２０世紀を代表する碩学であり、「アナール派」の指導者として歴史学の風景を一変させたブローデルが亡くなってから早くも四半世紀になる。そのブローデルの代表作といえばもちろん『地中海』であろうが、本書はいわばその秘められた姉妹版である。ブローデルにとって「地中海」とはまさに「全生涯を捧げてきた」「偏愛の」対象であり、その地中海の「記憶」の古層に横たわる文明の姿を、ブローデルは自在の語り口で蘇らせてくれる。
内容が内容なので読者をある程度選ぶことはもちろんだが、古代のギリシャ諸都市をルネサンス時代のイタリア諸都市との比喩で語るなど、これはもう類いまれなる学識と文学的感性を同時に恵まれたブローデルにして初めて到達できる境地なのかもしれない。「科学」を目指して「文学」から離脱した「歴史」が、ブローデルという奇跡のような存在を介して再び「文学」と融合するさまを目の当たりにすることができたわれわれは、実に幸福だと思う。それにしても今になってこのような書物を読むことが出来るとは思いもよらなかった。
人名・地名・民族名などの索引が充実しており、学術書としての利便性は非常に高い。また巻末に地図集が付けられているがこれは貴重だ。訳者の後書きはブローデルをいわば「文体論」の観点から説き明かすもので、たいへん参考になった。この訳者は（私の読む限りでは）非常に仕事が丹念で、しかも文体が生き生きしていて読みやすい。困難な訳業を仕上げられたことに敬意を表したい。
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