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重罰化は悪いことなのか 罪と罰をめぐる対話 単行本 – 2008/10/24
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死刑には、犯罪への抑止力があるのか?
被害者と加害者の立場は、どう変わっていくのか?
無差別な凶悪事件が立て続けに起き、社会を震撼させている。また、加害者への厳罰化が急速に進み、現政権下では死刑執行も増えつつある。一方で、犯罪被害の当時者や遺族の権利拡充(刑事裁判や少年審判への参加、知る権利の保証、経済的支援など)が法律的にはかられるようになり、裁判員制度も間もなくはじまろうとしている。
日本の司法はこの10年で、さまざまな社会背景とからみ合いながら、思い切った変化をしようとしている。そんな時期だからこそ、私たちの社会と犯罪とが、どう向き合っていけばいいのかを、突っ込んで議論すべきであろう。
この本は、一般的かつ表層的な報道からは読み取れないような、多様な「視点」と「事実」を読者に提供をする。思い切った変貌を遂げようとする日本の「罪と罰」をめぐるシステムや社会環境。それらを読み解き、対立する議論を整理し、同時代を生きる私たちが考えなければならないことを提供すること。それが本書の目的である。
- 本の長さ232ページ
- 言語日本語
- 出版社双風舎
- 発売日2008/10/24
- ISBN-104902465140
- ISBN-13978-4902465143
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商品の説明
出版社からのコメント
その答えは、怒り、泣き、迷い、揺れながら、
対話しつづけなければ得られない。
気鋭のノンフィクションライター・藤井誠二が、さまざまな分野の論客と白熱した議論を展開。対話の相手は、芹沢一也(社会学者)、松江哲明(映画監督)、郷田マモラ(漫画家)、宮台真司(社会学者)。
「社会」と「犯罪」の明日を考えるための一冊!
著者について
1965年愛知県生まれ。ノンフィクションライター。
当事者に併走しつつ、綿密な調査・取材をおこない、社会や制度の矛盾を突くノンフィクション作品を数多く発表。TBSラジオ「BATTLE TALK RADIO アクセス」のトークパーソナリティーや、大阪朝日放送「ムーブ!」で「事件後を行く」などのコーナーを持つなど幅広い媒体で活動をつづけている。大学では「ノンフィクション論」や「インタビュー学」などの実験的授業をおこなう。
著書に、『17歳の殺人者』、『少年に奪われた人生』『暴力の学校倒錯の街』『この世からきれいに消えたい』(以上、朝日文庫)、『人を殺してみたかった』(双葉文庫)、『少年犯罪被害者遺族』(中公新書ラクレ)、『殺された側の論理』『少年をいかに罰するか』(講談社)、『コリアンサッカーブルース』(アートン)、『「悪いこと」したらどうなるの?』(理論社)など多数。
登録情報
- 出版社 : 双風舎 (2008/10/24)
- 発売日 : 2008/10/24
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 232ページ
- ISBN-10 : 4902465140
- ISBN-13 : 978-4902465143
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,465,231位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 158,821位社会・政治 (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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昨今は、判決による刑罰、ならびに条文も重罰化が進んでいるが、これは、被害者のことを考えると適当のように思える。このような問題意識を持つ藤井さんと、厳罰化の進行に疑問を持っている芹沢一也さん、クリエーター(松江哲明さん(映画について)と郷田マモラさん(自作の漫画について))との対談、宮台真司さんの社会学をベースとした対談、編集者の疑問に答えた対談が載っている。
2.評価
(1)個人的には芹沢さんの立場に近いのでそう思うかもしれないが、藤井さんの見解の浅薄さが気になった。自分は悪いことを絶対にしないのだろうか(刑罰を受ける側からすれば、重いほうがいいとは言えまい)?国家財政のことを考えたことがあるのか(アメリカのある州が財政難で死刑を廃止したり刑務所を売却するということがあった。「刑務所が足りなければつくればいい」(p79)と簡単に言えるのだろうか)?死刑について言えば、執行されれば終わりの死刑を別に考えなくてよいのか?「サヨク」的主張にもそれなりに合理性はあるのではないのか(日本の学者や知識人が頭でこねくり回しているだけではあるまい。もっとも、どこの国も、被害者が置き去りにされた事実はあるそうだが)?
