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エヴリブレス 単行本 – 2008/3/14
瀬名 秀明
(著)
- 本の長さ313ページ
- 言語日本語
- 出版社エフエム東京
- 発売日2008/3/14
- ISBN-104887451954
- ISBN-13978-4887451957
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登録情報
- 出版社 : エフエム東京 (2008/3/14)
- 発売日 : 2008/3/14
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 313ページ
- ISBN-10 : 4887451954
- ISBN-13 : 978-4887451957
- Amazon 売れ筋ランキング: - 2,076,817位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 49,295位日本文学
- カスタマーレビュー:
著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2013年9月22日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
流行りの意匠をなぞるだけの設定、無駄が多いまままとまりを欠く構成、水膨れしたように冗漫な心象描写。それらのもとに語られる観念は、何とだらしなく弛緩したものであろうか。徹底した否定性によって裏打ちされることなく物語られる「永遠」が、ただただ間延びしただけの野暮な姿を晒している。
2008年4月7日に日本でレビュー済み
はやり物を羅列しているだけ・・とも受け取れる。
2nd Lifeが自律化したら・・・こんな世界になるもかも。
しかし、これでは仮想世界を美化しすぎではないか。テーマであるはずの世界の果てはどうなったの?仮想世界が現実で、現実世界が仮想・・とでもいいたいのでしょうか。作者の言いたいことが今一不明。はやりの仮想世界をテーマにしたエンタメ・・と割り切れば面白くないことはない。
2nd Lifeが自律化したら・・・こんな世界になるもかも。
しかし、これでは仮想世界を美化しすぎではないか。テーマであるはずの世界の果てはどうなったの?仮想世界が現実で、現実世界が仮想・・とでもいいたいのでしょうか。作者の言いたいことが今一不明。はやりの仮想世界をテーマにしたエンタメ・・と割り切れば面白くないことはない。
2008年5月21日に日本でレビュー済み
学童期と思春期 一緒に「世界の果て」を見に行った杏子と洋平。
その後も それぞれに「世界の果て」を見たい 「世界の果て」に行きたい と願った。
それきり現実世界で会うことのなかったふたりは 仮想世界”BREATH(BRT)”の中で再会する。
仮想世界ブレス”BRT”ではアクセスするするたびに自身と分身を共鳴させることで 自身の属性を分身に投影した限りなく自身に近い分身がいる。
自身がアクセスしていないときも さらには自身が死亡してからも 分身は消えることなくBRT世界で自動的に動き生活する。
仮想世界であるから 分身は呼吸(ブレス)をせず 自身の意思とは関わりなく永遠に生きる。
またBRT内に階層(記憶)があり 分身は各階層でいろいろな年齢の自分(分身自身)を永遠に生きている。
アクセスを重ねるうちに 杏子は”BRT”と生命について考え 違和感を感じ始める。
ある日 分身は自分ではない 自分とは異なる別の独立人格だと痛感した杏子は”BRT”へのアクセスをやめた。
永遠に今を生きる分身に対し 現実の自分は「世界の果て」(未来)をみつめて追いかけることにしたのである。
杏子の死亡後 杏子と洋平としてBRTにアクセスした杏子の子供たち。
彼らは何を見たか 何を感じたか。
「世界の果て」を見たい とは 「真理」を知りたい ということではないのか。
であれば それは科学の本質であって 終わりはない。
「世界の果て」つまり「真理」を求めるとき 傍らに言葉を伝えるポータブルラジオがあるのは実に印象的な暗示。
シュレーディンガーの著書「生命とは何か」が見え隠れ。生命を物理学や化学の言葉で語れる日はやって来るはずだ…
そして終盤 現実世界で死を前にした人物から仮想世界”BRT”内ラジオ局のパーソナリティであるキョウコ(分身)へ届いた手紙が心を打つ。
「共鳴(シンクロニシティ)という言葉の意味を、ずっと考えてきました。
私たちは共感(シンパシー)でお互いに深いところまでつながり合うのだと思います。でもきっとそれだけじゃない。
私たちが動物であって人間であるように、私たちの心には共感をペースにしてたくさんの感情があるんですね。
心を同調し合って、お互いに頷き合って、温もりを分かち合うのが共感の力だとしたら、
そこから先の理解や、希望や、勇気は、きっと言葉といっしょに育まれるのだと思います。
それは最後まで分かち合えないものかもしれない。でも自分とは違う他者とわかり合おうとすること。
それが共感から一歩進んで私たちができること、つまり感情移入(エンパシー)なんだと思います」
