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幻滅 ― メディア戦記 上 (バルザック「人間喜劇」セレクション <第4巻>) 単行本 – 2000/9/1
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幻滅-メディア戦記 上
- 本の長さ480ページ
- 言語日本語
- 出版社藤原書店
- 発売日2000/9/1
- ISBN-104894341948
- ISBN-13978-4894341944
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登録情報
- 出版社 : 藤原書店 (2000/9/1)
- 発売日 : 2000/9/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 480ページ
- ISBN-10 : 4894341948
- ISBN-13 : 978-4894341944
- Amazon 売れ筋ランキング: - 88,388位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 135位フランス文学 (本)
- カスタマーレビュー:
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上位レビュー、対象国: 日本
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2020年5月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
『ゴリオ爺さん』からの連作。恐らくこれがバルザックの小説の中で最も面白い。リュシアンから他の社交界の奴らまで誰もがキャラが立っている。会話の内容も諷刺とアフォリズムに富んでいて目から鱗の極み。『ゴリオ爺さん』のラスティニャックもいいが、リュシアンの方が人物が詳らかに描写されていて好きだ。滑稽で痛ましいが愛らしいイケメンといったところか。それになんと言ってもヴォートランが出てくる。サブ主人公のダヴィッドのシーンはリュシアンに絡まないものは読み飛ばしてもいい。これの連作である『娼婦の栄光と悲惨』も面白いが、これには劣るので読まなくてもいい。
2015年9月3日に日本でレビュー済み
ページを繰るのももどかしく、プロットも巧みに息もつがせぬストーリー展開…
これぞ小説の面白さで、バルザックの『幻滅』(1843年刊)はその面白さをたっぷりとそなえています。
とにかく、どう言ったらいいのか、バルザックの繰りだす言葉にはものすごいエネルギーがあります。
だから、誠実なダヴィッド、清純なエーヴ、献身的なコラリー、高潔なダルテスといった「善」を代表する登場人物は、ディケンズの小説にも見られるような、とても現実にはいない極端に理想化された典型人物で、そのあたりどうしてもリアリズム以前のロマンチックな人物造型という印象がぬぐいきれないのですが、それでもそんなことは小説を読むうちに気にならなくなるぐらいに、小説家の奔流のようにあふれでてくる言葉の圧倒的な力によって読者はページからページへと翻弄されつづけます。
西欧語でpassion(パッション)には、「情熱・情念」の意と同時に「受苦・受難」の意もあります。
バルザックの小説の登場人物たちはある意味そのpassionの人であり、彼ら,彼女らをつきうごかす、抑えがたい「情熱・情念」とそこから生まれる行動は、同時に避けがたい「受苦・受難」の経験となります。つまりバルザックのペンによって生命のエネルギーを吹きこまれた登場人物たちは、まさにpassionをその二重の意味で苛烈に生きているといえます。
