・全体像
結局プロメテウス(技術)は、鎖を解かれることになった。
【ハンス・ヨナス】
ドイツ生まれの実在主義哲学者。近代技術が人間に及ぼす影響と
それに対する倫理的努力に関する著作を残す。
1Pたりとも無駄がない、現代に問いかけるような一冊。
・感想
著者の名前よりも著作のほうが名が通るという現象は、なにも珍しい
ことではありませんが、それにしても惜しい。悔しすぎる。
私も学があるわけではないので、著者の名前を知らず、有名なこの本を
読み興奮しながらウィキペディアに進んだのですが、このような精密かつ
趣向に富んだ作品を書いた人物に対する扱いではありませんでした。
(二回ほどスクロールしただけで終わってしまう粗雑なものでした)
いつか地位向上があることを信じて本文の感想に入りたいと思います。
題の通り、責任ついて、義務についてを学術的に記されています。
1979年に書かれため哲学書にしては、比較的ほこりを被っていないので
書いてある問題はまだ解決しきれていない、現在進行形のもの多いです。
意外といえば意外ですが、マルクス主義、ユートピアに対しての批判にも
多くの紙幅を割いています。
最後に、原文を読む力が無い自分は訳者の力を借りるしかないので
加藤先生の腕を信じるしかありません。
ですがこの訳文は説得力に溢れ、計算尽くされていたので
おそらく加藤先生は、日本語とドイツ語の壁を壊してくれたと信じています。
ありがとうございました。
・抜粋文
「自由は、必然性の切り離されると、その対象を奪われる」
前後文がないと不安定な所もありますので、実際に買ってから確かめてください。
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責任という原理 新装版: 科学技術文明のための倫理学の試み 単行本 – 2010/11/1
- 本の長さ438ページ
- 言語日本語
- 出版社東信堂
- 発売日2010/11/1
- ISBN-104887139993
- ISBN-13978-4887139992
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登録情報
- 出版社 : 東信堂 (2010/11/1)
- 発売日 : 2010/11/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 438ページ
- ISBN-10 : 4887139993
- ISBN-13 : 978-4887139992
- Amazon 売れ筋ランキング: - 905,637位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 159,700位人文・思想 (本)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
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2018年4月25日に日本でレビュー済み
科学技術時代、これまでの古典的倫理思想の根本的見直しが必要だという主張が、1979年に行われた。さらに、当時はまだ力を持っていたマルクス主義の現実的な状態について、そのユートピア論の新しさと根本的問題が議論された。わかりにくい特別のドイツ語で。しかし、ドイツでは、知識人その他にそれなりの影響があったという。
5年遅れて英訳が出、21年遅れて日本語訳が出た。しかも、定価4800円。高い。
議論の中身と現代の我々との関係を考えてみる。現実はヨナスの論点をサポートする形でさらに展開した。ソ連崩壊、鄧小平の登場と中国の現代化、地球温暖化・気候変動。科学技術時代の倫理を変革するという課題はますます重要になっている。
また、70年前後のラジカリズムの振り返りはまだ不十分である。日本の戦後史の振り返りも。その意味では、マルクス主義についてのヨナスの議論も参考にはなる。
第1章は素晴らしい。
しかし、読者は、あくまでも時代背景を考えて読み進むべきだろう。核融合への期待などは、もはや現実的ではない。共産主義論もかなり冗長であるし、いまさらというところもある。新自由主義、金融工学、格差社会、ポスト事実・ポピュリズム、そして熱狂的なAI開発、ドローン・ロボット、原発災害・・・刹那的倫理のままに展開を続ける資本主義社会、擁護できない要素が増えた。ヨナスはどういうだろうか。
ともあれ、読み、覚えておき、生かすべき本だといえる。
5年遅れて英訳が出、21年遅れて日本語訳が出た。しかも、定価4800円。高い。
議論の中身と現代の我々との関係を考えてみる。現実はヨナスの論点をサポートする形でさらに展開した。ソ連崩壊、鄧小平の登場と中国の現代化、地球温暖化・気候変動。科学技術時代の倫理を変革するという課題はますます重要になっている。
また、70年前後のラジカリズムの振り返りはまだ不十分である。日本の戦後史の振り返りも。その意味では、マルクス主義についてのヨナスの議論も参考にはなる。
第1章は素晴らしい。
