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街場の中国論 単行本 – 2007/6/15
内田樹
(著)
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「予備知識なし」で読みはじめることができ、かつ「専門家」で
は絶対に指摘しない「本質」をついてくる、内田樹の『街場』シリーズ最新刊。
日中関係の見方がまるで変わる、「なるほど!」の10講義。
は絶対に指摘しない「本質」をついてくる、内田樹の『街場』シリーズ最新刊。
日中関係の見方がまるで変わる、「なるほど!」の10講義。
- 本の長さ248ページ
- 言語日本語
- 出版社ミシマ社
- 発売日2007/6/15
- ISBN-104903908003
- ISBN-13978-4903908007
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商品の説明
著者からのコメント
書いた本人が言うのも何ですけれど、読み返してみて、ひさしぶ
りに面白いものを読んだなあという満足感を覚えています。 「あとがき」
より
りに面白いものを読んだなあという満足感を覚えています。 「あとがき」
より
出版社からのコメント
本書は、内田先生が、この1年で一番気合いを入れて書いたという
だけあり、大変おもしろい内容に仕上がりました。とりわけ「第3講 中華思
想」は、必読です。日本は「アメリカと中国」というどちらの「中華」を選ぶの
か? 中華の意味を改めて知るとともに、目からウロコの考察です。
だけあり、大変おもしろい内容に仕上がりました。とりわけ「第3講 中華思
想」は、必読です。日本は「アメリカと中国」というどちらの「中華」を選ぶの
か? 中華の意味を改めて知るとともに、目からウロコの考察です。
著者について
1950年東京生まれ。東京大学仏文科卒業。東京都立大学大学
院人文科学研究所博士課程を中退後、同大学人文科学部助手などを経て、現在は
神戸女学院大学文学部教授。専門はフランス現代思想、映画論、武道論。著書に
『ためらいの倫理学』(角川文庫)、『街場の現代思想』『街場のアメリカ論』
(以上、NTT出版)、『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書)、『下流志向』
(講談社)、『狼少年のパラドクス』(朝日新聞社)など多数ある。
院人文科学研究所博士課程を中退後、同大学人文科学部助手などを経て、現在は
神戸女学院大学文学部教授。専門はフランス現代思想、映画論、武道論。著書に
『ためらいの倫理学』(角川文庫)、『街場の現代思想』『街場のアメリカ論』
(以上、NTT出版)、『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書)、『下流志向』
(講談社)、『狼少年のパラドクス』(朝日新聞社)など多数ある。
登録情報
- 出版社 : ミシマ社 (2007/6/15)
- 発売日 : 2007/6/15
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 248ページ
- ISBN-10 : 4903908003
- ISBN-13 : 978-4903908007
- Amazon 売れ筋ランキング: - 822,096位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 173位中国の地理・地域研究
- - 224位中国の経済事情
- - 15,410位社会学概論
- カスタマーレビュー:
著者について
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1950(昭和25)年東京都生まれ。東京大学文学部仏文科卒。現在、神戸女学院大学文学部総合文化学科教授。専門はフランス現代思想。ブログ「内田樹の研究室」を拠点に武道(合気道六段)、ユダヤ、教育、アメリカ、中国、メディアなど幅広いテーマを縦横無尽に論じて多くの読者を得ている。『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書)で第六回小林秀雄賞受賞、『日本辺境論』(新潮新書)で第三回新書大賞を受賞。二〇一〇年七月より大阪市特別顧問に就任。近著に『沈む日本を愛せますか?』(高橋源一郎との共著、ロッキング・オン)、『もういちど村上春樹にご用心』(アルテスパブリッシング)、『武道的思考』(筑摩選書)、『街場のマンガ論』(小学館)、『おせっかい教育論』(鷲田清一他との共著、140B)、『街場のメディア論』(光文社新書)、『若者よ、マルクスを読もう』(石川康宏との共著、かもがわ出版)などがある。
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2007年6月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
反中国=右派、親中国=左派という単純な思想も破綻しつつある今日このごろ。
中国について、そして東アジアについてもう一歩進んだ議論をしていく必要を感じさせる内容。
第1講から第3講が特に読み応えあり。
第1講は、「昔ながらの共産党主導だから、人権問題など諸問題を解決できないんじゃないの?
