東西冷戦が終結し、「大きな物語」は完全に消滅したと言われた。そして人々は小さな物語に安易に飛びつく。「原因と結果の法則」などというものはその典型的な例である。
そして合成の誤謬ではないが(そうであると主張したいが)、小さな安易な物語が寄せ集められて、とんでもない大きな物語が甦るのである。
新自由主義の経済イデオロギーを背景とする「成果主義」「自己責任」「自己実現」、いずれもみなそうであり、本書に扱われている「因果」の解説はいずれも浅墓な物語への飛び付きを撃つ。「あらゆる因果律は暴力だ」と言うレヴィナスの言葉は、現代思想が語った最も深い言葉として我々の生活や人生に無関係ではないのだ。
本書は仏教入門としてはもちろん、倫理や道徳を問い、また教育を考えようとするものにとって誠に有用な書物だと思われる。
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いきなりはじめる浄土真宗 (インターネット持仏堂 1) 新書 – 2005/3/23
内田 樹/釈 徹宗
(著)
フランス現代思想研究家が、インターネット・ホームページで宗教思想・人間学を講ずる本派住職と交わした浄土真宗をめぐる往復書簡。 「その1」から「その9」までと「間狂言1、2」を収録。
- 本の長さ184ページ
- 言語日本語
- 出版社本願寺出版社
- 発売日2005/3/23
- 寸法1.2 x 13 x 18.2 cm
- ISBN-104894167778
- ISBN-13978-4894167773
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登録情報
- 出版社 : 本願寺出版社 (2005/3/23)
- 発売日 : 2005/3/23
- 言語 : 日本語
- 新書 : 184ページ
- ISBN-10 : 4894167778
- ISBN-13 : 978-4894167773
- 寸法 : 1.2 x 13 x 18.2 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 769,726位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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1950(昭和25)年東京都生まれ。東京大学文学部仏文科卒。現在、神戸女学院大学文学部総合文化学科教授。専門はフランス現代思想。ブログ「内田樹の研究室」を拠点に武道(合気道六段)、ユダヤ、教育、アメリカ、中国、メディアなど幅広いテーマを縦横無尽に論じて多くの読者を得ている。『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書)で第六回小林秀雄賞受賞、『日本辺境論』(新潮新書)で第三回新書大賞を受賞。二〇一〇年七月より大阪市特別顧問に就任。近著に『沈む日本を愛せますか?』(高橋源一郎との共著、ロッキング・オン)、『もういちど村上春樹にご用心』(アルテスパブリッシング)、『武道的思考』(筑摩選書)、『街場のマンガ論』(小学館)、『おせっかい教育論』(鷲田清一他との共著、140B)、『街場のメディア論』(光文社新書)、『若者よ、マルクスを読もう』(石川康宏との共著、かもがわ出版)などがある。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2010年8月31日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
私は浄土真宗とは何ぞや?と言うモチベーションで本書を購入
しましたが、その目的は達成されませんでした。
というのも、仏教にあまり詳しくない(?)内田氏と僧侶の釈氏
のメールのやり取りという体裁ですが、その内田氏の話が長い!
単に質問と言うのなら良いのですが、内田氏の考え・解釈がだらだらと
書かれていて浄土真宗の本と言うよりは半分以上は彼の人生哲学本と
言った要素が強いです。
釈氏の話は仏教関連の話で興味深く読めたので星二つ。
内田氏のファン以外にはお勧めできない気がしますね。
しましたが、その目的は達成されませんでした。
というのも、仏教にあまり詳しくない(?)内田氏と僧侶の釈氏
のメールのやり取りという体裁ですが、その内田氏の話が長い!
