もちろん近藤誠がどう言っているか、を知りたかったのである。
しかし、その文章の巧みさとともに強力な説得力と共感を呼んだのは今は国会議員となった、
当時は小児科医の阿部知子氏であった。
過去に行われた臓器移植は、救命救急の原則から外れた行為、つまり殺人であったとし、殺人罪の原告団の一人ともなった。
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私は臓器を提供しない (新書y 1) 新書 – 2000/3/1
近藤 誠
(著)
- 本の長さ220ページ
- 言語日本語
- 出版社洋泉社
- 発売日2000/3/1
- ISBN-10489691452X
- ISBN-13978-4896914528
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
ドナーカードに承諾のサインをしないのは、人道に反することなのか? 十名の論客がそれぞれの「私」からの発言で、脳死・移植への根本的な疑問を呈し、読者に「自分の立場」を選択するための材料を提供する。
登録情報
- 出版社 : 洋泉社 (2000/3/1)
- 発売日 : 2000/3/1
- 言語 : 日本語
- 新書 : 220ページ
- ISBN-10 : 489691452X
- ISBN-13 : 978-4896914528
- Amazon 売れ筋ランキング: - 792,721位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 128位新書y
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2008年11月22日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2007年9月22日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
真っ先にコレを読み私も臓器は提供しない派に至りました。何気なく私の身辺にも、もし?という前提で臓器を提供するかどうか?との問いを投げかけてみた所『死んじゃったら提供してもいんじゃないかな』という身辺からの回答が多かったです。
提供するに至る裏事情やその背景を知らなければ、きっと私も安易に考えたかも知れない。でも人の死を主旨に取り上げた時、こうした形だけでは割り切れないモノが正直込み上げてきます。人間リサイクルは決して響きの良いモノではないですよね‥。臓器提供の善し悪しの前に、死への見解を再び考えさせられる一冊でした。根底から見つめ直すには1つの切り口として読んでみるのもいいと思います。
提供するに至る裏事情やその背景を知らなければ、きっと私も安易に考えたかも知れない。でも人の死を主旨に取り上げた時、こうした形だけでは割り切れないモノが正直込み上げてきます。人間リサイクルは決して響きの良いモノではないですよね‥。臓器提供の善し悪しの前に、死への見解を再び考えさせられる一冊でした。根底から見つめ直すには1つの切り口として読んでみるのもいいと思います。
2008年5月10日に日本でレビュー済み
この本に書いてある臓器移植とは生者が生者に移植する通常の手術ではなく、脳死した
生者(まだ完全に死んでいるのではない)から生者に移植する手術のことである。
つまり、死んでいるからいいじゃないかという単純な話ではない。まだ、心臓が動いて
いて臓器が新鮮なことが臓器移植に必要なのだ。
しかし、その人が本当に死んでいるかどうかは本当の所誰にも判らないことなのだ。
それなのに、脳死と判定されたら、身体を切り刻まれ心臓を肝臓を膵臓が取り去られる。
もし、今は医学的に判定できないが本当は脳はまだ意識があるかも知れないのにだ!
それに、臓器を欲しいという人が増えれば、臓器を打って金に換えたいという人が現れ
る。そして、臓器が売れるとなれば必ずそれを商品とする悪い人間がいる。つまり、生き
た人から臓器を抽出する組織が出現する。第3世界の子供達が臓器を盗るために殺されて
いるという噂がたえない現在。臓器を商品にさしてはいけない。これだけは、決してさせ
てはならない。
生者(まだ完全に死んでいるのではない)から生者に移植する手術のことである。
つまり、死んでいるからいいじゃないかという単純な話ではない。まだ、心臓が動いて
いて臓器が新鮮なことが臓器移植に必要なのだ。
しかし、その人が本当に死んでいるかどうかは本当の所誰にも判らないことなのだ。
それなのに、脳死と判定されたら、身体を切り刻まれ心臓を肝臓を膵臓が取り去られる。
もし、今は医学的に判定できないが本当は脳はまだ意識があるかも知れないのにだ!
それに、臓器を欲しいという人が増えれば、臓器を打って金に換えたいという人が現れ
る。そして、臓器が売れるとなれば必ずそれを商品とする悪い人間がいる。つまり、生き
た人から臓器を抽出する組織が出現する。第3世界の子供達が臓器を盗るために殺されて
いるという噂がたえない現在。臓器を商品にさしてはいけない。これだけは、決してさせ
てはならない。
2003年6月28日に日本でレビュー済み
かつて立花隆は「脳死」の中で移植医というのはハイエナみたいで信用できないと言っていた。
まあそれはそうだろう、移植医としては、自分の目の前の患者が死んで(脳死)くれれば別の人間が助かるのだ、そして自分がその移植をしようしているのだから、ドナーは死んでくれた方がいいというわけだ。それに大体移植なんてやろうという医師は野心というか功名心がすごいだろうから、何が何でも移植に持ち込もうとするだろう。
まあそれでも日本の場合はヨーロッパの多くの国と違って本人プラス家族の意思が必要だというのは救いだ。(ヨーロッパだと拒絶の医師を明示しない限り臓器提供を希望しているとみなされる国が多い。)
少なくとも近藤が言うように、わずかな例しか期待できない臓器移植よりも救急救命(特に小児)の充実のほうが先決だと思う。救急医療、小児医療については今までロクな話を読んでこなかったので、ぜひとも願う。
大体、臓器移植とは一人が死ぬことによってのみ成立するものだ。だとするとどんなに頑張っても限界はある。
まあそれはそうだろう、移植医としては、自分の目の前の患者が死んで(脳死)くれれば別の人間が助かるのだ、そして自分がその移植をしようしているのだから、ドナーは死んでくれた方がいいというわけだ。それに大体移植なんてやろうという医師は野心というか功名心がすごいだろうから、何が何でも移植に持ち込もうとするだろう。
まあそれでも日本の場合はヨーロッパの多くの国と違って本人プラス家族の意思が必要だというのは救いだ。(ヨーロッパだと拒絶の医師を明示しない限り臓器提供を希望しているとみなされる国が多い。)
少なくとも近藤が言うように、わずかな例しか期待できない臓器移植よりも救急救命(特に小児)の充実のほうが先決だと思う。救急医療、小児医療については今までロクな話を読んでこなかったので、ぜひとも願う。
大体、臓器移植とは一人が死ぬことによってのみ成立するものだ。だとするとどんなに頑張っても限界はある。
2001年2月17日に日本でレビュー済み
立花隆の脳死臨調批判等を読んで今の医学水準では「正確で厳密な脳死判定は不可能だ」と感じたが、この本ではその理由を各界の著者がそれぞれの立場と言葉でわかり易く伝えてくれる。ドナーカードを持つという行為が現状ではいかに「危険なこと」であるかも。臓器移植に関して、直視しなければならない現実が語られるが、特に医師サイドからの複数の意見には説得力がある。