とは言うけれど、じゃあどうやってあの個性あふれる(多民族という意味で)13億人を統治するの?」といった話。
第2講では、小泉前総理の靖国参拝に関する深読み(?)が目から鱗。
第3講は、熟読すれは「中華思想とは?」を語れます。
自分では、情報評価の歪みを「勘定に入れる」習慣があると思っているので、
中国人に対する偏見はないと自覚しているが、それでもニュースで過激な映像を見ると「北京五輪大丈夫?」と思ってしまう。
その時は似たような過激人は日本にも存在することをすっかり忘れてしまっているのだが・・・
パイレーツの桑田投手のカーブを「SUSHI-BALL(すしボール)」と安易に命名する
欧米人のような視点で中国を見てはいけない。
隣人に対して、もっと賢い視点で見ていきましょうという内田イズムをフル稼働させた一冊である。
中国について、そして東アジアについてもう一歩進んだ議論をしていく必要を感じさせる内容。
第1講から第3講が特に読み応えあり。
第1講は、「昔ながらの共産党主導だから、人権問題など諸問題を解決できないんじゃないの?
とは言うけれど、じゃあどうやってあの個性あふれる(多民族という意味で)13億人を統治するの?」といった話。
第2講では、小泉前総理の靖国参拝に関する深読み(?)が目から鱗。
第3講は、熟読すれは「中華思想とは?」を語れます。
自分では、情報評価の歪みを「勘定に入れる」習慣があると思っているので、
中国人に対する偏見はないと自覚しているが、それでもニュースで過激な映像を見ると「北京五輪大丈夫?」と思ってしまう。
その時は似たような過激人は日本にも存在することをすっかり忘れてしまっているのだが・・・
パイレーツの桑田投手のカーブを「SUSHI-BALL(すしボール)」と安易に命名する
欧米人のような視点で中国を見てはいけない。
隣人に対して、もっと賢い視点で見ていきましょうという内田イズムをフル稼働させた一冊である。
2022年8月10日に日本でレビュー済み
「王化思想」という視点からの解説が,興味深し.
曰く,
「中華から発信する『王化』の光があり,それが届かないところには『化外の民』がいる.
でも,その境涯までは周縁地を含め,全て『王土』に含まれる」
「中心があって周縁がある.
その間には濃淡の差,位階の違いはあるけれども,本質的には同一である」
「中華思想の場合には,中心から周縁に向かって緩やかなグラデーションがあり,どこで終わるのかがはっきりしない」(p.70)
「『王化が及ばない』ということは,『あいつらは野蛮人だ』という事実認知的な言明に過ぎず,『だから教化せねばならない』という遂行的言明を論理的には導かない」(p.75)
「周辺の『えびす』たちは,中国に実質支配されているわけではないが,精神的な主従関係にはある」
「化外の土地はまだ王化がおよんでいないのだけれど,それは未来永劫王化されない蛮地であるということではない」(p.80)
そして,
「この曖昧さが,明治時代に国際ルールを掲げ始めた日本と,中国との国境線を巡るフリクションの全てに伏流している」(p.76)
「王化戦略に固執する清朝と,それを否定する明治日本の帝国主義戦略の対立が,伏流していたと考えるべきでしょう」(p.113-118)
としている.
