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高台にある家 (ハルキ文庫 み 5-1) 文庫 – 2001/3/1
水村 節子
(著)
幼いころほんの一時預けられた、横浜にある裕福で西洋風な伯母の家。そのような家の娘であったらと願う少女は、神戸、大阪の裏長屋で無教養丸出しの年老いた母と不釣り合いな若い父のもとに育つ。様々な異父兄姉の登場を通して、霧が晴れるように分っていくのは母の複雑な過去と自分が庶子であるという事実。やがてくる父との別れ、残された母を連れての上京、そしてあこがれの伯母の家での思いもよらぬ青春。さらに戦争……。(解説・水村美苗)
- 本の長さ345ページ
- 言語日本語
- 出版社角川春樹事務所
- 発売日2001/3/1
- ISBN-104894568446
- ISBN-13978-4894568440
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登録情報
- 出版社 : 角川春樹事務所 (2001/3/1)
- 発売日 : 2001/3/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 345ページ
- ISBN-10 : 4894568446
- ISBN-13 : 978-4894568440
- カスタマーレビュー:
著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2023年11月3日に日本でレビュー済み
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ストーリーは文句なしに面白い。内容の大半が事実(実体験)と思えば、なおさらのことである。そして素人ながらここまで自分の人生と生きた時代を活写できた、節子さんという人の才能にも感服する。さらにそれと同時に、ここに描かれた節子さんがなんとも魅力的なのに驚く。無論、こんな人を母親に持つことの苦労はお察しするが、そのことを差し引いてもなお、なぜか節子さんという人に強く惹かれずにいられないのだ。
2020年6月24日に日本でレビュー済み
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今の時代や若い世代から見れば非常に稀有な出自、生い立ちであると思えるでしょうが、同世代の方たちから見れば案外稀なことでもなかったと思います。似たような話は案外聞いています。とはいえ、著者にとっては人生そのものが戦いであった、それを女として力の限り生きようとした、そんな勢い、意地らしさがひどく感動を生む作品。幸せ上手の作品は不幸の中にも幸せの種を探し生き抜く健気さに救われる感があり、納得して読み終わることが多いのですが、幸せ下手?なのに懸命に生きた著者にはさらに強く心を揺さぶられました。ぜひお読みになることをお勧めします。
2021年9月27日に日本でレビュー済み
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著者の自伝的な小説。水村美苗が好きで、その母親が書いたものである、という興味で手に取った。明治・大正・昭和の当時の中産階級の日本女性が活き活きと描かれている。
続編を読みたいが、著者はもういない。
続編を読みたいが、著者はもういない。
2013年8月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
美苗氏の母上ということでかなり下世話に興味津々で読みました。人物があまりにたくさん登場するので、何気なく読んでいるわが身にはいささか混乱すること少々。由って、系図を自作しこれで頭の中がすっきり。美苗氏の「母の遺産」では私のような読者に対して姉妹の混乱を避けるために必ず文中「姉の奈津紀」と書き続けており、私だけの混乱ではないと判断する次第。
内容は昭和の戦争前の風物がきわめてリアルに描かれており、私自身母から多く聞かされた懐旧談と一致するので、とても懐かしくうなずきながら読むことができた。
