内容が関西弁に凝縮されています。『ソクラテスの弁明』の冒頭から少し、訳例の比較を載せます。
(「田中美知太郎訳」→「著者の関西弁訳」)
「アテナイ人諸君、諸君が、わたしを訴えた人たちのいまの話から、どういう印象を受けられたか、それはわかりません。しかしわたしは、自分でも、この人たちの話を聞いていて、もうすこしで自分を忘れるところでした。そんなに彼らの言うことは、もっともらしかったのです。」
→「アテナイ人のみなさん、わたしを訴えてる連中の話を、みなさんがどういうふうに受け取りはったんかわかれしまへんが、わたしは、上手いこと言うなぁ……と我を忘れて聞いとりました。」
「しかしほんとうのことは、ほとんど何も言わなかったと言っていいでしょう。なかでも、彼らについて、いちばんわたしのあきれたことが一つある。それは、彼らはずいぶんたくさん嘘をついたのですが、そのうちで、あなた方に、用心しろ、さもないとわたしに騙されるぞと、まるでわたしが大した弁論家でもあるかのように、彼らが言っていたことです。つまり、そんなことをぬけぬけと言っているということは、いますぐに、どう見たってわたしが大した弁論家とは見えないという事実によって、彼らはわたしのために完全に反駁されるにきまっているのですから、これこそ彼らの最も恥知らずな点だと思われたわけです。」
→「せやけど、ほんまのことは、これっぽっちも言わなんだ。嘘八百の中でも一番あきれたんは、みなさんにわたしは雄弁家やから気ぃつけんと騙されるっちゅうように言ってたことです。そんなこと、わたしが弁明を始めたら、ちっとも雄弁家に見えへんのはわかりきってるし、すぐに嘘やとわかってまう。恥かしげもなくようも言うたもんやと思います。」
「もっとも、あるいは、この人たちが真実を語る者を弁論の雄者であると呼ぶのなら、話は別です。もし彼らの言う意味が、そういうものであるのなら、わたしも、彼らのたぐいではないにしても、一個の弁論家であることを承認するでしょう。」
→「まぁ、連中が真実を語る者を雄弁家と呼ぶんやとしたら、わからんでもない。連中と同類にされとうはないけどわたしも雄弁家やということでけっこうです。」
「いずれにしても、この人たちは、わたしに言わせれば、真実のことはほとんど何も言わなかったのです。しかし諸君は、わたしから真実のすべてを聞かれるでしょう。」
→「どっちにしても、連中は嘘八百並べ立てただけです。ほんまのことはわたしからみなさんにお伝えします。」
『世界の名著』の田中美知太郎氏による『ソクラテスの弁明』は、一文が長い上に、読点がたくさん使われています。漢字でよい単語が、不自然に平仮名になっていて読むのに疲れます。その問題が関西弁訳により解消されています。関西弁は話し言葉ですから、平仮名でも不自然ではないし、何よりプラトンの対話編という形式には最適です。長々と続いた文章も、要点を捉えて簡潔に訳されています。買う程ではありませんが、名訳です。
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ソクラテスの弁明 関西弁訳 単行本 – 2009/5/16
プラトン著「ソクラテスの弁明」を、なんと関西弁に翻訳!
これまで難解と思われ敬遠されがちだったこの哲学書が、関西弁に訳すことで、
目から鱗が落ちるほど読みやすくなりました。
生きることの意味、善と悪、国家と法、死のとらえ方・・・
賢人ソクラテスのメッセージが生きた言葉として、いま私たちに届きます。
(本文より)
せやけど、その帰り道に思ったんです。
確かにあの人よりもわたしの方が知恵があるやもしれんと。
ちゅうのは、あの人もわたしも、お互いに善についても美についても、ようわかってないと思うんやけど、
あの人は九割方わかってるっちゅうことでわかった気になってはる。
これまで難解と思われ敬遠されがちだったこの哲学書が、関西弁に訳すことで、
目から鱗が落ちるほど読みやすくなりました。
生きることの意味、善と悪、国家と法、死のとらえ方・・・
賢人ソクラテスのメッセージが生きた言葉として、いま私たちに届きます。
(本文より)
せやけど、その帰り道に思ったんです。
確かにあの人よりもわたしの方が知恵があるやもしれんと。
ちゅうのは、あの人もわたしも、お互いに善についても美についても、ようわかってないと思うんやけど、
あの人は九割方わかってるっちゅうことでわかった気になってはる。
- ISBN-104891947985
- ISBN-13978-4891947989
- 出版社パルコ
- 発売日2009/5/16
- 言語日本語
- 本の長さ160ページ
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商品の説明
抜粋
せやけど、その帰り道に思ったんです。
確かにあの人よりもわたしの方が知恵があるやもしれんと。
ちゅうのは、あの人もわたしも、お互いに善についても美についても、
ようわかってないと思うんやけど、
あの人は九割方わかってるっちゅうことでわかった気になってはる。
(本文より)
確かにあの人よりもわたしの方が知恵があるやもしれんと。
ちゅうのは、あの人もわたしも、お互いに善についても美についても、
ようわかってないと思うんやけど、
