時間は運動である。
これを体感することができるだろうか。
「そこで生を、ばらばらでない、全体的で、継続的に流れる全的な運動として、観察してごらん。『継続的に』と言っても、それは時間的な意味においてではない。ふつう、『継続的』という言葉は時間をその裏に含んでいる。しかし、時間的なものではない継続性も存在する。われわれは、過去と未来のあいだの関係を分断することなく、ひとつの継続性として考える。それが、一般に継続性という言葉でわれわれが理解しているものであり、それが時間的なものである。時間は運動である。その終わりに達成されるべき理想をもって、幾歳月をかけていく時間的距離である。時間とは思考を意味している。」
クリシュナムルティーは、不思議な人だ。難しい言葉を一切使わずに、悟性の高みをありありと示しているように見える。理解できない言葉は何一つないのに、示唆する内容にはいつもたじろがされる。
「眼を動かさずに観察することだ。というのも、眼を動かせば、思考する頭脳が完全にはたらき出すからである。そこには歪曲が生まれる。眼を動かさずに何かを見つめてごらん。そうすれば、頭脳がどれほど静かになるだろう。眼だけではなく、自分の注意、自分の愛情をもって観察してごらん。注意や愛情があれば、観念ではなく事実を観察するようになる。注意、愛情をもって{あるがまま}に近づくようになる。そのあかつきには、判断、非難はいっさいなくなり、人は対極をなすものから解放されるのである。」
心に留めておく。
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生の全体性 単行本 – 1986/2/20
- 本の長さ381ページ
- 言語日本語
- 出版社平河出版社
- 発売日1986/2/20
- ISBN-104892031038
- ISBN-13978-4892031038
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登録情報
- 出版社 : 平河出版社 (1986/2/20)
- 発売日 : 1986/2/20
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 381ページ
- ISBN-10 : 4892031038
- ISBN-13 : 978-4892031038
- Amazon 売れ筋ランキング: - 33,441位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2009年2月7日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
クリシュナムルティの著書を20冊以上読んでいますが、その中でも最も素晴らしいものの一つだと思います。
この本は、三人が討論しているのを傍観者として見るのではなく、三人の会話を自分が自身に行っている会話として捉え、観察することです。きっと瞑想体験が共有できると思います。
ただし、この本を最初に読むクリシュナムルティとしてはお勧めしません。おそらく少し身勝手で支離滅裂な人物ととる方がいるかも知れません。この本は、ある程度彼の世界を知った上で読まれることをお勧めします。
この本は、三人が討論しているのを傍観者として見るのではなく、三人の会話を自分が自身に行っている会話として捉え、観察することです。きっと瞑想体験が共有できると思います。
ただし、この本を最初に読むクリシュナムルティとしてはお勧めしません。おそらく少し身勝手で支離滅裂な人物ととる方がいるかも知れません。この本は、ある程度彼の世界を知った上で読まれることをお勧めします。
2009年6月26日に日本でレビュー済み
クリシュナムルティは本当の意味での宗教者であって、思想家という意味での哲人ではありません。
彼が語るのは思想ではなく、しっかりと見る事が出来ればわかる実際についてです。だから彼は人々に「見なさい」と説きます。
本の前半は3人の対話を収録したものです。流石にちゃんと見れているらしいボーム博士に対し、知識で話しているシャインバーグ博士が少し気の毒ですが、そのコントラストが読む側にとって良い構図になっていると思います。
そして対話の内容は「自我」から「聖なるもの」へと元々深い話からより深遠な話に至ります。
この前半だけでも買う価値はあります。
彼が語るのは思想ではなく、しっかりと見る事が出来ればわかる実際についてです。だから彼は人々に「見なさい」と説きます。
本の前半は3人の対話を収録したものです。流石にちゃんと見れているらしいボーム博士に対し、知識で話しているシャインバーグ博士が少し気の毒ですが、そのコントラストが読む側にとって良い構図になっていると思います。
そして対話の内容は「自我」から「聖なるもの」へと元々深い話からより深遠な話に至ります。
この前半だけでも買う価値はあります。
2008年2月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「世の真実=真理」を天(波動の法則)から知らされている唯一の人間「ボーム」は、「相当なるおとな」である。
しかし、「自負心」が強すぎるゆえ、知ったかぶり屋・「自我」丸出しの「シャインバーグ」の失言フォローに気を配りすぎ、本領発揮できていない。
「崇高なる私が見出した‘愛の説’に従わない人は不幸になるであろう」式脅迫者「クリシュナムルティ」は、言葉で相手をケムに巻く天才。
その‘愛の説’はへ理屈にすぎない、ということが次のことからわかる。→「シャインバーグ」を愚者とみなし、彼の発言をいちいち牽制している上に、権威をふりかざし、「あなたに私の説が理解できるはずない」とまで愚弄している。 一方、強い立場にある「ボーム」のことは一応立てている。
「誰もが‘自己’を捨てるべきだ」と繰り返し言っていながら、「私は悟ることができた稀有な人間だ」との「自己宣伝」を何度もしている。 (実際には、悟ることができた人間は皆無だ)
「クリシュナムルティ」の、「私は世界だ、世界は私だ」との言葉は、すなわち「人類は元を同じくするものであり、すべからく平等だ」という意味だ。 だが、彼の「先生ぶり」はどうだ!
