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戦う姫、働く少女 (POSSE叢書 Vol.3) 単行本(ソフトカバー) – 2017/7/20
河野 真太郎
(著)
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ジブリの少女やディズニープリンセスは何と戦い、どう働いたのか。それは現代女性の働きかたを反映していた―。『逃げ恥』から『ナウシカ』まで。現代のポップカルチャーと現代社会を縦横無尽、クリアに論じる新しい文芸批評が誕生!
目次
第1章 『アナと雪の女王』におけるポストフェミニズムと労働
第2章 無縁な者たちの共同体―『おおかみこどもの雨と雪』と貧困の隠蔽
第3章 『千と千尋の神隠し』は第三波フェミニズムの夢を見たか―?アイデンティティの労働からケア労働へ
第4章 母のいないシャカイのユートピア―『新世紀エヴァンゲリオン』から『インターステラー』へ
第5章 『かぐや姫の物語』、第二の自然、「生きねば」の新自由主義
終章 ポスト新自由主義へ
目次
第1章 『アナと雪の女王』におけるポストフェミニズムと労働
第2章 無縁な者たちの共同体―『おおかみこどもの雨と雪』と貧困の隠蔽
第3章 『千と千尋の神隠し』は第三波フェミニズムの夢を見たか―?アイデンティティの労働からケア労働へ
第4章 母のいないシャカイのユートピア―『新世紀エヴァンゲリオン』から『インターステラー』へ
第5章 『かぐや姫の物語』、第二の自然、「生きねば」の新自由主義
終章 ポスト新自由主義へ
- 本の長さ237ページ
- 言語日本語
- 出版社堀之内出版
- 発売日2017/7/20
- 寸法18.8 x 12.8 x 1.6 cm
- ISBN-104906708986
- ISBN-13978-4906708987
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商品の説明
著者について
一橋大学大学院商学研究科准教授。1974年山口県生まれ。関心領域はイギリスの文化と社会。著書に『〈田舎と都会〉の系譜学』(ミネルヴァ書房、2013年)、共著に『文化と社会を読む 批評キーワード辞典』、(研究社、2013年)訳書にピーター・バーク『文化のハイブリディティ』(法政大学出版局、2012年)、共訳書にレイモンド・ウィリアムズ『共通文化に向けて―文化研究1』(みすず書房、2013年)など。
登録情報
- 出版社 : 堀之内出版 (2017/7/20)
- 発売日 : 2017/7/20
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 237ページ
- ISBN-10 : 4906708986
- ISBN-13 : 978-4906708987
- 寸法 : 18.8 x 12.8 x 1.6 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 280,139位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 11,601位社会学 (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
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専修大学国際コミュニケーション学部教授。専門はイギリス文学・文化とジェンダー、カルチュラル・スタディーズ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程を単位取得退学。博士(学術)。一橋大学大学院経営管理研究科准教授、英国スウォンジー大学リチャード・バートン・センター・フェローなどを経て現職。著書に『増補 戦う姫、働く少女』(ちくま文庫)、『この自由な世界と私たちの帰る場所』(青土社)、『新しい声を聞くぼくたち』(講談社)など。
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2022年6月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
あまりフェミニズムについて知らない状態で手にした本でした。宮崎駿の作品やディズニーのアナと雪の女王など、親しみやすい作品の引用を使っているので分かりやすかった。フェミニズムという視点を得たことで、これまで自分が知っていた世界が別のものとして再認知されるという衝撃的な経験をしました。面白かった!
2017年9月14日に日本でレビュー済み
英米圏において研究の進んでいるポストフェミニズム概念を駆使し、現代のポピュラー・カルチャーをあざやかに解き明かしてみせた書。
日本の人文学研究分野ではポストフェミニズム‟状況”および第三波フェミニズムに関する分析は甚だ遅れており、そのような現状を改善させるという意味でも大変に意味のある本だと言える。
特に、68年革命の余波とも呼べるポストモダン的言説が新自由主義と合流していくという図式は分かりやすく、現代に生きる私達に大きな示唆を与えるものだ。
つまり戦後の冷戦期に代表されるような社会主義(全体主義)を批判するべく、「自由主義」を強調する際、その自由は荒々しい環境を自らの力を頼りにサバイブする=「生きよ/生きねば」という新自由主義のモットーとぴったり繋がってしまう・・・・この論理的な連続性を見据えない限り、空疎な新自由主義批判は何らの意味を持たないということを、著者は恐らく暗に指摘している。
資本主義という近代の‟怪物”が様々な批判的言説を飲み込みながら成長してきたという事実を私達は確認すべきだろう。資本主義は安易に打ち倒せる物ではない。いや、打ち倒す対象であるかどうかすら定かでないのだ。
しかし現状、跳梁跋扈する新自由主義の影響により甚大な被害が起きつつある事・・・・・この事態をどのように改善していけばいいのか?
