現代思想を取り上げた本だが、一思想領域にとどまらず、「どのようにすれば他者と共に生きることができるのか」、「平和(民主主義)とはどのようにして可能なのか」、という普遍的で根本的な問を追求した本。
同時に、現代思想の考え方を広い範囲にわたって深く理解できるようになっている。
専門書だが、専門家向けの前提知識は要求されないし、難解な語彙や言い回しも用いられていない。
なので、じっくりと読んでゆくことで、高度な内容であるにもかかわらず、すっと内容が入ってくる。
また、極めて論理的・合理的に、そして丁寧に綴られているので、言葉の表現の一つひとつ、「」や傍点の位置に至るまで、すべての部分に、必然的な意味を読むことができると思う。
そして、本としてとても美味しい本だと思う。大変密度が高く(読みづらいという意味ではない)、何度も何度も、なるほど!と思わせられる。すごく美味しい料理を食べているような感覚でどんどんと読み進めてしまう。そして、読むたびに新しい発見がある。
他者を踏みにじらず、その声を本当に聞くこと。共に生きること。そして本当に生きることとはどういうことなのか。
この本に出てくる考えは、ほとんどの人がそれまでは触れたことのないものだと思うけれど、ぜひすべての人に読んでほしい。
すべての人がこの本を読んだら、絶対に世界はもっと良い場所になる。
これだけ充実した本は他に類を見ない。本当の意義と価値のある本。
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この明るい場所—ポストモダンにおける公共性の問題 単行本(ソフトカバー) – 2018/7/23
五十嵐沙千子
(著),
asahi edigraphy(装丁:杉枝友香、本文組版:星谷陽子)
(その他)
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「公共性」とは、誰もが知っているが、はっきりとは説明できない言葉である。公共性とは何か? なぜ必要なのか? 本書は「公共性」を、ハンナ・アーレント、ジャン=フランソワ・リオタール、ユルゲン・ハーバーマスといった現代思想の文脈の上に位置づけ、ポストモダンの現代においてなぜ公共性が必要とされるのか、その可能性によって現代にどのような道が開かれるのかを論じたものである。
- 本の長さ272ページ
- 言語日本語
- 出版社ひつじ書房
- 発売日2018/7/23
- ISBN-104894768917
- ISBN-13978-4894768918
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商品の説明
著者について
〈略歴〉筑波大学大学院人文社会科学研究科哲学・思想専攻単位取得退学。博士(文学)。東海大学文学部講師を経て筑波大学人文社会科学研究科哲学・思想専攻准教授(現職)。2009年から市民のための哲学カフェ(筑波大学哲学カフェ「ソクラテス・サンバ・カフェ」)を主催。
〈主な著書・論文〉『他者性の時代—モダニズムの彼方へ』(共著)(河上正秀編、世界文化社、2005年)、「世界からの下降—ハイデガーにおける共同性」(『哲学・思想論叢』第43号、2018年)、「対話である越境—オープンダイアローグ、討議倫理、あるいは哲学カフェの可能性をめぐって」(『哲学・思想論叢』第42号、2017年)
〈主な著書・論文〉『他者性の時代—モダニズムの彼方へ』(共著)(河上正秀編、世界文化社、2005年)、「世界からの下降—ハイデガーにおける共同性」(『哲学・思想論叢』第43号、2018年)、「対話である越境—オープンダイアローグ、討議倫理、あるいは哲学カフェの可能性をめぐって」(『哲学・思想論叢』第42号、2017年)
登録情報
- 出版社 : ひつじ書房 (2018/7/23)
- 発売日 : 2018/7/23
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 272ページ
- ISBN-10 : 4894768917
- ISBN-13 : 978-4894768918
- Amazon 売れ筋ランキング: - 821,415位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 794位近代西洋哲学
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
