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死に魅入られた人びと: ソ連崩壊と自殺者の記録 単行本 – 2005/6/1

4.7 5つ星のうち4.7 5個の評価

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 群像社 (2005/6/1)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2005/6/1
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 単行本 ‏ : ‎ 307ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4905821290
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4905821298
  • 寸法 ‏ : ‎ 12.8 x 3 x 18.2 cm
  • カスタマーレビュー:
    4.7 5つ星のうち4.7 5個の評価

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スヴェトラ−ナ・アレクシエ−ヴィチ
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カスタマーレビュー

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上位レビュー、対象国: 日本

2014年6月20日に日本でレビュー済み
ソ連の自殺者…? ピンと来なかったですが、読んでいくと分かってきます。
ロシア革命、スターリンの時代に子供だったソ連人は当時の体制がどうであれ(夜中に隣の人が連れて行かれたり、
拷問されて歯を全部折られたり、無実の友が拷問跡が外観上分かってしまうから釈放されないで銃殺されたり、
やっと自ら釈放されたけどカミサンは投獄中に殺されていたり)その人の人生を構成するものはソレしかありません。
老後生活になっていきなりソ連が崩壊し、あれは間違いだったと言われてもそういう人たちは全てを否定される事になり、
もはや死を選ぶしか選択の余地が無いのです。
勿論、全ての人が死を選んだわけではなく、変化に対応して行った人の方が割合としては遥かに大多数なんでしょうが
(自殺未遂の人へのインタビューで、インタビュー後に再度、自殺を図った人もいます。
 高齢者ばかりでなく、14歳で死んだ息子の母親への壮絶なインタビューも含まれています。
 ちなみに、筆者の本はどれも壮絶なので、まだレベル的には序の口の方です。)
「8. いいことなんか、なにもなかった」が個人的には心にヒットしてます。
アフガン帰りの兵士も何人か含まれており、
Zinky Boys: Soviet Voices from the Afghanistan War ともダブります。

しかしこの人の作品はディープですね...
ボタン穴から見た戦争―白ロシアの子供たちの証言 はかなり濃厚な吐露です。
あの頃の歴史検証をしている方以外には、「簡単には」お薦めできません...
32人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2020年6月15日に日本でレビュー済み
ノーベル賞作家のアレクシェーヴィチのソ連崩壊のころに、自殺した人あるいは自殺未遂をおこなった人のインタビューから構成される作品。本書の20年後に発行された「セカンドハンドの時代」に本書の17章のうち8章の証言が改稿されて含まれている(その他、1章は独立した章ではないが「セカンドハンドの時代」に多く引用されている。二つの本に含まれている同一人からの証言を比べると、20年前は公表できなかった内容が加筆されている「セカンドハンドの時代」の章のものが8章すべてで優れている。
そこで本書を読む価値としては、まずは、「セカンドハンドの時代」に含まれていない章ということになるが、本書のオリジナルで「セカンドハンドの時代」に似た証言がないものはいくつかあり、何より著者の前書き「著者から」が貴重。
本書の初版は1993年でソ連崩壊の二年後p7、「著者から」では、“社会主義神話にむかって暴言を吐くという第一段階をすでに通過しました。こんどは分析の時がきたのです。まだ当分は公平さを欠いたものになるかもしれません”としている。この10ページの前書きこそが貴重で、著者自身が“証言者のひとり”として、当時どのように分析していたのかがわかる内容で、20年後の著者の意見と比較するのは意味深い。
