本書は、戦後の予防接種制度の歴史を描き出すことによって、不確実性を有するリスクを伴う政策決定の変容をとらえるもので、とても勉強になる一冊でした。
戦後直後の物量作戦による予防接種体制の確立から、1960年代初めの最大動員ともいうべき接種率向上のための手法の洗練などの制度の成熟の場面では、やはりポリオ生ワクチン問題の際のNHKによる問題の見える化・争点化の役割の大きさと、1957年のアジアかぜの経験によりインフルエンザワクチンを求めるニーズが高まり、それに応えるための制度のメニューの拡充や手法の充実が果たされたことは、大きな意味があったと思います。副作用が発生していても制度上のリスクとしては認識されず、積極的な手法によるメリットが大きいと考えられていた時代の最大動員システムともいうべきものかもしれません。
一方で、1960年代後半以降、副作用の問題が被害者の異議申し立てが報道され問題としてはっきりと顕在化してきたことと、その副作用の責任の所在が問題化してくるなどの動きが出てきます。これに対し、国は、国が責任を負うことを明確にすることと、無過失責任救済制度を創設することにより、予防接種制度を維持することで対応しました。この段階では、副作用リスクの問題をその対応で受け止めることができると考えられたのかもしれません。
そして、1980年代から1990年代には、インフルエンザの集団接種の科学的根拠論争をめぐって、保護者の同意方式という手法が出てきて、予防接種体制に明らかな変容が生じ始めます。同意方式により、副作用リスクについて結果的に行政の責任を軽減する効果があったものの、予防接種率の急減という結果を伴うものでした。さらに、同意方式を発展(?)させたMMRワクチンでの希望方式の接種という手法で、国としては推進もしなければ中止もしないという決定回避ができるようになったことは、活動量の最小化によるリスク回避という回路を開いたものと考えられ、予防接種行政の大きな岐路になったものと思います。
そして、1992年の予防接種禍訴訟の東京高裁判決は、こうした状況を総仕上げする役割を果たし、国の副作用回避の責任を肯定し、予防接種の被害を避ける措置を尽くさなかったことを強く糾弾するものになりました。この判決には国は上告断念し、判決に示された考え方を受け止めて、予防接種法を改正することを表明しました。これにより、1994年の予防接種法改正で、個別接種・勧奨接種体制への移行が図られました。科学の知見ではどっちとも示せないものを変えるには、司法判断による社会問題化・課題解決が果たす役割が大きいということが、この時代にも先駆的にあったことはとても興味深いものがあります。
ただ、副作用を避ける義務を国に課すことにより、それに対して国は個別接種化・勧奨接種化によって行政の責任の範囲を縮小するという対応をとることになりました。保護者の同意という形が最終的な決定となり、国はあくまでも適切に保護者が判断できるようにするための条件整備を行う立場にあるという面に退いたということになります。その結果として、小中学生などそれまで集団接種を行っていた者の接種率の低下と、接種率の地域差が出てくるという状況もあります。
行政や医師が負うリスクが大きくなると、行動範囲を減らすことによってそのリスクを減らすという帰結になってしまう面があることは否定できないものと思います。最小動員化による活動量の低下によって、活動量が低下したことによりリスクも低くなるという構造です。ただ、これは何もしなければリスクはないと言っているのと紙一重な部分があり、本当に根本的な問題の解決なのかは、やはり疑問なしとしない部分です。予防接種の副作用の面に最適対応すれば、予防接種の果たす積極面を抑えることとなり、結果的には感染症の予防や重症化防止ということが後景に退いていく面があります。日本の予防接種制度が置かれている状況を歴史から描き出そうとすると、被害の反省という点からは全くその通りなのですが、不確実性を持ったリスクを扱っていく仕組みとしては隘路に陥っている部分があるのかもしれません。
感染症対策は予防接種一本槍で行うものではありませんが、それでもやはり重要な一翼を担っており、リスクの考え方については他の解決策がないものか、各方面で議論がなされるべきものかと思います。また、科学的な知見が必要なものの扱い方は、必ずしも科学だけでは決まらないということも本書の重要な知見だと思います。
制度を知るには歴史をひもとくのが有効ということが、予防接種制度についても、本書は鮮やかにそれを示しています。感染症対策が多くの人の関心を集める今こそ、歴史に立ち返って対策を考えることが、視野を相対化することになるのかもしれません。
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戦後行政の構造とディレンマ―予防接種行政の変遷 単行本 – 2010/2/19
手塚 洋輔
(著)
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「行政の萎縮」という逆説はなぜ生じるのか?
保護者、医療関係者、行政関係者、メディア関係者、必読!
占領期に由来する強力な予防接種行政はなぜ「国民任せ」というほど弱体化したのか? 安易な行政理解に基づく「小さな政府」論、「行政改革」論は「行政の責任分担の縮小」という逆説をもたらしかねない。現代の官僚制を捉える最重要の視角。
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- 本の長さ302ページ
- 言語日本語
- 出版社藤原書店
- 発売日2010/2/19
- 寸法13.7 x 2.7 x 19.5 cm
- ISBN-104894347318
- ISBN-13978-4894347311
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2014年2月10日に日本でレビュー済み
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日本が戦前・戦後どうやってワクチンを導入し、管理してきたか。予防接種法に着目して行政的な視点からまとめた名著。そこから現代に続く問題点を見事にあぶり出しているといえる。ワクチンに関わる全ての人が読むべき必読書とも言える。
2011年9月29日に日本でレビュー済み
戦後の予防接種行政の中から行政が向き合うジレンマの話を考える
何かをして結果として失敗して被害を出した「作為過誤」と
何かをしなくて被害を防げなかった「不作為過誤」に分けて
じゃあ予防接種ってどうなのよと考えていく
予防接種GHQの指導の下、ある種軍政的な側面で始まった
そして厚生省が主導権をとる形に移行して
どんどん予防接種しようずwww、となってしまくったが
やがてはB型肝炎のような接種現場での事故や
回避できたはずの副作用の問題が顕在化してくる
で、今度は現場や行政のほうがだんだんと腰が引けていて
強制とは名ばかりのザルな接種率になったり
あるいはヒブワクチンみたいに有効なのにやらない、というところに
また国が強制してやるというよりも親に「ご理解とご協力」をたのむ感じになった
たぶん、こういう構造ってどの分野でもあるんだろうな
おいらが思うに、人に恨まれるのも「公」の役割なのだ、と
「社会防衛のためにあなたのお子さんはワクチンの副作用で死にました
国としては社会全体のことを考えて強制したので、恨むなら恨んでください」
「副作用の問題で責任を取りたくないので、接種は自己責任です
接種せずに感染するのも、接種して副作用になるのも親の責任です。シラネ」
どっちが健全で税金を払うにふさわしい「公」なのであろうか
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