あの人は九割方わかってるっちゅうことでわかった気になってはる。
(本文より)
About this Title
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登録情報
- 出版社 : パルコ (2009/5/16)
- 発売日 : 2009/5/16
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 160ページ
- ISBN-10 : 4891947985
- ISBN-13 : 978-4891947989
- Amazon 売れ筋ランキング: - 224,118位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2010年1月23日に日本でレビュー済み
私は田中美知太郎訳で世界文学全集(筑摩)の中のものを読んだことがありますが、その時は「一つ一つ事実を確かめながら自説を展開していく、いわゆるYes-Questionのやり方の元祖だな、論述の展開はさすがに鋭いな(あたりまえですが)」と思った記憶があります。
本書企画の発想はすばらしいと思います。とっつきやすいと思います。ただ、「翻訳者は全員嘘つきである」という言葉があるくらいです。趣味ならともかく、商品として出版するくらいの覚悟があるのならば、日本語や英語ではなく、原典から訳すのが筋でしょう。
その点、本書は内容は置いといて、哲学アレルギー?への緩和剤としての位置づけになるかと思います。
本書企画の発想はすばらしいと思います。とっつきやすいと思います。ただ、「翻訳者は全員嘘つきである」という言葉があるくらいです。趣味ならともかく、商品として出版するくらいの覚悟があるのならば、日本語や英語ではなく、原典から訳すのが筋でしょう。
その点、本書は内容は置いといて、哲学アレルギー?への緩和剤としての位置づけになるかと思います。
2014年4月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
おもろいもんですなあ、哲人の言葉を
「桂米朝師匠みたいな、品のええ関西弁」にしただけで、
こんなにも言葉に血が通った感じになるんやなんて。
ソクラテスさんの言うてはることが、
決して昔々の人らにだけ通ずるもんやなくて、
今に生きるわたしらの心にもまっすぐに響いてくるもんやったちゅうことに
はじめて気付かされましたわ。
「桂米朝師匠みたいな、品のええ関西弁」にしただけで、
こんなにも言葉に血が通った感じになるんやなんて。
ソクラテスさんの言うてはることが、
決して昔々の人らにだけ通ずるもんやなくて、
今に生きるわたしらの心にもまっすぐに響いてくるもんやったちゅうことに
はじめて気付かされましたわ。
2021年9月10日に日本でレビュー済み
関西人にはとても分かりやすい。
ソクラテスがそのへんのオッサンに思えて親しみやすい。
入門書としては秀逸です。
ソクラテスがそのへんのオッサンに思えて親しみやすい。
入門書としては秀逸です。
2009年9月5日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
いままで、古代ギリシャに始まる西洋の哲学書を、日本人の多くは翻訳によって学んできました。しかし、あまりにもとっつきにくいものですから、それらの中でももっとも短いうちに属する、プラトンの「ソクラテスの弁明」すら、普通の読書人でも敬遠してしまうことが多かったのではないでしょうか。明治以降の西洋哲学書が高級で格調高い、しかしあまりにも難解な、文語体で書かれていたのにも原因の一端はあるのでしょう。さらに、口語体で書かれる様になってからも、哲学者の書く口語体のとっつきにくさは、大して改善されているとは申せません。 さてここで、格調高くも平易な大阪弁=船場ことばの登場となりました。これで関西の人たちもようやく哲学することが出来るようになったのです。あとは、勝海舟張りの切符のいい江戸言葉に翻訳されて、江戸っ子の熊さん八っつぁんにも西洋哲学がわかるようになれば言うことはありません。また、日本の隅々にまで、各国語に翻訳されていけば、ようやく日本にも、念願の哲学の夜明けが訪れることでしょう。 これは、でも本当に面白いだけではなくて、プラトンの師匠ソクラテスの「学問を貫き究める=哲学」の基礎がよくわかる、すばらしい本となっています。 人間はどうやって生きればいいのか、より良く生きるとはどのようなことか、をソクラテスと一緒に考えましょう。人にも自分自身にも妥協をしなかった、一人の頑固で素直な美しい魂を持った男の死をかけた裁判に、今、現代の日本人が傍聴人となるのです。読者サービス?として、獄中に訪れた親友クリトンの獄中インタビュー記録「クリトン」も付いています。泣けます。
2010年2月17日に日本でレビュー済み
今さら岩波文庫で『ソクラテスの弁明』を読むのはシンドイでっしゃろ? だったら関西弁でどうでっか、というノリの本だ。
乗った! ソクラテスはんの弁明を読ませてもらいましょ。
読みながら、高校の倫理社会の授業で教わったことを少しずつ思い出した。
ソクラテスは対話の名手だったこと。