しかし、いずれにしろ著者の高齢にも拘らず、この創作欲の源泉は何処にあるのやら。脱帽するのみ。美苗氏もいつか小説をと願いつつ、実現に向かえず苦労したいきさつを知る者には、母娘のある種の因縁じみているように感じてならない。
若い人にはこの本はどうなのでしょう。私のような年頃人間には面白く読めたのですが。でも、若い人にも一人の女性の悪戦苦闘の時代相を知ってもらうのも、一人の日本人としても大切ではないですかね。
内容は昭和の戦争前の風物がきわめてリアルに描かれており、私自身母から多く聞かされた懐旧談と一致するので、とても懐かしくうなずきながら読むことができた。
しかし、いずれにしろ著者の高齢にも拘らず、この創作欲の源泉は何処にあるのやら。脱帽するのみ。美苗氏もいつか小説をと願いつつ、実現に向かえず苦労したいきさつを知る者には、母娘のある種の因縁じみているように感じてならない。
若い人にはこの本はどうなのでしょう。私のような年頃人間には面白く読めたのですが。でも、若い人にも一人の女性の悪戦苦闘の時代相を知ってもらうのも、一人の日本人としても大切ではないですかね。
2017年8月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
サックリ読めました。完成されている。
デティールが俳句のようにリズミカル。
一読を。
デティールが俳句のようにリズミカル。
一読を。
2021年3月31日に日本でレビュー済み
水村美苗氏作「母の遺産」を読売新聞連載時に読んでいましたが、その時は”なんとまあ大変なお母さんだろう。これじゃ「ママ、いつになったら死んでくれるの?」と思ってしまっても無理はない」と感じました。こちらはその壮絶な母親ご本人の自伝ということで、ぜひ読んでみなければと思いました。
結論から言うと、「母の遺産」で受けた「傲慢で自己中心、高級志向の見栄っ張り」という印象がかなり変わりました。その複雑な生い立ちゆえに傷つけられた心やプライドを考えると、あれだけ自我の強い性格になるのも無理はないと思えます。
特異な環境で育たざるをえなかった女性と昭和初期という時代を描いて、大変興味深い自伝だと思います。
自分は人生の半分は昭和という人間なので、2次大戦前の昭和もはるか昔というほどではないのですが、それでもここまで時代が違ったんだとびっくりでした。
お金持ちや権力のある男性が複数のお妾さんを持つのは当たり前。女性の体のことを考えてあげて避妊などという発想もなかったようですね、そこでごろごろ生まれてきたいわゆる庶子もたくさんいて、特に子供の境遇とか将来を思いやることもなかった様子。貧富の差と歴然とあった身分の差などなど。
特に女性の社会的地位の低さは強烈です。著者、水村節子氏の母親(水村美苗氏の祖母)は鳥取で芸者をしていて、当時の鳥取市長の妾になり、それで節子氏が生まれたということ。
以後も次々と異なった男性に囲われて、そこでも子供ができ、ゆえに節子氏には父親の違う兄弟がたくさんいたことがだんだんとわかってきます。このあたりは節子氏が自分の成長にともなってだんだんとおぼろげにわかってきたことを時系列順に書いているので、読者にとっても霞んでいた霧の向こうがだんだんと晴れてくるように、複雑な血縁関係が明らかになっていきます。
実子がなかったため養子縁組された節子氏の兄などは、節子氏一家が大阪の下町でつつましい長屋暮らしなのに比べてかなり裕福です。突然お金持ちの親戚が現れるのでびっくりしますが、それは母親を囲っていた男性が経済力も力もある人たちだったからでしょう。
昔は美しい芸者だったものの、節子氏から見たら、みっともなく年老いた無教養で品のない女だった母親。けれど彼女の人生も過酷なもので、寄る辺のない境遇から神戸の置屋(芸者を置いて管理、宴席などに派遣している家)に入って梅毒持ちで頭がおかしくなっていた息子と結婚させられ、自身も感染し、子供もその影響を受けて片足が不自由になってしまいます。女性の意思や権利などないも同然です。
