こういった「見方」があるのか?
と、納得させられました。
「明治とは何か?」
思うなら、一度は読んでみる価値は、十分にある。
「明治維新」というものの見方に、新たな視点を提示している。
今読まれるべき一冊であろう。
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明治維新を考える 単行本 – 2006/8/31
三谷 博
(著)
明治維新は、日本国内だけでなくアジア・太平洋地域の国際秩序を一変させた。しかし、それがどんな変革であったのかは実は今でもよく分かっていない。農民・町人は武士の支配に異議を唱えなかったし、欧米からの開国要求も国内体制の激変を説明できない。そして、維新を主導した武士階級自体がその維新によって消滅するという「階級の自殺」がなぜ起こったのか・・・。原因らしい原因が見あたらないにもかかわらず、世界的にも稀な巨大変動が生じたそのメカニズムを、複雑系という新しい理論を応用して理解することを提唱し、近代化とナショナリズムについても論じていく。
- 本の長さ248ページ
- 言語日本語
- 出版社有志舎
- 発売日2006/8/31
- ISBN-104903426033
- ISBN-13978-4903426037
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登録情報
- 出版社 : 有志舎 (2006/8/31)
- 発売日 : 2006/8/31
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 248ページ
- ISBN-10 : 4903426033
- ISBN-13 : 978-4903426037
- Amazon 売れ筋ランキング: - 457,088位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2013年10月8日に日本でレビュー済み
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著者が最近10年程度の渡って発表してきた諸論考に、書き下ろしを加えて再構成された明治維新論です。支配階級(武士)が自死したという点で、世界的にも際立つ「革命」であった明治維新理解に、「複雑系」(ローレンツ水車)理論のアナロジーがふさわしいとする野心的議論が所収(第2章)されています。
本書はまず、明治維新の「謎」として、武士の社会的自殺、明確な原因特定の困難さ、「復古」による「開化」という矛盾を指摘しています。著者は明治維新の底流に、山鹿素行・本居宣長以来のナショナリズム(ステイティズム)があったと見ており、フランス革命時にローマ時代の栄光が喧伝されたのと同様に、日本近代のナショナリズムが「王政復古」という形をとって「近代化」の原動力となったと主張します。
最も刺激的である複雑系のアナロジーによる分析は、第2章で展開されます。ローレンツ水車のような複雑系では、システムの動きは状態依存的な時系列変化を示し、因果関係の推測は微小時間単位でしか妥当性を持ちえません。ペリー来航から王政復古までの政治状況は、政治的アクターの力関係がひっきりなしに入れ替わり、最後まで状況がどちらに転ぶかわからない状況が続いたと言います。大政奉還による幕府・公議派優位から、偶発的に起きた鳥羽・伏見の戦いを契機とした王政復古クーデターの成功への短期的局面転換は、むしろ小確率の事象が生じた事態であったことが指摘されています。
第4〜6章は維新史家論で、日本を例にとった近代化論の「古典」を著したジャンセン、戦後の明治維新研究を支配したマルクス主義歴史分析の大家・遠山茂樹、アカデミズム以上に一般的影響力を持った司馬遼太郎論が与えられます。各々の考察は興味深かったのですが、司馬の「国民」の物語論に対する“侵略の被害者(アイヌや朝鮮・中国)の視点が抜け落ちている(からダメなのだ)”的解釈には、やや違和感を違和感を覚えました。
「複雑系」アナロジーによる維新史の野心的解釈を与えているという点だけで、本書の価値は十分あると思うのですが、全体を通じてはやや不満点も残りました。
せっかく「武士の社会的自殺」=秩禄処分による支配的階級の(概ね)平和的消滅という刺激的なテーマを提起しながら、本書はこれについて「版籍奉還から始めた間接的アプローチの成功」以上のことを語っていません。私はもちろん専門的な指摘はできないのですが、王政復古→版籍奉還→地方毎の禄制改革→廃藩置県→(廃刀令)→秩禄処分→不平士族反乱→(自由民権運動)に至る局面は、かならずしも不可逆的な過程ではなかったのではないかと想像します。それこそ、どちらに転ぶか分からない複雑系プロセスであった可能性が否定できず、どこに分岐点があり、どこから不可逆的な流れになったのか、分析・解釈が欲しい所でした。