対話相手は、ソクラテスから「YES」と答えるしかないような質問を繰りだされ、知らずしらずのうちにソクラテスの主張に同調せざるを得なくなっていくこと。
あぁ、本当だ。
この関西弁のソクラテス、冒頭で宣言している。
「せやけど、アテナイ人のみなさん、わたしは連中のように美辞麗句で飾り立てた物言いをせずに、簡単な言葉でお話しさせてもらいます。それはゼウスの神にかけて、わたしの話することがほんまのことやからです」
簡単な言葉で、簡単そうに見える論理を積み重ねていく。――これは本当だ。
だけど、「知らずしらずのうちにソクラテスの主張に同調せざるを得なくなっていく」というのはウソだと思った。
柔らかな印象を与える関西弁を使っているはずなのに、このおっさん、どうも鬱陶しくてウサン臭い。
「ゼウスの神にかけて」と言っているからには、多神教に基づいているはずだ。人間的で自分勝手な神々を信じているのだから、この世に絶対の真理など無い! ……はず。
ところがソクラテスは“人間は知恵や真理を追究すべき”と考えていて、真理を探究しようとしない人間を見つけては、「恥ずかしゅうないんかいな」と罵倒する。
真の知恵者を探すことを「神から与えられた使命」と公言して敵を増やし続けている。
「絶対の真理」を追究したソクラテスは、いわば「真理」という一つの神しか認めない“一神教”の教祖だったのだ。
ソクラテスが「民主的」に死刑になったのは、「一神教は許さない」というアテネ市民の意志の現れだったのかもしれない。
乗った! ソクラテスはんの弁明を読ませてもらいましょ。
読みながら、高校の倫理社会の授業で教わったことを少しずつ思い出した。
ソクラテスは対話の名手だったこと。
対話相手は、ソクラテスから「YES」と答えるしかないような質問を繰りだされ、知らずしらずのうちにソクラテスの主張に同調せざるを得なくなっていくこと。
あぁ、本当だ。
この関西弁のソクラテス、冒頭で宣言している。
「せやけど、アテナイ人のみなさん、わたしは連中のように美辞麗句で飾り立てた物言いをせずに、簡単な言葉でお話しさせてもらいます。それはゼウスの神にかけて、わたしの話することがほんまのことやからです」
簡単な言葉で、簡単そうに見える論理を積み重ねていく。――これは本当だ。
だけど、「知らずしらずのうちにソクラテスの主張に同調せざるを得なくなっていく」というのはウソだと思った。
柔らかな印象を与える関西弁を使っているはずなのに、このおっさん、どうも鬱陶しくてウサン臭い。
「ゼウスの神にかけて」と言っているからには、多神教に基づいているはずだ。人間的で自分勝手な神々を信じているのだから、この世に絶対の真理など無い! ……はず。
ところがソクラテスは“人間は知恵や真理を追究すべき”と考えていて、真理を探究しようとしない人間を見つけては、「恥ずかしゅうないんかいな」と罵倒する。
真の知恵者を探すことを「神から与えられた使命」と公言して敵を増やし続けている。
「絶対の真理」を追究したソクラテスは、いわば「真理」という一つの神しか認めない“一神教”の教祖だったのだ。
ソクラテスが「民主的」に死刑になったのは、「一神教は許さない」というアテネ市民の意志の現れだったのかもしれない。
2018年4月1日に日本でレビュー済み
さて、この訳の原文は何か。二重、若しくは単に既に標準言になったものをただ関西弁にしたのか。この原文はアッティカ方言で書かれています。しかも会話なので初級文法では必ず出てきます。単に関西弁だからと言って鵜呑みにしては痛い目に遭います。もっとも自作のアダプテーションなら良い荷でしょうが。
2010年9月4日に日本でレビュー済み
ソクラテスって結局どんな人なんだろう?
名前は知ってるけど何をした人か知らない。
そんなことを思いつつも、何故か本書を手にしました。
本書を読んでソクラテスという人がどのような価値観を持ち、
どのような偉業を成し遂げたのかが理解できた。
私が一番考えさせられたのは、
いつの時代でも「正義や概念」は多数決や支配者が作り上げるものなんですよね。
要は、どれだけ完璧な理論、正論であっても、
理解者が少なければ悪にもあるということなんです。
もし、現代にソクラテスがいたら、多くの矛盾を指摘することができるのだと思う。
そして時代によってはソクラテスは認められるし、
逆に異端児として軽蔑されたり、死刑にもされるかもしれない。
本書の内容は今の時代にも当てはまる時代を遡った人類の課題なのかもしれない。
名前は知ってるけど何をした人か知らない。
そんなことを思いつつも、何故か本書を手にしました。
本書を読んでソクラテスという人がどのような価値観を持ち、
どのような偉業を成し遂げたのかが理解できた。
私が一番考えさせられたのは、
いつの時代でも「正義や概念」は多数決や支配者が作り上げるものなんですよね。
要は、どれだけ完璧な理論、正論であっても、
理解者が少なければ悪にもあるということなんです。
もし、現代にソクラテスがいたら、多くの矛盾を指摘することができるのだと思う。
そして時代によってはソクラテスは認められるし、
逆に異端児として軽蔑されたり、死刑にもされるかもしれない。
本書の内容は今の時代にも当てはまる時代を遡った人類の課題なのかもしれない。