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紅一点論: アニメ・特撮・伝記のヒロイン像 単行本 – 1998/7/1
斎藤 美奈子
(著)
ダブルポイント 詳細
- 本の長さ304ページ
- 言語日本語
- 出版社ビレッジセンター
- 発売日1998/7/1
- ISBN-104894361132
- ISBN-13978-4894361133
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商品の説明
著者からのコメント
紅一点。正しくは、萬緑叢中紅一点。かみくだけば、男の中に女がひとり。戦後生まれの子どもたちにとって、「紅一点」といえばテレビのヒーロードラマがまず思い浮かぶだろう。『秘密戦隊ゴレンジャー』にはモモレンジャー、『ウルトラセブン』のウルトラ警備隊には友里アンヌ隊員。そして、私たちは学んだのである。女の子がすわれる席は、ひとつしか用意されていないんだな、と。そんな「紅一点の女」を中心に、戦後の子どもメディアを彩ったヒロインについて考察してみたのが本書である 。
(「はじめに」より)
(「はじめに」より)
出版社からのコメント
『妊娠小説』で、文壇を震撼させたサイトウミナコの鮮やかな論調は今だ色褪せない。本書はそのサイトウミナコによる、歴代のヒロインの真実の姿を看破する、書き下ろし評論です。
内容(「MARC」データベースより)
伝記シリーズで取り上げられるごくわずかな女性の偉人、特撮TVドラマやアニメに登場する紅一点のヒロイン。子どもの頃から見慣れてきた「紅一点」の世界を検証、戦後の子どものメディアを彩ったヒロイン像について考察する。
抜粋
男の子の国では変身とは、ずばり武装の別名だった。女の子の国は違う。変身とは武装ではなく化粧、パワーアップではなくメイクアップのこと。別言すれば、女の子の国でいう変身とはシンデレラの変身と同じ着替えである。
(第1章「アニメの国」より)
(第1章「アニメの国」より)
登録情報
- 出版社 : ビレッジセンター (1998/7/1)
- 発売日 : 1998/7/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 304ページ
- ISBN-10 : 4894361132
- ISBN-13 : 978-4894361133
- Amazon 売れ筋ランキング: - 645,448位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 204位フェミニズム
- - 1,946位家族問題
- - 3,874位漫画・アニメ・BL(イラスト集・オフィシャルブック)
- カスタマーレビュー:
著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2021年3月31日に日本でレビュー済み
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文章のテンポが良くてどんどん読めてしまうし、時々吹き出して笑ってしまったりして、考えさせられつつも、とてもおもしろかったという印象が強い。
2024年3月23日に日本でレビュー済み
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日本のアニメにおける「紅一点」ヒロインについて取り上げられていますが、今時のオタクコンテンツはむしろ、女性キャラクターたちが多数派の作品が多いですね。やはり、時代の変化は侮れません。たった一人の女性キャラクターだけで「女性」全般を象徴するのには無理があります。
某歴史小説家さんは「もし私が『水滸伝』の作者だったら、梁山泊の108人のうち三分の一は女性キャラクターにしたい」と自身の著書で書いていましたが、私も同感です。
某歴史小説家さんは「もし私が『水滸伝』の作者だったら、梁山泊の108人のうち三分の一は女性キャラクターにしたい」と自身の著書で書いていましたが、私も同感です。
2014年1月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
とても良い状態の本を届けていただきました。大変感謝しています。
2017年2月7日に日本でレビュー済み
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とてもきれいな状態で送っていただけました。予定よりも早く届いたので助かりました。
2015年2月25日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
