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新品:
¥2,538¥2,538 税込
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発送元: Amazon 販売者: ブックスーパー神奈川
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日本人の正体―大王たちのまほろば 単行本 – 2010/6/22
林 順治
(著)
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■「日本人」のアイデンティティを探る、古代史の冒険!
20年ほど前、聖徳太子の実在に疑問をもった一人の古代史研究家がいました。
現在では「通説」となってきている、"聖徳太子不在説"を日本で初めて発表した石渡信一郎氏です。
石渡氏は、『日本書紀』における(41人中)30人の天皇の不在を明らかにするなど、古代史解釈に真相という新風を送り込んでいきます。
そんな石渡氏の一連の著作を編集者として担当するとともに、「現場にあたる」ことをモットーに
石渡説をさらに進めていったパートナーが、著者・林順治です。
本書では、石渡説をベースとした「倭韓交差王朝説」により、卑弥呼の時代から天武天皇までのおよそ400年間を、
一本の線として描き出すことに成功しました。
それは、「日本」の歴史を創出した『日本書紀』編纂者たちと、本書の著者との間での、
編集にまつわる心理戦でもありました。『書紀』編纂者らが隠した真実は、1~5に集約されます。
(1)初代天皇は、加羅系王朝を創始した崇神(『書紀』では10代目)である。
(2)王朝は応神天皇(昆支・倭王武)の時代で百済系に交替した。
(3)応神天皇(15代)と継体天皇(26代)は兄弟である。
(4)「聖徳太子」は、蘇我王家を隠すために創られた虚像である。
(5)天武天皇は天智天皇の弟ではなく、兄・古人大兄皇子である。
先の見えない時代ゆえか、われわれのルーツを問おうという気運が高まってきているのを実感しています。
天皇たちの正体を探ることは同時に、「日本人の正体」への"答え"につながり、本書のタイトルの意図もそこにあります。
20年ほど前、聖徳太子の実在に疑問をもった一人の古代史研究家がいました。
現在では「通説」となってきている、"聖徳太子不在説"を日本で初めて発表した石渡信一郎氏です。
石渡氏は、『日本書紀』における(41人中)30人の天皇の不在を明らかにするなど、古代史解釈に真相という新風を送り込んでいきます。
そんな石渡氏の一連の著作を編集者として担当するとともに、「現場にあたる」ことをモットーに
石渡説をさらに進めていったパートナーが、著者・林順治です。
本書では、石渡説をベースとした「倭韓交差王朝説」により、卑弥呼の時代から天武天皇までのおよそ400年間を、
一本の線として描き出すことに成功しました。
それは、「日本」の歴史を創出した『日本書紀』編纂者たちと、本書の著者との間での、
編集にまつわる心理戦でもありました。『書紀』編纂者らが隠した真実は、1~5に集約されます。
(1)初代天皇は、加羅系王朝を創始した崇神(『書紀』では10代目)である。
(2)王朝は応神天皇(昆支・倭王武)の時代で百済系に交替した。
(3)応神天皇(15代)と継体天皇(26代)は兄弟である。
(4)「聖徳太子」は、蘇我王家を隠すために創られた虚像である。
(5)天武天皇は天智天皇の弟ではなく、兄・古人大兄皇子である。
先の見えない時代ゆえか、われわれのルーツを問おうという気運が高まってきているのを実感しています。
天皇たちの正体を探ることは同時に、「日本人の正体」への"答え"につながり、本書のタイトルの意図もそこにあります。
- 本の長さ272ページ
- 言語日本語
- 出版社三五館
- 発売日2010/6/22
- ISBN-104883205029
- ISBN-13978-4883205028
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商品の説明
出版社からのコメント
日本古代史の真相を探る、三五館「正体」シリーズ第4弾は、「日本人」のアイデンティティを探る、古代史の冒険!
