「原子炉よもやま話」といった趣.
安全性についての記述に,やや重点を置く.
▼ 警報装置(p.54)
臨界実験体験の必要性(p.146-147,346-347)
「むつ」の責任を巡って(p.179-180)
臨界状態にするに当たり,制御棒は全入か,一部引き抜き状態か?(p.203-205)
JCO臨界事故の対応として,本当に必要だったものは?(p.212-213)
「いっぱい要求を並べて,実質的には作動検査もできないようなことになるのはよくない」(p.215)
「規則,基準にも必修と選択,課外と区分するのが,現実に最も効果が上がる方法と考える」(p.216)
テロに耐えられるか否か?(p.216-217)
過剰・不必要な安全対策は,不必要な恐怖心を助長している(p.272-273)
「むつ」を漁業母船にという私案(p.281)
書物による知識の欠陥とは?(p.299)
SL-1の事故(p.299-302)
排水と漏洩水の区別(p.302)
シャワー(p.303)
「放射性廃棄物」のレッテルは永久(p.325-327)
進駐軍攻撃計画(p.332)
「仮説」の独り歩き(p.334)
報道の問題(p.345)
漏洩は可避なのか?(p.348-349)
▼ 厚いものの,旧『お節介学』上下巻の要約合本に近し.
また,一部に重複記述あり.
安全性に関する記述については,確かに拝聴すべきものがあるものの,その点が残念.
▼ 旧『お節介学』を読んだうえで,なお余力があるなら.
【関心率7.952%:全ページ中,手元に残したいページがどれだけあるかの割合.当方の価値観基準】
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新・原子炉お節介学入門: 次代に何を残せるか。戦わないで得られる、将来の「国産エネルギー」のための体験的基 単行本 – 2005/3/1
柴田 俊一
(著)
- 本の長さ415ページ
- 言語日本語
- 出版社一宮事務所
- 発売日2005/3/1
- ISBN-104885553059
- ISBN-13978-4885553059
登録情報
- 出版社 : 一宮事務所 (2005/3/1)
- 発売日 : 2005/3/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 415ページ
- ISBN-10 : 4885553059
- ISBN-13 : 978-4885553059
- Amazon 売れ筋ランキング: - 930,758位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 128位核・原発問題
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トップレビュー
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2012年5月31日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
引退して10年になりますが、経験に照らしても、この本の説得力というか、読んで「成る程」と納得できる力があると感じました。
よく机上の論理ということが言われますが、私が従事してきた仕事でも、現場を熟知するーその仕事に関わる人の感情、実際の行動等も含めたーことなしに、整合性のある素晴らしいっ計画を立ててみても、結局現場の些細なことから根本から計画が崩れることがあります。
その意味で、安全神話に包まれていた原子力発電所の今回の事故に照らし合わせて、もっともっと著者の柴田俊一氏のような人と同じベクルトで考え、行動する人たちが中枢にいたらとつくづく感じました。
分野は違っても、物を作り、人を動かす立場にいる人にぜひとも読んでほしい一冊だと思います。
よく机上の論理ということが言われますが、私が従事してきた仕事でも、現場を熟知するーその仕事に関わる人の感情、実際の行動等も含めたーことなしに、整合性のある素晴らしいっ計画を立ててみても、結局現場の些細なことから根本から計画が崩れることがあります。
その意味で、安全神話に包まれていた原子力発電所の今回の事故に照らし合わせて、もっともっと著者の柴田俊一氏のような人と同じベクルトで考え、行動する人たちが中枢にいたらとつくづく感じました。
