「ジョン万次郎って、漂流したけどアメリカの船に拾われて、アメリカに行って、英語覚えて、それから日本に帰ってきた人でしょ。」
読んでみて、まったくそんな単純ではないことがわかりました。
万次郎が
船長に気に入られてアメリカに行って養子になったことも、
アメリカ社会を知ったことも(政治にも興味あり)、
航海術・捕鯨を習得したのも、
ゴールドラッシュで見事帰国資金を手にできたのも(誰でも儲かったわけではない)、
無事日本に帰国できたのも(←鎖国(管理貿易)の時代なのに!しかもペリー来航前)、
帰国後に重宝されたのも、
すべて万次郎の好奇心・才能・人柄の賜物。東大教授にまでなっています。
そして万次郎がアメリカのことを日本に伝えたからこそ、
そして日本で航海術や海外事情や英語を広めたからこそ
その後の日本が大きく動いたわけです。
その後も、中濱家子孫と船長の子孫との交流が、大戦があったにも関わらず、
いまでも続いているということも、なんだか読んでいて嬉しくなりました。
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中濱万次郎―「アメリカ」を初めて伝えた日本人 単行本 – 2005/3/1
中濱 博
(著)
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ジョン万次郎曾孫の著者が、日記や手紙、公式記録などをもとに新事実・新発見資料を加えて丹念につづり、書き上げた伝記です。 漂流者、万次郎が帰国後、アメリカの文化を鎖国中の日本でどのように伝えたか。坂本龍馬はじめ開国に活躍した人物たちに、どんな影響をもたらしたか。ペリー来航後、開かれた日本でどんな働きをしたか。興味深い事実が次々と明らかになっていきます。開国150年という節目の年に、万次郎の業績を捉え直し、正しい人物像に迫りました。子孫にしか語れない、知られざるエピソードがいっぱいの一冊です。
- 本の長さ364ページ
- 言語日本語
- 出版社冨山房インターナショナル
- 発売日2005/3/1
- 寸法15.7 x 2.7 x 21.8 cm
- ISBN-104902385082
- ISBN-13978-4902385083
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出版社より
中濱万次郎 -「アメリカ」を初めて伝えた日本人ー
万次郎の伝記は私の祖父、中濱東一郎著『中濱萬次郎傳』(冨山房)が定本とされている。昭和11年発行で入手困難である上、70年近い年月が経っている。万次郎の正しい伝記の必要性を感じ、家に残っている資料を含め日記や手紙、公文式書、船の入出港記録などをもとに日時を明確にし、新事実を入れ、歴史を掘り返すことに努めたつもりである。(本書「はじめに」より抜粋)
ジョン万次郎の羅針盤 | ジョン万次郎物語―THE STORY OF JOHN MUNG | ジョン万次郎 | |
---|---|---|---|
カスタマーレビュー |
5つ星のうち4.7
5
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5つ星のうち4.1
11
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5つ星のうち4.2
18
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価格 | ¥3,080¥3,080 | ¥1,980¥1,980 | ¥1,760¥1,760 |
書籍の紹介 | 万次郎の直系が、語り継がれてきた史実を、新資料を加えて改めてその生涯と時代を浮きぼりにした定本。 万次郎の直系が、語り継がれてきた史実を、新資料を加えて改めてその生涯と時代を浮きぼりにした定本。 | 土佐清水市の市民グループの手による文章と、アメリカ人画家による絵。わかりやすい英文も併記し、日米交流の新しい芽が顔をのぞかせている一冊。 | 170年前、海の孤島でのアメリカ人船長との奇跡的な出会い。その時の友好関係は今も生きている。直系の著作によるわかり易い万次郎伝。英訳付き |