『日本書紀』編纂に隠された真実が、聖徳太子不在説を日本で初めて著した古代史研究家、石渡信一郎氏の説をベースとした
「倭韓交差王朝説」により明らかになる。
『日本書紀』編纂に隠された真実が、聖徳太子不在説を日本で初めて著した古代史研究家、石渡信一郎氏の説をベースとした
「倭韓交差王朝説」により明らかになる。
著者について
林順治(はやし・じゅんじ)
1940年東京生まれ。古代史研究、文筆業。早稲田大学露文科中退。
40年にわたる編集者生活では、古代史研究家・石渡信一郎の著書のほぼすべての製作に携わる。
自身でも、日本国内だけで300を超える古墳の現地調査を行ない、その実証と啓蒙に努めてきた。
『馬子の墓』『隅田八幡鏡』『応神=ヤマトタケルは朝鮮人だった』など、著書多数。
1940年東京生まれ。古代史研究、文筆業。早稲田大学露文科中退。
40年にわたる編集者生活では、古代史研究家・石渡信一郎の著書のほぼすべての製作に携わる。
自身でも、日本国内だけで300を超える古墳の現地調査を行ない、その実証と啓蒙に努めてきた。
『馬子の墓』『隅田八幡鏡』『応神=ヤマトタケルは朝鮮人だった』など、著書多数。
About this Title
『日本書紀』は、百済から渡来して倭国で大王となった"ある人物"の正体を隠すために編纂された史書であったといっても過言ではありません。
本書では、日本の古代史学界では「タブー」となっている「百済から渡来した応神天皇=百済王子」という石渡説を基にした、いわば「倭韓交差王朝説」を、できるかぎりわかりやすく読者の皆さんにお伝えしたいと思います。----「はじめに」より抜粋
本書では、日本の古代史学界では「タブー」となっている「百済から渡来した応神天皇=百済王子」という石渡説を基にした、いわば「倭韓交差王朝説」を、できるかぎりわかりやすく読者の皆さんにお伝えしたいと思います。----「はじめに」より抜粋
登録情報
- 出版社 : 三五館 (2010/6/22)
- 発売日 : 2010/6/22
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 272ページ
- ISBN-10 : 4883205029
- ISBN-13 : 978-4883205028
- Amazon 売れ筋ランキング: - 708,681位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2019年4月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
日本の天皇がいかに生まれたのか。天皇はいかなる系譜をたどって現在存在しているのか。そのことを日本書紀の由来、その内容に詳細に入り込むことで最も適切に明らかにしている書物である。「天皇」とはどんな人たちなのかを知るため理解するためには、まず最初に、そして最後に読むべき書物である。「日本人」とは何かを理解するにあたっては、現在はDNA遺伝子などを基に議論する事もできる。北海道から沖縄まで存在している日本人集団内にあるばらつきの評価(県ごとの違い)などを考慮するなら、あえて「日本人」を朝鮮人と区別できないとも言える。少なくとも個人の遺伝子情報だけではその人間が日本人、朝鮮人、中国人なのかは区別できない。その意味でも、この書物で書かれている「日本人論」で教えられることは多いはずである。
2019年1月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
倭国の王(天皇)は何時頃出現したが。
岡田英弘は仁徳天皇だというがはたしてそうだろうかという疑問からこの本を買った。
この本では初代王は加羅系の崇神であると。
その後王朝は変わり百済系の応神であると。
そして日本書記ではさんざんに書かれている蘇我氏一族も王であったと。
ここは僕にとっては新説で興味津々。
いづれにせよ倭国の王たちはこの本では全て朝鮮系だということを言っている。
当時の文明国シナ系はなかったのか?
シナと倭国とのつながりをもう少し入れてもらえるともっとこの本に迫力、説得力がもっと生まれるとも思った。
いずれにせよ楽しく読ませてもらいました。
岡田英弘は仁徳天皇だというがはたしてそうだろうかという疑問からこの本を買った。
この本では初代王は加羅系の崇神であると。
その後王朝は変わり百済系の応神であると。
そして日本書記ではさんざんに書かれている蘇我氏一族も王であったと。
ここは僕にとっては新説で興味津々。
いづれにせよ倭国の王たちはこの本では全て朝鮮系だということを言っている。
当時の文明国シナ系はなかったのか?
