浄土真宗の「南無阿弥陀仏」は、文字の意味そのままだと、阿弥陀仏に南無する(阿弥陀仏に帰依する)となる。
でも、実際は、「浄土教の教えは、真実であると信じる」「その信心も自分で起こしたものではなく、阿弥陀如来からいただいたものだと信じる」「浄土教の教えは、必ず、自分をこのうえないさとりに至らせてくれると信じる」ことからくる、感謝の念仏なのだ。
だから、真宗門徒は、「お念仏をよろこぶ」という表現をよく使う。
自分を必ず、さとりに至らせてくれる、大きな力、無限のはたらきのことを、われわれは、阿弥陀如来と呼んでいる。
阿弥陀如来は、一神教や、神道のような、人格神ではなく、「人々をさとらせるはたらき」のことだ。
その働きには、いろもなく、かたちもなく、言葉で表現することもできない。
われわれは、形態や言葉でしか認識することができないから、お経のように言葉になっているだけだ。
本来は、阿弥陀如来という言葉で表現できる名前すらないのだろう。
この本は、決して、哲学書ではない。
難解な思索の書でもない。
遊雲さんの言葉も、父さんの言葉も、われわれ真宗門徒からみたら、お念仏そのものだ。
遊雲さんが最後に、「ありがとう」といったのも、真宗のお念仏は、如来への報恩感謝のお念仏であるからだと思う。
「ありがとう」の対象は、遊雲さんのまわりのすべての存在、すべてのいのちへの「ありがとう」のはずだ。
「ぼくはいきます」は断じて「逝きます」ではない。
さとりの世界、おおきないのちのはたらきのなかへ、往きます、なのだ。
父さんの「何があっても大丈夫」も、じつに念仏者らしい言葉だ。
「大丈夫、絶対に治るから」ではないのだ。
残念ながら、病が治らなくても、死んでしまうことになっても、それでも大丈夫だということだ。
この世界での縁がつきて、この世界からはさっていっても、おおきないのちとして、人を必ずさとりに導くはたらきとして、生き続ける。
浄土教のことばで言うならば、往生安楽国だ。
南無阿弥陀仏
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遊雲さん父さん (小児がんを生きたわが子との対話) 単行本 – 2008/4/20
有国 智光
(著)
小児がんで15歳の息子・遊雲を亡くした父親が、「死」をそして「生」を問うた手記。「何があっても大丈夫」父と子で交わされたこの言葉が、二人を支え続けた。小児がんと3年間向きあった有国遊雲さんの最期の言葉は、朝日新聞・読売新聞・毎日新聞・中国新聞などで大きく紹介された。
- 本の長さ240ページ
- 言語日本語
- 出版社本願寺出版社
- 発売日2008/4/20
- 寸法2 x 13.7 x 19.4 cm
- ISBN-104894162032
- ISBN-13978-4894162037
登録情報
- 出版社 : 本願寺出版社 (2008/4/20)
- 発売日 : 2008/4/20
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 240ページ
- ISBN-10 : 4894162032
- ISBN-13 : 978-4894162037
- 寸法 : 2 x 13.7 x 19.4 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 95,492位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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