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マルクスの亡霊たち―負債状況=国家、喪の作業、新しいインターナショナル 単行本 – 2007/9/25
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- 本の長さ438ページ
- 言語日本語
- 出版社藤原書店
- 発売日2007/9/25
- ISBN-104894345897
- ISBN-13978-4894345898
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商品の説明
出版社からのコメント
いかにわれわれはマルクスの遺産を相続しうるのか? 待望の完訳!
登録情報
- 出版社 : 藤原書店 (2007/9/25)
- 発売日 : 2007/9/25
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 438ページ
- ISBN-10 : 4894345897
- ISBN-13 : 978-4894345898
- Amazon 売れ筋ランキング: - 118,524位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 94位フランス・オランダの思想
- - 237位西洋哲学入門
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2012年4月7日に日本でレビュー済み
延々と続くフクヤマ批判は凡庸な感じだった。亡霊=フクヤマなのか。
2007年10月1日に日本でレビュー済み
結論から言えば、デリダは亡霊というよりも恐怖や不安や怒りという情状性(ハイデガー)を導入することで、単なる表象批判ではなく、人間性(統整的理念としてのそれ)をマルクス主義に導入したのだと思う。それはグローバリゼーション及び踏み絵を迫るようなマルクス主義的言説空間の両方を批判するものだ。
全5章のうち、1はシェークスピアをモチーフにブランショに言及し、2はフクヤマを批判し、3は社会問題を列挙し、4は『ブリュメール18日』を扱ったうえでシュティルナーを批判し、5は『ドイツイデオロギー』や『資本論』(=価値形態に関して使用価値以前に物神化があったと指摘している)を扱いハイデガーの存在論に言及している。
デリダは経済学、というよりマルクス経済学を重視していないので、より文学的な政治−経済学的批判になっている。
それは最終的に政治−経済的というよりもユダヤ的なもの(メシアニズムなきメシア的なもの)の擁護になっている。
ただし、4の冒頭で(ここと2の最後の数ページが一番わかりやすいし重要だ)ユゴーの1848年への記述について触れたのにプルードン(明らかにマルクスはプルードンにコンプレックスを持っている)について言及しないのはフェアでないと思うし、今日ではシュティルナーの持つ個人主義をマルクスによる唯物論とその裏返しの亡霊論?の追認(精神/亡霊という分節化において複数の精神をデリダは擁護する)によって揚棄することはできないと思う。
横断的なデリダの思考は刺激的だが、それはプルードンが唱えたような社会革命が政治革命に対抗して待たなければならない実践における横断性を暗示するにとどまっている。
とはいえ、第三期のポストモダン批判以降、つまり冷戦終結以降(柄谷行人が指摘したように知識人が批判的ポジションに安住できなくなった時期である。ちなみに柄谷の『歴史と反復』におけるマルクスとハイデガーを援用した表象批判の方がデリダと同じ主題を扱いつつもより明解である)のこのデリダが一番重要であるのは変わらない、と思う。
少し高価だが待望の翻訳である。
全5章のうち、1はシェークスピアをモチーフにブランショに言及し、2はフクヤマを批判し、3は社会問題を列挙し、4は『ブリュメール18日』を扱ったうえでシュティルナーを批判し、5は『ドイツイデオロギー』や『資本論』(=価値形態に関して使用価値以前に物神化があったと指摘している)を扱いハイデガーの存在論に言及している。
デリダは経済学、というよりマルクス経済学を重視していないので、より文学的な政治−経済学的批判になっている。
それは最終的に政治−経済的というよりもユダヤ的なもの(メシアニズムなきメシア的なもの)の擁護になっている。
ただし、4の冒頭で(ここと2の最後の数ページが一番わかりやすいし重要だ)ユゴーの1848年への記述について触れたのにプルードン(明らかにマルクスはプルードンにコンプレックスを持っている)について言及しないのはフェアでないと思うし、今日ではシュティルナーの持つ個人主義をマルクスによる唯物論とその裏返しの亡霊論?の追認(精神/亡霊という分節化において複数の精神をデリダは擁護する)によって揚棄することはできないと思う。
横断的なデリダの思考は刺激的だが、それはプルードンが唱えたような社会革命が政治革命に対抗して待たなければならない実践における横断性を暗示するにとどまっている。
とはいえ、第三期のポストモダン批判以降、つまり冷戦終結以降(柄谷行人が指摘したように知識人が批判的ポジションに安住できなくなった時期である。ちなみに柄谷の『歴史と反復』におけるマルクスとハイデガーを援用した表象批判の方がデリダと同じ主題を扱いつつもより明解である)のこのデリダが一番重要であるのは変わらない、と思う。
少し高価だが待望の翻訳である。