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2020年10月11日に日本でレビュー済み
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2020年8月26日に日本でレビュー済み
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知り合いから進められて読んでみました。
ハーバーマスの主張を理解するために、アーレント、リオタールの主張を著者の視点で切り取ってくれています。
リオタールは難解で有名な現代思想家さん、その部分はなかなか理解に苦しみましたが、頭の体操になるのかなと思います。
全体的にカタカナ語や非日常語が多いのでググりながら読みました(私の教養の問題です)。
言葉の話せないアウシュビッツの幼児フルビネク。
死しても語れぬその子のような「われわれではない者」。
「他者」も含め、あらゆる拘束を取り除くという実現不可能なことを目指すことで、ポストモダン時代の「終わりなきコミュニケーション」を続けて行く。
私の読みが甘く、このように書いてみてもイミフメイですが・・・
通読していると、心に響く部分がいくつもあると思います。
ハーバーマスの主張を理解するために、アーレント、リオタールの主張を著者の視点で切り取ってくれています。
リオタールは難解で有名な現代思想家さん、その部分はなかなか理解に苦しみましたが、頭の体操になるのかなと思います。
全体的にカタカナ語や非日常語が多いのでググりながら読みました(私の教養の問題です)。
言葉の話せないアウシュビッツの幼児フルビネク。
死しても語れぬその子のような「われわれではない者」。
「他者」も含め、あらゆる拘束を取り除くという実現不可能なことを目指すことで、ポストモダン時代の「終わりなきコミュニケーション」を続けて行く。
私の読みが甘く、このように書いてみてもイミフメイですが・・・
通読していると、心に響く部分がいくつもあると思います。
2018年10月15日に日本でレビュー済み
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「ポストモダニスト=ユルゲン・ハーバーマスは次のように言う」(p. 20)と本文しょっぱなから書いてあるが、ハーバーマスはいつからポストモダニストになったんだ?
アーレント、リオタール、ハーバーマスと名前が並んでいるが、それぞれの哲学者に関する先行研究への言及もほとんどなく、直接的な言及がない割にところどころ先行研究と似たようなことを中途半端に言っている私的ポエム。エッセイですらない。
アーレント、リオタール、ハーバーマスと名前が並んでいるが、それぞれの哲学者に関する先行研究への言及もほとんどなく、直接的な言及がない割にところどころ先行研究と似たようなことを中途半端に言っている私的ポエム。エッセイですらない。
2020年10月10日に日本でレビュー済み
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私は哲学を勉強しているのですが、正直どの本を読んでもちんぷんかんぷんだったり、関連の参考書を読んでも何となく分かったような気になることばかりです。
でもこの本は、ちゃんと一つづつ読めばそういうことか!と分かるし、ただ内容が理解できるだけでなく、どうして政治があるのか、どうして人は話し合って考えなければならないのか、そもそもなんで哲学があるのか、そういう自分の世界や人生に直結するようなことがしっかり腹に落ちて分かります。書かれている言葉自体は、難しくなく分かりやすいものが多く、何度も話を整理してくれています。そういう文章でこれだけの内容を表し伝えられるのはすごいことだと思います。
この本は公共性について、アーレント、リオタール、ハーバーマスの哲学者の順に話が進みます。すべての話はつながっており、順を追って読めば、それぞれの哲学者がどんな問題を乗り越えようとしたのか、それがどう引き継がれたのか、とてもよく分かります。私はこの3人の哲学者について全く初心者であり、今の時点では本書の内容をすべて理解しているわけではありません。しかしこの本は3人の哲学者や公共性について学ぶ専門書としてとても勉強になるし、私はこの本からすごく大切なものを受け取っていると思っています。感動したし、それからやはり哲学って面白い!と思える本です。