(2)対談については、作品を読んでいないとつらいところが多かった。私は、芹沢さんの本は読んだことがあるが、映画や、宮台さんの本は見たことがないので、展開が唐突に感じた(たとえば、宮台さんがやたら「デニーズ」を出すのはなぜ?)。
(3)知識面での疑問も。たとえば、現在では、無期懲役刑は獄死する人のほうが多いそうだ。自分の都合の悪いデータを無視している可能性が否定できない。
3.以上、著者が被害者にきちんと取材している(会わない人もいることからすると、誠実だと思う)ようなので星1つにはしないが、全体的にはダメな本なので、星2つ。著者には取材だけでなく、熟慮をしてほしいものだ。
しかし、司法制度や刑罰は、社会全体のため、犯罪の再発防止に利用されることが第一です。だからこそ被害者・遺族を安易に関わらせなかったのだと思います。被害者参加制度による裁判で被害者や遺族が被告人に感情的な対応をとることが多いのを見ると、安易に被害者・遺族を参加させるのは裁判の公正性からすると危険なことになりかねません。
1980年代に、再審によって冤罪死刑判決がくつがえる例が4件も出てきて、「こういうことがあるのだから、誤判で執行してしまった場合に取り返しがつかない死刑という刑罰は、もうやめようじゃないか」という気運が盛り上がってきたころが、私どもの世代がいちばん若々しく活躍していた時代だった。
その後、酒鬼薔薇事件を機に少年法見直し論が沸騰したころを境に、潮の流れは変わってきた。2000年に少年法は実際に改正されたが、同じころ、成人の犯罪についても、司法は被害者のことをなおざりにしてきたのではないかという議論が高まり、「被告人と検察官とが対峙して、裁判官が判定する」という刑事司法の「三当事者制」という基本的枠組み自体に対しても、「被害者」を四番目の当事者として含める方向へと、制度は大きく舵を切り始めた。それと同時に、死刑制度についても、殺人事件被害者の圧倒的多数がそれを求めているとの理由で、批判を許さないような雰囲気が醸成されてきた(この最後の点は、私にとっては残念なのだが)。
この時代をどう読み解くかについては、若い人でなければ、もはや無理だ。実際、主著者の藤井誠二を始め、対談相手はみな、団塊の世代よりは10歳も20歳も(松江哲明に至っては30歳も)若い。それらの中では、最初の対談相手である芹沢一也がいちばん私どもの世代のインテリの平均的感覚に近いものをもっているので、とかく「被害者」への感情移入に走りがちな藤井に対して、適切な牽制球を投げて、「あるべきシステムを冷静に考える」という方向に少しは引き戻すことに成功している。私どもにはいちばん読みやすい。
その芹沢にしても、少年法改正や被害者参加に対してただ教条的に反対することしかしなかった旧型左翼などには、すでに愛想をつかした気持ちを表明している。だから本書の議論は、アナーキスティックな「反権力」の政治的情念と、宗教の超俗的な「赦し」の精神などを唐突に結びつける旧式な死刑廃止運動家などが藤井と対談したら起こるであろうような、不毛なすれ違いにはならず、かみ合った議論になっている。
それ以外の対談相手との議論は、必ずしも私にはわかりやすいものではなかったが、「若い世代はこんなふうに考えているんだ」ということを知るうえで、よい刺激にはなった。本書を通じて郷田マモラの『モリのアサガオ』(全7巻)という劇画の存在を知ることができたのも、収穫だった。藤井との縁がなかったら、こうした若い世代のサブカルチャー的なものに触れる機会は、象牙の塔の片隅の住人である私には訪れなかっただろう。
218ページで、藤井は、旧型左翼の狂い咲き的生き残りともいうべき高橋哲哉の居丈高な死刑廃止論を、批判しているが、これには私も賛同する。高橋は、2005年に書いた『靖国問題』においても、多くのもっともなことを書きながらも、最後のところで「非武装中立論」のような空想的平和主義へと議論を飛躍させることによって、必ずしも右翼ではない良識ある人々に反発心を抱かせるような書きっぷりをしていた。彼が『死刑問題』を書けば、同じようなことになるだろう。死刑は廃止すべきだと思っている私も、彼のような者と一緒くたにされるのは、気分が悪い。
感情論ではなく、合理性と加害者の人権擁護の観点から刑罰を決定すべきであるクール・ヘッドがもっともらしく思えると同時に、はたして人間の腹に響かないような刑罰を誰が支持するのかと考えるとそれはそれで国家の存亡の危機すら思わせるのであるが、いかがであろうか?松江哲明(映画監督)との対話では少年犯罪をもとにした映画について具体的作品を挙げて議論される。映画好きの私にはもっとも興味深かった章である。
宮台真司(社会学者)との対話では監視カメラを住民自らが求める社会というものの異常さと、犯罪加害者の社会復帰には無関係の市民の協力が不可欠であるという、正直あまり考えたくはないことを突きつけられた。安易に感情的に重罰化や死刑の廃止などを唱えても、何かしら負の部分を国民が引き受けなければならないのは確かなようだ(本書では直接触れられてはいないが、CSの番組で犯罪被害者の遺族との付き合い方を地域社会が考えなければならないと発言していたのが印象的であった。防犯活動などに執心する市民たちは、犯罪被害者の遺族との付き合い方など「起こったこと」への対応ができていない、つまり現段階では「起こらないように」したい、自分は違うのだという、事件を他人事にしたいという意識の裏返しにとどまっているということらしい。耳の痛い話である)。
本書で惜しむらくは分量が少ないことであるが、罪と罰という深遠な問題を現代の合理的な考えで割り切り制度化することの是非・可能性をあらためて考えさせられる契機となった。決して専門的ではなく入門的な内容であるから気軽に手に取ってみてはいかがだろうか。
恐らく、この問題で結論自体が存在しないのだろう。と言う事実を踏まえた上で、様々なヒントを与えるきっかけとしてなされた対談なのだと思う。あえていえば、メリットデメリットを踏まえたうえで、ソーシャルデザイン的に制度を決めようという宮台的スタンスが一番合理的かも。宮台氏ははっきりいって嫌いだったが、初めて評価する気になった。