「私たちが人間として生きるために、シンパシーもエンパシーもどちらも大切なのは、きっと私たちが呼吸をしているからなんですね。
吸って、吐いて、その呼吸をお互いに合わせて共鳴して、そのブレスと言葉で自分の気持ちを伝えて、
相手の気持ちを知って、一歩踏み出す。その力で愛し合う。そういうことなんだと思います。(以下略)」
その後も それぞれに「世界の果て」を見たい 「世界の果て」に行きたい と願った。
それきり現実世界で会うことのなかったふたりは 仮想世界”BREATH(BRT)”の中で再会する。
仮想世界ブレス”BRT”ではアクセスするするたびに自身と分身を共鳴させることで 自身の属性を分身に投影した限りなく自身に近い分身がいる。
自身がアクセスしていないときも さらには自身が死亡してからも 分身は消えることなくBRT世界で自動的に動き生活する。
仮想世界であるから 分身は呼吸(ブレス)をせず 自身の意思とは関わりなく永遠に生きる。
またBRT内に階層(記憶)があり 分身は各階層でいろいろな年齢の自分(分身自身)を永遠に生きている。
アクセスを重ねるうちに 杏子は”BRT”と生命について考え 違和感を感じ始める。
ある日 分身は自分ではない 自分とは異なる別の独立人格だと痛感した杏子は”BRT”へのアクセスをやめた。
永遠に今を生きる分身に対し 現実の自分は「世界の果て」(未来)をみつめて追いかけることにしたのである。
杏子の死亡後 杏子と洋平としてBRTにアクセスした杏子の子供たち。
彼らは何を見たか 何を感じたか。
「世界の果て」を見たい とは 「真理」を知りたい ということではないのか。
であれば それは科学の本質であって 終わりはない。
「世界の果て」つまり「真理」を求めるとき 傍らに言葉を伝えるポータブルラジオがあるのは実に印象的な暗示。
シュレーディンガーの著書「生命とは何か」が見え隠れ。生命を物理学や化学の言葉で語れる日はやって来るはずだ…
そして終盤 現実世界で死を前にした人物から仮想世界”BRT”内ラジオ局のパーソナリティであるキョウコ(分身)へ届いた手紙が心を打つ。
「共鳴(シンクロニシティ)という言葉の意味を、ずっと考えてきました。
私たちは共感(シンパシー)でお互いに深いところまでつながり合うのだと思います。でもきっとそれだけじゃない。
私たちが動物であって人間であるように、私たちの心には共感をペースにしてたくさんの感情があるんですね。
心を同調し合って、お互いに頷き合って、温もりを分かち合うのが共感の力だとしたら、
そこから先の理解や、希望や、勇気は、きっと言葉といっしょに育まれるのだと思います。
それは最後まで分かち合えないものかもしれない。でも自分とは違う他者とわかり合おうとすること。
それが共感から一歩進んで私たちができること、つまり感情移入(エンパシー)なんだと思います」
「私たちが人間として生きるために、シンパシーもエンパシーもどちらも大切なのは、きっと私たちが呼吸をしているからなんですね。
吸って、吐いて、その呼吸をお互いに合わせて共鳴して、そのブレスと言葉で自分の気持ちを伝えて、
相手の気持ちを知って、一歩踏み出す。その力で愛し合う。そういうことなんだと思います。(以下略)」
2008年7月11日に日本でレビュー済み
世の中には色々な心の伝え方があるけれども、この小説の中にはサイエンス・ラブ・ストーリーならではの心の伝え方が表現されています。
それを「近未来ならではの新しい」と記すべきなのか、「科学が進歩しても変わらない」と記すべきなのか、私にはどう判断すべきが分かりませんけれども、
爽やかな読後感は体験する価値アリ!です。
それを「近未来ならではの新しい」と記すべきなのか、「科学が進歩しても変わらない」と記すべきなのか、私にはどう判断すべきが分かりませんけれども、
爽やかな読後感は体験する価値アリ!です。
2011年7月22日に日本でレビュー済み
2008年3月に出版されたバーチャルな世界を舞台にしたSF小説。TOKYO FMで放送されたラジオドラマの原作として書き下ろされたもの。残念ながら放送は聞き逃してしまったけど、なかなか面白い小説だった。
ストーリーとしては、主人公の女性の子ども時代から亡くなるまでの人生を現実世界とセカンドライフのようなバーチャルな世界とを行き来しながら、描いていくというもの。一種のパラレルワールド的な話だけど、バーチャルな世界というのが、執筆当時のセカンドライフの流行からきているのだろうが、時代を感じさせる。
セカンドライフのような仮想世界の一つの可能性、将来性を瀬名秀明が描いたということでも、注目すべき作品だけど、当時のセカンドライフの流行ぶりがすっかり影を潜めた今、現在読むと、ちょっと考えさせられる内容だった。
その当時のセカンドライフはまさにウェブの世界の将来ではないか、って思わせたのだが、今は、TwitterやFacebookといったソーシャルメディアの方が隆盛している。現在のソーシャルメディアは、セカンドライフのように現実世界とは別の世界を構築するというよりは、現実世界とウェブの世界の融合といった方向に向かっている気がする。今、現在のこの世界を瀬名秀明は、どう考えるのかなぁ。
それにしても、セカンドライフって最近、あまり話題にならないけど、どうなってるんだろう?