また、性病や伝染病が蔓延していた戦前の事情にもびっくりします。母親が「明治の人間らしく四つ足を忌み嫌い、鶏と鴨以外の牛、豚、乳製品などは一切口にしなかった」ということも興味深かったです。一般人が肉食に親しみ始めたのは明治になって文明開化で牛鍋が流行したからというエピソードを思い出しました。
そんな母親とは籍を入れず内縁関係だった父親ですが、まだ幸いなことに節子氏は1人っ子として2人に愛され、一見普通の幸せな家庭で育つことができます。成長するにつれて自分のうちは普通ではないとわかってきて節子氏の心にコンプレックスや嫌悪が生まれ始めます。
そんな彼女の心の支えになったのが、ほんの短い間世話になった横浜の高台にある父の姉の家でした。上品な伯母とクリスチャンで国際線船舶の船長だった夫、ピアノを学んでいるいとこ。ハイカラな伯母一家に自己のアイデンティティを求め、現実から目をそらせようとしていた節子氏。
後日、なんとかしてその境遇から這い出すことに成功しますが、当時は結局、女は誰かの嫁になって結婚し脱出するしか選択肢がなかったことが伺われます。節子氏は「未来像に「花嫁」を父から与えられてしまった私は、いつの間にか自分もその粋内でしかものを考えぬようになっていた。勉強も宝塚もピアノも声楽もはるかかなたに燦然と輝いていたが、自分には無縁のものとして、「ひょっとしたらあったかもしれない可能性」は胸に閉じ込め、諦めをそそいで火を消した」「自分では選ぶことのできない出生というものがいかに人の明暗を分けるか」という言葉で表しておられます。
この作品には節子氏の2度目の結婚と渡米のことはなく、その前で終わっています。続編を書いていたそうですが、完成させずに亡くなられたようです。未完でもいいのでぜひ発表してほしいです。
あれだけ憧れていた欧米へ行けたのはどういういきさつだったのか、実際に行ってみてどう感じたのか。妾の子で庶子という立場から抜け出し、そういうことが問題にならなくなった時代になって、本人は何を感じていたのか、そのあたりも知りたいです。
結論から言うと、「母の遺産」で受けた「傲慢で自己中心、高級志向の見栄っ張り」という印象がかなり変わりました。その複雑な生い立ちゆえに傷つけられた心やプライドを考えると、あれだけ自我の強い性格になるのも無理はないと思えます。
特異な環境で育たざるをえなかった女性と昭和初期という時代を描いて、大変興味深い自伝だと思います。
自分は人生の半分は昭和という人間なので、2次大戦前の昭和もはるか昔というほどではないのですが、それでもここまで時代が違ったんだとびっくりでした。
お金持ちや権力のある男性が複数のお妾さんを持つのは当たり前。女性の体のことを考えてあげて避妊などという発想もなかったようですね、そこでごろごろ生まれてきたいわゆる庶子もたくさんいて、特に子供の境遇とか将来を思いやることもなかった様子。貧富の差と歴然とあった身分の差などなど。
特に女性の社会的地位の低さは強烈です。著者、水村節子氏の母親(水村美苗氏の祖母)は鳥取で芸者をしていて、当時の鳥取市長の妾になり、それで節子氏が生まれたということ。
以後も次々と異なった男性に囲われて、そこでも子供ができ、ゆえに節子氏には父親の違う兄弟がたくさんいたことがだんだんとわかってきます。このあたりは節子氏が自分の成長にともなってだんだんとおぼろげにわかってきたことを時系列順に書いているので、読者にとっても霞んでいた霧の向こうがだんだんと晴れてくるように、複雑な血縁関係が明らかになっていきます。
実子がなかったため養子縁組された節子氏の兄などは、節子氏一家が大阪の下町でつつましい長屋暮らしなのに比べてかなり裕福です。突然お金持ちの親戚が現れるのでびっくりしますが、それは母親を囲っていた男性が経済力も力もある人たちだったからでしょう。
昔は美しい芸者だったものの、節子氏から見たら、みっともなく年老いた無教養で品のない女だった母親。けれど彼女の人生も過酷なもので、寄る辺のない境遇から神戸の置屋(芸者を置いて管理、宴席などに派遣している家)に入って梅毒持ちで頭がおかしくなっていた息子と結婚させられ、自身も感染し、子供もその影響を受けて片足が不自由になってしまいます。女性の意思や権利などないも同然です。