シナと倭国とのつながりをもう少し入れてもらえるともっとこの本に迫力、説得力がもっと生まれるとも思った。
いずれにせよ楽しく読ませてもらいました。
2010年7月22日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
歴史の真実をあらわにした大激震の書物である。これまで地上に悠然とそびえていた諸々の建造物が無惨に崩壊して、大地の真実の姿がむきだしになった観である。
大阪の河内地域の人であるならば、古代の河内は何処を掘ってもおびただしい朝鮮といくらかの大陸中国の文物が今でも現れることを知っている。そしてその最大の誇りは「応神天皇陵」である。応神は軍神であり、それは「誉田」と呼ばれており、全国に数えきれなく所在している八幡神宮の始祖者である。
だが、「応神天皇」ははたして何者であったのかは知らない。そして「応神」には「誉田」の別名があり、それは「ホンダ」と読むのが正しいのか、それとも「コンダ」が正しいのか、随分と当惑してしまう。現代では前者が多く用いられるが、河内の人たちは後者がどうも正しいようだと先祖伝来からの言い伝えで知っている。
しかし「誉田」を「ホンダ」にせよ「コンダ」にせよ、その読み方はまるで不思議で不可解である。日本語ではありえない読み方であるからである。これは関西地方にかなりある名字の「日下」を「クサカ」と読むことも同様である。
歴史家はしばしば時の権力と権勢に奉仕する。これは現代でも例外ではない。古代中国漢時代の『史記』の著者「司馬遷」が現代でも世界的に人々に尊敬されるのは、自らの生命を盾にしても歴史の真実と事実を語ろうとしたことにある。裏を返せば、「司馬遷」は歴史家にあって極めて稀有な世の真実と事実を語ろうとした人物であったということである。
また、私自身、中学生時代からの大きな謎があった。それは「蘇我稲目ー馬子ー蝦夷ー入鹿」の極めて軽蔑しきった名前に関してである。そもそも親が我が息子にこのような侮蔑的な名前をつけることがあるだろうか。後に大人となり、「平家物語」や「吾妻鏡」そして法然や親鸞の文献を詳細に読むようになって、この不可解な謎は解けた。
古代・中古・中世では敵や滅ぼしたい相手には、その名前を侮蔑そのものに一方的に変えて、一座でその蔑称を読んでさげすんで笑い者にしていたと知った。いくら敵や滅ぼしたい相手にしても、これを行う方の者たちには如何にも下品で卑しい所行であり、そこには事や者の真実と事実は何処吹く風である。
「蘇我稲目ー馬子ー蝦夷ー入鹿」の名前のことは『日本書紀』編纂者の言葉遊びにしても、その蔑称に異様性を覚えない古今の歴史家にもまるで信をおけない。ましてやその蔑称を名づけた者たちの言い分をそのまま真に受けて記した歴史書など大いなる疑問を抱か
ざるをえない。
本書は自分の考えの如何にかかわらず、冷静に読むべき歴史研究書である。しかも実に論理明晰かつ実証的で納得させられる。それも声高な主張ではなく、国際的視野と歴史的遺物の厳密な考証から落ち着いて成っている。現代社会では、多くの国々で国際協力と歴史的遺物の検証方法の進展もあって、過去の歴史がダイナミックに見直されている。これは日本の歴史学にあっても例外ではないことである。
実際、古代の歴史的遺跡物が発掘されて公正に検証されていない日本の歴史学自体が国際社会にあっては異様であり異常である。日本の歴史関係者も当たり前のノーマルな歴史学に立ってもらいたい。いずれの国も社会も人々もそれらの歴史は互いに人類同胞のそれらであるからである。
大阪の河内地域の人であるならば、古代の河内は何処を掘ってもおびただしい朝鮮といくらかの大陸中国の文物が今でも現れることを知っている。そしてその最大の誇りは「応神天皇陵」である。応神は軍神であり、それは「誉田」と呼ばれており、全国に数えきれなく所在している八幡神宮の始祖者である。
だが、「応神天皇」ははたして何者であったのかは知らない。そして「応神」には「誉田」の別名があり、それは「ホンダ」と読むのが正しいのか、それとも「コンダ」が正しいのか、随分と当惑してしまう。現代では前者が多く用いられるが、河内の人たちは後者がどうも正しいようだと先祖伝来からの言い伝えで知っている。
しかし「誉田」を「ホンダ」にせよ「コンダ」にせよ、その読み方はまるで不思議で不可解である。日本語ではありえない読み方であるからである。これは関西地方にかなりある名字の「日下」を「クサカ」と読むことも同様である。
歴史家はしばしば時の権力と権勢に奉仕する。これは現代でも例外ではない。古代中国漢時代の『史記』の著者「司馬遷」が現代でも世界的に人々に尊敬されるのは、自らの生命を盾にしても歴史の真実と事実を語ろうとしたことにある。裏を返せば、「司馬遷」は歴史家にあって極めて稀有な世の真実と事実を語ろうとした人物であったということである。