著作 | 中濱 武彦 (著) | ウエルカム ジョン万の会 (著), アーサー モニーズ (イラスト) | 中濱 京 (著) |
商品の説明
出版社からのコメント
社団法人日本図書館協会・社団法人全国学校図書館協議会選定図書。
著者について
[著者]中濱 博(なかはまひろし)
1928年、東京生まれ。万次郎直系四代目。学習院高等科(旧制)卒業。名古屋大学医学部卒業。スペインのマドリッド大学大学院修了。1957年、心臓外科の研究で医学博士(マドリッド大学)。聖母病院、東京厚生年金病院外科勤務。医学博士(名古屋大学)。
1966年、(名古屋)聖霊病院院長。同年、名古屋に移住。中日病院、交通医療協会診療所長、老人保育施設「和合の里」施設長などを歴任。日本海事史学会会員。著書に『私のジョン万次郎』(小学館)がある。
1928年、東京生まれ。万次郎直系四代目。学習院高等科(旧制)卒業。名古屋大学医学部卒業。スペインのマドリッド大学大学院修了。1957年、心臓外科の研究で医学博士(マドリッド大学)。聖母病院、東京厚生年金病院外科勤務。医学博士(名古屋大学)。
1966年、(名古屋)聖霊病院院長。同年、名古屋に移住。中日病院、交通医療協会診療所長、老人保育施設「和合の里」施設長などを歴任。日本海事史学会会員。著書に『私のジョン万次郎』(小学館)がある。
登録情報
- 出版社 : 冨山房インターナショナル (2005/3/1)
- 発売日 : 2005/3/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 364ページ
- ISBN-10 : 4902385082
- ISBN-13 : 978-4902385083
- 寸法 : 15.7 x 2.7 x 21.8 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 109,477位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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2020年2月4日に日本でレビュー済み
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2016年7月19日に日本でレビュー済み
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ジョン万次郎こと中濱万次郎直系の子孫(4代目)ならではの資料やエピソードがふんだんに盛り込まれた著作です。図版や出典なども充実しており、身内が書いたという点を差し引いたとしても、非常に価値のある内容でした。
それにしても戦争をまたいで、脈々と交流を続けておられる点は、日米交流の始祖としての自負心ともいえましょうが、人と人との繋がりの大切さを感じさせます。
ホイットフィールド船長の、キリスト教的な隣人愛の精神が今も脈々と受け継がれている事は素晴らしいです。
渡米する機会があったら、ぜひ訪れたい場所がまた一つ増えました。
それにしても戦争をまたいで、脈々と交流を続けておられる点は、日米交流の始祖としての自負心ともいえましょうが、人と人との繋がりの大切さを感じさせます。
ホイットフィールド船長の、キリスト教的な隣人愛の精神が今も脈々と受け継がれている事は素晴らしいです。
渡米する機会があったら、ぜひ訪れたい場所がまた一つ増えました。
2017年3月4日に日本でレビュー済み
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ジョン万次郎研究家の北代淳二氏から特別に推薦を頂き完読した。
今まで万次郎に関する本を数冊読ん来たが当本のことは気付かなかった。
感想は、まず本書が上等にできていること。読み易いこと。
今回、私が最も求めていたのは出来る限り事実に基づいた内容が知りたかったと言うことであったが、十分に応えてもらった。
(以前に読んだ本のなかには万次郎がアメリカ白人女性と結婚をしていた本もあった。段々とその気にさせらたのにはまいったが。)