戦時体制下にあるとはいえ、本来の戦争は軍事と外交の二本立てで進行する。いちいち戦闘をしていたら、互いの国力を低下させるばかりで、ろくなことがないからである。しかし、男の子の国には間接戦争ともいうべき外交交渉がない。外交に訴えることなく、毎週毎週、(疑似)科学の力を結集し、総力を挙げて敵=異質なものを撃退すべく直接戦争をくり返しているのが、男の子の国なのだ。(P16)
たとえば『相棒』の杉下右京のような刑事が現実にいるだろうか?『半沢直樹』の半沢のような銀行マンがいるだろうか?『ドクターⅩ』の大門未知子のような医者がいるだろうか?特撮・アニメに限らず、「現実にはないこと」を描くのがフィクションだろう。だいたい現実同様の平凡な刑事や医者が主人公のドラマを誰が見たいと思うのだろうか?それならドキュメンタリーを見た方がマシである。この著者は「本来の世界は理想と現実の二本立てで進行する」ということが理解できないらしい。
万緑叢中紅一点は、けっして健全な状況ではない。それじたいが不健全なのではなく、それだけが幅をきかせていることが不健全なのである。緑全部・万緑叢中紅一点・緑紅半々・万紅叢中緑一点・紅全部……。さまざまな男女比の組織やチームが当たり前に存在するようになったとき、はじめて私たちは男女比なんていう瑣末事にわずらわされなくなるだろう。(P319)
あるいは特撮やアニメに現実を持ち込むなら、軍隊に女性が少ないのは恒常的な現実だろう。そして部分的になら”緑全部”でも不健全ではないと著者はいう。ならばそのような特撮やアニメの中で女性の登場人物が少ないことがなぜ問題になるのだろうか?
独立戦争ならば、独立をねらう植民地=戦争を起こした側に肩入れしたくなる人も多かろう。が、ここでは反乱軍は敵である。『ガンダム』の味方のチームは、彼らの独立を阻止する宗主国=地球連邦軍の側。親方日の丸、味方は官軍の原則は不変なのである。(P164)
ガンダムで「味方は官軍」なのは従来の原則を無反省に踏襲したのではなく、演出効果を高めるためにあえてその原則を利用しているのである。この著者は”女性”や”ジェンダー”に関わることについては異常(過剰)なまでの深読みをするが、それ以外のことについてはものすごく表面的にしか物事が見えないらしい。いや、「男の子の国のチームは親方日の丸の軍隊である」という自説に固執するあまり、視野が狭くなっていると言った方が妥当だろうか?
だいたい男の子の国のチームは著者が言うほど「親方日の丸」ではない。この本のP16に挙げられているアニメの大半は「親方日の丸」ではないし(具体的に言えば『太陽の牙ダグラム』は「植民地=戦争を起こした側」が主人公の物語だし、『無敵超人ザンボット3』はP20で著者が反例として挙げている『サンダーバード』と同じく「一家による完全な自主独立の組織」の物語である)、特撮も『仮面ライダー』をはじめとする単体ヒーローすら存在し、その数も多い。
男の子の国の「パンチラ」「シャワー」「入浴」「着替え」等のシーンが男の子の読者・視聴者に与える影響は、研究に値するテーマかもしれない。そういうものを見て育った男の子が、長じて風呂ののぞき見等のセクハラは立派な犯罪であることを理解できる大人になれるのか、あるいは小学生の男の子が好きな女の子のスカートをめくる行為は「微笑ましい」といえるのか、とかね。(P39)
…お色気シーンを見たくらいでのぞき見が犯罪であることを理解できない大人になるものだろうか?そもそもいわゆる”のぞき魔”はのぞきを犯罪と理解せずにやっているのだろうか?
確かに職場におけるセクハラや学校のおけるスカートめくりはどうかと思うが、しかし、すべての性的なものを退けようとするのはどうだろうか?(もはや”セクハラハラスメント”の域)。そもそも性欲というものは食欲・睡眠欲と並ぶ3大欲求のひとつに数えられるものであり、人間なら誰でも持っているもので、なおかつ必要なものだろう。また食欲と同じく一般的傾向としては女性よりも男性の方が旺盛で、それだけ性的なものを求める度合いも強いと言える。もし研究するなら「女性に合わせて男性の性的欲求を制限していった結果としての性犯罪数」の方がよほど研究に値するテーマだと思う。
従来の絶対的なものを相対化していく作業は必要なのだろう。でも「相対化する」ということと「全否定する」ということは別である(同様のことは著者自身も言っているのだが…)。また行き過ぎた相対化は何も生まない。結局、絶対的なものは必要になってくるはずである。それともこの著者は犯罪すら相対化して肯定するつもりだろうか?ならばセクハラだって肯定されるべきだろう。それとも絶対的なものを決めるのはいつでも(著者のような)女性だとでも言うのだろうか?