本当に平等だと思うなら、また本当に「自己」を捨てることができているなら、なぜ「偉い私が偉くない他人を指導するための本」をたくさん出版するのか?
しかも、「変容」が絶対に必要だ、としつこく書きながら、そのやり方を書かない「もったいぶり」のいやらしさ。
ついでに書いておくが、「変容」のコツは こうである。
「・左脳に蓄えてきた情報を意図的に捨てる努力をすること(左脳に蓄えられている情報を引き出すと、「自我」主体の想念が出てきてしまうからだ。 「自我」は、新しい自分には不必要)
・右脳を使うべく訓練していくこと(インスピレーションは右脳から発する=右脳は、‘天からの導き’を容易にする。 「自我」を出さないよう心がけていると、右脳がよく機能するようになる」
・自己操作せず全部を天任せにしたい、と願望していると、トラブルが少なくなり、スムーズに暮らすことができるようになり、本当の自信がつく。
すると、他人より上でありたい、という「クリシュナムルティ」のような欲求を持たなくなる。 また、事象の本質を見抜けるようになる。
すると、心に、ついぞ「クリシュナムルティ」が持てなかった「大きな余裕」が生まれる。
この余裕が、いわゆる「慈悲心」・「愛」・「おおいなるプラスの波動」である。
しかし、「自負心」が強すぎるゆえ、知ったかぶり屋・「自我」丸出しの「シャインバーグ」の失言フォローに気を配りすぎ、本領発揮できていない。
「崇高なる私が見出した‘愛の説’に従わない人は不幸になるであろう」式脅迫者「クリシュナムルティ」は、言葉で相手をケムに巻く天才。
その‘愛の説’はへ理屈にすぎない、ということが次のことからわかる。→「シャインバーグ」を愚者とみなし、彼の発言をいちいち牽制している上に、権威をふりかざし、「あなたに私の説が理解できるはずない」とまで愚弄している。 一方、強い立場にある「ボーム」のことは一応立てている。
「誰もが‘自己’を捨てるべきだ」と繰り返し言っていながら、「私は悟ることができた稀有な人間だ」との「自己宣伝」を何度もしている。 (実際には、悟ることができた人間は皆無だ)
「クリシュナムルティ」の、「私は世界だ、世界は私だ」との言葉は、すなわち「人類は元を同じくするものであり、すべからく平等だ」という意味だ。 だが、彼の「先生ぶり」はどうだ!
本当に平等だと思うなら、また本当に「自己」を捨てることができているなら、なぜ「偉い私が偉くない他人を指導するための本」をたくさん出版するのか?
しかも、「変容」が絶対に必要だ、としつこく書きながら、そのやり方を書かない「もったいぶり」のいやらしさ。
ついでに書いておくが、「変容」のコツは こうである。
「・左脳に蓄えてきた情報を意図的に捨てる努力をすること(左脳に蓄えられている情報を引き出すと、「自我」主体の想念が出てきてしまうからだ。 「自我」は、新しい自分には不必要)
・右脳を使うべく訓練していくこと(インスピレーションは右脳から発する=右脳は、‘天からの導き’を容易にする。 「自我」を出さないよう心がけていると、右脳がよく機能するようになる」
・自己操作せず全部を天任せにしたい、と願望していると、トラブルが少なくなり、スムーズに暮らすことができるようになり、本当の自信がつく。
すると、他人より上でありたい、という「クリシュナムルティ」のような欲求を持たなくなる。 また、事象の本質を見抜けるようになる。
すると、心に、ついぞ「クリシュナムルティ」が持てなかった「大きな余裕」が生まれる。
この余裕が、いわゆる「慈悲心」・「愛」・「おおいなるプラスの波動」である。
2008年3月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
前半は3人の討論形式で、
今をときめく物理学者D・ボーム博士の相手として、
クリシュナさんは力不足な人ですが、
それがかえってボーム博士の発言(思考)を冴えわたらせ、
3人の思考力のエンタティメントに自然にはまっていきます。
クリシュナさんの弱点にボーム博士のストレートパンチがバシバシ決まり、
D・ボーム博士からは
「もっと本物の悟りの賢者と打ち合いたい!!(本人の前では言えないけど・・)」
という本音が聞こえてきそうです。
判定は、
私的なイメージ内容への絶望から無を求めるクリシュナさんと、
普遍的なイメージ構造(宇宙構造)を探ろうとするクリエイティヴ精神のボーム博士で、
西洋人(ボーム博士)の勝ちです。
思い込みほどつまらないものはありません。
で、で、この断片化した思考のエンターティメントに付き合ったところで、
全体性なんか見えてきません。
