「ブルセラ援交テレクラの宮台」と言うパブリックイメージを早く払拭して欲しい!
そう思わせる明解な論調と行動力に恥ずかしながら目から鱗が落ちました。
だけど社会システムに適応出来る(思考停止)コギャル的な連中を「まったり族」と言い換えて容認し
社会システムに適応出来ない(異議申し立てをする)アダルトチルドレン的な連中を「意味追求族」を
ハタ迷惑で危険と言い切っちゃうあたりにかなり違和感を覚えます。
要するにシステムを管理するエリートな俺様宮台の社会政策論的観点からいって
『一般大衆は自分で考える必要はなく試行錯誤して失敗したり成長する自由もない』
って話しになっちゃう。一歩間違うとファシズム 目つきも悪くなる罠。
無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
絶望から出発しよう (That’s Japan 6) 単行本 – 2003/2/15
宮台 真司
(著)
- 本の長さ168ページ
- 言語日本語
- 出版社ウェイツ
- 発売日2003/2/15
- ISBN-104901391305
- ISBN-13978-4901391306
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
ページ 1 以下のうち 1 最初から観るページ 1 以下のうち 1
商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
いまの日本では、市民エリートを育成して自分たちで政治をチェックしない限り、座して地獄に堕ちるしかない! では、どういうシステムを構想すべきか? 忘却のかなたに置かれた「アジア主義の顛末」にヒントを探る。
登録情報
- 出版社 : ウェイツ (2003/2/15)
- 発売日 : 2003/2/15
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 168ページ
- ISBN-10 : 4901391305
- ISBN-13 : 978-4901391306
- Amazon 売れ筋ランキング: - 117,366位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 1,549位社会一般関連書籍
- - 2,338位社会学概論
- - 26,635位ノンフィクション (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。
1959年、宮城県生まれ。
社会学者、評論家。首都大学東京教授。公共政策プラットフォーム研究評議員。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了(社会学博士)。『日本の難点』(幻冬舎)、『14歳からの社会学』(世界文化社)、『中学生からの愛の授業』(コアマガジン)『<世界>はそもそもデタラメである』(メディアファクトリー)、『制服少女たちの選択』(朝日文庫)、『終わりなき日常を生きろ』(ちくま文庫)など多数。
カスタマーレビュー
星5つ中4.4つ
5つのうち4.4つ
全体的な星の数と星別のパーセンテージの内訳を計算するにあたり、単純平均は使用されていません。当システムでは、レビューがどの程度新しいか、レビュー担当者がAmazonで購入したかどうかなど、特定の要素をより重視しています。 詳細はこちら
16グローバルレーティング
虚偽のレビューは一切容認しません
私たちの目標は、すべてのレビューを信頼性の高い、有益なものにすることです。だからこそ、私たちはテクノロジーと人間の調査員の両方を活用して、お客様が偽のレビューを見る前にブロックしています。 詳細はこちら
コミュニティガイドラインに違反するAmazonアカウントはブロックされます。また、レビューを購入した出品者をブロックし、そのようなレビューを投稿した当事者に対して法的措置を取ります。 報告方法について学ぶ
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2004年8月8日に日本でレビュー済み
サブカルから権力論へと大きく方向を変えた(最近またサブカルへと戻ってもいますが)宮台氏の、中心的な話題を整理するのに丁度よい本。
宮台氏を「サブカルテレクラ援交野郎」だと未だに思っている方がいるなら、少しだけでも読まれるのがよろしいかと思います。