どうもこの著者は他人が”その人なりの理想”を述べるときには現実を持ち出してぶち壊そうとするくせに、自分が”自分の理想”を述べるときには現実無視の”お姫様”になる傾向にあるらしい。”自分とは異質なもの”を”敵”とみなして”撃退”しようとするのは結構だが、まずはその自己中心的なやり方を改めて外交交渉”する努力をしてほしいものである。たとえば私はいじめを悪いことだと思うし、するつもりもないが、「いじめられる側にも問題がある」という意見にも一理あるな、と思わされた1冊だった。
たとえば『相棒』の杉下右京のような刑事が現実にいるだろうか?『半沢直樹』の半沢のような銀行マンがいるだろうか?『ドクターⅩ』の大門未知子のような医者がいるだろうか?特撮・アニメに限らず、「現実にはないこと」を描くのがフィクションだろう。だいたい現実同様の平凡な刑事や医者が主人公のドラマを誰が見たいと思うのだろうか?それならドキュメンタリーを見た方がマシである。この著者は「本来の世界は理想と現実の二本立てで進行する」ということが理解できないらしい。
万緑叢中紅一点は、けっして健全な状況ではない。それじたいが不健全なのではなく、それだけが幅をきかせていることが不健全なのである。緑全部・万緑叢中紅一点・緑紅半々・万紅叢中緑一点・紅全部……。さまざまな男女比の組織やチームが当たり前に存在するようになったとき、はじめて私たちは男女比なんていう瑣末事にわずらわされなくなるだろう。(P319)
あるいは特撮やアニメに現実を持ち込むなら、軍隊に女性が少ないのは恒常的な現実だろう。そして部分的になら”緑全部”でも不健全ではないと著者はいう。ならばそのような特撮やアニメの中で女性の登場人物が少ないことがなぜ問題になるのだろうか?
独立戦争ならば、独立をねらう植民地=戦争を起こした側に肩入れしたくなる人も多かろう。が、ここでは反乱軍は敵である。『ガンダム』の味方のチームは、彼らの独立を阻止する宗主国=地球連邦軍の側。親方日の丸、味方は官軍の原則は不変なのである。(P164)
ガンダムで「味方は官軍」なのは従来の原則を無反省に踏襲したのではなく、演出効果を高めるためにあえてその原則を利用しているのである。この著者は”女性”や”ジェンダー”に関わることについては異常(過剰)なまでの深読みをするが、それ以外のことについてはものすごく表面的にしか物事が見えないらしい。いや、「男の子の国のチームは親方日の丸の軍隊である」という自説に固執するあまり、視野が狭くなっていると言った方が妥当だろうか?
だいたい男の子の国のチームは著者が言うほど「親方日の丸」ではない。この本のP16に挙げられているアニメの大半は「親方日の丸」ではないし(具体的に言えば『太陽の牙ダグラム』は「植民地=戦争を起こした側」が主人公の物語だし、『無敵超人ザンボット3』はP20で著者が反例として挙げている『サンダーバード』と同じく「一家による完全な自主独立の組織」の物語である)、特撮も『仮面ライダー』をはじめとする単体ヒーローすら存在し、その数も多い。
男の子の国の「パンチラ」「シャワー」「入浴」「着替え」等のシーンが男の子の読者・視聴者に与える影響は、研究に値するテーマかもしれない。そういうものを見て育った男の子が、長じて風呂ののぞき見等のセクハラは立派な犯罪であることを理解できる大人になれるのか、あるいは小学生の男の子が好きな女の子のスカートをめくる行為は「微笑ましい」といえるのか、とかね。(P39)
…お色気シーンを見たくらいでのぞき見が犯罪であることを理解できない大人になるものだろうか?そもそもいわゆる”のぞき魔”はのぞきを犯罪と理解せずにやっているのだろうか?