それにしても、日本人は、そのエートス(国民的集団心性)として、テレビドラマの「水戸黄門」にみられるような勧善懲悪を好むわけですが、バルザックの小説はしかし、なんと善は滅び、悪が栄えるという世界です。まあだから、私のような典型的日本人(笑)は、これでもか、これでもかと、「善」をそこまで徹底していじめなくても、と思ってしまいます。読んでいて、ちょっとつらくなります(涙)。
たとえば、実の息子である誠実きわまりないダヴィッドをその誠実さにつけこんで徹底的に食い物にするオヤジさん、よくもまあこんなことができるものだと唖然とするような非道の仕打ちを次々と息子にするわけで、そういう意味でこのオヤジさんも、小説のなかでは「悪」のほうに属するのかもしれません。
ただ、ほかの「悪」人たちとちがって、誇張的に描かれたその抜け目なさ、セコさが滑稽なまでに可笑しいので、私など、妙にこのオヤジさん、憎めません。というかこのキャラ、わりと好きです(唐突ですが、私が『ゲゲゲの鬼太郎』でいちばん好きなキャラがねずみ男だといえば、このへんのことをご理解いただけるでしょうか)。根っからの悪人というより、たんなる性格の悪さ(ひどい性格ですが)のように思えます。
『人間喜劇』にはときどきこういう人物が出てきます。もちろん、いっぽうには怖ろしく狡猾で、非情なまでに酷薄な小悪人、大悪党もいるわけですが。
あと、もうひとついえば、小説(下巻)の最後、例の怪しげな神父(この怪人物はバルザックの他の小説にもでてきて、かつ『人間喜劇』の最重要人物のひとりでもあります)が登場してくるところで、物語はちょっと伝奇小説っぽくなります。このあたりもまた、この小説がなおリアリズム以前の小説のしっぽをひきずっているところなわけですが、まあ逆に怪人の登場と相成って、今後の展開(続篇ともいうべき『娼婦の栄光と悲惨』)にむけて,リアリズムでは望めないわくわく感をもたせてくれます。
翻訳は、やや味のない日本語ながら、とても読みやすいものでした。
なお、上巻で「マチューランの悲劇」と出てきますが、「マチューラン」(原文の固有名をフランス語読みしているわけですが、フランス・バロック期の詩人にマチュラン・レニエという名の文学者がいるので、もしかするとそれと混同した?)は誤訳で、「マチューリン」としなければなりません。例の名高いゴシック・ロマンス『放浪者メルモス』の作者であり、そのマチューリンの悲劇『バートラム』(1816年)がそこで言及されています。ご存じのように、当時ゴシック・ロマンスは、イギリスをこえて、フランスばかりか広くヨーロッパで大いに読まれていたわけで、バルザック自身「神と和解したメルモス」という小説を書いています。
これぞ小説の面白さで、バルザックの『幻滅』(1843年刊)はその面白さをたっぷりとそなえています。
とにかく、どう言ったらいいのか、バルザックの繰りだす言葉にはものすごいエネルギーがあります。
だから、誠実なダヴィッド、清純なエーヴ、献身的なコラリー、高潔なダルテスといった「善」を代表する登場人物は、ディケンズの小説にも見られるような、とても現実にはいない極端に理想化された典型人物で、そのあたりどうしてもリアリズム以前のロマンチックな人物造型という印象がぬぐいきれないのですが、それでもそんなことは小説を読むうちに気にならなくなるぐらいに、小説家の奔流のようにあふれでてくる言葉の圧倒的な力によって読者はページからページへと翻弄されつづけます。
西欧語でpassion(パッション)には、「情熱・情念」の意と同時に「受苦・受難」の意もあります。
バルザックの小説の登場人物たちはある意味そのpassionの人であり、彼ら,彼女らをつきうごかす、抑えがたい「情熱・情念」とそこから生まれる行動は、同時に避けがたい「受苦・受難」の経験となります。つまりバルザックのペンによって生命のエネルギーを吹きこまれた登場人物たちは、まさにpassionをその二重の意味で苛烈に生きているといえます。
それにしても、日本人は、そのエートス(国民的集団心性)として、テレビドラマの「水戸黄門」にみられるような勧善懲悪を好むわけですが、バルザックの小説はしかし、なんと善は滅び、悪が栄えるという世界です。まあだから、私のような典型的日本人(笑)は、これでもか、これでもかと、「善」をそこまで徹底していじめなくても、と思ってしまいます。読んでいて、ちょっとつらくなります(涙)。