また、書き下ろしの終章(「近代化」再考)では、技術革新に特徴づけられた現代の経済システムが中国・インドの経済発展によって「早晩資源と環境の制約にぶつかる」というマルサス、ローマクラブ的見解が示されています。『人口論』『成長の限界』は典型的な線形(現状延長)予測の例であり、非線形である複雑系の発想を是とする論者がストレートに受け入れられる議論にはならない筈です。本書第2章の初出は2000年ですので、現在までの間に著者の理論的認識が変わったのか、「複雑系」に対する熱が冷めてしまったのか、やや不可解な結びになっているように思えました。
本書はまず、明治維新の「謎」として、武士の社会的自殺、明確な原因特定の困難さ、「復古」による「開化」という矛盾を指摘しています。著者は明治維新の底流に、山鹿素行・本居宣長以来のナショナリズム(ステイティズム)があったと見ており、フランス革命時にローマ時代の栄光が喧伝されたのと同様に、日本近代のナショナリズムが「王政復古」という形をとって「近代化」の原動力となったと主張します。
最も刺激的である複雑系のアナロジーによる分析は、第2章で展開されます。ローレンツ水車のような複雑系では、システムの動きは状態依存的な時系列変化を示し、因果関係の推測は微小時間単位でしか妥当性を持ちえません。ペリー来航から王政復古までの政治状況は、政治的アクターの力関係がひっきりなしに入れ替わり、最後まで状況がどちらに転ぶかわからない状況が続いたと言います。大政奉還による幕府・公議派優位から、偶発的に起きた鳥羽・伏見の戦いを契機とした王政復古クーデターの成功への短期的局面転換は、むしろ小確率の事象が生じた事態であったことが指摘されています。
第4〜6章は維新史家論で、日本を例にとった近代化論の「古典」を著したジャンセン、戦後の明治維新研究を支配したマルクス主義歴史分析の大家・遠山茂樹、アカデミズム以上に一般的影響力を持った司馬遼太郎論が与えられます。各々の考察は興味深かったのですが、司馬の「国民」の物語論に対する“侵略の被害者(アイヌや朝鮮・中国)の視点が抜け落ちている(からダメなのだ)”的解釈には、やや違和感を違和感を覚えました。
「複雑系」アナロジーによる維新史の野心的解釈を与えているという点だけで、本書の価値は十分あると思うのですが、全体を通じてはやや不満点も残りました。
せっかく「武士の社会的自殺」=秩禄処分による支配的階級の(概ね)平和的消滅という刺激的なテーマを提起しながら、本書はこれについて「版籍奉還から始めた間接的アプローチの成功」以上のことを語っていません。私はもちろん専門的な指摘はできないのですが、王政復古→版籍奉還→地方毎の禄制改革→廃藩置県→(廃刀令)→秩禄処分→不平士族反乱→(自由民権運動)に至る局面は、かならずしも不可逆的な過程ではなかったのではないかと想像します。それこそ、どちらに転ぶか分からない複雑系プロセスであった可能性が否定できず、どこに分岐点があり、どこから不可逆的な流れになったのか、分析・解釈が欲しい所でした。
また、書き下ろしの終章(「近代化」再考)では、技術革新に特徴づけられた現代の経済システムが中国・インドの経済発展によって「早晩資源と環境の制約にぶつかる」というマルサス、ローマクラブ的見解が示されています。『人口論』『成長の限界』は典型的な線形(現状延長)予測の例であり、非線形である複雑系の発想を是とする論者がストレートに受け入れられる議論にはならない筈です。本書第2章の初出は2000年ですので、現在までの間に著者の理論的認識が変わったのか、「複雑系」に対する熱が冷めてしまったのか、やや不可解な結びになっているように思えました。
2006年10月29日に日本でレビュー済み
着眼点はいいのですが、それを考えるのに複雑系まで持ち出さなくても・・という話です。
明治維新後、廃藩置県によって、全国の武士たちは「失業」状態になりました。それに対し全国規模の反乱などが起きず、唯々諾々と権利を手放したのはなぜかという命題があります。これは同時に明治維新がフランス革命のような道をたどらなかったのはなぜかという疑問でもあります。
それにしても、あまりにも自分の中の思考実験に酔いすぎているのか、それとも昨今の大学の成果主義の表れなのか、武士が秩録処分を受け入れたことがそんなに不思議なことかな?と私などは思いますが。
この件に関し最もわかりやすく伝えているのは、浅田次郎の『五郎治殿御始末』でしょう。この中で、庶民の生活を左右する暦作りを役目としていた元天文方の武士は、浪人後も求めに応じて暦を作っていたのですが、明治政府が太陽暦を採用し、そこにはうるう月をいつにするかなど機微な技術が介在する余地がないことを知ると、自分の役目が終わったことを受け入れるのです。
もちろんこれは小説ですが、大方の武士の行動原理は、ここに描かれたとおりであったと思います。すなわち、ルース・ベネディクトが「菊と刀」で指摘したように、日本人の第一の価値基準は、「自分の役割に殉ずる」というところにあるのです。ではなぜそのような文化が日本に根付いたかという疑問がありますが、これは理屈で解明できることではないのです。なぜなら、文化とは恣意的なものだからです。
この本は当たり前のことを複雑系などの難解な概念を持ち出して読者を煙に巻いているもので、アカデミズムの悪いところが出ているなと思いました。