しかし、読者は、あくまでも時代背景を考えて読み進むべきだろう。核融合への期待などは、もはや現実的ではない。共産主義論もかなり冗長であるし、いまさらというところもある。新自由主義、金融工学、格差社会、ポスト事実・ポピュリズム、そして熱狂的なAI開発、ドローン・ロボット、原発災害・・・刹那的倫理のままに展開を続ける資本主義社会、擁護できない要素が増えた。ヨナスはどういうだろうか。
ともあれ、読み、覚えておき、生かすべき本だといえる。
2024年4月18日に日本でレビュー済み
「責任」という概念、あるいは感情や観念から、同樣の論調で繰り返される(監訳者の表現を借りると、ラヴェルの『ボレロ』のような)作品。
入手困難性と比較すると、内容はそこまで難しいものではなく、監訳者の努力が大きいと思われる。
道徳的「責任」そのものの性質が何であるかを提言するものではなく、それを探る過程でマルクス的なユートピアを批判をする。
個人的な感覚では「代償を支払う能力や意志の蓋然性」に「責任」の有無が問えるものであり、ユートピアのような災害に対しては誰も責任を取れない。「運命」は受け入れるのみで、そこに「責任」はないと考える。
入手困難性と比較すると、内容はそこまで難しいものではなく、監訳者の努力が大きいと思われる。
道徳的「責任」そのものの性質が何であるかを提言するものではなく、それを探る過程でマルクス的なユートピアを批判をする。
個人的な感覚では「代償を支払う能力や意志の蓋然性」に「責任」の有無が問えるものであり、ユートピアのような災害に対しては誰も責任を取れない。「運命」は受け入れるのみで、そこに「責任」はないと考える。
2016年7月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
技術の進展によって、地球上の生物圏全体を人間が破壊する力をもってしまった。
そのため人間相互の道徳律だけを気にかけているのでは、生きるための倫理を全うできなくなった。
未来の人類が存在しなくなる事態が技術によって引き起こされたとき、未来世代への責任がわれわれに生じる。
その責任倫理は、子に対する親の責任の中に原型がある。
技術崇拝に基づくユートピア主義はベーコンの理想とマルクス主義の中にもっとも系統的に論じられている。
その理想像は、まだ見ぬ人間と社会のありようの中に描かれており、現実に見える人間像からはかけ離れている。
その夢想の中には、現実との葛藤と緊張はなく、倫理はかき消されてしまっている。
そのため人間相互の道徳律だけを気にかけているのでは、生きるための倫理を全うできなくなった。
未来の人類が存在しなくなる事態が技術によって引き起こされたとき、未来世代への責任がわれわれに生じる。
その責任倫理は、子に対する親の責任の中に原型がある。
技術崇拝に基づくユートピア主義はベーコンの理想とマルクス主義の中にもっとも系統的に論じられている。
その理想像は、まだ見ぬ人間と社会のありようの中に描かれており、現実に見える人間像からはかけ離れている。
その夢想の中には、現実との葛藤と緊張はなく、倫理はかき消されてしまっている。
2012年12月13日に日本でレビュー済み
文章自体は難解ではないのに、彼が幼稚過ぎるせいで読めたものではない。
自分の文章が科学の立場にいる人からどう読まれるかの認識が甘すぎる。
彼は、物理学、生物学、社会学、歴史、その他経験的な学問すべてにおいて勉強が足らない、というか興味がないのだろうと思われる。
カント以前の倫理学と罵倒されたのも仕方がない。
ただ、読者に環境と科学技術に対して目を向けさせた功績を賞して☆2
自分の文章が科学の立場にいる人からどう読まれるかの認識が甘すぎる。
彼は、物理学、生物学、社会学、歴史、その他経験的な学問すべてにおいて勉強が足らない、というか興味がないのだろうと思われる。
カント以前の倫理学と罵倒されたのも仕方がない。
ただ、読者に環境と科学技術に対して目を向けさせた功績を賞して☆2
2009年2月11日に日本でレビュー済み
環境倫理学や未来倫理というキーワードで語られがちですが、ヨナスの倫理学が最も特徴的なのは「そもそも存在し続けるためにはどうすればいいか」が主題となっている点ではないでしょうか。倫理学では「より幸福になるにはどうすればいいか」を問うのがスタンダードとなっている感がありますが、「より長く人間が存続するにはどうすればいいか」をヨナスは問うのです。科学技術文明のもたらす危機感が彼にそう問わせたとも言えますが、ユダヤ人として「集団の存続の危機」を体験したことが、ヨナスに「幸福以前の倫理」の必要性を感じさせたのです。
この点を外してしまうと、ヨナスの倫理学は存在論を基盤とした胡散臭いものと映ってしまうかもしれません。彼の課題がそもそも「存在の在り方」であることを踏まえれば、賛同できるかはともかくとして、ヨナスの倫理学はそれほど難解なものではないと思います。
この点を外してしまうと、ヨナスの倫理学は存在論を基盤とした胡散臭いものと映ってしまうかもしれません。彼の課題がそもそも「存在の在り方」であることを踏まえれば、賛同できるかはともかくとして、ヨナスの倫理学はそれほど難解なものではないと思います。