「岡田英弘著作集」第一巻が刊行された。これは、岡田英弘の説く世界に驚嘆し、啓発され続けてきた読者への最大の贈り物である。宮脇淳子氏、藤原書店、編集子にまずは感謝し、今後、二年間に渡って刊行される岡田の論考を愉しみたい。
「第一部 歴史とは何か、民族とは何か」所収の五本の論考は、1990年代に「知的レベルは高いが、学者ではない」企業人たちの「朝食勉強会」で行った講演の記録である。岡田の語り口は、明快でありながら、事象の本質を天の一角から見下ろして裁断する風がある。モンゴルとの連想で言えば、アルタイ山脈から眺める月が、逆に私たちを見下ろし、時空を超えて、この地上に生きた人間たちの真実を「岡田英弘」という肉体を通して語っているような風情である。
二十世紀「後半」を代表する歴史家を一人選べと言われたらどうだろう。人は、フェルナン・ブローデルを挙げるかも知れない。しかし、私には、検証されたとは思えない煩雑な引用が気になる。エリック・ホブズボームは、マルクス主義の巨大な尻尾をつけたまま「20世紀の歴史」を書いた。この本がブキャナンの「不必要だった二つの大戦」より優れているとは到底思えない。「栞」の中でチベット学の権威、山口瑞鳳は、フランスで師事したスタンの教えとして「丹念に資料を読み、書き留められている本音を掴めば、沢山の駄文を綴り、無用な注記で人の眼を欺く徒労は不要になる」ことを紹介し、「岡田英弘の世界」の本質が、まさしくこのことであると評価している。「康煕帝の手紙」に見るように資料を丹念に読み、無駄を切り捨てて、物事の本質を語り続ける岡田が、20世紀「後半」、「世界の最も優れた歴史家の一人」であることを、誰も疑えないだろう。
この著作集を手に取る方は、既に、岡田史観にある程度なじんだ方々であろうと思われる。そこで、概略的な紹介は必要ないと考えられるので、読み進むなかで思いついたことの一、二を記したい。
「歴史教科書から『従軍慰安婦』問題が消えない背景」 P22‾
「ソビエト崩壊」「現代東欧世界の崩壊」が、マルクス主義にどっぷりつかった大学人に与えた影響は、とてつもなく大きい。岡田は言う。
「(ソビエトが崩壊した)1991年まで、日本のいわゆるインテリ(が夢見ていた)未来の世界とは、ロシア語が公用語になり、政党は共産党だけになり、そのなかで、自分たちインテリが人民の権力に奉仕する存在として特権階級になる社会である。未来は社会主義になるということを信じていたのである」
恐らく、現代の学生や大学院生の世代には、理解できない感覚だろう。しかし、1970‾1980年代の大学や学会でかわされる大学人たちの私的会話はこういった前提で話されていることが多かったのである。「紀要」「学会誌」、そして何より、岩波書店発行の「世界」のバックナンバーに当たれば、岡田の指摘が大げさでも何でもなく、そういう世界だったことがよく理解できるだろう。雑誌「世界」の一角に囲み記事で存在する「緊急アピール」は発起人たちのアリバイ作り以外の何ものでもない。彼らは、革命が成就したときのために「保険」をかけていたのである。
ソビエトが崩壊した後、彼らが選んだことは「徹底して日本と日本人を貶めること」である。「従軍慰安婦」「セックススレーブ」・・・そもそも存在しなかったものが、これほどの国際問題化する背景には、こういった大学人と市民運動家、中学時代から進歩しない歴史観を頑なに守るマスメディアと「リベラル」を気取りたい政治家の迎合がある。
さて、これに対して、西尾幹二、藤岡信勝らの「新しい教科書を作る会」の動きがあった。岡田は、それは、しかし、「根本的な解決にはならない」という。
藤岡が主導した「自由主義史観」という運動体が今もあるのか、知らない。「司馬史観」という曖昧な歴史観が一人歩きした印象が記憶にある。しかし、藤岡がやろうとしたことは、そう間違ってはいなかった。少なくとも、教育の現場に穴を開けていくためには、猪突猛進型のエネルギーは必要であり、共産党の運動理論と実際を熟知した藤岡ならではの組織運営の知恵も戦略も感じられた。
岡田は、しかし、「相手が設定した土俵に上がって論争し、史的唯物論の階級闘争史観と四つに組んで戦うというのは、私には無駄な努力と思われる。そんなことをせず、相手の土俵をそっくりそのまま粉砕し、放り出してしまえばいいのである」と書く。
この議論は、岡田が思い描く「岡田史観」「岡田世界史像」のイントロダクションである。この後、展開される岡田の歴史的世界についてどう評価するかは、読者の個別的課題であろう。しかし、無用のものになったはずの「史的唯物論」は、未だに多くの人々の無意識や文章の端々に残り続けている。この状態にある限り、日本人の歴史意識は解放されることがない。岡田の論考の一つ一つを、自分自身の頭で咀嚼し、そしてそれを的確に表現する自分自身の言葉を発見していかなければならないだろう。
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歴史とは何か (第1巻) (岡田英弘著作集(全8巻)) 単行本 – 2013/6/23
岡田 英弘
(著)
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アカデミズムの壁を打ち破り、各国史をのり超え、
前人未踏の「世界史」の地平を切り拓いた歴史家の集大成! 発刊!