また,論を発展させ,
「阿Qは物質的に損害を受けても,精神のところでは損失を認めない,中国人にとってのある種の理想我」
ではないか,とも述べる(p.85)
その裏返しとして,敗北を認めない「よそもの」,帰順を拒む「身内」に対しては加えられる,苛烈な暴力(p.92-93)
「君子の徳」の物語は,華夷秩序と構造的には同じ(p.94-95)
鄧小平の「先富論」は,華夷秩序の国内ヴァージョン(p.95)
華夷秩序崩壊を意味する,アロー戦争後の天津条約(p.109)
恐怖と屈辱感を味わうことは,アジアの後進国にとって近代化の契機となる教化的経験なのだという,明治政府の内在ロジック(p.112)
原理的には両立しない,華夷秩序と,「国民が一丸となる」というストラテジー(p.147-151)
封冊国からの献上品リストに近いものだった,マテオ・リッチから明朝への献上品(p.162)
中国が台湾独立を許容しないのは,王化戦略にとっては「国境線を画定しない」ことが死活的に重要だから(p.185-188)
どっちつかずは,リスク・ヘッジのひとつの形(p.188-189)
▼
その他,興味深い部分:
分配方法のアンフェアを修正する手立てを,今後暫くは講ずる用意がない中国政府(p.15)
企業の組織原理・あるいは企業家のエートスに相当するものが,非常に弱いと指摘される中国(p.16)
金儲けができるから,その人と付き合うというのではなく,その人と恒常的なかかわりを維持したいからビジネス・ゲームを経由するという感覚が伏流している日本(p.17)
とりあえず「合格」とされた,SARS問題における,胡錦濤体制の統治能力に対する,国際社会の評価(p.21)
国民国家としての一体性や,民族としての一体性,現在の中国に対する忠誠心が,それほどあるわけではない南洋華僑(p.28-29)
日本にとって最悪のシナリオは,反日イデオロギーに興奮した民衆の圧力に抗しきれず,世論に迎合することでしかガバナンスを維持できなくなった政府が,後先を考えずに危険な対日強硬政策をとること(p.32-33)
単純なスローガンで国民的動員をかける以外に動かしようがない,中国のような巨大で複雑なシステム(p.54-56)
国際政治・経済において,日本の頭越しに欧米と直に交渉できる地歩を固めたいと思っている「留美派」(p.37)
日本以外のたいていの国の教科書でも,殆ど触れられていない,侵略したほうの過去(p.41)
アメリカ開拓史にて無視されがちな中国系移民(p.42-43)
中国の側には働いていない,日本批判への心理的抑圧(p.44-45)
易経革命論とは?(p.47)
歴史認識問題は,あくまで「認識」の問題なので,これこれの歴史的事実があったorなかったという水掛け論は無意味(p.60)
教えを実効的なものにする最善の方法は,自らを教えの起源ではなく,教えを継承した者という位置に身を置くことであり,それを行ったのが孔子(p.103-104)
知性の訓練を受けた政治家を,大量かつ継続的に育てるシステムだった幕藩体制(p.122-128)
「和魂洋才」とは意味合いが異なる「中体西用」(p.133-135) これでは修正が利かない,外部評価と自己評価の間の悲劇的な乖離(p.135-136)
劉少奇や鄧小平からの権力奪還が政治目的だった文化大革命(p.141)
文化大革命を礼賛し,その後,反省の弁もない,日本の学者・ジャーナリスト(p.152-153)
ある種の「成功体験」が,絶えずそこに人を引き戻すというタイプのものもあるトラウマ(p.142-143)
抗日戦だけが中国人にとって,唯一の「国民的統合」の記憶の象徴(p.144-145)
日本人にはない,アイデンティティの危機を経験したときに,そこに立ち戻れば必ず自信が取り戻せるような,国民的統合の記憶の核(p.145-147)
清朝におけるキリスト教禁止の直接原因「典礼問題」(p.170-171)
質が高かった,日本統治下時代の台湾行政官(p.196-197)
感受性や価値観に共感できる人が,その国の国民の中に一人いるだけで,一気に縮まる,その国との距離感(p.199)
反日派は実は反胡錦濤派(p.218-219)
魯迅たちが発行していた「浙江潮」という雑誌の中にある,中国人優等意識の垣間見られる,「人類館事件」に関する記述:
「インドや琉球はすでに亡んだ国で英・日の奴隷であり,朝鮮は露・日の保護領で,かつてわが国の藩属国であった.
ジャワや蝦夷,台湾の生蕃は世界最低の人種で,鹿やブタとさして違わない.
われわれ中国人は劣ってはいても,これら6種とおなじにされなくてはならぬのか」(p.231-235)
▼
ただ残念なことに,本書の記述に何らの客観データによる裏づけなし.