まず著者は “私は自分のこの本がこわい。本としてひとつになって表にでた私たちの全員のことを、知らないほうがよかった。正確な診断で治療の半分はすでに終わっているといわれますが、その診断を聞く勇気がいつもあるわけではありません、だまされているほうが楽なのです。p5”と、すなおに心境を語っている。(著者も)だまされ続けていたらどれだけ楽であったかと。 
 “誠実になりましょう。やってみましょう。それは私たちにとってなによりつらい思いをすることですけど。私たちはいま、自分が実際以上か、実際以下に見えることを望んでいます。ありのままの自分でいることをおそれています。私たちは、過去が不可侵で不変の現実だということさえも認めていません。それすらも侵そうとしていますp12。” は書いているが、この前書きでは、著者は“共産主義”とソ連の人々についてネガティブなことしか書いていないが、これはある意味、過去をゆがめているともいえる。本書の証言の中には、利他的であり、無私で、人々の平等を願う勤勉な、自らの命を犠牲にしてヒトラーを打倒した、旧ソビエト・共産主義の思想・哲学をポジティブにとらえる証言もある。
ソ連時代の貧困・悲惨と崩壊にいたる主要因はスターリンの粛清を中心とする恐怖政治と無謀な軍拡などにより、粛清・軍拡自体は共産主義の思想自体とは無関係。ところが、この前書きで、著者はすべてを“共産主義”のせいであるかのように次のように書いている。“共産主義は無謀な計画をもっていました。私たち人間の改造です。人の本質を改造し、「古き」人間、古くさいアダムを作り変えようというのです。マルクス・レーニン主義実験室で作り出された「ホモ・ソヴィエチクス」という人間。いまは、自分たちが人類史上の特殊なタイプ、一度だけ可能で、二度と現れないタイプに属していたことがわかっています。それが悲劇的ですばらしい人間だったと断言している人たちもいれば、他人ごとのように粗レン人(ソヴォク)」という名を与えている人たちもいるのですp7。” この表現は、正しくなく、フランス革命からたどれば、一連の人類の思想史の流れのなかで旧ソ連の人々のような理想に生きようとした人々は存在した。
本書の証言のほとんどは、ソ連が崩壊したとき、“同志スターリン”という偉大な嘘は捨てる一方で、判明した粛清・拷問・収容所については全否定している、きわめてまともなリアクションである。彼らは、自分たちが、思想としては理想的であった共産主義社会の実現のために捧げた一生・ヒトラーの打倒に誇りを持ちながら、それらのすべてが間違いであったとされてしまっていることに悔恨している。それに対して、著者の意見は、“この人たちには、何があったのでしょうか。それは明るい未来への信念だけでしたが、いまはそれもありません。信念を自分たちに返してくれというのです。この人たちはふたたび幻想のなかへ戻ろうとしているのであって、現実社会にもどりたくないのです。ユートピアの誘惑。偉大なうその理解しがたい黒い魔力ですp8”。としているが、これは理想を“幻想”と否定し、“偉大なうそ”はスターリンを中心とするソ連の政治家であり、共産主義思想ではないことを忘れている。
もちろん、共産主義にありうる全体主義的結果のもたらした悪い面はあり、その際たるものは“衷心からの密告p9” で隣人から家族にいたるまで粛清されてしまったことや、“私たちが教えられていたのは、死ぬことp13”である。一方、 “私たちは思想とともに、国家とともに、時代とともに生きてきました。国家が私たちの全世界であり、宇宙であり、宗教でしたp9”と書かれているソ連の貧困にあえぐ一般国民が持っていた“理想”は高邁で、これは恐怖・洗脳から植え付けられたものではなく、自分の信念として、ソ連の多くの国民が持っていたもの。結果として多くのソ連の国民が持っていた高い精神性は評価されるべきものであるが、旧ソ連人の代表的知識人の著者すらも、この本の執筆時では全否定してしまっており、当時の彼らの精神的ダメージの高さがわかる。自殺者も多かった理由はここにもあると考えさせられる。
著者は、次のように“妖怪”のことを語っているが、「共産党宣言」で共産主義を妖怪にたとえられていることから、ここで言う“妖怪”は“共産主義”のことと考えてよい。“あの時代に愛着を持っている証言者は自分を殺したのです。妖怪が生き残れるように。悪魔に鏡を見せる必要があります。自分の姿が見えないと思わせないように。これが「この本はなんのため」という問いの答えです。すべての問題は、妖怪にあります。この妖怪の息の根をたたなければ、私たちがそれに殺られてしまうのですp14”。私は読者として、この意見には賛成しかねる。息をたたなければならない“妖怪”は、恐怖政治・全体主義・独裁政治であって、共産主義の理想ではないはずである。