初めて読むのにも適しているように思えますし、ちょこちょこ宮台氏をチェックしている方には、見たことがある話題ばかりかも知れませんが、宮台氏の関心をまとまって理解できるという点では有意義だと思います。
ただし、読後感はかなり悪いです。まさしく「絶望から出発しよう」です。
おそらく宮台氏が抱えているであろう絶望感を一手に負わされる感じがします。問題があるとすれば、「それはお前の絶望で、オレには関係ないぞ」といった反論の可能性ですが、現在の社会に少なからぬ閉塞感なり絶望を感じている方なら、宮台氏に共感できましょう。
宮台氏を「サブカルテレクラ援交野郎」だと未だに思っている方がいるなら、少しだけでも読まれるのがよろしいかと思います。
初めて読むのにも適しているように思えますし、ちょこちょこ宮台氏をチェックしている方には、見たことがある話題ばかりかも知れませんが、宮台氏の関心をまとまって理解できるという点では有意義だと思います。
ただし、読後感はかなり悪いです。まさしく「絶望から出発しよう」です。
おそらく宮台氏が抱えているであろう絶望感を一手に負わされる感じがします。問題があるとすれば、「それはお前の絶望で、オレには関係ないぞ」といった反論の可能性ですが、現在の社会に少なからぬ閉塞感なり絶望を感じている方なら、宮台氏に共感できましょう。
2003年9月13日に日本でレビュー済み
インタビュー形式になった宮台氏のメッセージ集。これまでの言説をより精錬した内容だが、一層強い危機感がにじむ。
宮台氏はまずポストモダニズム批判を通して、現代という時代の位置付けを行う。それによると、現代は「後期近代」であり、近代を支えた夢が急速にシステムと両立できなくなってきている時代である。
そのため様々な問題が噴出するわけだが、宮台氏はここで「表現」と「表出」の違いを説明する。実際の法制論議を題材に、くさいものに蓋をし、あるいは自己の感情を吐露し、やれやれと安心を得る「表出」的思考(例えば近代が「伝統」を「発見」するというマンハイムの議論も知らず、たかだか昭和30年代の思い出を「伝統」としてすがる無教養な「伝統」主義)を批判し、徹底した戦略的思耡?に立って可能な社会・実効的な政策のあり方を探る「表現」的思考を示す。そして、日本にはそういう思考をもったエリートが市民にも官僚にも政治家にもいないと指摘する。
蔓延する「表出」的思考。宮台氏の立場からは、「伝統」主義もポストモダニズムも、現実を直視できないロマン主義者を慰撫するだけの救済の神学に過ぎない。絶望の足らない連中はロマンにすがり、問題を温存する。現代社会(後期近代)を直視することは、我々を支えていた近代のロマンを崩壊させるが、その痛みに耐え、古い夢をすて(すなわち絶望し)、古い夢の再生(反動)ではなく、これから可能な価値観・システムを探ること(=近代を徹底すること)こそが、とりうる道である、と、宮台氏は説く。
宮台氏の読者にとって本書に目新しさはないが、北極星のように動かず、一貫した論理を展開していることは信頼性の証明であり、我々に確かな道を示す。思考整理の為にもおすすめ、特にアジア主義の論考は近代を徹底する立場の人間にも応用問題になる。
初めての人には少し難解なので、『これが答えだ!』(朝日文庫)を読んでからのほうがいい
宮台氏はまずポストモダニズム批判を通して、現代という時代の位置付けを行う。それによると、現代は「後期近代」であり、近代を支えた夢が急速にシステムと両立できなくなってきている時代である。
そのため様々な問題が噴出するわけだが、宮台氏はここで「表現」と「表出」の違いを説明する。実際の法制論議を題材に、くさいものに蓋をし、あるいは自己の感情を吐露し、やれやれと安心を得る「表出」的思考(例えば近代が「伝統」を「発見」するというマンハイムの議論も知らず、たかだか昭和30年代の思い出を「伝統」としてすがる無教養な「伝統」主義)を批判し、徹底した戦略的思耡?に立って可能な社会・実効的な政策のあり方を探る「表現」的思考を示す。そして、日本にはそういう思考をもったエリートが市民にも官僚にも政治家にもいないと指摘する。
蔓延する「表出」的思考。宮台氏の立場からは、「伝統」主義もポストモダニズムも、現実を直視できないロマン主義者を慰撫するだけの救済の神学に過ぎない。絶望の足らない連中はロマンにすがり、問題を温存する。現代社会(後期近代)を直視することは、我々を支えていた近代のロマンを崩壊させるが、その痛みに耐え、古い夢をすて(すなわち絶望し)、古い夢の再生(反動)ではなく、これから可能な価値観・システムを探ること(=近代を徹底すること)こそが、とりうる道である、と、宮台氏は説く。