「反日デモ問題では,中国政府はデモをコントロールできていないが,中国政府としては『政府は国民を統治できていない』と言われるよりは,『政府は反日的である』と思われるほうがまだマシなので,あたかもデモをコントロールできているかのように振舞っている」(p.23)
「政府への不満をそらすために外国排斥に火を注ぐと,それが統御不能になり,政体そのものの命取りになることがある.それは歴史的教訓として,痛いほど学んでいるはず」(p.24)
「中国が共産党独裁であるリスクより,中国がコントロール不能となり,内戦となるリスクのほうが高い」(p.31-32)
「アメリカの牛肉の国際競争力は,牛が破壊しつつある環境コストを,ゼロ査定することで保たれている」(p.179)
といった微妙な問題については,特にそういう裏付けが欲しいところ.
▼
また,軍事・外交的な面から見ると,やはり首をかしげる部分あり.
中国・統一朝鮮・日本・台湾から成る儒教圏連合「コンピューシオ」ができるのは,地政学的宿命(p.58)と述べられているが,現状,あまりに価値観が違いすぎ,EUと似たようなものが出来上がるのは不可能.
「アングロ=サクソンの植民地統治の基本は「分断」であり,東アジア諸国の利害が対立していて,自助努力では問題解決できず,調停が必要になるたびに「アメリカの介入」が要請されるという現在のスタイルが,アメリカにとっては最もコストのかからない方法」(p.65)という記述もかなり疑問.
それは東アジア全域がアメリカの統治下にあるという前提でなければ成り立たず.
軍を動かすのは,かなりコストがかかるのだが.
「日本人は現在の政体を,敗戦によってアメリカに押し付けられた暫定的な政治形態だと思っているので,正当性認識に脆弱性がある」(p.49-50)という記述にも,ホンマかいな?という印象しか無し.
第二次大戦後,中国は王道政治に基づいて賠償請求を放棄した(p.88-90)というのは,事実に反する.実際には対中ODAという形で,現在も(世銀を経由して)続いている.
「中華に媚びる」のが日本の伝統(p.95)???
「日本が最終的に欧米列強の侵略を免れたのは,日本の文化の高さによって」?(p.132)
「田中角栄はアメリカの陰謀で失脚した」説(p.208-212)などは苦笑もの.
これらはどちらかと言えば,「中国が日本に敷衍させたい共同幻想」と読め得る.
まあ,著者は本書で自ら述べているように,中国問題の専門家でもなく,ましてや外交・戦略の専門家でもないので,その方面に弱いのは仕方なし.
▼
総合的に見ると,本書内容は参考意見として記憶に留めつつ,その裏付けとなりそうなものの有無を,類書で探したほうが得策か.
▼
読め.
【関心33.87率%:全ページ中,手元に残したいページが当方にとってどれだけあるかの割合.当方にとっての必要性基準】
曰く,
「中華から発信する『王化』の光があり,それが届かないところには『化外の民』がいる.
でも,その境涯までは周縁地を含め,全て『王土』に含まれる」
「中心があって周縁がある.
その間には濃淡の差,位階の違いはあるけれども,本質的には同一である」
「中華思想の場合には,中心から周縁に向かって緩やかなグラデーションがあり,どこで終わるのかがはっきりしない」(p.70)
「『王化が及ばない』ということは,『あいつらは野蛮人だ』という事実認知的な言明に過ぎず,『だから教化せねばならない』という遂行的言明を論理的には導かない」(p.75)
「周辺の『えびす』たちは,中国に実質支配されているわけではないが,精神的な主従関係にはある」
「化外の土地はまだ王化がおよんでいないのだけれど,それは未来永劫王化されない蛮地であるということではない」(p.80)
そして,
「この曖昧さが,明治時代に国際ルールを掲げ始めた日本と,中国との国境線を巡るフリクションの全てに伏流している」(p.76)
「王化戦略に固執する清朝と,それを否定する明治日本の帝国主義戦略の対立が,伏流していたと考えるべきでしょう」(p.113-118)
としている.