確かに職場におけるセクハラや学校のおけるスカートめくりはどうかと思うが、しかし、すべての性的なものを退けようとするのはどうだろうか?(もはや”セクハラハラスメント”の域)。そもそも性欲というものは食欲・睡眠欲と並ぶ3大欲求のひとつに数えられるものであり、人間なら誰でも持っているもので、なおかつ必要なものだろう。また食欲と同じく一般的傾向としては女性よりも男性の方が旺盛で、それだけ性的なものを求める度合いも強いと言える。もし研究するなら「女性に合わせて男性の性的欲求を制限していった結果としての性犯罪数」の方がよほど研究に値するテーマだと思う。
従来の絶対的なものを相対化していく作業は必要なのだろう。でも「相対化する」ということと「全否定する」ということは別である(同様のことは著者自身も言っているのだが…)。また行き過ぎた相対化は何も生まない。結局、絶対的なものは必要になってくるはずである。それともこの著者は犯罪すら相対化して肯定するつもりだろうか?ならばセクハラだって肯定されるべきだろう。それとも絶対的なものを決めるのはいつでも(著者のような)女性だとでも言うのだろうか?
どうもこの著者は他人が”その人なりの理想”を述べるときには現実を持ち出してぶち壊そうとするくせに、自分が”自分の理想”を述べるときには現実無視の”お姫様”になる傾向にあるらしい。”自分とは異質なもの”を”敵”とみなして”撃退”しようとするのは結構だが、まずはその自己中心的なやり方を改めて外交交渉”する努力をしてほしいものである。たとえば私はいじめを悪いことだと思うし、するつもりもないが、「いじめられる側にも問題がある」という意見にも一理あるな、と思わされた1冊だった。
2008年10月31日に日本でレビュー済み
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アニメ・特撮・子供向けの伝記がこんなにも男性社会に基づいて構成されていたとは。
アニメのヒロインは虚構だなあ、くらいには思っていたが、
ヒロインの性格、周囲の環境、役割に至るまで、これほど細部にわたって男にとって都合よく作られていたのは驚きです。
アニメのヒロインは虚構だなあ、くらいには思っていたが、
ヒロインの性格、周囲の環境、役割に至るまで、これほど細部にわたって男にとって都合よく作られていたのは驚きです。
2006年7月2日に日本でレビュー済み
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なんで特撮・アニメの女性戦士は一人なんだろう?どうして子供のとき、男の子グループで一緒に野球する仲間に入れてもらえる女の子は一人なんだろ?宮崎アニメは少女VS大人の女性なのはどうして?
漠と抱える疑問にとても理論的かつ楽しませる文章で答えてくれる作品。大げさに言えば、女性の生き方も考えさせられるので、特に若い世代にお勧めです。
漠と抱える疑問にとても理論的かつ楽しませる文章で答えてくれる作品。大げさに言えば、女性の生き方も考えさせられるので、特に若い世代にお勧めです。
2003年1月12日に日本でレビュー済み
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斎藤ファンの私ではあるが、アニメ知識に乏しいため、この本はなんとなく敬遠していた。
しかし読むと実に面白い。
別にオタクでなくても十分に楽しめる。
秀逸なのは、アニメ論は前振りで、その知識をもとに怒涛の伝記論へと流れていく点だ。
硬派の斎藤本もいいが、こういう一見くだらなそうで、実は骨のある斎藤本もまたすばらしい。
しかし読むと実に面白い。
別にオタクでなくても十分に楽しめる。
秀逸なのは、アニメ論は前振りで、その知識をもとに怒涛の伝記論へと流れていく点だ。
硬派の斎藤本もいいが、こういう一見くだらなそうで、実は骨のある斎藤本もまたすばらしい。