宮台氏の読者にとって本書に目新しさはないが、北極星のように動かず、一貫した論理を展開していることは信頼性の証明であり、我々に確かな道を示す。思考整理の為にもおすすめ、特にアジア主義の論考は近代を徹底する立場の人間にも応用問題になる。
初めての人には少し難解なので、『これが答えだ!』(朝日文庫)を読んでからのほうがいい
2003年12月23日に日本でレビュー済み
宮台真司さんというと、僕が学生の頃朝日新聞のブルセラ論争を皮切りに彗星のように登場したサブカルチャーを舞台にした社会学者という印象が強くて、政治とか法律とかちょっと堅い系とは縁がないおちゃらけた人もしくは、サブカルの領域からどーせ世界も国もかえられないのに口だけ達者な人々系(笑)と同種の人かなーと思っていたのだけど、最近のアメリカ張りの官僚に対するロビー活動やこれを読んで政治に関して口出してきたのを読んで、へーまっとうな人なんだな~と感心したのを覚えている。・・・・というのは失礼か?(笑)。
ちょっと彼が主戦場にしていた領域を変えてきたなぁと最初に感じた著作ですね。宮台さんは好きなので、ずっとウォチャー(軽くですけど)してるので、びっくりしました。第1章の「まったり革命のその後」の中で、編集者が、宮台さんに対して、政策決定のできる市民エリートの必要性とエリート養成の教育を提唱し、ロビー活動をして日本を変えようとする宮台さんとサブカルで若者の生態を研究するという、異なる二つの顔の間を埋める論理を知りたいという導入部を主張するが、これはとってもわかりやすかった。かなり極論で割り切りすぎな気もするが、僕のような食べていくために忙しくて研究する暇もちゃんと勉強する暇もないパンピーにとっては、刺激的ですねー。やっぱり、本に書くからにはある程度の分かりやすさと目的意識がないと、少なくとも政治とか思想を語る価値はないと思うんですよね、現代では。今は、認識よりも実践の時代だと思います。世界は変えられてなんぼですから。
ちょっと彼が主戦場にしていた領域を変えてきたなぁと最初に感じた著作ですね。宮台さんは好きなので、ずっとウォチャー(軽くですけど)してるので、びっくりしました。第1章の「まったり革命のその後」の中で、編集者が、宮台さんに対して、政策決定のできる市民エリートの必要性とエリート養成の教育を提唱し、ロビー活動をして日本を変えようとする宮台さんとサブカルで若者の生態を研究するという、異なる二つの顔の間を埋める論理を知りたいという導入部を主張するが、これはとってもわかりやすかった。かなり極論で割り切りすぎな気もするが、僕のような食べていくために忙しくて研究する暇もちゃんと勉強する暇もないパンピーにとっては、刺激的ですねー。やっぱり、本に書くからにはある程度の分かりやすさと目的意識がないと、少なくとも政治とか思想を語る価値はないと思うんですよね、現代では。今は、認識よりも実践の時代だと思います。世界は変えられてなんぼですから。
2003年12月10日に日本でレビュー済み
すでに多くのレビューがありますから内容云々ではなく簡潔に書きます。
宮台を読んだことない方や「ただのテレクラ好きヤローめ!」なんて思っている方に読んでいただきたいです。
かなり読みやすく彼の問題意識の深さが平易かつタブロイド的でなく理解できる本だと思います。
宮台を読んだことない方や「ただのテレクラ好きヤローめ!」なんて思っている方に読んでいただきたいです。
かなり読みやすく彼の問題意識の深さが平易かつタブロイド的でなく理解できる本だと思います。
2003年3月6日に日本でレビュー済み
この本はインタビュー形式で、内容は(特に最近)宮台氏がいろんな所で言っている事を一冊にまとめた、と言った印象を受けました。 最初、書店で、ペラペラ立ち読みした時は、買おうか、どうか迷ったんです、上に書いたように感じたから(結構、値が張るし)。でも読むと、読みやすいし、もちろん+αなところもあって、面白かった。 宮台って、気になるけど、どれから読めばいいか分からない、という人には、(『これが答えだ』よりも)この本をオススメします。勿論、何冊も宮台本を読んでいる人にも。
2013年4月18日に日本でレビュー済み
まず、本書き込みに反対意見がある場合には、是非コメント欄に反論を!
