある宇宙とぴったりと一つになったところ、
それより他にお互いの絶対的な拠り所はないはずである』・・P.154
など、思わずハッとしてページをめくる指がとまったことも。
新しく得るものや 拾える概念も皆無、あとに響いて残るものも何もないけれど、それで良い、何もないけど映るすべて、というような印象があった。
読みたくなったら、気の向くまま開こうと思う。
手に取る度に、新鮮で自由な本。
2010年12月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この本を含め、6冊の「十牛図」と出会いました。
すべて、解釈される方の思いが伝わってくる本でしたが、この本が一番素直に理解できました。
単なる解釈でなく「今の世界で理解したらどうなるのか」をわかりやすく表現してくださってますので、「人生の指南書」として一般の人が読んでもすんなり理解できます。
テープに起こしたものを聴きたくなる名著のひとつだと思います。
すべて、解釈される方の思いが伝わってくる本でしたが、この本が一番素直に理解できました。
単なる解釈でなく「今の世界で理解したらどうなるのか」をわかりやすく表現してくださってますので、「人生の指南書」として一般の人が読んでもすんなり理解できます。
テープに起こしたものを聴きたくなる名著のひとつだと思います。
2010年2月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
実践が禅ならば、先ずは購入して読むべきです。
禅に興を覚える人ならば、この本の内容が、月を示す指先に更にレーザーポインターを付けていることに気が付くでしょう。
禅に興を覚える人ならば、この本の内容が、月を示す指先に更にレーザーポインターを付けていることに気が付くでしょう。
2015年11月3日に日本でレビュー済み
この本を手に取ったきっかけはそれは些細なもので、NARUTOの登場人物の初代火影が入鄽垂手という技を使うので気になったからというもの。
この本を読んで自分はとても救われた気になった。人生の目的、生きている意味、そんなことを考えて出来もしない目標に向かってもがいていた自分に何かとても大切なメッセージを残してくれ気がする。自分は自分であって何かになろうとする以前に、ありのままの自分や周りの人々を受け入れられるようにならなくてはならないと思った。私は仏教徒でもないし悟りという言葉にも鈍感な凡人だから本当に十牛図の意味が分かったのかと言われれば恐らくそれはない。けどこの本は私だけでなく他の人にも役立つところがあると胸を張って言える。
この本を読んで自分はとても救われた気になった。人生の目的、生きている意味、そんなことを考えて出来もしない目標に向かってもがいていた自分に何かとても大切なメッセージを残してくれ気がする。自分は自分であって何かになろうとする以前に、ありのままの自分や周りの人々を受け入れられるようにならなくてはならないと思った。私は仏教徒でもないし悟りという言葉にも鈍感な凡人だから本当に十牛図の意味が分かったのかと言われれば恐らくそれはない。けどこの本は私だけでなく他の人にも役立つところがあると胸を張って言える。
2007年12月14日に日本でレビュー済み
牧人がトレーダー、牛が「使える手法」。
漸く見付けたので、家に帰って高いびき。
誰に遠慮が要るものか。
お天道様が高く上った後でも、グーグー寝てしまう。
この時点で、セルフ・サボタージュ。
いつまでも寝てるなよ、ってんで、夜おっそく起きて見て
家の外に出て見ると、冴え冴えと照らす月明かり。
何十億年も前から、地上を照らして居たんだってさ。
マーケットの寿命よりも、もっと長い。
トレーダー一人の寿命よりも、もっと長い。
システム一つの寿命よりも、もっと長い。
いや、逆かも知れんぞ。
頑丈なシステムだったら、人間一人分の寿命よりも長いかも知れん。
冷え冷えとした月明かりを放つお月様に
思わず手を合わせたくなっちゃう人は、どうぞご勝手に。
アレをしちゃいかん、コレをしろ、なんて誰も言いませんから。
人生も相場も、その人の自由。と言う事は、その責任は・・・いやいや
この第7レベルまで来た人なら、言う必要も無い。
しかし、この後、まだ、先がある。
人もシステムも居なくなるんだそうな。
私なんか、寝過ぎないように、起きるのがやっと、ですから。
一生レベル7に居るかも知れない。
でも、相場で食べて行ければ、それでいいや。
以上、阿呆のひとりごとでしたー。
漸く見付けたので、家に帰って高いびき。
誰に遠慮が要るものか。
お天道様が高く上った後でも、グーグー寝てしまう。
この時点で、セルフ・サボタージュ。
いつまでも寝てるなよ、ってんで、夜おっそく起きて見て
家の外に出て見ると、冴え冴えと照らす月明かり。
何十億年も前から、地上を照らして居たんだってさ。
マーケットの寿命よりも、もっと長い。
トレーダー一人の寿命よりも、もっと長い。
システム一つの寿命よりも、もっと長い。
いや、逆かも知れんぞ。
頑丈なシステムだったら、人間一人分の寿命よりも長いかも知れん。
冷え冷えとした月明かりを放つお月様に
思わず手を合わせたくなっちゃう人は、どうぞご勝手に。
アレをしちゃいかん、コレをしろ、なんて誰も言いませんから。
人生も相場も、その人の自由。と言う事は、その責任は・・・いやいや
この第7レベルまで来た人なら、言う必要も無い。
しかし、この後、まだ、先がある。
人もシステムも居なくなるんだそうな。
私なんか、寝過ぎないように、起きるのがやっと、ですから。
一生レベル7に居るかも知れない。
でも、相場で食べて行ければ、それでいいや。
以上、阿呆のひとりごとでしたー。