現在、著者は本書を、自らの5大著作からははずしている。ひとつの理由は、本書の証言の多くが後に掲載できなかった部分も含めて2013年出版の「セカンドハンドの時代」に収録されたためと思われる。しかし、本当の理由は、本書の「著者から」の“公平さを欠いた分析”の与える影響を考えたからなのではないかと考える。「著者から」を証言者のひとりの発言とするならば貴重であるが、本書に収録した人の証言をネガティブに著者としてサマライズしてしまったものとも、読者によっては受け取られかねない。そうなると、それは証言者にとっては、証言したことでインタビューアーである著者に非難されてしまうということなので、証言したことを後悔したとしても無理もない。
1章は「セカンドハンドの時代」には「別の聖書とべつの信者たちp203」の題で証言が収録されているが、“90年代に、わたしはこの告白の一部だけを発表しましたp229」とあるように「セカンドハンドの時代」のもののほうが内容は多い。ただ本作のラストの以下は、本作のみに収録。
“以下は二度目の自殺を試みるまえに書かれた遺書にあったことば。本人はこの試みで、望みどおり存在しなくなった。‘私は兵士だった、私は一度ならず殺した。信ずるままに、未来のために。過去を擁護するはめになろうとは思いもよらなかった。’p42”
2章は「セカンドハンドの時代」には「思い出の施し、意味の渇望p172」の題で証言が収録されている。この話で自殺したイーゴリ青年にソ連の社会情勢はほとんど無関係のように思えるので、本作に収録することは疑問。わずかでも自殺に関係する要素があるとすれば、子供の頃戦争ごっこで撃たれる役を好んでしていたことくらい。むしろ、母親が息子の育て方を誤っていたのではと疑問を持つ話で、ソ連とは直接関係はないにしろ精神的に深い要素はある。以下の部分は本書のみの収録。
“ヴェーラ・アフマドゥーリナの詩。
‘どんなに蜜をのませたかったか、そして飲ませていた
蜜を飲ませていたのに、飲ませていたのは毒‘
もしかしたら、あの子は終わりのそのまたむこうをのぞいてみたかっただけなのでしょうか。まさか戻れないとは思ってなかったのでしょうか。‘私は閉じる、息子の開けなかったドアを’-あとになってあの子の詩集にこんな題名を付けましたp68“
「セカンドハンドの時代」では、自殺したイーゴリの友人の話が掲載されているが、友人たちはソ連崩壊の時の自分の話に終始し、イーゴリのことはほとんど話していない(それだけに忘れ去られているイーゴリは哀しいが)。
3章は「セカンドハンドの時代」には「ささやき声とさけび声…そして感嘆p107」の題で証言が収録。
4章は「セカンドハンドの時代」には「大鎌を持った老婆とうつくしい娘p466」の題で証言が収録。しかし、本書の章の題にもなっている「人生はベイルマンというより、フェリーニなんですp84」というセリフは本書では二度p95、p96使われているが、「セカンドハンドの時代」では引用はない。
5章「最後の世代の共産主義と赤い理想の魅力について。イグナチイ・ヴァレリヤノヴィチ党州委員会部長、55歳」は「セカンドハンドの時代」の時代では、明確な章としての重複はないが、多くの部分で本章の証言は引用されている。党の要職についていた人物の発言でよくまとまっており、ソ連時代の人の意識・知識がよくわかる章。次の“わが国には三世代の共産主義者がいたp100”の言はわかりやすい。“最初の世代は職業革命家で、書類かばんと拳銃を持ち、一定タイプの人間を増やし、それ以外の人間は排除しようとした。二番目は、もっとも誠実で正直な共産主義者たち。彼らは、十月革命のあと、その思想がまだ若々しく力強いときに育ち、共産主義を信奉していたが、1937年、収容所で抹殺されてしまった。三番目が、最後の世代である私たち、党職員や書記だ。私たちはただ働いていただけ。いい仕事だった。思想について話す者はひとりもなく、思想は儀礼としてあつかわれていた。‘明るい未来’という儀礼が存在していた”。三番目に所属する人物が本章の証言者であり、自殺した同僚のS氏で、S氏は以下のような人物 “S氏のなかではなにひとつ思想が生まれることはなかった。もともとただの遂行者にすぎず、かつては工場の技師だったのだが、結局技師のままだった。命令されると、実行して報告するんですp105”.彼らは“共産主義者がなにもかも悪いんだといって非難され、彼らは政権から去った。で、なにが変わりましたか。こんどは民主主義者が、豊穣の角を手にしてうまい汁がすえるポストにおさまった。思想が非難されているが、思想には関係ないことだ。偉大な思想だ。悪いのは人間のほうだp99”。と証言している。“人類にもたらした不幸の数では、科学のほうがはるかに(共産主義より)上だ。