「絶望から出発しよう」という宮台にまず伺ってみたい。宮台はいつ絶望したかということを。
若いときは、かれの「コミュニケーション能力」平たく言うと、舌先三寸、(仁は少なき)巧言麗飾の持ち味を発揮して、「ブルセラ少女」や「援交少女」達とマグワリまくった生活で、若き女体を堪能し尽くした男が宮台。その宮台が「終わりなき日常を生きろ」などと言うものだから、三浦展(あつし)ならずとも、その社会学者はきっと援交ギャルの一人とでも結婚するのだろうと思うのは順当な予想というものだ。しかし、彼が結婚したのは名門女子大卒の若く美しいお嬢様。しかも今時珍しい“箱入り娘”だったそうだ。宮台の経歴を聞くと、名門の私立中高一貫校から東大に進学し、研究(フィールドワーク)と称して既述のような、若き女体を堪能しまくる生活をした後、都内にある名門公立大学で助教授(後に教授)になっているというものだった。
人には「終わりなき日常を生きろ」と言ってきた宮台だが、彼の行動は、決して「終わりなき日常」なんていうような貧困な世界を生きようなどとはしていないことに注目すべき! この言行の不一致の中に宮台の本質がある。
「終わりなき日常」の論は誤りだったと宮台も認めているらしい(どこにお詫びの記事を書いているのかは不明)が、今度は「絶望から出発しよう」だそうだ。
「思想者は実践せよ」と説く宮台だが、上半身も下半身も欲望を追求して走り続けてきた宮台、どこから見ても「絶望」なんかした形跡はない。日本の女に手を出してケガレた遺伝子を撒こうとする スーフリ和田とも見まがうごとき宮台。自分のカリは広がっていると、出川レベルの自慢話もしていたが、・・・本当は「絶望」するくらい、お粗末チ○ポではないのか?? (どんなお粗末チ○ポか見せてみろ宮台!)
宮台の作品は、解体した宮台の人格を分析する題材として使用する意味はあるが、客観世界を反映した研究にはまったくなっていないことは、すでに、終わりなき日常を生きろ―オウム完全克服マニュアル (ちくま文庫) の書評に書いたとおり。
自分は、貪欲なまでに世界の豊穣(女体や名誉、金だね)を味わいつくす宮台が、一般人のあなた方には「終わりなき日常」や「絶望から出発」を提示し、そんな生しかくれようとしないのはどういうことだろう?
可能性があるのは1つしかない。自分はおいしいものを食べるが、おまえらはこんなものでも食っていろ!という猿蟹合戦のサルの心境だ(サルはカニをだまして握り飯をとりあげて食べ、柿の種をそだてたカニに、硬い実を投げつけ、自分は熟れた柿の実を食べた)。結局、宮台は、自分は、握り飯(教授職・家庭 etc)熟れた柿(多くの若き女体)を堪能しつつ、あなたは柿の種(「終わりなき日常」)を渡され、今度は、食べられもしない硬い実である「絶望」が与えられたのです。
ドイツの生の哲学では、たとえばツアラトストラのように、生き生きとした 生の実現を目指して見せます。別にそれではなくても、宮台よりも、もっと権威もあり、威厳もある多くの思想家が、この男の提示する思想よりもずっと高貴な哲学をいくつも提示しています。
宮台などというサルに、柿の種や食えもしない柿の実を渡されて喜ぶようなことはやめましょう。
マレーシアでは、元々そこに住んでいたマレー人は2級市民に貶められ、華僑という「サル」が利権を牛耳っている。
表題のうしろには (That’s Japan)とありますが、宮台の言うような日本になるのはまっぴらです。
「絶望から出発しよう」という宮台にまず伺ってみたい。宮台はいつ絶望したかということを。