分野は違っても、物を作り、人を動かす立場にいる人にぜひとも読んでほしい一冊だと思います。
2011年9月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「ファインマンさん、xxxx」シリーズや、「究極のエンジンを求めて」を読んだときの感動が思い起こされました。
原子炉を自分で設計して、運用されている大学教授の方が、原子炉はこういうものであるため、原子炉の管理はこのようにするべき、ということが、エピソードを交えてわかりやすく書いてあり、一つ一つのことが非常に納得性があります。いまの原子力行政や原子炉政策に関わる方々、このくらいの気構えでやっていただけたら、きっと福島の事故も起こらなかったのではないかと思います。この本は洲本の図書館でたまたまみつけ、いつも気になっていましたが、今回AMAZONEから購入できて本当によかったです。原子力を原点から見直すための良書と思います。
原子炉を自分で設計して、運用されている大学教授の方が、原子炉はこういうものであるため、原子炉の管理はこのようにするべき、ということが、エピソードを交えてわかりやすく書いてあり、一つ一つのことが非常に納得性があります。いまの原子力行政や原子炉政策に関わる方々、このくらいの気構えでやっていただけたら、きっと福島の事故も起こらなかったのではないかと思います。この本は洲本の図書館でたまたまみつけ、いつも気になっていましたが、今回AMAZONEから購入できて本当によかったです。原子力を原点から見直すための良書と思います。
2011年4月2日に日本でレビュー済み
KUR設計,起こらないと起こるの間の起こさないが大切とのこと。
即座に指導する体制ができていないのに,形だけの報告が要求されている指摘している。
平和,民主、公開という原則の民主の難しさは,公開されている情報が理解できないといけないという点にある。
誰かが,「お節介」でも説明しないと、腹には落ちてこない。
ps.
公開の原則は、平和利用に限ることからうまくいっていないのだろうか。核兵器開発に再利用できるような技術は、公開できないが、基礎技術は核兵器向け,平和利用向けというどちら向けということはないのだろうから。
即座に指導する体制ができていないのに,形だけの報告が要求されている指摘している。
平和,民主、公開という原則の民主の難しさは,公開されている情報が理解できないといけないという点にある。
誰かが,「お節介」でも説明しないと、腹には落ちてこない。
ps.
公開の原則は、平和利用に限ることからうまくいっていないのだろうか。核兵器開発に再利用できるような技術は、公開できないが、基礎技術は核兵器向け,平和利用向けというどちら向けということはないのだろうから。
2012年5月1日に日本でレビュー済み
最近になってこの本を手にしました。
福島原発事故を他人事と思わず気を引き締めて仕事に精励され、且つ事故後「原発いじめ」ともいえる状況に違和感を覚えておられるエンジニア諸兄(原子力に限らず総合的なクリティカルシステムに取り組まれている方々)に、是非本書を一読されることをお勧めします。本書は福島事故の6年も前に出版されたものですが、事故の大災害化防止失敗の原因のみならず、事故後のマスコミや反原発世論の幼稚さを言い当てているような本であるからです。
著者の柴田氏は、京都大学原子炉(KUR)の建設地決定(1961年)から定年退官(1987年)まで二十数年間に亘って、同炉の基本設計、メーカー細部設計指導、建設監理、地元/監督官庁交渉、炉の運用、設備の保守/改良、若手の育成等々あらゆる面で現場で先頭に立って京大原子炉実験所を率いてきた人である由。本の題名から想像できるように、筋道だって特定の命題を論じているようなものではなく、多くの多面的なエピソードを連ねる形で書かれており、気楽に読めるようになっています。しかし福島事故後の今読むと各エピソード(技術問題のみならず安全規制・報道・専門家/評論家への小言なども含まれる)が意味するところはそれぞれ大変含蓄があることが理解できます。