というわけで、
後半はクリシュナさんの講和ですが、読み飛ばしました。
クリシュナさんが心優しい王子様なのはわかるんですが、
それはそれ、これはこれで。
今をときめく物理学者D・ボーム博士の相手として、
クリシュナさんは力不足な人ですが、
それがかえってボーム博士の発言(思考)を冴えわたらせ、
3人の思考力のエンタティメントに自然にはまっていきます。
クリシュナさんの弱点にボーム博士のストレートパンチがバシバシ決まり、
D・ボーム博士からは
「もっと本物の悟りの賢者と打ち合いたい!!(本人の前では言えないけど・・)」
という本音が聞こえてきそうです。
判定は、
私的なイメージ内容への絶望から無を求めるクリシュナさんと、
普遍的なイメージ構造(宇宙構造)を探ろうとするクリエイティヴ精神のボーム博士で、
西洋人(ボーム博士)の勝ちです。
思い込みほどつまらないものはありません。
で、で、この断片化した思考のエンターティメントに付き合ったところで、
全体性なんか見えてきません。
というわけで、
後半はクリシュナさんの講和ですが、読み飛ばしました。
クリシュナさんが心優しい王子様なのはわかるんですが、
それはそれ、これはこれで。
2008年9月7日に日本でレビュー済み
本棚の片隅に眠らせておいてほぼ十年、ついに読了しました。よい本ですね。この十年間、時おり気になっていたのです、クリシュナムルティ。こちらに余裕のない時には、努力して読もうとしても無理でした。古本屋に売らなくて本当によかった。読むことを可能にした要因として、歳月のほかには、知人が古くからのクリシュナムルティの読者だったことが大きいです。雑談していて、「あっそうか。偉い人なんだ。読もう」と思ったことが本に向かうきっかけになりました。今、偉い人と書いたのですが、彼ほど教祖として祭りあげられることを回避しようとした人もめずらしいように思います。その慎み深さに尊敬の念を持ちます。
2004年9月7日に日本でレビュー済み
~クリシュナムルティの凄さは、わりと平易で端正な言葉づかいで、ボキャブラリーもシンプルなのに、内容が一級の宗教書や哲学書並みに深い、というところにあると思います。ほんとうに、難しい言葉はほとんど出てこないんですよ。でもスゴイ!
~~
本書の前半は鼎談形式になっていて、対話のかたちで話が進んでいきます。ですから、なおさら使われている言葉は平易なんです。3人ともみんな専門分野が違うわけですから、門外漢でも誰でも分かるように3人とも話をしているので、とてもやさしいのですよ。ところが、すこしずつ、すこしずつ、「生の全体性」という深いテーマが明るみに出てくるんです。そのプ~~ロセスがじつに圧巻なのですよ。深い話が好きなひとはぜひ読んでみるといいと思います。専門用語や専門知識が必要ないんですから。
~~
それから、内容とは関係ありませんが、本書のブックデザインがまた、かなりクオリティが高いです。いい装丁ですね。たしか中垣信夫さんの事務所のデザインだったと思いますが、素晴らしい。ウッドという用紙でカバーや表紙をデザインしていて、写植時代の端正で上品な傑作のひとつ、新聞特太明朝という文字をタイトルに使っています。それが内容とあいまって~~素敵な読書体験をさせてくれます。最近、こういう上品な本が少なくなったよね。~
~~
本書の前半は鼎談形式になっていて、対話のかたちで話が進んでいきます。ですから、なおさら使われている言葉は平易なんです。3人ともみんな専門分野が違うわけですから、門外漢でも誰でも分かるように3人とも話をしているので、とてもやさしいのですよ。ところが、すこしずつ、すこしずつ、「生の全体性」という深いテーマが明るみに出てくるんです。そのプ~~ロセスがじつに圧巻なのですよ。深い話が好きなひとはぜひ読んでみるといいと思います。専門用語や専門知識が必要ないんですから。
~~
それから、内容とは関係ありませんが、本書のブックデザインがまた、かなりクオリティが高いです。いい装丁ですね。たしか中垣信夫さんの事務所のデザインだったと思いますが、素晴らしい。ウッドという用紙でカバーや表紙をデザインしていて、写植時代の端正で上品な傑作のひとつ、新聞特太明朝という文字をタイトルに使っています。それが内容とあいまって~~素敵な読書体験をさせてくれます。最近、こういう上品な本が少なくなったよね。~
2003年3月23日に日本でレビュー済み
真の自由とは? 宗教の激突する戦争はなぜ起こるか。大野純一氏と聖 真一郎氏という両雄が翻訳した本書の著者クリシュナムルティが「現代のソクラテス」と世界中から尊敬されたのもうなずける。