この本は初めて哲学に触れる人にも、今哲学を勉強している人にも読んでもらいたいし、絶対にためになると思います。
でもこの本は、ちゃんと一つづつ読めばそういうことか!と分かるし、ただ内容が理解できるだけでなく、どうして政治があるのか、どうして人は話し合って考えなければならないのか、そもそもなんで哲学があるのか、そういう自分の世界や人生に直結するようなことがしっかり腹に落ちて分かります。書かれている言葉自体は、難しくなく分かりやすいものが多く、何度も話を整理してくれています。そういう文章でこれだけの内容を表し伝えられるのはすごいことだと思います。
この本は公共性について、アーレント、リオタール、ハーバーマスの哲学者の順に話が進みます。すべての話はつながっており、順を追って読めば、それぞれの哲学者がどんな問題を乗り越えようとしたのか、それがどう引き継がれたのか、とてもよく分かります。私はこの3人の哲学者について全く初心者であり、今の時点では本書の内容をすべて理解しているわけではありません。しかしこの本は3人の哲学者や公共性について学ぶ専門書としてとても勉強になるし、私はこの本からすごく大切なものを受け取っていると思っています。感動したし、それからやはり哲学って面白い!と思える本です。
この本は初めて哲学に触れる人にも、今哲学を勉強している人にも読んでもらいたいし、絶対にためになると思います。
2019年5月2日に日本でレビュー済み
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アーレント、リオタール、ハーバーマスの思想が、「共同性」を軸に分かりやすく書かれています。「他者」の場所を確保するには、「他者」たちが共存するには、という問題意識に導かれています。そして、「他者」とは誰なのか……。それぞれの哲学者における「他者」のあり様とその魅力・問題点が分かります。専門書ですが、堅苦しく難しく見えるような言葉はあまり使われず、使われていても(哲学者の本から引用された文には難しいものもあります)、著者によって上手く整理されているので、読む意欲さえあれば、専門的な知識がない人でも読めるようになっています。
この本は、3人の思想が、思想とそれへの批判の積み重なりというかたちの、ひとつながりの流れで書かれているので、最初から順に読んでいくのがオススメです。1,2章では、「この哲学者好きだなあ」と思わせられたあとに「でもこういう限界がある」と示されるので、そのつど一喜一憂させられます。そういうふうに感情を伴って読み進められる感じが、小説を読むのと似ている気もします。読み進めていくに従って見える景色がどんどん変わっていく感じは、山登りに似てもいるかもしれません。著者の見た景色を追体験していくような感覚です。この本は、著者の歩いた道筋を「知る」だけでなく、それに沿って読者自身が「自分なりに歩いていける」ようになっていると思います。哲学的な知識や考え方を得るだけでなく、読みながら、実際に読者自身が哲学的に思考することのできる本です。
3章、結、あとがきでこの本の結論と呼べるようなものが描かれますが、それら3つでそれぞれ少しずつ違った感動がありました。
そして、読み終わったあとには「もやもや」が残りました(悪い意味ではありません)。この「もやもや」については、これから自分自身でも考えていきたいと思います。
この本は、3人の思想が、思想とそれへの批判の積み重なりというかたちの、ひとつながりの流れで書かれているので、最初から順に読んでいくのがオススメです。1,2章では、「この哲学者好きだなあ」と思わせられたあとに「でもこういう限界がある」と示されるので、そのつど一喜一憂させられます。そういうふうに感情を伴って読み進められる感じが、小説を読むのと似ている気もします。読み進めていくに従って見える景色がどんどん変わっていく感じは、山登りに似てもいるかもしれません。著者の見た景色を追体験していくような感覚です。この本は、著者の歩いた道筋を「知る」だけでなく、それに沿って読者自身が「自分なりに歩いていける」ようになっていると思います。哲学的な知識や考え方を得るだけでなく、読みながら、実際に読者自身が哲学的に思考することのできる本です。
3章、結、あとがきでこの本の結論と呼べるようなものが描かれますが、それら3つでそれぞれ少しずつ違った感動がありました。
