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立山のはなし 佐伯有頼少年像建立記念 単行本 – 2003/11/1

5.0 5つ星のうち5.0 1個の評価

立山を開いた佐伯有頼の伝説から、立山の成り立ちなど立山の自然や文化を少しでも多くの青少年に知ってもらう。
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商品の説明

内容(「MARC」データベースより)

富山県民の心の支え、魂のよりどころの霊山、「ふるさとの山はありがたきかな」と仰ぐ山、立山。その立山にはじめて登り、立山を開いたという伝説の人物、佐伯有頼の銅像建立を記念し、立山の自然や文化をやさしく解説する。

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 北日本新聞社 (2003/11/1)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2003/11/1
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 単行本 ‏ : ‎ 130ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4906678823
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4906678822
  • カスタマーレビュー:
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広瀬 誠
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上位レビュー、対象国: 日本

2016年5月9日に日本でレビュー済み
富山県を真ん中で呉西(ごせい)と呉東(ごとう)に両断し横たわる呉羽山には、立山連峰を一望することのできる
呉羽山展望台という絶景スポットがある。その展望台には一体の少年像がある。角髪(みずら)で髪をまとめ、
古代の装束を身にまとい、左手に鷹を留まらせ右手は高々と立山を指差す精悍な少年の姿はあまりにも凛々しすぎる。

本書の裏表紙の写真にも使われているこの少年こそ、今から1300年前に立山を開山した16歳の少年、佐伯有頼(さえきありより)。
のちの慈興上人(じこうしょうにん)の若き日の姿である。

本書の著者である廣瀬誠先生(「広瀬」ではなく、「廣瀬」が正しい)は、この佐伯有頼像の建立に尽力された一人であり、
我が郷土史の師匠とも深い関係のあった人だったが、残念ながら廣瀬先生は平成17年(2005)にお亡くなりになってしまった。

以下は余談。
平成28年(2016)4月23日は、この有頼像が建立されて15年目だったこともあり、展望台で記念祭が催された。
廣瀬先生の遺志を継ぎ、奥様の玲子さんは地元の北日本新聞4月23日号20面によると、「道徳教育を通して
若者を支援する活動に取り組」んでおられるそうな。この記念祭には我が師も参列したようで、次の日の
4月24日号19面には、「有頼像 後世へ」というタイトルとともに記念祭の写真が掲載されていて、師匠もホントに
参加していたことが確認できた。因みに、この有頼像、計画の立ち上げは大正4年(1915)にまで遡る。
なぜ有頼像が建立されるまでに86年もかかったのか、そういった内輪の話も本書にはちゃんと収録されている。

閑話休題。
さて、廣瀬先生の本はアマゾンではほとんど入手できないのだが、この人の本はとてつもなく重厚で、その思想的立ち位置は、
同じく富山郷土史の大家の一人である八尾正治先生(この人も、もう随分前にお亡くなりになった)を「清濁併せ呑む左派」とするならば、
「純潔の右派」と呼べばよいだろうか。とにかくこの人の筆使いは、その名の如く誠実でおだやかなのに、社会倫理を踏み外すクズどもには
一切の遠慮がないという一徹なところがあって、自分なんかは死ぬほど崇敬しています。

本書はそのタイトルにあるように、廣瀬先生の得意分野の一つである「立山のはなし」。立山の歴史と文化を
古代から現代までまんべんなく拾い集めた本です。一つだけ残念だったのは、本書に収められた写真はすべて白黒で、
絶景なる立山の姿を本書で堪能することはできません。本書はあくまでも「見る」本ではなく「読む」本で、そのことにかけては
間違いなく傑出した本です。