単に質問と言うのなら良いのですが、内田氏の考え・解釈がだらだらと
書かれていて浄土真宗の本と言うよりは半分以上は彼の人生哲学本と
言った要素が強いです。
釈氏の話は仏教関連の話で興味深く読めたので星二つ。
内田氏のファン以外にはお勧めできない気がしますね。
2009年10月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
自分の実家(父母とも)も、妻の実家(父母とも)浄土真宗でして、生まれたときからの教えですが、子供のころは、お寺さんのお勤めの後、お菓子や、ジュース目当てでお経を唱えてましたが、意味とか、教えとか、深く考えたことは一度もないし、親鸞聖人や、阿弥陀如来など、知る由もありませんでした。
今年の3月に、父と祖父が10日違いで他界し、葬儀のときにあげたお経を唱えたとき、子供のころ聞いてたことを思い出しました。いつも、お勤めの最後に、ご住職さんが、黒い箱を恭しく開けて中の本を読んでいたことを思い出しました。その読み方の独特の節回しがおもしろく、よく真似をしていましたが、それが蓮如の書いた「御文(五文章)」と知りました。中でも、「白骨の章」は子供心にも何となく意味はわかりましたが、40歳を半ば過ぎて改めて聞くと、涙がでてきました。「歎異抄」や「御文」の現代訳の本を買って読みましたが、スラスラ読めるのですが、その云わんとすることが理解できませんでした。そんな時出会った本です。言葉の意味、云わんとする考え方の根底にあるものが、何となくわかってきたような、錯覚がおきますが、また考えてしまうという、そういう本です。
今年の3月に、父と祖父が10日違いで他界し、葬儀のときにあげたお経を唱えたとき、子供のころ聞いてたことを思い出しました。いつも、お勤めの最後に、ご住職さんが、黒い箱を恭しく開けて中の本を読んでいたことを思い出しました。その読み方の独特の節回しがおもしろく、よく真似をしていましたが、それが蓮如の書いた「御文(五文章)」と知りました。中でも、「白骨の章」は子供心にも何となく意味はわかりましたが、40歳を半ば過ぎて改めて聞くと、涙がでてきました。「歎異抄」や「御文」の現代訳の本を買って読みましたが、スラスラ読めるのですが、その云わんとすることが理解できませんでした。そんな時出会った本です。言葉の意味、云わんとする考え方の根底にあるものが、何となくわかってきたような、錯覚がおきますが、また考えてしまうという、そういう本です。
2005年11月11日に日本でレビュー済み
フランス現代思想とユダヤ教の研究をしている(と思う)内田樹が、宗教学者(であり実際の本願寺派の寺の住職)とインターネットで対談した本。の上巻。
自分の知らない分野について、こんなかたちで本にしてしまうのは、何というか向こう見ずだと思う。
けど、書かれている対話の内容は生ぬるいようで、鋭い。「因果」「執着」についての議論が印象に残る。仏教は、因果ということを説くけど、これは原因があって、結果があるということではない。
<たとえば、親という存在が子を生み出す原因である、ということを考えてみて下さい。親は子の因でありながら、子という果が成立した瞬間に初めて親という概念が成立します。親という「因」と、子という「果」、概念の誕生は同時なんですね。>(釈さん)
なるほど。で、世の中には実際に何が因なのかよく分からないことがたくさんある。そういうときにぼくらは、何が因なのかを突き止めようとする。でも、よく分からない。分からないままでほっとけなくって(=「執着」があって)こじつけることもできるけど、結局は「無明=本質が分からないこと」の中に苦しむ。
ふむ。結局、じゃ、浄土真宗を始めとする仏教っていうのは、何も分からない、ということを教えているのか、ということになる。
その通りみたいだ。
<しかし、仏教の道は、こんな調子で展開していきます。[、、、] 『それじゃ、いつまでたってもすっきりしないじゃん」と思われますか?確かにそうかもしれません。中沢新一氏は、「仏教ほどカタルシスがない宗教はない」と語っています。『あれではない』、『これではない』という繰り返しで、なかなか『これだ!』ということにならないからです。>(釈さん)