また、私自身、中学生時代からの大きな謎があった。それは「蘇我稲目ー馬子ー蝦夷ー入鹿」の極めて軽蔑しきった名前に関してである。そもそも親が我が息子にこのような侮蔑的な名前をつけることがあるだろうか。後に大人となり、「平家物語」や「吾妻鏡」そして法然や親鸞の文献を詳細に読むようになって、この不可解な謎は解けた。
古代・中古・中世では敵や滅ぼしたい相手には、その名前を侮蔑そのものに一方的に変えて、一座でその蔑称を読んでさげすんで笑い者にしていたと知った。いくら敵や滅ぼしたい相手にしても、これを行う方の者たちには如何にも下品で卑しい所行であり、そこには事や者の真実と事実は何処吹く風である。
「蘇我稲目ー馬子ー蝦夷ー入鹿」の名前のことは『日本書紀』編纂者の言葉遊びにしても、その蔑称に異様性を覚えない古今の歴史家にもまるで信をおけない。ましてやその蔑称を名づけた者たちの言い分をそのまま真に受けて記した歴史書など大いなる疑問を抱か
ざるをえない。
本書は自分の考えの如何にかかわらず、冷静に読むべき歴史研究書である。しかも実に論理明晰かつ実証的で納得させられる。それも声高な主張ではなく、国際的視野と歴史的遺物の厳密な考証から落ち着いて成っている。現代社会では、多くの国々で国際協力と歴史的遺物の検証方法の進展もあって、過去の歴史がダイナミックに見直されている。これは日本の歴史学にあっても例外ではないことである。
実際、古代の歴史的遺跡物が発掘されて公正に検証されていない日本の歴史学自体が国際社会にあっては異様であり異常である。日本の歴史関係者も当たり前のノーマルな歴史学に立ってもらいたい。いずれの国も社会も人々もそれらの歴史は互いに人類同胞のそれらであるからである。
2010年12月22日に日本でレビュー済み
歴史を自分の言葉で書きたいのか、編集者としての立場で他の研究者の考えをまとめた本なのか、全体的に方針がはっきりしない描き方で始まる。朝鮮半島の倭人の存在は疑うところはないが、他研究者の加羅系(渡来人)という表現をいきなり持ち出していて、それに彼が賛同しているのだと思われるが(章タイトルにもあるので)、なぜ著者がその言葉を良しとしたのかがつかめない。また真相という表現を使った断定的な年表の描き方や、文章中でも断定部についてなぜそう考えるのかを述べていない点で、学者のアプローチと趣が違う描き方をところどころに感じる。もっと朝鮮の資料がでてきてもよかった。
現場にも足を運んでいる方とのことだったので、彼独自の発見や考えを期待したが、印象としては既研究のまとめ本という感じでした。
現場にも足を運んでいる方とのことだったので、彼独自の発見や考えを期待したが、印象としては既研究のまとめ本という感じでした。
2014年10月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
新説満載のわかりやすい古代史。教科書としてプレゼントし、喜ばれました!
2014年9月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
買った読んだ。天皇家御陵が発掘禁止で考古学的探求も、遺伝子解析も不可能なのだから、資料の少ない日本古代史は空論にならざる得ない。が、誰かが天皇は百済渡来だと言い始めると皆がそっちを向くのはいかがなものか?266年〜413年までの謎の空白期は、九州島への百済・新羅の進出により危機を感じた九州諸国家が対抗するために統一され、続いて畿内国家を制圧し統一王朝を作り上げ、百済、新羅に反撃し、朝鮮半島へと攻め込み広開土王碑にあるように391年には倭が百済と新羅を破り臣民とし、400年代にやっと国内も朝鮮半島の支配地も安定して、413年東晋に倭国が貢物を献上出来るまでの、国内の混乱と対外戦争による波乱の時代を反映したものと見ることが出来る。騎馬民族の武具が古墳から出土するのは戦利品だろう。騎馬民族が日本を征服したのなら去勢術を知っていたハズなのに日本の馬が去勢されなかったのは有名な話しだ。百済が日本を征服したのではなく、日本が朝鮮半島を支配地にしていた。6世紀後半の威徳王の時代の百済三書は属国として倭王に提出するために編纂されたものだ。古代日本が全く未開だったハズがない。魏誌倭人伝に、倭人は太伯の後とあったり、下戸と言う言葉も見られる。律令はなかったかも知れないがすでに何らかの制度が存在したことを伺わせる。太伯は紀元前1200年頃の人とされる。日本が単なる東アジアの辺境の地だった訳がない。
2010年7月16日に日本でレビュー済み
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仁徳から武烈までの10代の天皇が実は存在しなかったなどの、画期的な石渡氏の古代史分析を解説している。筆者は従前から同様の書を著しているようであるが、特に本書は古代史解説としては文章が平易であり、各説を比較した年表等を駆使することで、分かりやすい解説に努めた力作となっているため、古代史に多少でも関心のある方には一読を勧めたい著書である。