文明には「歴史のある文明」と「歴史のない文明」がある、時代区分は「古代」「現代」の二つでよい、
歴史観の全く相容れない「地中海文明」と「シナ文明」、国家・民族は19 世紀以前にはない――
根源的で骨太な、“岡田史学"における歴史哲学の集大成。
〈推薦〉
T・エルベグドルジ(モンゴル大統領)
M・エリオット(ハーヴァード大学教授清朝史・内陸アジア史)
B・ケルナー=ハインケレ(ベルリン自由大学名誉教授 トルコ学)
川勝平太(経済史家)
----------
はじめに
第I部 歴史とは何か、民族とは何か
歴史とは何か
民族とは何か
キリスト教とは何か
歴史のある文明と歴史のない文明
世界史から見た現代東アジア
第II部 歴史の定義と国民国家
あらためて歴史を定義する
シナ文明における歴史
「民族幻想」の起源――国民国家は解消しうるか
中国に日本型国民国家は有効か
歴史は国民文化の所産である
第III部 歴史観の葛藤
「歴史を持たない文明」同士の衝突
――「反省しない」イスラムと、「負けを考えない」アメリカ――
「西欧vs非西欧」の歴史観の源流
世界史は成立するか
第IV部 発言集
歴史の捉え方
口頭伝承は歴史たりうるか
国民国家・国史
モンゴル帝国とその後
アラブとユダヤ
世界史断章
第V部 わが足跡
私の学者人生
ボンの二年間 1963年10月-1965年7月
ワシントン大学キャンパス日記 1970年5月1日-7日
おわりに
初出一覧
人名索引/事項索引
前人未踏の「世界史」の地平を切り拓いた歴史家の集大成! 発刊!
文明には「歴史のある文明」と「歴史のない文明」がある、時代区分は「古代」「現代」の二つでよい、
歴史観の全く相容れない「地中海文明」と「シナ文明」、国家・民族は19 世紀以前にはない――
根源的で骨太な、“岡田史学"における歴史哲学の集大成。
〈推薦〉
T・エルベグドルジ(モンゴル大統領)
M・エリオット(ハーヴァード大学教授清朝史・内陸アジア史)
B・ケルナー=ハインケレ(ベルリン自由大学名誉教授 トルコ学)
川勝平太(経済史家)
----------
はじめに
第I部 歴史とは何か、民族とは何か
歴史とは何か
民族とは何か
キリスト教とは何か
歴史のある文明と歴史のない文明
世界史から見た現代東アジア
第II部 歴史の定義と国民国家
あらためて歴史を定義する
シナ文明における歴史
「民族幻想」の起源――国民国家は解消しうるか
中国に日本型国民国家は有効か
歴史は国民文化の所産である
第III部 歴史観の葛藤
「歴史を持たない文明」同士の衝突
――「反省しない」イスラムと、「負けを考えない」アメリカ――
「西欧vs非西欧」の歴史観の源流
世界史は成立するか
第IV部 発言集
歴史の捉え方
口頭伝承は歴史たりうるか
国民国家・国史
モンゴル帝国とその後
アラブとユダヤ
世界史断章
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私の学者人生
ボンの二年間 1963年10月-1965年7月
ワシントン大学キャンパス日記 1970年5月1日-7日
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初出一覧
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- 本の長さ432ページ
- 言語日本語
- 出版社藤原書店
- 発売日2013/6/23
- ISBN-104894349183
- ISBN-13978-4894349186
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商品の説明
出版社からのコメント
私が東京大学の東洋史学科に入学したのは、朝鮮戦争の始まる直前の1950年春である。卒論には朝鮮史を選んだ。それから研究した満洲語文献で、史上最年少で日本学士院賞を受賞した。またフルブライト奨学金でアメリカに留学してモンゴル語とチベット語を学び、モンゴル年代記という新しい研究分野を開拓した。今度は西ドイツに留学してモンゴル史の研究を続けた。
こうして私の研究領域は、シナ、朝鮮、満洲、モンゴル、チベットと広がったが、そのおかげで、異文化間では史実の認識にギャップがあることがはっきりわかった。文化を越えた真実というものはあるのか、あるとすればどうやったらそこに到達しうるか、これが歴史学における私の不変の課題となった。