著者の主張を私なりに要約すると、原子力に携わる人には次のことが必須。即ち、「使命感」「実体験により体に染みつけた原子力特有の危険性認識と安全作法・危険予知力・緊急対処能力」「自ら考え抜くこと ―借り物技術や書物の知識で解った気になるな」「チームワーク ―統制がとれるとともに本音・本質で議論できるような」ということになりましょうか。これを一言で言おうとすると、航空・海事関係者の世界で(推進側・規制側を問わず)必須の基本とされるAirmanship・Seamanshipに相当する言葉が必要なのですが、Nucmanshipなどという言葉はないのは残念。
そしてこのNucmanship? を涵養する方法として、著者が1987年から近大原子炉を使って始めた「原子炉実験・研修」と同等なものを、各地域センターで工夫を凝らして実施することを強く推奨しています。(関連して、米国では原子力の平和利用を始めるにあたり、約80基の研究炉が全国の大学に設けられたこととか、著者が若年の頃取得した米国での原子炉のOperator License試験の概要などが語られています。―原子炉の起動停止20回以上の経験を要するほか、非常に現場的・現実的なものであるそうです。)
本書で著者が繰り返し表明していることは、『原子炉は本来危険なもので安全ではない。「安全になっているの」ではなくて、「安全にできるようにしてある」のである。できることをしなければ安全ではない。(p291) 原子炉は何千、何万と作るものではないから、敢えて言えば今後何年も成熟、完成は望めないかも知れない。』 ということです。
そして、上述のNucmanship? の精神と実務能力のもと、著者が京大原子炉に盛り込んだ安全策や運用開始後の安全性向上策、運用チーム指揮、地元や監督官庁の理解獲得、などのことが失敗談も含めていろいろ書かれています。「安全確保は最後の粘りが勝負」の一節では、予想を超える自然現象への備えの話も出てきます。
また、この厄介な原子力エネルギーを日本が絶大な努力してまでものにすることの意義、及び放射性廃棄物問題対処の方向性についても、著者の見解が述べられています。
さらに、本書が書かれた当時までの我が国の原子力事故のうち「原子力船むつの放射線漏れ事故」と「東海村JOC臨界事故」について解説されていますが、著者から見ると公式事故報告や報道が挙げる原因と対策提言なるものは、当を得ていないことが指摘されています。(p169-170&179, p179-181&345-350) 私には述べられていることはもっともな指摘だと思える一方、批判されているのと同様の「実務経験のない専門家」の手による「原因−責任―対策提言」が、いま福島原発事故に対してまとめられつつあるようにも思えます。著者柴田先生はもう90歳近い筈ですが、ご健在ならば福島事故やその後の報道・世論動向に関するお考えを拝聴したいものです。
福島原発事故を他人事と思わず気を引き締めて仕事に精励され、且つ事故後「原発いじめ」ともいえる状況に違和感を覚えておられるエンジニア諸兄(原子力に限らず総合的なクリティカルシステムに取り組まれている方々)に、是非本書を一読されることをお勧めします。本書は福島事故の6年も前に出版されたものですが、事故の大災害化防止失敗の原因のみならず、事故後のマスコミや反原発世論の幼稚さを言い当てているような本であるからです。
著者の柴田氏は、京都大学原子炉(KUR)の建設地決定(1961年)から定年退官(1987年)まで二十数年間に亘って、同炉の基本設計、メーカー細部設計指導、建設監理、地元/監督官庁交渉、炉の運用、設備の保守/改良、若手の育成等々あらゆる面で現場で先頭に立って京大原子炉実験所を率いてきた人である由。本の題名から想像できるように、筋道だって特定の命題を論じているようなものではなく、多くの多面的なエピソードを連ねる形で書かれており、気楽に読めるようになっています。しかし福島事故後の今読むと各エピソード(技術問題のみならず安全規制・報道・専門家/評論家への小言なども含まれる)が意味するところはそれぞれ大変含蓄があることが理解できます。
著者の主張を私なりに要約すると、原子力に携わる人には次のことが必須。即ち、「使命感」「実体験により体に染みつけた原子力特有の危険性認識と安全作法・危険予知力・緊急対処能力」「自ら考え抜くこと ―借り物技術や書物の知識で解った気になるな」「チームワーク ―統制がとれるとともに本音・本質で議論できるような」ということになりましょうか。これを一言で言おうとすると、航空・海事関係者の世界で(推進側・規制側を問わず)必須の基本とされるAirmanship・Seamanshipに相当する言葉が必要なのですが、Nucmanshipなどという言葉はないのは残念。