また,論を発展させ,
「阿Qは物質的に損害を受けても,精神のところでは損失を認めない,中国人にとってのある種の理想我」
ではないか,とも述べる(p.85)
その裏返しとして,敗北を認めない「よそもの」,帰順を拒む「身内」に対しては加えられる,苛烈な暴力(p.92-93)
「君子の徳」の物語は,華夷秩序と構造的には同じ(p.94-95)
鄧小平の「先富論」は,華夷秩序の国内ヴァージョン(p.95)
華夷秩序崩壊を意味する,アロー戦争後の天津条約(p.109)
恐怖と屈辱感を味わうことは,アジアの後進国にとって近代化の契機となる教化的経験なのだという,明治政府の内在ロジック(p.112)
原理的には両立しない,華夷秩序と,「国民が一丸となる」というストラテジー(p.147-151)
封冊国からの献上品リストに近いものだった,マテオ・リッチから明朝への献上品(p.162)
中国が台湾独立を許容しないのは,王化戦略にとっては「国境線を画定しない」ことが死活的に重要だから(p.185-188)
どっちつかずは,リスク・ヘッジのひとつの形(p.188-189)
▼
その他,興味深い部分:
分配方法のアンフェアを修正する手立てを,今後暫くは講ずる用意がない中国政府(p.15)
企業の組織原理・あるいは企業家のエートスに相当するものが,非常に弱いと指摘される中国(p.16)
金儲けができるから,その人と付き合うというのではなく,その人と恒常的なかかわりを維持したいからビジネス・ゲームを経由するという感覚が伏流している日本(p.17)
とりあえず「合格」とされた,SARS問題における,胡錦濤体制の統治能力に対する,国際社会の評価(p.21)
国民国家としての一体性や,民族としての一体性,現在の中国に対する忠誠心が,それほどあるわけではない南洋華僑(p.28-29)
日本にとって最悪のシナリオは,反日イデオロギーに興奮した民衆の圧力に抗しきれず,世論に迎合することでしかガバナンスを維持できなくなった政府が,後先を考えずに危険な対日強硬政策をとること(p.32-33)
単純なスローガンで国民的動員をかける以外に動かしようがない,中国のような巨大で複雑なシステム(p.54-56)
国際政治・経済において,日本の頭越しに欧米と直に交渉できる地歩を固めたいと思っている「留美派」(p.37)
日本以外のたいていの国の教科書でも,殆ど触れられていない,侵略したほうの過去(p.41)
アメリカ開拓史にて無視されがちな中国系移民(p.42-43)
中国の側には働いていない,日本批判への心理的抑圧(p.44-45)
易経革命論とは?(p.47)
歴史認識問題は,あくまで「認識」の問題なので,これこれの歴史的事実があったorなかったという水掛け論は無意味(p.60)
教えを実効的なものにする最善の方法は,自らを教えの起源ではなく,教えを継承した者という位置に身を置くことであり,それを行ったのが孔子(p.103-104)
知性の訓練を受けた政治家を,大量かつ継続的に育てるシステムだった幕藩体制(p.122-128)
「和魂洋才」とは意味合いが異なる「中体西用」(p.133-135) これでは修正が利かない,外部評価と自己評価の間の悲劇的な乖離(p.135-136)
劉少奇や鄧小平からの権力奪還が政治目的だった文化大革命(p.141)
文化大革命を礼賛し,その後,反省の弁もない,日本の学者・ジャーナリスト(p.152-153)
ある種の「成功体験」が,絶えずそこに人を引き戻すというタイプのものもあるトラウマ(p.142-143)
抗日戦だけが中国人にとって,唯一の「国民的統合」の記憶の象徴(p.144-145)
日本人にはない,アイデンティティの危機を経験したときに,そこに立ち戻れば必ず自信が取り戻せるような,国民的統合の記憶の核(p.145-147)
清朝におけるキリスト教禁止の直接原因「典礼問題」(p.170-171)
質が高かった,日本統治下時代の台湾行政官(p.196-197)
感受性や価値観に共感できる人が,その国の国民の中に一人いるだけで,一気に縮まる,その国との距離感(p.199)
反日派は実は反胡錦濤派(p.218-219)
魯迅たちが発行していた「浙江潮」という雑誌の中にある,中国人優等意識の垣間見られる,「人類館事件」に関する記述:
「インドや琉球はすでに亡んだ国で英・日の奴隷であり,朝鮮は露・日の保護領で,かつてわが国の藩属国であった.
ジャワや蝦夷,台湾の生蕃は世界最低の人種で,鹿やブタとさして違わない.