たとえば、実の息子である誠実きわまりないダヴィッドをその誠実さにつけこんで徹底的に食い物にするオヤジさん、よくもまあこんなことができるものだと唖然とするような非道の仕打ちを次々と息子にするわけで、そういう意味でこのオヤジさんも、小説のなかでは「悪」のほうに属するのかもしれません。
ただ、ほかの「悪」人たちとちがって、誇張的に描かれたその抜け目なさ、セコさが滑稽なまでに可笑しいので、私など、妙にこのオヤジさん、憎めません。というかこのキャラ、わりと好きです(唐突ですが、私が『ゲゲゲの鬼太郎』でいちばん好きなキャラがねずみ男だといえば、このへんのことをご理解いただけるでしょうか)。根っからの悪人というより、たんなる性格の悪さ(ひどい性格ですが)のように思えます。
『人間喜劇』にはときどきこういう人物が出てきます。もちろん、いっぽうには怖ろしく狡猾で、非情なまでに酷薄な小悪人、大悪党もいるわけですが。
あと、もうひとついえば、小説(下巻)の最後、例の怪しげな神父(この怪人物はバルザックの他の小説にもでてきて、かつ『人間喜劇』の最重要人物のひとりでもあります)が登場してくるところで、物語はちょっと伝奇小説っぽくなります。このあたりもまた、この小説がなおリアリズム以前の小説のしっぽをひきずっているところなわけですが、まあ逆に怪人の登場と相成って、今後の展開(続篇ともいうべき『娼婦の栄光と悲惨』)にむけて,リアリズムでは望めないわくわく感をもたせてくれます。
翻訳は、やや味のない日本語ながら、とても読みやすいものでした。
なお、上巻で「マチューランの悲劇」と出てきますが、「マチューラン」(原文の固有名をフランス語読みしているわけですが、フランス・バロック期の詩人にマチュラン・レニエという名の文学者がいるので、もしかするとそれと混同した?)は誤訳で、「マチューリン」としなければなりません。例の名高いゴシック・ロマンス『放浪者メルモス』の作者であり、そのマチューリンの悲劇『バートラム』(1816年)がそこで言及されています。ご存じのように、当時ゴシック・ロマンスは、イギリスをこえて、フランスばかりか広くヨーロッパで大いに読まれていたわけで、バルザック自身「神と和解したメルモス」という小説を書いています。
2005年11月25日に日本でレビュー済み
のっけから、濃い。実の息子に法外な値で古道具を売りつける商人の鑑・セシャール父で30頁もつ。そして、小説史上最も軽薄と思われる主人公の登場である。
主人公が俗物なら周囲も俗物。田舎の社交界は小さな俗物のショーケースだ。といっても、話を自分の土俵に引き込んで知識をひけらかすとか、自慢のノドを披露せずにはいられないなど、ともすれば自分もやっていることか。と、思ううち、青天の霹靂、怒涛の展開でパリへ。
ここから厳しい文学修業―。なんて、我らがケーハク君に耐えられるはずもなく、彼は我々にジャーナリストの天国と地獄を案内してくれることになる。作家自ら、劇評とゴシップ記事のお手本を示し、良書でも必要とあらば、クサす方法を懇切丁寧に教えてくれる。
雑学が面白いのはいつもながらだが、作家自身の体験に基づく今回は、鼻息がちがう。1〜3巻を読んできた方には、馴染みの店で常連客と会う楽しみもある。下巻のヤマ場の「おおっ!」という再会にも乞う、ご期待。
それでは、下巻に参りましょうか。
主人公が俗物なら周囲も俗物。田舎の社交界は小さな俗物のショーケースだ。といっても、話を自分の土俵に引き込んで知識をひけらかすとか、自慢のノドを披露せずにはいられないなど、ともすれば自分もやっていることか。と、思ううち、青天の霹靂、怒涛の展開でパリへ。
ここから厳しい文学修業―。なんて、我らがケーハク君に耐えられるはずもなく、彼は我々にジャーナリストの天国と地獄を案内してくれることになる。作家自ら、劇評とゴシップ記事のお手本を示し、良書でも必要とあらば、クサす方法を懇切丁寧に教えてくれる。