だからといって科学者を抹殺するんですか。原子爆弾の父たちを破門するんですか。マルクス主義は、あらゆる偉大な思想と同じく、受難者と悪党を生みだしてしまった。この点において‘赤い宗教’はほかのすべての宗教に似ているp98”とすることは賛同できるところ。しかし、彼らがほとんど共産主義思想を学んでいないという次の本人たちによる証言には驚かされる。“一度もマルクスに目を通していなかった。試験の前にざっとページをめくっただけ。私がマルクスやレーニンを読み始めたのはいま、彼らの銅像が撤去されごみ捨て場に運ばれるようになってからだp106”.これは、宗教一般にあてはまることで、たとえば私は米国に長らく在住していたが、熱心なキリスト教徒でも聖書を全部読んでいる人は殆どいなかった。以下の本章の抜粋も重い。
“この国は、血を流すのが好きなんです。正義のためだといって。煙が晴れてやっとわかるんです。殺し合っていたのが兄弟だったということがp98”。
“自分の子どもにガヴローシュやパヴリク・モロゾフみたいになって欲しいのだろうか。こんどはバリケードの反対側でp100”
“自分が迫害者だと感じているものは誰もいない。皆が皆被害者意識を抱いている。上でも下でも。全員が裏切られた。だれに?私たちが思想に裏切られたという者もいるし、私達が思想を裏切ったという者もいるp110”
6章は本書のみのオリジナル。以下は抜粋。
“動物はけっして自殺しない。流れにさからわないんだp118”
“全地球的統一文明としてのマルクス主義について彼と話した。最初の社会主義者はキリストだったと話した。ぼくらは膝まで血につかっているのに、マルクス教のなぞが完全にわかっていないんだと話したp120”
7章は「セカンドハンドの時代」には「兄弟姉妹たち、迫害者と犠牲者…そして、選挙民p91」の題で証言が収録。
8章は「セカンドハンドの時代」には「クソのような人生と白い小さな壺のなかの百グラムの軽い砂p513」の題で証言が収録。本書収録の証言は、夫の家庭内暴力に耐えかねた妻が酢酸エキスで自殺未遂をして、次は夫を殺害することを考えていることを告白するところで終わっているp140。「セカンドハンドの時代」では、“一年後、彼女はもう一度自殺を試みた。こんどは成功した。夫にはすぐに別の女性が現れたp526”と、やりきれない後日談が短く書かれている。
9章は本書のオリジナル。55歳の教師ナターリヤは三つの人生を生きてきたと語るp141.三つ目が現在のもので、最初のものはジュール・ベルヌを読みp142、スターリンを信じ密告を罪悪感のかけらもなく行うことのできる少女p143で、“いまもこのスターリン少女が怖いんですp144”と語る。二人目は雪解けの申し子で、“レーニンはいい人、スターリンは悪い人、人間の顔をした共産主義を建設しようと、幸福にみちた自己犠牲、自分の人生を社会的なものに、みんなのものにささげようとしていたp147”.注目すべきは、本人は大学でマルクス・レーニン哲学を教えておりp150、“私は人を責めてはいません。私が憎むのは思想ですp151”としているところ。しかし、マルクス・レーニン哲学の何を憎むということは語っておらず、思想が存在したこと自体を憎んでいる語り口。の以下は抜粋。
10章は本書のみのオリジナルで、25歳で自殺した女医学生の話。ユニークな考え方の魅力的な人物が自殺にいたった理由はソ連の社会情勢とは無関係といってよく、本書の挿話のひとつに加えるには全体の統制を欠く(自殺者一般の話としては深いものがあるが)。
11章は本書のみのオリジナル。退役軍人の老人の告白。以下は抜粋。
“自分だけのために生きている者はいなかったし、自分だけのてめになにか要求する者もいなかった。自分たちの祖国が豊かであってほしいと思っていた。いまじゃ、この私にも祖国がない。私の過去だけが祖国だ。p191”
12章は本書のオリジナル。27歳の傭兵の告白。以下は抜粋。
“八月にバリケードを攻撃していた連中と、権力の座についた連中は違っていたp198”
“俺たちはアフガンやカラバフの戦火をかいくぐった。他人の女房を犯し、殺していた。それが(帰国して)女房に捨てられて口に弾丸(で自殺)だと!p200”
13章は本書のオリジナルで、警察官の誤った取り調べと暴行で死に追いやられた22歳の若者の母親の証言。当時のソ連の警察の腐敗がわかる内容である。
14章は本書のオリジナルで、36歳の自殺を図った女性。ソ連では技師は女性の専門職だったが、崩壊後に解雇された女性が多く、本章の女性も解雇され、主婦となる。“(ソ連は)全員の居場所は、陽の当たるところに十分あると約束してくれていた。それなのにこの期に及んで‘ダーウィンの法則に従って生きるべきだ、そうすれば我が国は裕福になるだろう‘と申し渡されたのですp223”。家庭では夫と息子に家政婦としかみなされずp220、225酢酸エキスで自殺をはかる。