漂着した孤島から恩人となるホイットフィールド船長のジョン・ハウランド号を最初に発見したのは万次郎でなく、五右衛門であったことから始まり、土佐の殿様、山内容同公から格別の厚遇を受けるようになるが、その動機には同年生まれへの親近感もあったように思われる。調べればわかったことではあるが、今まで容同公はもっと年上と思っていた。万次郎は後年江戸にて7000坪という広大な屋敷を容同公より下賜されている。
ペリー長官が来航してきた時は万次郎が最も通訳に適していたが、日本の良くない傾向が出て抜擢されず、オランダ語を介した通訳するという曲がりくどいことしてしまった。
龍馬の子分、人切り以蔵と呼ばれた岡田以蔵が勝海舟にたのまれ、万次郎の警護役を
していた事実。
万次郎と龍馬は会っていて不思議ではないが、遭っていないという不思議な事実。
万次郎が橋の下に住む浮浪者たちに密かに食物を与えていたエピソード。そして後に高名な油絵の画家となる人物が貧困の時代を過ごしたときに援助をしていた義侠心。
万次郎の秀才さはもちろんのことであるが、人間としての偉大さ、また大いなる魅力を体感している。
本井慶次郎
今まで万次郎に関する本を数冊読ん来たが当本のことは気付かなかった。
感想は、まず本書が上等にできていること。読み易いこと。
今回、私が最も求めていたのは出来る限り事実に基づいた内容が知りたかったと言うことであったが、十分に応えてもらった。
(以前に読んだ本のなかには万次郎がアメリカ白人女性と結婚をしていた本もあった。段々とその気にさせらたのにはまいったが。)
漂着した孤島から恩人となるホイットフィールド船長のジョン・ハウランド号を最初に発見したのは万次郎でなく、五右衛門であったことから始まり、土佐の殿様、山内容同公から格別の厚遇を受けるようになるが、その動機には同年生まれへの親近感もあったように思われる。調べればわかったことではあるが、今まで容同公はもっと年上と思っていた。万次郎は後年江戸にて7000坪という広大な屋敷を容同公より下賜されている。
ペリー長官が来航してきた時は万次郎が最も通訳に適していたが、日本の良くない傾向が出て抜擢されず、オランダ語を介した通訳するという曲がりくどいことしてしまった。
龍馬の子分、人切り以蔵と呼ばれた岡田以蔵が勝海舟にたのまれ、万次郎の警護役を
していた事実。
万次郎と龍馬は会っていて不思議ではないが、遭っていないという不思議な事実。
万次郎が橋の下に住む浮浪者たちに密かに食物を与えていたエピソード。そして後に高名な油絵の画家となる人物が貧困の時代を過ごしたときに援助をしていた義侠心。
万次郎の秀才さはもちろんのことであるが、人間としての偉大さ、また大いなる魅力を体感している。
本井慶次郎
2013年12月8日に日本でレビュー済み
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直系の家に伝わる資料を基に書かれた「ジョン万次郎」伝です。
さらに代を重ねたホイットフィールド船長一家との交流など、小説とは違う伝記になっています。
小説は小説として楽しめますが、これを読んでから小説を読むとそれぞれの小説家の話の膨らまし方なども楽しめます。
さらに代を重ねたホイットフィールド船長一家との交流など、小説とは違う伝記になっています。
小説は小説として楽しめますが、これを読んでから小説を読むとそれぞれの小説家の話の膨らまし方なども楽しめます。
2016年1月2日に日本でレビュー済み
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ジョン万次郎の生涯の小説です。ほんの偶然が彼をして歴史上の人物に仕上げたのは、本人の猛烈な努力があっての事。あの時代によくぞこのような人物が居たのかを思うと驚愕させられます。
2007年8月18日に日本でレビュー済み
中浜万次郎といってもピンと来ない人は「ジョン万次郎」というとわかるだろう。嵐にあい漂流ののちにアメリカ人の捕鯨船船長ホイットフィールドに助けられ、アメリカで教育を受け、苦労のすえ帰国し、幕末の偉人たちに大きな影響を与えた。その偉人伝だけでも感動的ではあるが、もっとすばらしいのは五世代にわたる中浜家とホイットフィールド家の友情である。