私の学問が既存の枠組みにおさまらないのは、私が他人と同じことをしようと思わなかったからだ。すでに他人が歩いた道をなぞっても、行く先は決まっている。それより、自分の目で見、自分で感じたことを追求していく方が、真理に近づく確率は高い。
自らの力を信じ、自ら決する者だけが、道を切り拓いてゆける。国も同じであることを、歴史は語っている。
こうして私の研究領域は、シナ、朝鮮、満洲、モンゴル、チベットと広がったが、そのおかげで、異文化間では史実の認識にギャップがあることがはっきりわかった。文化を越えた真実というものはあるのか、あるとすればどうやったらそこに到達しうるか、これが歴史学における私の不変の課題となった。
私の学問が既存の枠組みにおさまらないのは、私が他人と同じことをしようと思わなかったからだ。すでに他人が歩いた道をなぞっても、行く先は決まっている。それより、自分の目で見、自分で感じたことを追求していく方が、真理に近づく確率は高い。
自らの力を信じ、自ら決する者だけが、道を切り拓いてゆける。国も同じであることを、歴史は語っている。
著者について
●岡田英弘(おかだ・ひでひろ)
1931年東京生。歴史学者。中国史、モンゴル史、満洲史、日本古代史と幅広く研究し、全く独自に「世界史」を打ち立てる。東京外国語大学名誉教授。
東京大学文学部東洋史学科卒業。1957年『満文老檔』の共同研究により、史上最年少の26歳で日本学士院賞を受賞。アメリカ、西ドイツに留学後、ワシントン大学客員教授、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所教授を歴任。
著書に『歴史とはなにか』(文藝春秋)『世界史の誕生』『日本史の誕生』『倭国の時代』(筑摩書房)『チンギス・ハーン』(朝日新聞社)『中国文明の歴史』(講談社)『読む年表 中国の歴史』(ワック)『モンゴル帝国から大清帝国へ』『〈清朝史叢書〉康煕帝の手紙』(藤原書店)他。編著に『清朝とは何か』(藤原書店)他。
1931年東京生。歴史学者。中国史、モンゴル史、満洲史、日本古代史と幅広く研究し、全く独自に「世界史」を打ち立てる。東京外国語大学名誉教授。
東京大学文学部東洋史学科卒業。1957年『満文老檔』の共同研究により、史上最年少の26歳で日本学士院賞を受賞。アメリカ、西ドイツに留学後、ワシントン大学客員教授、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所教授を歴任。
著書に『歴史とはなにか』(文藝春秋)『世界史の誕生』『日本史の誕生』『倭国の時代』(筑摩書房)『チンギス・ハーン』(朝日新聞社)『中国文明の歴史』(講談社)『読む年表 中国の歴史』(ワック)『モンゴル帝国から大清帝国へ』『〈清朝史叢書〉康煕帝の手紙』(藤原書店)他。編著に『清朝とは何か』(藤原書店)他。
登録情報
- 出版社 : 藤原書店 (2013/6/23)
- 発売日 : 2013/6/23
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 432ページ
- ISBN-10 : 4894349183
- ISBN-13 : 978-4894349186
- Amazon 売れ筋ランキング: - 501,548位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 1,594位歴史学 (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
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2013年7月7日に日本でレビュー済み
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2014年4月17日に日本でレビュー済み
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期待していた通りの商品で満足しています。
大切にして、何度も読み返したい本です。
大切にして、何度も読み返したい本です。
2015年1月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