また、性病や伝染病が蔓延していた戦前の事情にもびっくりします。母親が「明治の人間らしく四つ足を忌み嫌い、鶏と鴨以外の牛、豚、乳製品などは一切口にしなかった」ということも興味深かったです。一般人が肉食に親しみ始めたのは明治になって文明開化で牛鍋が流行したからというエピソードを思い出しました。
そんな母親とは籍を入れず内縁関係だった父親ですが、まだ幸いなことに節子氏は1人っ子として2人に愛され、一見普通の幸せな家庭で育つことができます。成長するにつれて自分のうちは普通ではないとわかってきて節子氏の心にコンプレックスや嫌悪が生まれ始めます。
そんな彼女の心の支えになったのが、ほんの短い間世話になった横浜の高台にある父の姉の家でした。上品な伯母とクリスチャンで国際線船舶の船長だった夫、ピアノを学んでいるいとこ。ハイカラな伯母一家に自己のアイデンティティを求め、現実から目をそらせようとしていた節子氏。
後日、なんとかしてその境遇から這い出すことに成功しますが、当時は結局、女は誰かの嫁になって結婚し脱出するしか選択肢がなかったことが伺われます。節子氏は「未来像に「花嫁」を父から与えられてしまった私は、いつの間にか自分もその粋内でしかものを考えぬようになっていた。勉強も宝塚もピアノも声楽もはるかかなたに燦然と輝いていたが、自分には無縁のものとして、「ひょっとしたらあったかもしれない可能性」は胸に閉じ込め、諦めをそそいで火を消した」「自分では選ぶことのできない出生というものがいかに人の明暗を分けるか」という言葉で表しておられます。
この作品には節子氏の2度目の結婚と渡米のことはなく、その前で終わっています。続編を書いていたそうですが、完成させずに亡くなられたようです。未完でもいいのでぜひ発表してほしいです。
あれだけ憧れていた欧米へ行けたのはどういういきさつだったのか、実際に行ってみてどう感じたのか。妾の子で庶子という立場から抜け出し、そういうことが問題にならなくなった時代になって、本人は何を感じていたのか、そのあたりも知りたいです。
2012年11月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
水村美苗氏の『日本語で読むということ』に収められた『祖母と母と私』を読むと、この『高台にある家』がどのようにして上梓されたかが判る。
美苗氏は言う。「いつしか私は祖母の話を書きたいと思うようになっていた。小説を書きたい、小説家になりたいと思ったのも、いつかはこの祖母の話を書きたいという思いがあったからである。……(中略)……母が老いて文章教室に通うようになったときに、祖母の話を書いてほしいと言ったのも、母が書いたものを将来自分が使えるだろうと思ったからにほかならない。/ ところがその私が書きたかった小説を、母が書き、出版することになってしまったのである。」そして続けて「『高台にある家』には私の手が入っている」と述べ、それが出版されるまでの経緯をユーモラスに語っている。(興味のある方は『日本語で読むということ』にあたってもらいたい。)さらに「娘の私が言うのも妙だが、『高台にある家』は、あまりにも面白い小説であった。まず、事実そのもののおもしろさがある。時代そのもののおもしろさがある。……(中略)……私が書きたかった小説ではあるが、私が書いたよりもよほど良いものが出来上がったのだけは確かである」と続ける。
この美苗氏の言葉に誇張はほとんどないと思う。
『高台にある家』は大正から昭和の時代を謂わば「新しい女」として逞しくしたたかに生きた主人公(美苗氏の母)と、明治・大正・昭和を「日陰の女」として忍従に忍従を重ねて生きたその母(美苗氏から見れば祖母)の物語である。物語と言うよりも回想録、水村節子氏による『私小説』といった方が適切だろうか。
小説の構成としては、時間を行き来する幾つものエピソードを重ねながら全体像を浮き上がらせるという手法を用いている。そのため、最初の方は人物関係が理解しづらく読みにくい嫌いがある。そこは我慢してほしい。(が、それが或る意味ミステリー小説的な興味を誘うとも言える。)そこを我慢すれば後は文字通り「事実は小説よりも奇なり」であって興味はつきない。