ストーリーとしては、主人公の女性の子ども時代から亡くなるまでの人生を現実世界とセカンドライフのようなバーチャルな世界とを行き来しながら、描いていくというもの。一種のパラレルワールド的な話だけど、バーチャルな世界というのが、執筆当時のセカンドライフの流行からきているのだろうが、時代を感じさせる。
セカンドライフのような仮想世界の一つの可能性、将来性を瀬名秀明が描いたということでも、注目すべき作品だけど、当時のセカンドライフの流行ぶりがすっかり影を潜めた今、現在読むと、ちょっと考えさせられる内容だった。
その当時のセカンドライフはまさにウェブの世界の将来ではないか、って思わせたのだが、今は、TwitterやFacebookといったソーシャルメディアの方が隆盛している。現在のソーシャルメディアは、セカンドライフのように現実世界とは別の世界を構築するというよりは、現実世界とウェブの世界の融合といった方向に向かっている気がする。今、現在のこの世界を瀬名秀明は、どう考えるのかなぁ。
それにしても、セカンドライフって最近、あまり話題にならないけど、どうなってるんだろう?
2009年6月6日に日本でレビュー済み
この世界と似た、でも少しだけ違う、そんな平行世界が無数に存在する。そして、時間の流れとは、その無限の平行世界を順々に渡っていくということなのかもしれない・・・
パラレルワールドという、SFではほとんど常識となった考え方を、別の切り口で見せてくれる作品です。
とある女性の一生の、ほんの一部分を切り取り切り取り、つづられてゆきます。
手品師が繰ってゆくカードの途中で、「ストップ!」と止めるように。
無作為に止めたカードに描かれているものは、幼子であったり、学生であったり、二人の子供に恵まれた妻であったり。
章と章の間には無数のカードがあり、彼女の人生が、ドラマが描かれているのでしょう。
そして、本質的には彼女でありながら、別の人生を歩むカードもあります。
本来の彼女自身は選ばなかったけれども、確かに存在する、パラレルワールドのカードたち。
かつて彼女がアクセスした仮想空間の中で、独立して動き、またいくつものパラレルワールドに別れてゆきます。
でもその根底に流れるものは、おそらくは、たったひとつの想い。
最初は荒いグラフィックスで構成された空間にすぎなかった世界はどんどん発展し、ついには現実と交錯するようにまでなってゆきます。
そんな時代の子供たちはみな、まるで仮想空間にもうひとつ脳を持っているかのようです。そしてその脳は、他の人とネットワークでつながっている。
それはいったい、どんな世界なのでしょうか。
パラレルワールドという、SFではほとんど常識となった考え方を、別の切り口で見せてくれる作品です。
とある女性の一生の、ほんの一部分を切り取り切り取り、つづられてゆきます。
手品師が繰ってゆくカードの途中で、「ストップ!」と止めるように。
無作為に止めたカードに描かれているものは、幼子であったり、学生であったり、二人の子供に恵まれた妻であったり。
章と章の間には無数のカードがあり、彼女の人生が、ドラマが描かれているのでしょう。
そして、本質的には彼女でありながら、別の人生を歩むカードもあります。
本来の彼女自身は選ばなかったけれども、確かに存在する、パラレルワールドのカードたち。
かつて彼女がアクセスした仮想空間の中で、独立して動き、またいくつものパラレルワールドに別れてゆきます。
でもその根底に流れるものは、おそらくは、たったひとつの想い。
最初は荒いグラフィックスで構成された空間にすぎなかった世界はどんどん発展し、ついには現実と交錯するようにまでなってゆきます。
そんな時代の子供たちはみな、まるで仮想空間にもうひとつ脳を持っているかのようです。そしてその脳は、他の人とネットワークでつながっている。
それはいったい、どんな世界なのでしょうか。