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「バロン・サツマ」と呼ばれた男―薩摩治郎八とその時代 単行本 – 2009/2/18
村上 紀史郎
(著)
プロモーション情報 注文確定時に5%割引 買い物をする
富豪の御曹司として600億円を蕩尽し、20世紀前半の欧州社交界を風靡した快男児、薩摩治郎八。膨大な資料と取材を元に、虚実ない交ぜの「自伝」を徹底検証し、ジョイス、ヘミングウェイ、藤田嗣治ら、めくるめく日欧文化人群像の内に日仏交流のキーパーソン〈バロン・サツマ〉を活き活きと甦らせた画期的労作。
- 本の長さ401ページ
- 言語日本語
- 出版社藤原書店
- 発売日2009/2/18
- ISBN-104894346729
- ISBN-13978-4894346727
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登録情報
- 出版社 : 藤原書店 (2009/2/18)
- 発売日 : 2009/2/18
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 401ページ
- ISBN-10 : 4894346729
- ISBN-13 : 978-4894346727
- Amazon 売れ筋ランキング: - 498,281位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 71,066位ノンフィクション (本)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2020年9月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
つくづく思うのだが、この「バロン・サツマ」のスケールを持つ日本人はいなくなってしまった。ほんとうの国際人は戦前にしかいなかった、ということなのか。
2009年8月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
薩摩治郎八について、ひととおりのことは知れわたっていると思う。本書はその「ひととおり」のことをさらに詳しく検証し、誤りを正し、解明できることは(おそらく)ほとんど解明している。大変な力作だ。
治郎八についてはもちろんのこと、20世紀初頭のパリの日本人について、よく知ることができる。
ただ、私としては自転車競技と治郎八に関する記述が少ないのは残念だった。ツール・ド・フランスを日本に「初めて本格的に紹介」し、日仏交歓自転車競争を企画した治郎八に関する事柄が、私の持っている加藤一著『風に描く』を超えていない。
もっとも、これは治郎八自身が書き残していないせいなのだが。
治郎八についてはもちろんのこと、20世紀初頭のパリの日本人について、よく知ることができる。
ただ、私としては自転車競技と治郎八に関する記述が少ないのは残念だった。ツール・ド・フランスを日本に「初めて本格的に紹介」し、日仏交歓自転車競争を企画した治郎八に関する事柄が、私の持っている加藤一著『風に描く』を超えていない。
もっとも、これは治郎八自身が書き残していないせいなのだが。
2011年6月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
他の方も指摘されているが、素材が面白いながらも掘り下げが浅いと感じた。幾分トリビアに流れてしまっている感がある。同じトリビアでも例えば山口昌男の「内田魯庵山脈」のような化物のような本と比較すると見劣りする。勿論トリビアで山口昌男と比べられても勝負出来る方も少ないと思うが。
僕が著者に掘り下げてほしかった点は二点だ。
一点目。
なぜ薩摩がかような巨大な浪費を行ったのかという点だ。金持ちのボンボンだったからだというような簡単な見方は著者もしていない。薩摩だけの話ならともかく、同時代にも同様のガルガンチュアのような日本人がいたことを著者もしっかり紹介している。
巨額の私財を「贅沢好き」だけで使いきれるものではないと思う。そこに、時代の精神が必ずあるはずである。
著者が描き出す外務省を中心とする日本の官僚組織は薩摩を利用したと描かれている。真偽の程は僕には分からないが、いくばくかの真実味を感じる。では薩摩は自分が利用されているということに気が付かないほどお人よしだったのか。薩摩ほどの教養人(かどうかは議論の余地はあろうが)が、それを知らなかったとも思えない。それを分かっていながら、私財を突っ込ませる何かがあったと考える方が「考える訓練」になると思う。二次大戦前のパリという場所で日本人がどのような立ち位置だったのかをより分析することで何かが見えてくるのではないかと僕は思う。そこが本書にいま一つ書きこまれていないのではないだろうか。