カタルシスがないんだね。けど、そういう「分からない」ということに耐え抜く精神を鍛錬してきたからこそ、何千年も歴史を生き抜いてきたのだろう、と思う。世の中分からないことだらけだし。
自分の知らない分野について、こんなかたちで本にしてしまうのは、何というか向こう見ずだと思う。
けど、書かれている対話の内容は生ぬるいようで、鋭い。「因果」「執着」についての議論が印象に残る。仏教は、因果ということを説くけど、これは原因があって、結果があるということではない。
<たとえば、親という存在が子を生み出す原因である、ということを考えてみて下さい。親は子の因でありながら、子という果が成立した瞬間に初めて親という概念が成立します。親という「因」と、子という「果」、概念の誕生は同時なんですね。>(釈さん)
なるほど。で、世の中には実際に何が因なのかよく分からないことがたくさんある。そういうときにぼくらは、何が因なのかを突き止めようとする。でも、よく分からない。分からないままでほっとけなくって(=「執着」があって)こじつけることもできるけど、結局は「無明=本質が分からないこと」の中に苦しむ。
ふむ。結局、じゃ、浄土真宗を始めとする仏教っていうのは、何も分からない、ということを教えているのか、ということになる。
その通りみたいだ。
<しかし、仏教の道は、こんな調子で展開していきます。[、、、] 『それじゃ、いつまでたってもすっきりしないじゃん」と思われますか?確かにそうかもしれません。中沢新一氏は、「仏教ほどカタルシスがない宗教はない」と語っています。『あれではない』、『これではない』という繰り返しで、なかなか『これだ!』ということにならないからです。>(釈さん)
カタルシスがないんだね。けど、そういう「分からない」ということに耐え抜く精神を鍛錬してきたからこそ、何千年も歴史を生き抜いてきたのだろう、と思う。世の中分からないことだらけだし。
2005年4月10日に日本でレビュー済み
うーむ、読んでいて、二人のやり取りがとても楽しくてよい。
お二人がお互いのメールを読んで、ニヤついたり、困ったりしている状況が想像できてよい。
まるで、名人同士の将棋を見ているようで、どきどきしてよい。
でも自分なり宗教感を素直に問いかける内田 樹さんと、
それを否定するのではなく、それを楽しみつつ(るようにみえる)仏教(浄土真宗)思想を解説している釈 徹宗さんが
僧侶にありがちなように説教臭くなくて(こういう私も坊さんですが・・・)よい。
そしてやっぱ、仏教(浄土真宗)って解ったと思った瞬間、解らなくなるから苦しくて楽しい。
お二人がお互いのメールを読んで、ニヤついたり、困ったりしている状況が想像できてよい。
まるで、名人同士の将棋を見ているようで、どきどきしてよい。
でも自分なり宗教感を素直に問いかける内田 樹さんと、
それを否定するのではなく、それを楽しみつつ(るようにみえる)仏教(浄土真宗)思想を解説している釈 徹宗さんが
僧侶にありがちなように説教臭くなくて(こういう私も坊さんですが・・・)よい。
そしてやっぱ、仏教(浄土真宗)って解ったと思った瞬間、解らなくなるから苦しくて楽しい。
2006年3月15日に日本でレビュー済み
これはいわゆる「問答」だ。内田樹(弟子)が宗教について問い、釈徹宗(師)がそれに答えるメール往復書簡である。ところが、この2人のやり取り、内田の方が年長だし、明らかに一枚上手なのである。釈自身「この人のほうが私より真宗の僧侶に向いている!」と書いている。この、一般的に考えると「配役が逆」な師弟関係が、なんとも読んでいて面白いのである。内田はラカンの「師は、弟子が答えを見出す正にその時に答えを与える」という言葉に対して2つの解釈を提示する。1つは「答えを見出すのは弟子ひとりであり、弟子は自分が独力で見出した答えを、師のうちに事後的に読み込むのだ」という解釈。弟子=内田、釈=師と考えた場合、本書は一見、まさにそんな風に見える。もう1つは、「弟子が答えを見出すまさにその時に、師もまたその同じ答えを告げるために口を開く」という解釈で、内田はこの解釈を推す。読み進めるうちに、確かに本書の師弟関係も後者なんじゃないか、と思えてくるのだ。内田の、相手が若いからって、あるいは師だからって手加減しない誠実さ、それを正面から真剣に受けて精一杯返す、釈のすがすがしさ、大器の片鱗...