15章は本書のオリジナル。自殺した父親への娘の一方的な思い込み。父親本人の手帳の抜粋もあるが自殺の理由は不明のままで、ややまとまりに欠ける章。以下は抜粋。
“(父の)手帳が何冊かのこされていました。私は自分の父親をわかっていなかったのです。私が読んだのは、ほとんど私の知らない人間が書いたものでした。p232
“(父たちは)戦ったのは自分たちじゃないのに、自分たちを勝利の申し子だと感じていた。あの人たちは処女地を開拓した。宇宙へとびだした。共産主義を建設していた。信じていたのです。この机上の理想を。偽善的で幼稚な理想を。夢を追いかけていた人々。現実が見えない人々。父たちが話すのはロシア全体のことばかりで、自分たちの人生のことではなかった。虚構の世界で生きていたのに、結局そこへ現実がどっとなだれこんできたことに、あの世代の悲劇があります。p237
“プラトーノフの考え “死は何度もわれらに訪れるものだ”p239
“あの大金のでどころはどこか。自分たちにないのにあの男は持っている。つい最近までわれわれは平等だったじゃないかと。共産主義の建設はならなかったが、共産主義的意識はうえつけられてしまった。p247”
“ユートピアか。実現不可能だ。それでもぼくらが愛し、これからも愛するのは、この現実の生活ではなく、それ、未来にある生活だ。p247”
“ひとり息子がアフガニスタンで戦死したという母親が、ぼくを訪ねてきた。若者をかの地へ送り込んだ国はもう存在しない。この母親は書類一式を持ってどこへ行けばいいのか。病気をかかえ、息子の勲章を持って。希望が盗まれたのだ。p249”
“冬、ぼくはドイツ人の死体にのってすべった。p250”
“休暇でおとずれた若い中尉は、カフカスで勤務している。“ぼくが発狂するか、他人を平然と殺すか、どっちかなんだp253”
16章は「セカンドハンドの時代」には「殺人者のだれもが、自分は神に仕えていると思っている時代p300」の題で証言が収録。本書では“いますぐ死にたいp277”という告白で終わっているが、「セカンドハンドの時代」には、本人が修道院に入ることにした短い手紙p316が付けられている。
17章は「セカンドハンドの時代」には「赤い小旗と斧の微笑p317」の題で証言が収録。「セカンドハンドの時代」には、本書には収録できなかった息子の証言が、10年以上の時を経て息子の承諾を得て掲載されている。ここでは迫害する側のむごたらしい証言が記載されており貴重。迫害される側の証言は、結局、生き残った人のものなのであるが、拷問で殺された者の証言は、迫害した者からでないと得られない。結果として、殺された者の拷問のほうが、生き延びた人のそれより激しいことが多いのは必定。
5ページの「あとがきにかえて」は、いくつかの新聞記事の抜粋で、この中のアフロメーエフソ連邦元帥の死p301と、ブレスト要塞を守るために戦ったタタール人のジナトフの二つは、「セカンドハンドの時代」に独立した章となってそれぞれ掲載されている。
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2016年1月11日に日本でレビュー済み
「ボタン穴から見た戦争」と「戦争は女の顔をしていない」は岩波現代文庫から再版されます。
しかし、本作品はどうやら岩波からの出版予定はないようです。
このまま絶版になってしまうようです。

「いいことなんて、何も なかった」
ソ連崩壊で明るい未来が見える。そう勘違いしていた。
現実は、そう甘くないということを実感させられる作品でした。
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2006年5月30日に日本でレビュー済み
ソ連崩壊、その前に始まっていたのがゴルバチョフのペレストロイカ、そして ソ連の激変、ゴルバチョフが訪日し抑留の問題に陳謝したときの通訳、その後エリツイン大統領が さらに哀悼の意を表したときの通訳、そして アフガン戦争に反対したことで流刑になっていたサハロフが訪日したときにも通訳をした 米原万里さんが亡くなった。 ペレストロイカという時代の証人の一人が。 その激動に飲み込まれるように命を絶った人、絶とうとした人の家族や残された人たちのことは せめて忘れられないで欲しい。 今 ペレストロイカに 西側でも到達できていない自由や民主主義の期待を掛けてしまったことを 自嘲的に思い起こす日本で。
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