歴史哲学関連の本のなかには従来、哲学畑の人が書いたものと、歴史学プロパーの人が書いたものの二種類がある。前者は戦争責任論などの関連でよくみかけるが、後者の例は多くない。本書は数少ない歴史学をきわめた人物による歴史哲学書。わかりやすい。ときどき「ほんとにここまでいっていいの?」というところもなくはない。また哲学畑の研究がふまえられていない点で、ちょっと独断的ともおもえる。
2013年8月12日に日本でレビュー済み
現代歴史学としては最悪の書物である。先ずはこの本の構造からいえば、自身の自慢話の域を出ない回顧録程度でしかない。
実際に内容を見てみると、彼は「歴史」と「歴史なるもの」の区別を行っていない。これが第一の致命的な欠点である。そして彼の言説の根拠となっているのは全て「中国VS非中国としてのモンゴル」であり、こうした観点で西欧からもたらされた近代歴史学の位置付けなどは意図的に捨象する形で、乱暴に「世界史」を定義づけている。
この本には、過去に出版されたはずの「歴史学概論」のテクストをはじめ、三年ほど以前に刊行された柄谷行人の『世界史の構造』などに見られる「科学としての歴史学の可能性」に言及する部分が一言として綴られていないのは、歴史学徒としての失格を宣告されても不自然ではあるまい。
言い古された言辞ではあるが「歴史は全て現代史である」とのクローチェの言葉を想起する限り、この本の著者の姿勢では何も歴史学の考察対象とはならないことになってしまう。
この著者の歴史観を端的に示す言葉が本文中にある。「時代の区分は、むかしと今、古代と現代の二分法しかない」としてその論拠は以下にな。曰く「現代を取り扱う歴史は、なるべく対象に接近して、至近距離から、ものごとの筋道をたてる。事件と事件のあいだの因果関係は、そのなかで個人の人格が果たした役割などを、細部に至るまで明らかにしようとつとめる。現代史では、このようなことが可能だし、また、そうしないと、現代史にならない。これに対して、現代史をあるところまでさかのぼっていくと、それから先は古代史になる。古代史では、そういう細部よりも、おおまかな全体の流れを設定するほうが大切だ。」ここまでを読んで、歴史学に携わる普通の者からすれば、おいおいチョット待てよ、それは乱暴過ぎやしないかいとの疑問を持つことも当然である。
この本の著者はそれほどに「歴史学」と「歴史物語」の判別もできていないのである。こんな人物に日本法制史などを荒らされたのでは堪ったものではない。我々が過去において、参照してきた仁井田陞をはじめ増淵龍夫といった先学に申し訳ない限りである。
最後に一言。
過去の歴史学の先達に於いて、生前中に自身の経験を自慢気に語った人物を私は一人として知らない。著作集を刊行するならばそれは「弟子達」からの贈り物であり、自身が自身の成果を問うならば、それは論文以外にはないはずである。この意味でも本書は特異な存在であるといえよう。
一度読んで「即ゴミ箱行き」にした近来希に見る「買って損した本」だった。
実際に内容を見てみると、彼は「歴史」と「歴史なるもの」の区別を行っていない。これが第一の致命的な欠点である。そして彼の言説の根拠となっているのは全て「中国VS非中国としてのモンゴル」であり、こうした観点で西欧からもたらされた近代歴史学の位置付けなどは意図的に捨象する形で、乱暴に「世界史」を定義づけている。
この本には、過去に出版されたはずの「歴史学概論」のテクストをはじめ、三年ほど以前に刊行された柄谷行人の『世界史の構造』などに見られる「科学としての歴史学の可能性」に言及する部分が一言として綴られていないのは、歴史学徒としての失格を宣告されても不自然ではあるまい。
言い古された言辞ではあるが「歴史は全て現代史である」とのクローチェの言葉を想起する限り、この本の著者の姿勢では何も歴史学の考察対象とはならないことになってしまう。
この著者の歴史観を端的に示す言葉が本文中にある。「時代の区分は、むかしと今、古代と現代の二分法しかない」としてその論拠は以下にな。曰く「現代を取り扱う歴史は、なるべく対象に接近して、至近距離から、ものごとの筋道をたてる。事件と事件のあいだの因果関係は、そのなかで個人の人格が果たした役割などを、細部に至るまで明らかにしようとつとめる。現代史では、このようなことが可能だし、また、そうしないと、現代史にならない。これに対して、現代史をあるところまでさかのぼっていくと、それから先は古代史になる。古代史では、そういう細部よりも、おおまかな全体の流れを設定するほうが大切だ。」ここまでを読んで、歴史学に携わる普通の者からすれば、おいおいチョット待てよ、それは乱暴過ぎやしないかいとの疑問を持つことも当然である。