そしてこのNucmanship? を涵養する方法として、著者が1987年から近大原子炉を使って始めた「原子炉実験・研修」と同等なものを、各地域センターで工夫を凝らして実施することを強く推奨しています。(関連して、米国では原子力の平和利用を始めるにあたり、約80基の研究炉が全国の大学に設けられたこととか、著者が若年の頃取得した米国での原子炉のOperator License試験の概要などが語られています。―原子炉の起動停止20回以上の経験を要するほか、非常に現場的・現実的なものであるそうです。)
本書で著者が繰り返し表明していることは、『原子炉は本来危険なもので安全ではない。「安全になっているの」ではなくて、「安全にできるようにしてある」のである。できることをしなければ安全ではない。(p291) 原子炉は何千、何万と作るものではないから、敢えて言えば今後何年も成熟、完成は望めないかも知れない。』 ということです。
そして、上述のNucmanship? の精神と実務能力のもと、著者が京大原子炉に盛り込んだ安全策や運用開始後の安全性向上策、運用チーム指揮、地元や監督官庁の理解獲得、などのことが失敗談も含めていろいろ書かれています。「安全確保は最後の粘りが勝負」の一節では、予想を超える自然現象への備えの話も出てきます。
また、この厄介な原子力エネルギーを日本が絶大な努力してまでものにすることの意義、及び放射性廃棄物問題対処の方向性についても、著者の見解が述べられています。
さらに、本書が書かれた当時までの我が国の原子力事故のうち「原子力船むつの放射線漏れ事故」と「東海村JOC臨界事故」について解説されていますが、著者から見ると公式事故報告や報道が挙げる原因と対策提言なるものは、当を得ていないことが指摘されています。(p169-170&179, p179-181&345-350) 私には述べられていることはもっともな指摘だと思える一方、批判されているのと同様の「実務経験のない専門家」の手による「原因−責任―対策提言」が、いま福島原発事故に対してまとめられつつあるようにも思えます。著者柴田先生はもう90歳近い筈ですが、ご健在ならば福島事故やその後の報道・世論動向に関するお考えを拝聴したいものです。
2010年7月15日に日本でレビュー済み
京大の京都大学原子炉実験所の先生の書いた本
計画から建設から運用まで自分でやる、ということをしてきて
原子力を本当に安全に使うためにはどうすればいいのかというのを
体感的に説明をしていて面白かった。万人が読むべき本かもしれない
日本の役所の規制というのはオーバーヘッドが大きいな、とは思うし
国家プロジェクトや電力会社もリスクコミュニケーションの点や
プロジェクトの柔軟さの点で問題を抱えている可能性もあるよな
あと核廃棄物に関してはランク分けと放射線量のチェックをした上で
地上において適宜監視したほうがいい、というのも
低コストでかつ柔軟な管理システムとしてなるほどと思った
まあアンチの推進派も低コストで合理的なプランは受け入れられないだろうが
あと弟者が高校の時に近大と関電の原子力合宿に参加してPWR厨になってたけど
原子力に生で触れて考えることの出来る機会がもっと増えればいいと思う
地域ごとに教育センターを、という発想は面白いなと思った
ネット上での書評が極めて少ないのが気になった
計画から建設から運用まで自分でやる、ということをしてきて
原子力を本当に安全に使うためにはどうすればいいのかというのを
体感的に説明をしていて面白かった。万人が読むべき本かもしれない
日本の役所の規制というのはオーバーヘッドが大きいな、とは思うし
国家プロジェクトや電力会社もリスクコミュニケーションの点や
プロジェクトの柔軟さの点で問題を抱えている可能性もあるよな
あと核廃棄物に関してはランク分けと放射線量のチェックをした上で
地上において適宜監視したほうがいい、というのも
低コストでかつ柔軟な管理システムとしてなるほどと思った
まあアンチの推進派も低コストで合理的なプランは受け入れられないだろうが
あと弟者が高校の時に近大と関電の原子力合宿に参加してPWR厨になってたけど
原子力に生で触れて考えることの出来る機会がもっと増えればいいと思う
地域ごとに教育センターを、という発想は面白いなと思った
ネット上での書評が極めて少ないのが気になった