われわれ中国人は劣ってはいても,これら6種とおなじにされなくてはならぬのか」(p.231-235)
▼
ただ残念なことに,本書の記述に何らの客観データによる裏づけなし.
「反日デモ問題では,中国政府はデモをコントロールできていないが,中国政府としては『政府は国民を統治できていない』と言われるよりは,『政府は反日的である』と思われるほうがまだマシなので,あたかもデモをコントロールできているかのように振舞っている」(p.23)
「政府への不満をそらすために外国排斥に火を注ぐと,それが統御不能になり,政体そのものの命取りになることがある.それは歴史的教訓として,痛いほど学んでいるはず」(p.24)
「中国が共産党独裁であるリスクより,中国がコントロール不能となり,内戦となるリスクのほうが高い」(p.31-32)
「アメリカの牛肉の国際競争力は,牛が破壊しつつある環境コストを,ゼロ査定することで保たれている」(p.179)
といった微妙な問題については,特にそういう裏付けが欲しいところ.
▼
また,軍事・外交的な面から見ると,やはり首をかしげる部分あり.
中国・統一朝鮮・日本・台湾から成る儒教圏連合「コンピューシオ」ができるのは,地政学的宿命(p.58)と述べられているが,現状,あまりに価値観が違いすぎ,EUと似たようなものが出来上がるのは不可能.
「アングロ=サクソンの植民地統治の基本は「分断」であり,東アジア諸国の利害が対立していて,自助努力では問題解決できず,調停が必要になるたびに「アメリカの介入」が要請されるという現在のスタイルが,アメリカにとっては最もコストのかからない方法」(p.65)という記述もかなり疑問.
それは東アジア全域がアメリカの統治下にあるという前提でなければ成り立たず.
軍を動かすのは,かなりコストがかかるのだが.
「日本人は現在の政体を,敗戦によってアメリカに押し付けられた暫定的な政治形態だと思っているので,正当性認識に脆弱性がある」(p.49-50)という記述にも,ホンマかいな?という印象しか無し.
第二次大戦後,中国は王道政治に基づいて賠償請求を放棄した(p.88-90)というのは,事実に反する.実際には対中ODAという形で,現在も(世銀を経由して)続いている.
「中華に媚びる」のが日本の伝統(p.95)???
「日本が最終的に欧米列強の侵略を免れたのは,日本の文化の高さによって」?(p.132)
「田中角栄はアメリカの陰謀で失脚した」説(p.208-212)などは苦笑もの.
これらはどちらかと言えば,「中国が日本に敷衍させたい共同幻想」と読め得る.
まあ,著者は本書で自ら述べているように,中国問題の専門家でもなく,ましてや外交・戦略の専門家でもないので,その方面に弱いのは仕方なし.
▼
総合的に見ると,本書内容は参考意見として記憶に留めつつ,その裏付けとなりそうなものの有無を,類書で探したほうが得策か.
▼
読め.
【関心33.87率%:全ページ中,手元に残したいページが当方にとってどれだけあるかの割合.当方にとっての必要性基準】
2019年7月2日に日本でレビュー済み
再掲 2008年
図書館本
内田さんの大学内でのゼミを通しての中国の分析。
ご自身が書かれているように素人達の目に見える、あるいは文学、歴史から読み取る中国論。
私の様な歴史や外交の素人から読むと非常に説得力があり、13億ととも15億とも言われる中国人民をまとめ上げている統治能力の一端が内田氏の説明で理解できるように思う。
そして、もし中国崩壊と言うプロセスがあるのであれば、それは農村の崩壊であると。そして何気に、廃県置藩が日本の未来を築くと示唆する。すなわちローカルな思想である。中央集権での疲弊を考えれば、過去に270もの藩があって、ある種自給自足的な政治が行なわれていて、さらに、そこから日本を担うような人材が輩出されてきた事実があるから。
また昨今の中国における反日運動の背景やその考察もテレビで出てきて一刀両断にする評論家とは違う意味で興味深く説得力がある。(ご自分がテレビに出ない理由は、詳しくしゃべらせてくれないかららしい)
さらに、台湾問題、領土問題、中国での愛国心と言う概念などを、ある意味、日本人という立ち位置から少し離れて論じていて面白い。
いずれにしても、やはり歴史は勉強せねばいけないのだと痛感しました。