この本の著者はそれほどに「歴史学」と「歴史物語」の判別もできていないのである。こんな人物に日本法制史などを荒らされたのでは堪ったものではない。我々が過去において、参照してきた仁井田陞をはじめ増淵龍夫といった先学に申し訳ない限りである。
最後に一言。
過去の歴史学の先達に於いて、生前中に自身の経験を自慢気に語った人物を私は一人として知らない。著作集を刊行するならばそれは「弟子達」からの贈り物であり、自身が自身の成果を問うならば、それは論文以外にはないはずである。この意味でも本書は特異な存在であるといえよう。
一度読んで「即ゴミ箱行き」にした近来希に見る「買って損した本」だった。
2020年2月3日に日本でレビュー済み
歴史に携わる人は必読の書です。私は只の歴史好きですが、とても気付きが多い本でした。
「歴史は物語ではない。科学だ」と言う人がいます。しかし、その科学としての歴史は、なぜ、必要とされたのですか──というところから解き起こす必要があります。
本当に岡田英弘という人は、すごいと思いました。
「歴史は物語ではない。科学だ」と言う人がいます。しかし、その科学としての歴史は、なぜ、必要とされたのですか──というところから解き起こす必要があります。
本当に岡田英弘という人は、すごいと思いました。
2013年6月25日に日本でレビュー済み
「岡田史学」の発想のベースを知りたければ、本文中の
第V部 わが足跡
私の学者人生
ボンの二年間 1963年10月-1965年7月
ワシントン大学キャンパス日記 1970年5月1日-7日
この項目が参考になる。
岡田英弘先生はかつて「アナールはおもしろいが時間観念が希薄で歴史学ではない。民俗学に近い。」
という発言をされたことがある。(民俗学に近いことがアナールが日本でウケた理由なのかな?)
F・ブローデル「地中海」で大当たりした藤原書店から「岡田英弘著作集」が出版されるのも奇妙な気がする。
(実際は、満洲への問題意識から清朝、モンゴル帝国へと興味の対象が拡大して「岡田史学」へつながったらしい。)良心的な出版社ではある。
ぜひ、岡田先生による「地中海」についての論考、コメントを出版社の刊行物に掲載してほしい。
ともかく全8巻の刊行を心待ちにしている。
最後に、「人類の月面着陸は無かったろう論」の著者はこの本を熟読玩味して自らのHPでコメントを。
第V部 わが足跡
私の学者人生
ボンの二年間 1963年10月-1965年7月
ワシントン大学キャンパス日記 1970年5月1日-7日
この項目が参考になる。
岡田英弘先生はかつて「アナールはおもしろいが時間観念が希薄で歴史学ではない。民俗学に近い。」
という発言をされたことがある。(民俗学に近いことがアナールが日本でウケた理由なのかな?)
F・ブローデル「地中海」で大当たりした藤原書店から「岡田英弘著作集」が出版されるのも奇妙な気がする。
(実際は、満洲への問題意識から清朝、モンゴル帝国へと興味の対象が拡大して「岡田史学」へつながったらしい。)良心的な出版社ではある。
ぜひ、岡田先生による「地中海」についての論考、コメントを出版社の刊行物に掲載してほしい。
ともかく全8巻の刊行を心待ちにしている。
最後に、「人類の月面着陸は無かったろう論」の著者はこの本を熟読玩味して自らのHPでコメントを。
2015年11月14日に日本でレビュー済み
岡田英弘著作集のほかの巻を読んでから読みました。
歴史は過去に起こった事柄の単なる記録ではなく、世界を説明する仕方である、ストーリーが重要な要素を持つという点が
何回も述べられています。
また、第五部のわが足跡では筆者の学者人生としての歩みについて把握することができ、この部分が面白いです。
若干1-4部の記述は筆者の年来の主張を繰り返しているようで重複が多い気がしましたが、それでも読む価値はあるでしょう。
歴史は過去に起こった事柄の単なる記録ではなく、世界を説明する仕方である、ストーリーが重要な要素を持つという点が
何回も述べられています。
また、第五部のわが足跡では筆者の学者人生としての歩みについて把握することができ、この部分が面白いです。
若干1-4部の記述は筆者の年来の主張を繰り返しているようで重複が多い気がしましたが、それでも読む価値はあるでしょう。