水村美苗氏の大ファンではあるが『母の遺産』にはもう一つ納得のいかなかった方々、『母の遺産』の母・紀子の老醜に遣り切れなさを感じた方々には是非『高台にある家』を読んでいただきたい。紀子(『高台にある家』では節子)さんが若い頃、多少我儘ではあってもどんなに自立心に富んだ魅力的な女性であったかが解るはずである。またそのお母さん(美苗氏から見れば祖母)がどんなに数奇な人生を送ったかに驚き、明治・大正・昭和の初期の多くの女性が(多分)今から思えばどんなに悲惨な境遇に置かれていたかに深い同情を感じざるを得ないだろう。
私は『母の遺産』を読む前に『高台にある家』を読んでいた。だからだろう、『母の遺産』にはあまり感動しなかった。それほどに『高台にある家』は面白く、「私が書いたよりもよほど良いものが出来上がった」というのは謙遜にちがいないにしても、「私が書きたかった小説」という美苗氏の言葉に全く嘘はないと思う。
節子氏が続編を完成することなくお亡くなりになったことは返す返すも残念なことである。
美苗氏は言う。「いつしか私は祖母の話を書きたいと思うようになっていた。小説を書きたい、小説家になりたいと思ったのも、いつかはこの祖母の話を書きたいという思いがあったからである。……(中略)……母が老いて文章教室に通うようになったときに、祖母の話を書いてほしいと言ったのも、母が書いたものを将来自分が使えるだろうと思ったからにほかならない。/ ところがその私が書きたかった小説を、母が書き、出版することになってしまったのである。」そして続けて「『高台にある家』には私の手が入っている」と述べ、それが出版されるまでの経緯をユーモラスに語っている。(興味のある方は『日本語で読むということ』にあたってもらいたい。)さらに「娘の私が言うのも妙だが、『高台にある家』は、あまりにも面白い小説であった。まず、事実そのもののおもしろさがある。時代そのもののおもしろさがある。……(中略)……私が書きたかった小説ではあるが、私が書いたよりもよほど良いものが出来上がったのだけは確かである」と続ける。
この美苗氏の言葉に誇張はほとんどないと思う。
『高台にある家』は大正から昭和の時代を謂わば「新しい女」として逞しくしたたかに生きた主人公(美苗氏の母)と、明治・大正・昭和を「日陰の女」として忍従に忍従を重ねて生きたその母(美苗氏から見れば祖母)の物語である。物語と言うよりも回想録、水村節子氏による『私小説』といった方が適切だろうか。
小説の構成としては、時間を行き来する幾つものエピソードを重ねながら全体像を浮き上がらせるという手法を用いている。そのため、最初の方は人物関係が理解しづらく読みにくい嫌いがある。そこは我慢してほしい。(が、それが或る意味ミステリー小説的な興味を誘うとも言える。)そこを我慢すれば後は文字通り「事実は小説よりも奇なり」であって興味はつきない。
水村美苗氏の大ファンではあるが『母の遺産』にはもう一つ納得のいかなかった方々、『母の遺産』の母・紀子の老醜に遣り切れなさを感じた方々には是非『高台にある家』を読んでいただきたい。紀子(『高台にある家』では節子)さんが若い頃、多少我儘ではあってもどんなに自立心に富んだ魅力的な女性であったかが解るはずである。またそのお母さん(美苗氏から見れば祖母)がどんなに数奇な人生を送ったかに驚き、明治・大正・昭和の初期の多くの女性が(多分)今から思えばどんなに悲惨な境遇に置かれていたかに深い同情を感じざるを得ないだろう。
私は『母の遺産』を読む前に『高台にある家』を読んでいた。だからだろう、『母の遺産』にはあまり感動しなかった。それほどに『高台にある家』は面白く、「私が書いたよりもよほど良いものが出来上がった」というのは謙遜にちがいないにしても、「私が書きたかった小説」という美苗氏の言葉に全く嘘はないと思う。
節子氏が続編を完成することなくお亡くなりになったことは返す返すも残念なことである。