太平洋戦争開始時、軍艦に乗っていた子孫の一人は、「万次郎の子孫に弾を向けたくない」と、即座に船を降り転属したという。
こういった熱い両家の絆を背景に、万次郎の生涯についての歴史学者顔負けの精緻な考察がすみずみまでなされ、一流のノンフィクションライターの作品に触れるおもしろさがある。
太平洋戦争開始時、軍艦に乗っていた子孫の一人は、「万次郎の子孫に弾を向けたくない」と、即座に船を降り転属したという。
こういった熱い両家の絆を背景に、万次郎の生涯についての歴史学者顔負けの精緻な考察がすみずみまでなされ、一流のノンフィクションライターの作品に触れるおもしろさがある。
2011年8月12日に日本でレビュー済み
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津本陽氏の『椿と花水木』を読んだ後に本書を読んだが、末裔だからこそ書けるエピソード・資料がいくつもあり、大変興味深く読んだ。
アメリカ第30代大統領カルビン・クーリッジ(1923年〜1929年)が言った「ジョン・マンの日本への帰国は、アメリカ最初の大使を日本に送った事に等しい」という言葉は、まさにその通りだと感じる。鎖国していた日本が開国できたのは、万次郎の力が大きかったのだ。
少年だった万次郎を救出しアメリカで大切に育ててくれたホイット・フィールド船長だが、ホイット・フィールド家と中濱家は代々、親密に交流されているそうだ。
ホイット・フィールド家5代目のウィラード夫妻が来日された際、万次郎の生地の浜辺で、その土地のおばあさんがウィラード氏に「万次郎さんを助けてくれてありがとう」と日本語で言ったそうだ。大変、印象的なエピソードだし、私も同じ事を言いたい。
アメリカ第30代大統領カルビン・クーリッジ(1923年〜1929年)が言った「ジョン・マンの日本への帰国は、アメリカ最初の大使を日本に送った事に等しい」という言葉は、まさにその通りだと感じる。鎖国していた日本が開国できたのは、万次郎の力が大きかったのだ。
少年だった万次郎を救出しアメリカで大切に育ててくれたホイット・フィールド船長だが、ホイット・フィールド家と中濱家は代々、親密に交流されているそうだ。
ホイット・フィールド家5代目のウィラード夫妻が来日された際、万次郎の生地の浜辺で、その土地のおばあさんがウィラード氏に「万次郎さんを助けてくれてありがとう」と日本語で言ったそうだ。大変、印象的なエピソードだし、私も同じ事を言いたい。
2021年6月18日に日本でレビュー済み
ジョン万次郎(中濱万次郎)は高知県中ノ浜で生まれた。機敏で活発な子どもだったという。父悦助は万次郎が9歳の時に病死した。
万次郎は漁師になりたいという希望を持っていたため、漁船に乗って初の漁に出ることになる。飯炊きと雑用係として船に乗った。しかし、その3日後に漂流してしまった。
漁をしている時に北西の風が強く吹き、船の自由が利かなくなった。そこから南東に流されて鳥島に漂着した。船は砕けてしまったが、万次郎を含む5人は島に上陸できた。そこでしばらく過ごしていると外国船がやって来た。アメリカの捕鯨船ジョン・ハウランド号である。船長は後に恩人となるホイットフィールドだった。5人はこの船に乗ってハワイのホノルルに着き、万次郎は自分の意志でアメリカに行くことを決めた。このアメリカ本土への航海の間に万次郎は「ジョン・マン」と呼ばれるようになる。
そして万次郎はアメリカのニューベッドフォードに上陸する。ホイットフィールド船長は万次郎を学校に入れた。万次郎はここで小学生に混じってABCから学んだ。この学校を卒業すると、上級の学校に進んで高等数学、航海術、捕鯨などを学んだ。英語の教育も受けた。確証はないが、万次郎はクリスチャンだったという話もあるようだ。
学校を終了した頃、万次郎はフランクリン号という捕鯨船に乗ることになる。日本に帰れるかもしれないという期待もあったようだ。大西洋、太平洋を通って琉球に寄港したようだが、上陸はできず、帰国は果たせなかった。
アメリカに戻った頃、カリフォルニアでゴールドラッシュが始まっていた。日本に帰国する資金を得るため、万次郎はカリフォルニアの金山に行くことにする。そして70日間で600ドルを稼いだ。