二点目。
何故パリだったのか。本書はパリを主舞台としているが、例えばニューヨークやベルリン、モスクワで同時並行的に同じような事が行われていたのだろうか。
これも僕は知見がないが、有ったとしても、おそらくパリ程ではなかったはずだ。では繰り返すが何故パリだったのだろうか。
芸術というものが戦前の世界においてどのような存在だったのかを再検証することで見えてくるものがあるのではないかという予感が有る。21世紀の現在と1920年〜1930年代の芸術とはおそらく「存在の仕方」が違っているのではないか。
本書で描かれる芸術家たちは「孤高に耐える超人」ではない。「群れてどんちゃんさわぎしている酔人」だ。薩摩のパリでのとほうもない浪費の中には常に芸術家が傍らに立っている。では何故そこに芸術家が必要だったのかということだ。直感的に言うと、芸術が非常に政治的に重要な時代がそこにあったのではないかということだ。これも完全に僕が本書を読みながら考えた思いつきであるが、そういう思いつきを得られる読書は僕にとっては非常に刺激的だ。その部分も著者がもう少し深堀してくれていたらと思う次第である。
それにしても、昔の人には凄い人がいたものだ。読んでいて爽快感を覚える浪費である。
僕が著者に掘り下げてほしかった点は二点だ。
一点目。
なぜ薩摩がかような巨大な浪費を行ったのかという点だ。金持ちのボンボンだったからだというような簡単な見方は著者もしていない。薩摩だけの話ならともかく、同時代にも同様のガルガンチュアのような日本人がいたことを著者もしっかり紹介している。
巨額の私財を「贅沢好き」だけで使いきれるものではないと思う。そこに、時代の精神が必ずあるはずである。
著者が描き出す外務省を中心とする日本の官僚組織は薩摩を利用したと描かれている。真偽の程は僕には分からないが、いくばくかの真実味を感じる。では薩摩は自分が利用されているということに気が付かないほどお人よしだったのか。薩摩ほどの教養人(かどうかは議論の余地はあろうが)が、それを知らなかったとも思えない。それを分かっていながら、私財を突っ込ませる何かがあったと考える方が「考える訓練」になると思う。二次大戦前のパリという場所で日本人がどのような立ち位置だったのかをより分析することで何かが見えてくるのではないかと僕は思う。そこが本書にいま一つ書きこまれていないのではないだろうか。
二点目。
何故パリだったのか。本書はパリを主舞台としているが、例えばニューヨークやベルリン、モスクワで同時並行的に同じような事が行われていたのだろうか。
これも僕は知見がないが、有ったとしても、おそらくパリ程ではなかったはずだ。では繰り返すが何故パリだったのだろうか。
芸術というものが戦前の世界においてどのような存在だったのかを再検証することで見えてくるものがあるのではないかという予感が有る。21世紀の現在と1920年〜1930年代の芸術とはおそらく「存在の仕方」が違っているのではないか。
本書で描かれる芸術家たちは「孤高に耐える超人」ではない。「群れてどんちゃんさわぎしている酔人」だ。薩摩のパリでのとほうもない浪費の中には常に芸術家が傍らに立っている。では何故そこに芸術家が必要だったのかということだ。直感的に言うと、芸術が非常に政治的に重要な時代がそこにあったのではないかということだ。これも完全に僕が本書を読みながら考えた思いつきであるが、そういう思いつきを得られる読書は僕にとっては非常に刺激的だ。その部分も著者がもう少し深堀してくれていたらと思う次第である。
それにしても、昔の人には凄い人がいたものだ。読んでいて爽快感を覚える浪費である。
2015年10月7日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
注文して直ぐ来たので、びっくりしました。包装も丁寧で、本の状態もそれなりによかったです。ありがとうございました。
2009年6月24日に日本でレビュー済み
薩摩治郎八というおいしい素材がありながら、どうも煮えきらない感じがしてならない。
彼がどのように育ったのか、記述がないわけではないがさらりと流しすぎている。
ヨーロッパで散財して芸術家のパトロンになった。でもそのあとへの影響が今一つ。
その当時の日本の社会背景とのギャップなどがあればもっと楽しめたのに。