個人的に注目した点は三つ。

一つは、立山と「歌」の関わり。立山は古代から何度も何度も歌として詠われてきました(因みに、昔は「たちやま」と呼ばれた)。
古くは万葉集の大伴家持(おおとものやかもち)や南北朝時代の宗良親王(「むねなが」。「むねよし」とも。後醍醐天皇の皇子)が詠い、
江戸時代に入ると「多くの和歌や漢詩が次々に現れてきます」。京都の漢学者・中嶋棕隠(そういん)、九州の漢詩人・広瀬旭荘(きょくそう)、
伊勢の国学者・荒木田久老(ひさおい)などなど。近代に入ってからも、川田順や前田普羅(ふら)をはじめ多くの詩人・歌人・俳人が
立山を詠っているのですが、本書の中で廣瀬先生がとくに筆を尽くして解説しているのは、なんといっても皇室のお歌(御製)でしょうね。

「歴代の天皇で立山をはじめて筆にされたのは大正天皇でした。呉羽山に登って越中の風光をめでられた漢詩の中で、

     立(りつ)岳空を衝き東に向かって聳(そび)ゆ、神通水漲(みなぎ)りて北を指して奔る

と詠まれたのです(立岳とは立山のことです)。大正天皇は、千三百六十七首も漢詩を作られました。歴代天皇の中でずば抜けて多く、
歴代第一の詩人でいらっしゃいました。この漢詩の石碑は呉羽山上に立っています。昭和天皇は

     立山の空にそびゆるををしさにならへとぞおもふみよのすがたも(立山の空に聳ゆる雄々しさに習へとぞ思ふ御代の姿も)

と詠まれました。立山の空にそびえ立つこの雄大な姿に御代の姿(日本国の姿、日本の世の中の姿)も見習いたいものだと念願されたお歌です。
天皇が『御代の姿もならへ』とまでお詠みになったのは立山だけでしょう。富山県民は感激して、立山の頂上に近い三の越(約2900メートル)の
岩壁にこのお歌を刻みました。同じお歌の碑は呉羽山にも立ちました。大山町・新湊市にも立ちました」

「大伴家持立山の歌碑」の前に立つ湯川秀樹博士の写真なども掲載されていて、この歌の話だけでも元が取れる。

二つ目は、立山の歴史。「古代、ヨーロッパでは、雪と岩のアルプスを悪魔悪龍のすみかとして忌み嫌ったということです。
西洋人がアルプスの山岳美、山の自然の美しさに目覚めたのは、やっと十八世紀ごろだとききます。西洋より千年も早く、
八世紀の昔、雪と岩の立山や富士山が手放しで、美しい、清らかだ、雄大だとほめたたえられていたことは素晴らしいですね」
と語りながら、話は本邦初の立山登山を行った佐伯有頼という少年、のちの慈興上人へとつながってゆきます。

近代以降の歴史に目を向ければ、現代でも形を変えて行われている「立山登拝」と、近代になって女人禁制が撤廃された立山に
登り始めた女性たちのエピソードもたくさん紹介。

三つ目は、廣瀬先生の立山に対する熱い思い。

「立山有料道路、バス道の沿線には商業広告の看板はただの一枚もありません。立山の大自然を心ゆくまで味わうためには、
目ざわりな広告などないほうがよいですね。これは佐伯宗義さんの力によるものです(評者注。立山町には佐伯姓の人が
本当にビックリするほど多い。評者の知り合いだけでも20人以上。これ皆、佐伯有頼の血統の成せる業也。
因みに、立山町では「志鷹」という姓も多いが、これは有頼が持っていた白鷹=『しらたか』=『したか』に由来する)。

佐伯さんは立山黒部貫光株式会社・立山開発鉄道株式会社などの社長を勤めた。佐伯さんは、立山を『物見遊山』(よい風景を
眺めて遊ぶだけの場所)ではない。『人間修練の道場』(人間をたくましく鍛えあげるための修行の場所)であるという考えから
広告看板などはいっさい立てさせなかったのでした。ですから会社の名もありふれた『観光』としないで『貫光』(光を貫く)としたのでした。
この方針は代々の社長に堅く持ち伝えられ、現在に至っております。マイカーを認めず、商業広告を認めず、その考え、その努力に対して
心から喝采を送りたいと思います」

と立山登拝の理念を守る人々には惜しみないエールを送り、

「春、雪のどっさりあるころ、スキーやスノーボードを乱暴に乗り回し、雷鳥の巣作りのための大切な環境をメチャクチャにしている
若者を見受け、眉をひそめます。そろそろ神罰のため女性だけでなく男性も石や木になったという伝説ができてもよいのではないかと思います」