若いときは、かれの「コミュニケーション能力」平たく言うと、舌先三寸、(仁は少なき)巧言麗飾の持ち味を発揮して、「ブルセラ少女」や「援交少女」達とマグワリまくった生活で、若き女体を堪能し尽くした男が宮台。その宮台が「終わりなき日常を生きろ」などと言うものだから、三浦展(あつし)ならずとも、その社会学者はきっと援交ギャルの一人とでも結婚するのだろうと思うのは順当な予想というものだ。しかし、彼が結婚したのは名門女子大卒の若く美しいお嬢様。しかも今時珍しい“箱入り娘”だったそうだ。宮台の経歴を聞くと、名門の私立中高一貫校から東大に進学し、研究(フィールドワーク)と称して既述のような、若き女体を堪能しまくる生活をした後、都内にある名門公立大学で助教授(後に教授)になっているというものだった。
人には「終わりなき日常を生きろ」と言ってきた宮台だが、彼の行動は、決して「終わりなき日常」なんていうような貧困な世界を生きようなどとはしていないことに注目すべき! この言行の不一致の中に宮台の本質がある。
「終わりなき日常」の論は誤りだったと宮台も認めているらしい(どこにお詫びの記事を書いているのかは不明)が、今度は「絶望から出発しよう」だそうだ。
「思想者は実践せよ」と説く宮台だが、上半身も下半身も欲望を追求して走り続けてきた宮台、どこから見ても「絶望」なんかした形跡はない。日本の女に手を出してケガレた遺伝子を撒こうとする スーフリ和田とも見まがうごとき宮台。自分のカリは広がっていると、出川レベルの自慢話もしていたが、・・・本当は「絶望」するくらい、お粗末チ○ポではないのか?? (どんなお粗末チ○ポか見せてみろ宮台!)
宮台の作品は、解体した宮台の人格を分析する題材として使用する意味はあるが、客観世界を反映した研究にはまったくなっていないことは、すでに、終わりなき日常を生きろ―オウム完全克服マニュアル (ちくま文庫) の書評に書いたとおり。
自分は、貪欲なまでに世界の豊穣(女体や名誉、金だね)を味わいつくす宮台が、一般人のあなた方には「終わりなき日常」や「絶望から出発」を提示し、そんな生しかくれようとしないのはどういうことだろう?
可能性があるのは1つしかない。自分はおいしいものを食べるが、おまえらはこんなものでも食っていろ!という猿蟹合戦のサルの心境だ(サルはカニをだまして握り飯をとりあげて食べ、柿の種をそだてたカニに、硬い実を投げつけ、自分は熟れた柿の実を食べた)。結局、宮台は、自分は、握り飯(教授職・家庭 etc)熟れた柿(多くの若き女体)を堪能しつつ、あなたは柿の種(「終わりなき日常」)を渡され、今度は、食べられもしない硬い実である「絶望」が与えられたのです。
ドイツの生の哲学では、たとえばツアラトストラのように、生き生きとした 生の実現を目指して見せます。別にそれではなくても、宮台よりも、もっと権威もあり、威厳もある多くの思想家が、この男の提示する思想よりもずっと高貴な哲学をいくつも提示しています。
宮台などというサルに、柿の種や食えもしない柿の実を渡されて喜ぶようなことはやめましょう。
マレーシアでは、元々そこに住んでいたマレー人は2級市民に貶められ、華僑という「サル」が利権を牛耳っている。
表題のうしろには (That’s Japan)とありますが、宮台の言うような日本になるのはまっぴらです。
2003年11月4日に日本でレビュー済み
何故これほどまでに我々の現実社会を客観的というか、斜に構えて見ることができるのだろうか。
比較的読みやすく、論理的に説明されているので納得してしまいそうになるが、どうしても好きになれないし、やはり納得できない。
文章に筆者の人となりが表れると言うが、この本はもろに出ている。
読み終えた後には、悲壮感と倦怠感が残り、暗い気分になった。
比較的読みやすく、論理的に説明されているので納得してしまいそうになるが、どうしても好きになれないし、やはり納得できない。
文章に筆者の人となりが表れると言うが、この本はもろに出ている。
読み終えた後には、悲壮感と倦怠感が残り、暗い気分になった。