もちろん国が書いた歴史とローカルな歴史の両方を。
図書館本
内田さんの大学内でのゼミを通しての中国の分析。
ご自身が書かれているように素人達の目に見える、あるいは文学、歴史から読み取る中国論。
私の様な歴史や外交の素人から読むと非常に説得力があり、13億ととも15億とも言われる中国人民をまとめ上げている統治能力の一端が内田氏の説明で理解できるように思う。
そして、もし中国崩壊と言うプロセスがあるのであれば、それは農村の崩壊であると。そして何気に、廃県置藩が日本の未来を築くと示唆する。すなわちローカルな思想である。中央集権での疲弊を考えれば、過去に270もの藩があって、ある種自給自足的な政治が行なわれていて、さらに、そこから日本を担うような人材が輩出されてきた事実があるから。
また昨今の中国における反日運動の背景やその考察もテレビで出てきて一刀両断にする評論家とは違う意味で興味深く説得力がある。(ご自分がテレビに出ない理由は、詳しくしゃべらせてくれないかららしい)
さらに、台湾問題、領土問題、中国での愛国心と言う概念などを、ある意味、日本人という立ち位置から少し離れて論じていて面白い。
いずれにしても、やはり歴史は勉強せねばいけないのだと痛感しました。
もちろん国が書いた歴史とローカルな歴史の両方を。
2014年4月14日に日本でレビュー済み
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途中で読むのが気分が悪くなった.「元々中国を中心にした華夷秩序の末端にあった国が・・・」「華夷秩序の端っこの方」という立ち位置が身になじんでいる。それが身の上なんだから・・・」。中華思想は添加すべてが中国を中心にひとつの調和した小宇宙を形成しているという宇宙観で「国民国家」や「国境線」という概念自体そもそも存在しない、と延々と中国大好きでしょうがない感が書かれているが、そうならなぜあのように尖閣のこだわるのか。ウイグルやチベット、モンゴルに執着するのか。
本当に読む勝ちのない本多だった。時間の無駄。
本当に読む勝ちのない本多だった。時間の無駄。
2011年2月25日に日本でレビュー済み
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テレビ報道や新聞紙上での専門家による解説を鵜呑みにしていると、全然真実に近づけないということが昨今よくあります。
その点中国の専門家ではない著者の「中国論」を読むと、現代日本人が抱く中国や中国人のイメージに囚われることなく、
相手を理解しそして自分たちの振る舞いも生かすことができると思います。
この本は別段「中国寄り」というわけではないのですが、なんとなくそう捉えてしまう読者がいるとするならば
それは読んだ本人にバイアスがかかっているからだと認識すべきだと思います。
その点中国の専門家ではない著者の「中国論」を読むと、現代日本人が抱く中国や中国人のイメージに囚われることなく、
相手を理解しそして自分たちの振る舞いも生かすことができると思います。
この本は別段「中国寄り」というわけではないのですが、なんとなくそう捉えてしまう読者がいるとするならば
それは読んだ本人にバイアスがかかっているからだと認識すべきだと思います。
2022年2月18日に日本でレビュー済み
かねてから読みたかったのですが、一読、予想と違う内容だった。
現代の人民共和国の精神構造を分析するような内容かと思っていたが、司馬遼太郎が「明治という国家」を幕末の200以上の藩に分裂していた江戸期日本の説明から始めたように、内田樹は中国近代のアヘン戦争から、さらに世界が「王土」と「化外」に分かれていた中華思想まで遡って「国境がいまいち曖昧で、朝貢品を持ってきて王化に努力します」ということにしておけば良い中華思想が、ウェストファリア条約以後の国境概念と合わず、また同時に魯迅の「阿Q正伝」の阿Qの精神にもつながり、細かい所を検討させない意識につながっていく…と、想像もできなかった分析を取り出して見せる。
じつは、それが妥当なのかどうか、判断できない。
にもかかわらず仮説としても、その意識構造は、
「1億の日本と、13億の中国を統治するには、はるかにダブルスタンダードどころかトリプル、それどころかマルチスタンダードで権謀術数もなにもかも駆使しなければならない政治技術になるだろうし、そうでなければ統治はできない」
