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坂口安吾論 単行本 – 2017/10/14
柄谷行人
(著)
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『坂口安吾全集』全17巻(筑摩書房)の編集委員である著者が、月報に連載した坂口安吾論170枚を第一部に、2005年の論考「坂口安吾のアナキズム」や2010年に米国の安吾論集に寄稿した「合理への「非合理」な意志」、1975年の著名な評論「『日本文化私観』論」などを収録、大幅改稿による柄谷安吾論の集大成として刊行。著者の安吾論にはこれまで『坂口安吾と中上健次』(太田出版、講談社文芸文庫)があるが、本書が初の単独の安吾論集であり、7割以上が初めての単行本収録となる。
自ら自由人たらんとした安吾的精神、戦争をはさんで書かれた、日本人の自己欺瞞を鋭く突く安吾の言説の、今もアクチュアルな意味あいを抽出し、虚飾を排したその文学の全体像を描く評論集。
自ら自由人たらんとした安吾的精神、戦争をはさんで書かれた、日本人の自己欺瞞を鋭く突く安吾の言説の、今もアクチュアルな意味あいを抽出し、虚飾を排したその文学の全体像を描く評論集。
- 本の長さ276ページ
- 言語日本語
- 出版社インスクリプト
- 発売日2017/10/14
- 寸法19.4 x 13.5 x 2 cm
- ISBN-104900997676
- ISBN-13978-4900997677
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登録情報
- 出版社 : インスクリプト; 四六版 (2017/10/14)
- 発売日 : 2017/10/14
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 276ページ
- ISBN-10 : 4900997676
- ISBN-13 : 978-4900997677
- 寸法 : 19.4 x 13.5 x 2 cm
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- カスタマーレビュー:
著者について
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1941年生まれ。評論家 (「BOOK著者紹介情報」より:本データは『 世界史の構造 (ISBN-13: 978-4000236935 )』が刊行された当時に掲載されていたものです。)
カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2017年12月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
坂口安吾は、結構、本当のことを言っている。それがよくわかる安吾論。読まずにいるのはもったいない。
2018年6月7日に日本でレビュー済み
カントと後期フロイトの哲学を使った坂口安吾論。「FARCEについて」、「文学のふるさと」や「日本文化私観」等の文章を引用しながら、安吾の奥底に、恐怖の対象である<現実>を「ふるさと」とした特異な精神のあり方を著者は見る。この指摘自体は著者にしかできない非常に深い読み方だと思うが、一方で、安吾作品に滲み出る巨大な人間愛、優しさについては、最小限の触れ方しかされていない。率直に言って、この点は、安吾の読み方としては不自然な読み方だと思う。(例えば、著者があとがきで引用した、安吾全集への津島佑子氏の賛辞においては、安吾の人間愛が明確に書かれている。)
恐らく、著者は安吾を世俗的な意味での浅いヒューマニストとして矮小化されることを恐れたのだろうが、同時に、ヒューマニズムを語る動機と分析フレームを持ち合わせていなかったのだとも思う。カントや後期フロイトからは人間のどうしようもなさ、恐ろしさは連想できても、そのような<現実>もひっくるめて人間というものの有り様を愛するという、宗教家レベルのパッションを説明することはできない。そして、このパッションこそ、若き日の安吾が仏教を志した理由であり、中世に日本に「イノチガケ」で渡ったキリスト教伝道師の不合理な情熱への関心(=このようなパッションに安吾が惹かれたことは著者も再三指摘している)を裏付けるものだと僕は思うのだ。
著者は安吾の「知性」を称賛するが、その際に分析の外に置いたものを考えると、余りに「知性的な」安吾論だったように思う。ただし、本書の批評が、発表当時も今も一級の知的読解だったことには変わりない。そもそも著者が称賛し続けないと、安吾という作家は死後、世間からは忘れられた作家になっていたはずなのだ。
恐らく、著者は安吾を世俗的な意味での浅いヒューマニストとして矮小化されることを恐れたのだろうが、同時に、ヒューマニズムを語る動機と分析フレームを持ち合わせていなかったのだとも思う。カントや後期フロイトからは人間のどうしようもなさ、恐ろしさは連想できても、そのような<現実>もひっくるめて人間というものの有り様を愛するという、宗教家レベルのパッションを説明することはできない。そして、このパッションこそ、若き日の安吾が仏教を志した理由であり、中世に日本に「イノチガケ」で渡ったキリスト教伝道師の不合理な情熱への関心(=このようなパッションに安吾が惹かれたことは著者も再三指摘している)を裏付けるものだと僕は思うのだ。
著者は安吾の「知性」を称賛するが、その際に分析の外に置いたものを考えると、余りに「知性的な」安吾論だったように思う。ただし、本書の批評が、発表当時も今も一級の知的読解だったことには変わりない。そもそも著者が称賛し続けないと、安吾という作家は死後、世間からは忘れられた作家になっていたはずなのだ。