雑学が面白いのはいつもながらだが、作家自身の体験に基づく今回は、鼻息がちがう。1〜3巻を読んできた方には、馴染みの店で常連客と会う楽しみもある。下巻のヤマ場の「おおっ!」という再会にも乞う、ご期待。
それでは、下巻に参りましょうか。
2002年4月21日に日本でレビュー済み
出版社はひと山当てるために血眼になって新しい才能を探す。一方、ごまんといる小説家志望者は、なんとか自分の原稿を出版社に売り込もうとする。万が一、本が刊行され、奇蹟が起きてベストセラーになったあかつきには、名家の子女を妻にもらい、貴族の称号である「de」(ド)のついた名前に改名する。
そんな生々しい19世紀フランスの出版業界の話なのだが、まったく今と同じである。当時の出版業界は、いまでいうベンチャービジネスだったらしい。黎明期だから、いい意味でも、悪い意味でもエネルギッシュだったことが、行間からうかがうことができる。
主人公は詩人志望の美貌の若者、リュシアン。彼の学生時代の親友は、彼の妹と恋仲にあり、父親が開業した印刷会社をゆくゆくは継ぐことになっていた。主人公は、一旗上げようとパリに上京する。
一方、印刷屋の父親は息子が文学なんぞに傾倒しているのが気に喰わない。「商売に学問は邪魔だ」と言わんばかりに。これって、創業者と二代目の苦労知らずのボンボンという典型的な図式ではないだろうか。
主人公はその美貌で貴族の有閑マダムを虜にして、運良く本の出版に至る。しかし、彼の夢は破れ、失意のまま、故郷へ戻る。八方塞がりとなってしまって死を決意するも、土壇場で、結局、彼は救われる。か弱き美青年ゆえに次から次へとふりかかる災難を自ら振り払うこともなく、誰かの尽力で乗り越えていく。
それにしても、本作に出てくるのは俗物ばっかりだ。文壇、論壇、政党党派など一筋縄ではいかない連中が獲物の分け前を狙っている。ロクでもない奴、いるいるこんな奴、オンパレード。これには、恐れ入るしかない。
確かに、長いし、厚くて、重たい。でも、この長さは認める。いやあ、こんな面白い小説は、最近読んでなかった、ほんとに。小説が娯楽の王様だった時代を代表する作品である。
そんな生々しい19世紀フランスの出版業界の話なのだが、まったく今と同じである。当時の出版業界は、いまでいうベンチャービジネスだったらしい。黎明期だから、いい意味でも、悪い意味でもエネルギッシュだったことが、行間からうかがうことができる。
主人公は詩人志望の美貌の若者、リュシアン。彼の学生時代の親友は、彼の妹と恋仲にあり、父親が開業した印刷会社をゆくゆくは継ぐことになっていた。主人公は、一旗上げようとパリに上京する。
一方、印刷屋の父親は息子が文学なんぞに傾倒しているのが気に喰わない。「商売に学問は邪魔だ」と言わんばかりに。これって、創業者と二代目の苦労知らずのボンボンという典型的な図式ではないだろうか。
主人公はその美貌で貴族の有閑マダムを虜にして、運良く本の出版に至る。しかし、彼の夢は破れ、失意のまま、故郷へ戻る。八方塞がりとなってしまって死を決意するも、土壇場で、結局、彼は救われる。か弱き美青年ゆえに次から次へとふりかかる災難を自ら振り払うこともなく、誰かの尽力で乗り越えていく。
それにしても、本作に出てくるのは俗物ばっかりだ。文壇、論壇、政党党派など一筋縄ではいかない連中が獲物の分け前を狙っている。ロクでもない奴、いるいるこんな奴、オンパレード。これには、恐れ入るしかない。
確かに、長いし、厚くて、重たい。でも、この長さは認める。いやあ、こんな面白い小説は、最近読んでなかった、ほんとに。小説が娯楽の王様だった時代を代表する作品である。
2016年12月6日に日本でレビュー済み
誤植は多いし、注釈は少ない。古書で生島遼一訳のバルザック全集11・12または世界文学全集第一集4・5を求めるべし。
そのほうが割注豊富で読みやすく分かりよい。さらに価格的にもお得。
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