明治維新後、廃藩置県によって、全国の武士たちは「失業」状態になりました。それに対し全国規模の反乱などが起きず、唯々諾々と権利を手放したのはなぜかという命題があります。これは同時に明治維新がフランス革命のような道をたどらなかったのはなぜかという疑問でもあります。
それにしても、あまりにも自分の中の思考実験に酔いすぎているのか、それとも昨今の大学の成果主義の表れなのか、武士が秩録処分を受け入れたことがそんなに不思議なことかな?と私などは思いますが。
この件に関し最もわかりやすく伝えているのは、浅田次郎の『五郎治殿御始末』でしょう。この中で、庶民の生活を左右する暦作りを役目としていた元天文方の武士は、浪人後も求めに応じて暦を作っていたのですが、明治政府が太陽暦を採用し、そこにはうるう月をいつにするかなど機微な技術が介在する余地がないことを知ると、自分の役目が終わったことを受け入れるのです。
もちろんこれは小説ですが、大方の武士の行動原理は、ここに描かれたとおりであったと思います。すなわち、ルース・ベネディクトが「菊と刀」で指摘したように、日本人の第一の価値基準は、「自分の役割に殉ずる」というところにあるのです。ではなぜそのような文化が日本に根付いたかという疑問がありますが、これは理屈で解明できることではないのです。なぜなら、文化とは恣意的なものだからです。
この本は当たり前のことを複雑系などの難解な概念を持ち出して読者を煙に巻いているもので、アカデミズムの悪いところが出ているなと思いました。
2020年2月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本書は著者が一貫して考察してきた明治維新研究の出発点となった本である。
①「維新」を革新と捉えた明治政府指導者層に対して、『詩経』に述べられた「維新」とは「天命維新なり(これあらたなり)」と読み、殷王朝からその家臣である周に新たな天命が下されたことを意味する、すなわち易姓革命を述べる表現である。
①著者の問いは、なぜ武士はみずからの特権を捨て、身分を廃止したのかという根本的問いを提起する。明治維新は革命(revolution)ではなく、「再生=世代交替(regeneration)」であると言う。確かに、下からの革命ではなかった。では、武士から天皇への支配者交替(王政復古)であったのか と言えば、天皇制は古代天皇制と同じではない。権威としての天皇は存在するが、支配者(実権を掌握する者)は明治政府指導者、薩長の下級武士である。王政復古は武士が政権を朝廷から「征夷大将軍」という位に任命された故事に因んでいる。明治政府が朝廷から権力を認められて新政権を樹立したのである。したがって、天皇を権威者として明治憲法に定める必要があった。その模範は、プロイセン憲法にあった。
②節の特権廃止の要因は「外圧」にあったのではなかろうか?開国を求めるロシアやアメリカの圧力が政権交代を必要とした根本理由ではないか。1842年のアヘン船窓に清朝が敗れ、開国を余儀なくされた事実が日本に脅威を与えたのである。専制王朝では近大国家に太刀打ち出来ないことは明白である。しかし、特権官僚化していた幕府や大名では政権交代は不可能である。これが下級武士が目覚めた理由ではないだろうか?洋学(西洋の近代技術)の流入も大きな営業を与えた。
③このような対外的要因が明治維新を誘発した理由であると考えることは間違いではないだろう。本書から明治維新の歴史的意義を考えることが出来る。
お勧めの一冊だ。
①「維新」を革新と捉えた明治政府指導者層に対して、『詩経』に述べられた「維新」とは「天命維新なり(これあらたなり)」と読み、殷王朝からその家臣である周に新たな天命が下されたことを意味する、すなわち易姓革命を述べる表現である。
①著者の問いは、なぜ武士はみずからの特権を捨て、身分を廃止したのかという根本的問いを提起する。明治維新は革命(revolution)ではなく、「再生=世代交替(regeneration)」であると言う。確かに、下からの革命ではなかった。では、武士から天皇への支配者交替(王政復古)であったのか と言えば、天皇制は古代天皇制と同じではない。権威としての天皇は存在するが、支配者(実権を掌握する者)は明治政府指導者、薩長の下級武士である。王政復古は武士が政権を朝廷から「征夷大将軍」という位に任命された故事に因んでいる。明治政府が朝廷から権力を認められて新政権を樹立したのである。したがって、天皇を権威者として明治憲法に定める必要があった。その模範は、プロイセン憲法にあった。
②節の特権廃止の要因は「外圧」にあったのではなかろうか?開国を求めるロシアやアメリカの圧力が政権交代を必要とした根本理由ではないか。1842年のアヘン船窓に清朝が敗れ、開国を余儀なくされた事実が日本に脅威を与えたのである。専制王朝では近大国家に太刀打ち出来ないことは明白である。しかし、特権官僚化していた幕府や大名では政権交代は不可能である。これが下級武士が目覚めた理由ではないだろうか?洋学(西洋の近代技術)の流入も大きな営業を与えた。
③このような対外的要因が明治維新を誘発した理由であると考えることは間違いではないだろう。本書から明治維新の歴史的意義を考えることが出来る。
お勧めの一冊だ。