単なる伝記?にしては、せっかくの素材が活かされていない。残念である。
彼がどのように育ったのか、記述がないわけではないがさらりと流しすぎている。
ヨーロッパで散財して芸術家のパトロンになった。でもそのあとへの影響が今一つ。
その当時の日本の社会背景とのギャップなどがあればもっと楽しめたのに。
単なる伝記?にしては、せっかくの素材が活かされていない。残念である。
2009年5月14日に日本でレビュー済み
バロン・サツマの活躍は我々凡人には想像を絶するものがあります。単に好事家として見てしまうと明らかに誤りであることをこの本は気づかせてくれます。
美術、音楽、文学などなど極めて広範囲な分野で その才能の開花を待つ新進気鋭の芸術家との交流を見るとき バロン・サツマの芸術に対する端倪すべからざるセンスの切れを感ぜざるを得ません。 これは ともすれば我々が学歴という物差しで計ってしまう「教養」ではない 本当の「教養」とは何かをバロン・サツマが示しているということでありましょう。
フランスが 彼にレジョン・ドヌール勲章を与えたことは かの国がいかに文化、、芸術を高く評価し 「教養」を重視しているかの証左といえましょう。
このような「教養人」が かつて日本人にいたことを知らしめたこの本は 貴重でもありますし また このような日本人が出てきて欲しいものと思わせるものでもあります。
美術、音楽、文学などなど極めて広範囲な分野で その才能の開花を待つ新進気鋭の芸術家との交流を見るとき バロン・サツマの芸術に対する端倪すべからざるセンスの切れを感ぜざるを得ません。 これは ともすれば我々が学歴という物差しで計ってしまう「教養」ではない 本当の「教養」とは何かをバロン・サツマが示しているということでありましょう。
フランスが 彼にレジョン・ドヌール勲章を与えたことは かの国がいかに文化、、芸術を高く評価し 「教養」を重視しているかの証左といえましょう。
このような「教養人」が かつて日本人にいたことを知らしめたこの本は 貴重でもありますし また このような日本人が出てきて欲しいものと思わせるものでもあります。
2009年11月28日に日本でレビュー済み
薩摩次郎八のことを詳しく知ったのは、獅子文六の「但馬太郎治伝」を読んでからです。
さすが文六先生晩年の名作、自分と次郎八の奇妙な因縁を軸に、同時代のパリに暮らしながら自分の貧乏ぶりとなんでこんなに違うんだ「コンチクショウ」と言いつつ、次郎八本人と徳島で面会するクライマックスまで、何度読んでも読み飽きません。
「但馬太郎治」は小説ですから、評伝である本書と比べるほうがおかしいのですが、次郎八の波乱万丈の生涯を読んで血沸き肉躍るべきところ、本書ではそうはなりません。
勿論、次郎八の先祖やひとつひとつの事跡など、本書で初めて知ったことは多々ありますし、評伝ですから沈着冷静であるべきなんでしょうが、沈着冷静な評伝を読んでも血沸き肉躍るところが薩摩次郎八の生涯だと思いますから、その点が大いに残念。
さすが文六先生晩年の名作、自分と次郎八の奇妙な因縁を軸に、同時代のパリに暮らしながら自分の貧乏ぶりとなんでこんなに違うんだ「コンチクショウ」と言いつつ、次郎八本人と徳島で面会するクライマックスまで、何度読んでも読み飽きません。
「但馬太郎治」は小説ですから、評伝である本書と比べるほうがおかしいのですが、次郎八の波乱万丈の生涯を読んで血沸き肉躍るべきところ、本書ではそうはなりません。
勿論、次郎八の先祖やひとつひとつの事跡など、本書で初めて知ったことは多々ありますし、評伝ですから沈着冷静であるべきなんでしょうが、沈着冷静な評伝を読んでも血沸き肉躍るところが薩摩次郎八の生涯だと思いますから、その点が大いに残念。
2009年5月19日に日本でレビュー済み
こんな日本人がいたのかと驚きました。一東洋人が、大正時代のパリでこんな華々しいことをと感嘆する一方、きっとパリの芸術家たちもそうであったように、バロン・サツマの人間としての魅力に惹かれました。人間を、芸術を、フランスを、日本を、人生を愛した治郎八。治郎八が私財でパリに日本館を設立することで、多くの留学生たちが様々な分野の人と交流し見聞を広め、その後の日本での活躍につながったことは、近代の日本文化の礎を築いたともいえますね。一代で財をなす祖父の時代から、華やかなパリの時代、無一文になった晩年へ・・自伝を裏付ける記録としても、人名と数字に、真実に迫る著者の情熱が込められているようです。それにしても著名となる人々が皆パリを目指した時代の熱気と…人間同志の交流に化学反応のような不思議さが…