十分な金ができた万次郎は、琉球から日本に帰国する。感動的な親子の再会の後、万次郎は故郷の中ノ浜から高知に出て武士として働くことになる。藩の高官などが海外の事情を聞きに来ることが多かった。
帰国から2年後、黒船に乗ってペリーがやって来た。幕府は万次郎を江戸に呼び出し、アメリカ事情を聞く。しかし、身分が低かったせいか、ペリーに会うこともなく、通訳もすることはなかった。
安政2年に幕府は軍艦操練所を作り、万次郎はそこの教授になって英語を教えた。
万次郎は翻訳本を2冊出している。1冊は航海術の本で、もう1冊は英会話の本である。英会話の本はベストセラーになった。英会話本といっても、原本はなく、英会話本に万次郎がカタカナの発音とひらがなの訳文をつけたものである。発音はgood(グーリ)、December(リイセンバ)といった具合である。訳はI am pretty well(わたくし ハ ことのほかに こころよひ)といった感じになる。発音の方は、現在でも通用するところがある。その他にも、日米修好通商条約のためにアメリカに随行したりもする。後には東大の前身となる開成学校の教授にもなる。
著者は万次郎の直系四代目で、医師である。プロの作家ではないため、その文章はあまり面白くないが、万次郎自身の人生が興味深いため、十分に読ませる本になっている。
万次郎は漁師になりたいという希望を持っていたため、漁船に乗って初の漁に出ることになる。飯炊きと雑用係として船に乗った。しかし、その3日後に漂流してしまった。
漁をしている時に北西の風が強く吹き、船の自由が利かなくなった。そこから南東に流されて鳥島に漂着した。船は砕けてしまったが、万次郎を含む5人は島に上陸できた。そこでしばらく過ごしていると外国船がやって来た。アメリカの捕鯨船ジョン・ハウランド号である。船長は後に恩人となるホイットフィールドだった。5人はこの船に乗ってハワイのホノルルに着き、万次郎は自分の意志でアメリカに行くことを決めた。このアメリカ本土への航海の間に万次郎は「ジョン・マン」と呼ばれるようになる。
そして万次郎はアメリカのニューベッドフォードに上陸する。ホイットフィールド船長は万次郎を学校に入れた。万次郎はここで小学生に混じってABCから学んだ。この学校を卒業すると、上級の学校に進んで高等数学、航海術、捕鯨などを学んだ。英語の教育も受けた。確証はないが、万次郎はクリスチャンだったという話もあるようだ。
学校を終了した頃、万次郎はフランクリン号という捕鯨船に乗ることになる。日本に帰れるかもしれないという期待もあったようだ。大西洋、太平洋を通って琉球に寄港したようだが、上陸はできず、帰国は果たせなかった。
アメリカに戻った頃、カリフォルニアでゴールドラッシュが始まっていた。日本に帰国する資金を得るため、万次郎はカリフォルニアの金山に行くことにする。そして70日間で600ドルを稼いだ。
十分な金ができた万次郎は、琉球から日本に帰国する。感動的な親子の再会の後、万次郎は故郷の中ノ浜から高知に出て武士として働くことになる。藩の高官などが海外の事情を聞きに来ることが多かった。
帰国から2年後、黒船に乗ってペリーがやって来た。幕府は万次郎を江戸に呼び出し、アメリカ事情を聞く。しかし、身分が低かったせいか、ペリーに会うこともなく、通訳もすることはなかった。
安政2年に幕府は軍艦操練所を作り、万次郎はそこの教授になって英語を教えた。
万次郎は翻訳本を2冊出している。1冊は航海術の本で、もう1冊は英会話の本である。英会話の本はベストセラーになった。英会話本といっても、原本はなく、英会話本に万次郎がカタカナの発音とひらがなの訳文をつけたものである。発音はgood(グーリ)、December(リイセンバ)といった具合である。訳はI am pretty well(わたくし ハ ことのほかに こころよひ)といった感じになる。発音の方は、現在でも通用するところがある。その他にも、日米修好通商条約のためにアメリカに随行したりもする。後には東大の前身となる開成学校の教授にもなる。
著者は万次郎の直系四代目で、医師である。プロの作家ではないため、その文章はあまり面白くないが、万次郎自身の人生が興味深いため、十分に読ませる本になっている。