と、悪童討つべしとばかりに、怒りを一切隠さない怒髪天ぶりをたまに顔を覗かせるのも本書の魅力の一つ。

以下は半分フィクションぐらいの気持ちで読むべし。
個人的にわずかに立山に関わる仕事を手伝っている身から言うと、立山という山は不思議な山で、ここに来る人間は
「善人」か「人間のクズ」しかいない、両者の中間が一切いないという不思議な山です。これは断言できますが、
立山町の人たちは他所の人たちを商売としては平等に見ていますが、一個の人間としてはかなりシビアに鑑定しています。

行儀の悪いバカは『なんよ、あのアンマはダラやぜ。やくせんわ。お里が知れらぁぜ」と、あとで嘲笑されるのはマシなほうで、
常願寺川に叩き込まれないように注意されたし。『旅のモンが人ン土地でなにしとんがぃよぉ!!どけまぁ!』と、観光客と平気でケンカするからね。
因みに、評者たる俺自身も遺憾ながら年に2~3回はケンカしてしまうが(ただし、「善人」に対しては身銭を切ってでも助けるという、
『窮鳥懐に入れば・・・』がモットー。親が極道だったからだろうか)。

・・・以上。とにかく130ページしかない本のくせに、捨てページがなくて読み応えは抜群。収録されているネタは初見の人が多いと思います。
たとえば、先述した三の越の岩壁に刻まれた昭和天皇のお歌には後日談があって、

「世界でいちばん高いエベレストにはじめて登った大登山家ヒラリー卿が昭和四十五年、富山県を訪れ、立山剱岳にも登りましたが、
これを案内した日本山岳会の人たちが、ここで(昭和天皇の)立山のお歌を斉唱したところ、歌い終わるまでヒラリー卿も直立不動の姿勢で
『日本のエンペラーに敬意を表した』と言ったとのことです」

・・・まさに「立山」本の決定版というべき本です。分かりやすく楽しく読めるので絶対にオススメの一冊です。
因みに、佐伯有頼の立山開山については、地方出版社の雄である桂書房がなんと佐伯有頼のマンガを出しています。

   「立山縁起絵巻 有頼と十の物語」  米田まさのり  平成23年(2011)

佐伯有頼=慈興上人の半生がよくわかります。ただし、「マンガ」としては色々と問題のある作品ですが。

なお、立山を「読む」ことよりも「見る」ことに重きを置いている人のためには以下の本がオススメ。

   「風光剱岳 高橋敬市写真集」  平成8年(1996)

立山「だけ」を写すのではなく、「富山県の美しい姿」をも写し出した写真集。とくに夜明け前の雨晴海岸の、二枚の写真は必見。

   「立山明媚 高橋敬市写真集」  平成4年(1992)

著者の高橋氏は、単なる「立山」は撮らないので大好きです。芦峅寺の田んぼ、立山から臨む富山市内と富山湾の夜景、朝もやの雨晴海岸など。

   「神顕つ山」  原槙春夫  平成9年(1997)

写真集とは思えない圧倒的なボリュームを誇り、八百万の神々が降臨したとしか思えない写真が多数。立山の歴史にも迫っており、
数多の「立山」写真集の中でも間違いなく最高傑作のひとつ。因みに、アマゾンで使われているこの本の写真は裏表紙の写真。

   「天空にかける橋」  北日本新聞社  平成25年(2013)

黒四ダムを中心とした、立山黒部アルペンルートの観光ガイド。平凡な本だが、50ページもボリュームがあるマンガ「天空にかける橋」は傑作。

   「立山杉 高橋敬市写真集」  平成13年(2001)

著者の「立山シリーズ」の外伝的写真集。神々しさすら感ずる巨神兵の如き立山杉や、
マンモスやダイオウイカのような立山杉などが楽しめる幻想的な一冊。

・・・とりあえずはここまで。また見つけたら追記しておきます。
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