もちろん、中身も面白い。ラカン、レヴィナスといった西洋現代思想と東洋仏教思想の整合性ってアプローチで、門外漢にも仏教の輪郭がうっすらと見えてくる仕組みだ。上手な内田・現代思想を、釈・仏教思想がどう受けとめるか、って視点で読んでるうちに、判官びいき的に、仏教への親しみも沸いてくる。続編「はじめたばかりの浄土真宗」も是非読んでみたい。
もちろん、中身も面白い。ラカン、レヴィナスといった西洋現代思想と東洋仏教思想の整合性ってアプローチで、門外漢にも仏教の輪郭がうっすらと見えてくる仕組みだ。上手な内田・現代思想を、釈・仏教思想がどう受けとめるか、って視点で読んでるうちに、判官びいき的に、仏教への親しみも沸いてくる。続編「はじめたばかりの浄土真宗」も是非読んでみたい。
2007年4月20日に日本でレビュー済み
内田先生と実際の住職・釈先生の対談本。ほんものの「知性」とは「宗教性」に支えられてしか、ありえない。はぁ、これはどえらいことだ。合理性を武器に、宗教性を一枚一枚、時間をかけて削り取って、そこに現われたのが近現代世界ではなかったのか。それは「知性」をも同時に剥ぎ取って行く過程だったのか。言うことが並じゃない、内田先生は。
それにしても、自宅にお堂を建立し、そこに現役住職を呼び寄せて、宗教とは何かのお説法を聞くのかと思いきや、水を獲た魚のごとく宗教の本質を語り尽くす内田先生。お相手が釈先生だからだろう。楽しくて、楽しくて仕方がないのが手に取るように伝わってくる。釈先生も大変だったろう。おかげでとても刺激的な話が聴けました。ありがとうございます。
それにしても、自宅にお堂を建立し、そこに現役住職を呼び寄せて、宗教とは何かのお説法を聞くのかと思いきや、水を獲た魚のごとく宗教の本質を語り尽くす内田先生。お相手が釈先生だからだろう。楽しくて、楽しくて仕方がないのが手に取るように伝わってくる。釈先生も大変だったろう。おかげでとても刺激的な話が聴けました。ありがとうございます。
2005年4月14日に日本でレビュー済み
内田さんなら、仏教であえて語れば「親鸞」で来るだろうなあ、と直感的に思えるので、さあ、どう料理するんでしょう、と、わくわくしながら読んでみた。お二人の「趣味」からして、あたりまえではあるが、哲学的な話題が多く、「浄土真宗」以前に哲学的な思考のレッスンをうけていないと、苦しむことになりそうなので、本の趣旨にはかなっていないようだが、単純に、おもしろかった。
内田さんのお話に付された釈さんのコメントが、本書のポイントをついている…「おおっ、レヴィナスと武道と仏教がつながる瞬間です」…。そういう話題が中心なのだ。あと、途中で釈さんによる「宗教」と「仏教(主に日本)」についての、相当わかりやすい解説が入る。これだけでも、けっこう推薦できるぐらい、よくできている。
ちなみに、親鸞思想のひとつの柱である「悪」については、第二巻で対話がなされる。浄土真宗に特化したお話は、この巻ではあまりない。まずは仏教の基本的なところから、じっくりと、といった感じだろうか。
内田さんのお話に付された釈さんのコメントが、本書のポイントをついている…「おおっ、レヴィナスと武道と仏教がつながる瞬間です」…。そういう話題が中心なのだ。あと、途中で釈さんによる「宗教」と「仏教(主に日本)」についての、相当わかりやすい解説が入る。これだけでも、けっこう推薦できるぐらい、よくできている。
ちなみに、親鸞思想のひとつの柱である「悪」については、第二巻で対話がなされる。浄土真宗に特化したお話は、この巻ではあまりない。まずは仏教の基本的なところから、じっくりと、といった感じだろうか。