また、反面では
「毛沢東が提唱したように、主体が一言で絶対性を決定するようにならねば統治もできない構造になっているのではないか?」
という仮説は大変、(これまた、正しいかどうかとは別として)中国を理解する「補助線」となるものだった。
このほか「アヘン戦争から人民共和国成立まで100年間、中国は戦争の連続」「中韓日がいがみあうのは米国の利益」「中華思想に対抗するのはアメリカ独立宣言」「日本における親米と親中はゼロサムで両立しない」「大国の辺境にあるのが日本の伝統」「二つの【中心】のどちらに属すべきか迷っている現代日本」と、目から鱗の仮説が次々と出てきて、論理のアクロバットなのか、それともこれが頂門の一針を突いているのか、頭を次々に技を掛けられた気分だった。
「外国語は、語源に遡って調べるべきだ」森鴎外を期せずして実践している、戦略眼の冴えわたる書だった。
さすがは武闘家…。
現代の人民共和国の精神構造を分析するような内容かと思っていたが、司馬遼太郎が「明治という国家」を幕末の200以上の藩に分裂していた江戸期日本の説明から始めたように、内田樹は中国近代のアヘン戦争から、さらに世界が「王土」と「化外」に分かれていた中華思想まで遡って「国境がいまいち曖昧で、朝貢品を持ってきて王化に努力します」ということにしておけば良い中華思想が、ウェストファリア条約以後の国境概念と合わず、また同時に魯迅の「阿Q正伝」の阿Qの精神にもつながり、細かい所を検討させない意識につながっていく…と、想像もできなかった分析を取り出して見せる。
じつは、それが妥当なのかどうか、判断できない。
にもかかわらず仮説としても、その意識構造は、
「1億の日本と、13億の中国を統治するには、はるかにダブルスタンダードどころかトリプル、それどころかマルチスタンダードで権謀術数もなにもかも駆使しなければならない政治技術になるだろうし、そうでなければ統治はできない」
また、反面では
「毛沢東が提唱したように、主体が一言で絶対性を決定するようにならねば統治もできない構造になっているのではないか?」
という仮説は大変、(これまた、正しいかどうかとは別として)中国を理解する「補助線」となるものだった。
このほか「アヘン戦争から人民共和国成立まで100年間、中国は戦争の連続」「中韓日がいがみあうのは米国の利益」「中華思想に対抗するのはアメリカ独立宣言」「日本における親米と親中はゼロサムで両立しない」「大国の辺境にあるのが日本の伝統」「二つの【中心】のどちらに属すべきか迷っている現代日本」と、目から鱗の仮説が次々と出てきて、論理のアクロバットなのか、それともこれが頂門の一針を突いているのか、頭を次々に技を掛けられた気分だった。
「外国語は、語源に遡って調べるべきだ」森鴎外を期せずして実践している、戦略眼の冴えわたる書だった。
さすがは武闘家…。
2007年8月16日に日本でレビュー済み
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まえがきに自分は中国問題の専門家でもないし、この中国論の元になっているのは新聞記事や世界史や漢学の知識、筆者の知り合いの中国人から聞いた話、辞典やネットで調べたこと、要は一般的な日本人が持つ標準的な知識であると断り書きがある。あとがきでも、こちらは素人ですから専門家に何を言われても「あっ、そうですか。すいませんでおしまいです。」と書かれている。このように、言い訳ばかりが先にあっては、ここに書かれていることは、あくまでも僕はこう思うという感想にしか聞こえない。まあ、実際にそうなのでしょうが。ゼミの中でやられる分には、特に文句をつける筋合いはないのですが、ゼミの学生ではない一般人が1680円を払って、これを読んだ感想としては、対価として得るものは乏しかった、(購入して)失敗したという感じです。中華思想でまとめようとしている部分など興味深い部分もないではないが、筆者が自分を批評(この中国論に対する批評です)の対象の外に置こうとする姿勢が、何か自分の責任を回避しているように感じられて説得力が感じられない。何か自分の表明する意見に対しての覚悟が感じられないというか・・・。本として出版するからには、もっとしっかりとした態度で臨んで欲しいと思う。