そして、読み終わったあとには「もやもや」が残りました(悪い意味ではありません)。この「もやもや」については、これから自分自身でも考えていきたいと思います。
2021年3月2日に日本でレビュー済み
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第一章でアーレントをまず論じた後、後続の章でリオタールとハーバーマスによるアーレント批判を紹介しています。
批判であるがゆえに、アーレントへの指摘がなされていくわけですが、著者である五十嵐氏は決してアーレントを「終わった」思想家として切り捨てることはしません。文章の随所から、終始アーレントへのリスペクトが滲み出ています。
文章は非常に詩的で、合う人にはとことん合います。(私はその口です)
これほど優雅に、それでいて情熱的に哲学者を紹介し、論じるのは並大抵の人にはできない所業でしょう。筆者の文才がうかがえます。
私が2020年に読んだ(発売は2018年)、200~300冊の人文学系の本のなかで、いちばん良かった本です。強く、おすすめできます。
もちろん、内容も文体に劣らず優れたものです。特に、リオタールとハーバーマスについては、日本語で手に入る解説書にわかりやすいものがあまりないため、本書を「リオタール入門」「ハーバーマス入門」として読むのもおすすめです。(もっとも、彼らのアーレント批判を中心に紹介しているため、包括的な紹介・解説がなされているわけではありません)
最後に、序文を一部引用します。筆者の言葉に揺さぶられた人は、是非この本を手に取ってみてください。
「ポストモダンは――リオタールやハーバーマスは――なぜアーレントを取り上げるのか。なぜ彼女を批判するのか。あるいは、その批判を通して見えてくるポストモダンの問題とは何なのか。そして、そこで提出されている「正当な」共同性とはいかなるものなのか――つまり、ポストモダンにおける公共性はいかに可能なのか。
だが、「ポストモダンにおける公共性」?
そんなものがあるのか? 何か特殊な、そのような公共性が?
おそらくそうではあるまい。
あるのは、ただ、これまでの共生のあり方ではない、別の共生のあり方に対する希求だけである。これまで正当化されてきた伝統的な共同性ではない、その、ではないという形において模索されるような共同性のあり方である。
端的に言えば、われわれは共生のあり方を、つまり「政治を別の仕方で考えなければならない」のだ。」
批判であるがゆえに、アーレントへの指摘がなされていくわけですが、著者である五十嵐氏は決してアーレントを「終わった」思想家として切り捨てることはしません。文章の随所から、終始アーレントへのリスペクトが滲み出ています。
文章は非常に詩的で、合う人にはとことん合います。(私はその口です)
これほど優雅に、それでいて情熱的に哲学者を紹介し、論じるのは並大抵の人にはできない所業でしょう。筆者の文才がうかがえます。
私が2020年に読んだ(発売は2018年)、200~300冊の人文学系の本のなかで、いちばん良かった本です。強く、おすすめできます。
もちろん、内容も文体に劣らず優れたものです。特に、リオタールとハーバーマスについては、日本語で手に入る解説書にわかりやすいものがあまりないため、本書を「リオタール入門」「ハーバーマス入門」として読むのもおすすめです。(もっとも、彼らのアーレント批判を中心に紹介しているため、包括的な紹介・解説がなされているわけではありません)
最後に、序文を一部引用します。筆者の言葉に揺さぶられた人は、是非この本を手に取ってみてください。
「ポストモダンは――リオタールやハーバーマスは――なぜアーレントを取り上げるのか。なぜ彼女を批判するのか。あるいは、その批判を通して見えてくるポストモダンの問題とは何なのか。そして、そこで提出されている「正当な」共同性とはいかなるものなのか――つまり、ポストモダンにおける公共性はいかに可能なのか。
だが、「ポストモダンにおける公共性」?
そんなものがあるのか? 何か特殊な、そのような公共性が?
おそらくそうではあるまい。
あるのは、ただ、これまでの共生のあり方ではない、別の共生のあり方に対する希求だけである。これまで正当化されてきた伝統的な共同性ではない、その、ではないという形において模索されるような共同性のあり方である。
端的に言えば、われわれは共生のあり方を、つまり「政治を別の仕方で考えなければならない」のだ。」