あまりにも明晰な分析の数々が導き出す冷酷な現実、そのような現実を前にした私達は思わず自らの‟無力さ”にたじろぐしかない。
だが不満もいくつか存在する。取り上げられるポピュラーカルチャーの作品達が、フェミニズム的な、つまり主体的な女性像を描く事に一見成功していながらも、その裏では新自由主義的なポストフェミニズム状況が忍び寄っている、いわばポストフェミニズムを安直に賛美するような物語となっているという分析の構図はどの章にも共通しており、最後の辺りにくるとやや冗長のように思える。
もちろん著者は、今私が指摘したようなそのような傾向は百も承知だろう。その証拠に、最終章ではポストフェミニズム的状況に侵されつつある作品から一種の希望のようなもの(これを著者の言葉で言うならば「連帯」)を分析しようとしている。
この希望的な分析のやり方は、これまでの流れを見ている以上興味深く私の目に映った。しかし贅沢な批判を言わせてもらうならば、この希望を見せる分析はもっと根気強く、力強くやってほしかった。サラッと提案されるだけなのである。
女性達の「連帯」や「願望」に対する稠密な分析がもっと求められたのではないだろうか。
もちろんこれは先程も申し上げたように贅沢な批判である。つまりこういう事だ、‟希望的な分析”は現代のポピュラーカルチャーにおいてそれ程に行いにくくなっているのである。
深読みやコジツケにならないような希望的な分析をするならば、恐らく著者の提案のような書き振りしか取れないのである。
著者の苦悶がまるで聞こえてくるかのようだ。この袋小路は他人事ではない。作品の制作者よ、もっとしっかりしろ!!と喝を入れると同時に、受け取り手である私達もしっかりとそのポピュラーカルチャーを味わい尽くさねばならない。
人文学の研究者である著者のような態度を私達はもっと真似なくては、学ばなくてはいけないのだが、残念ながら現実はますます逆方向に向かっている。
作品を個的な視線で冷徹に分析する態度ではなく、作品に最初から用意されている‟正解”を教えてもらうような態度・・・・これでは到底駄目だろう。
「学者は難しい事を考えながら作品を見るものだ」というような態度こそが戒められる必要ありだろう。私達には反省が求められている。
このレビューでは後半は個人的な思いを重点的に書いてしまった。
またポストフェミニズム的状況と労働の分析や、再分配・承認の脱構築など(バトラー流アイデンティティの政治が流行した90年代の反動でもあるかのようにフレイザーの再分配・承認論が最近は多くの研究者が取り上げているのは大変に興味深い事だ)、もう少し言いたいこともあるのだがこの辺りにしておこう。
星は4つであるが期待を込めてのマイナス1つと取って頂きたい。そう、この本が取り上げている内容にはまだまだ可能性があるのだ。
日本の人文学研究分野ではポストフェミニズム‟状況”および第三波フェミニズムに関する分析は甚だ遅れており、そのような現状を改善させるという意味でも大変に意味のある本だと言える。
特に、68年革命の余波とも呼べるポストモダン的言説が新自由主義と合流していくという図式は分かりやすく、現代に生きる私達に大きな示唆を与えるものだ。
つまり戦後の冷戦期に代表されるような社会主義(全体主義)を批判するべく、「自由主義」を強調する際、その自由は荒々しい環境を自らの力を頼りにサバイブする=「生きよ/生きねば」という新自由主義のモットーとぴったり繋がってしまう・・・・この論理的な連続性を見据えない限り、空疎な新自由主義批判は何らの意味を持たないということを、著者は恐らく暗に指摘している。
資本主義という近代の‟怪物”が様々な批判的言説を飲み込みながら成長してきたという事実を私達は確認すべきだろう。資本主義は安易に打ち倒せる物ではない。いや、打ち倒す対象であるかどうかすら定かでないのだ。
しかし現状、跳梁跋扈する新自由主義の影響により甚大な被害が起きつつある事・・・・・この事態をどのように改善していけばいいのか?
あまりにも明晰な分析の数々が導き出す冷酷な現実、そのような現実を前にした私達は思わず自らの‟無力さ”にたじろぐしかない。
だが不満もいくつか存在する。取り上げられるポピュラーカルチャーの作品達が、フェミニズム的な、つまり主体的な女性像を描く事に一見成功していながらも、その裏では新自由主義的なポストフェミニズム状況が忍び寄っている、いわばポストフェミニズムを安直に賛美するような物語となっているという分析の構図はどの章にも共通しており、最後の辺りにくるとやや冗長のように思える。
もちろん著者は、今私が指摘したようなそのような傾向は百も承知だろう。その証拠に、最終章ではポストフェミニズム的状況に侵されつつある作品から一種の希望のようなもの(これを著者の言葉で言うならば「連帯」)を分析しようとしている。
この希望的な分析のやり方は、これまでの流れを見ている以上興味深く私の目に映った。しかし贅沢な批判を言わせてもらうならば、この希望を見せる分析はもっと根気強く、力強くやってほしかった。サラッと提案されるだけなのである。
女性達の「連帯」や「願望」に対する稠密な分析がもっと求められたのではないだろうか。
もちろんこれは先程も申し上げたように贅沢な批判である。つまりこういう事だ、‟希望的な分析”は現代のポピュラーカルチャーにおいてそれ程に行いにくくなっているのである。
深読みやコジツケにならないような希望的な分析をするならば、恐らく著者の提案のような書き振りしか取れないのである。
著者の苦悶がまるで聞こえてくるかのようだ。この袋小路は他人事ではない。作品の制作者よ、もっとしっかりしろ!!と喝を入れると同時に、受け取り手である私達もしっかりとそのポピュラーカルチャーを味わい尽くさねばならない。
人文学の研究者である著者のような態度を私達はもっと真似なくては、学ばなくてはいけないのだが、残念ながら現実はますます逆方向に向かっている。
作品を個的な視線で冷徹に分析する態度ではなく、作品に最初から用意されている‟正解”を教えてもらうような態度・・・・これでは到底駄目だろう。
「学者は難しい事を考えながら作品を見るものだ」というような態度こそが戒められる必要ありだろう。私達には反省が求められている。
このレビューでは後半は個人的な思いを重点的に書いてしまった。
またポストフェミニズム的状況と労働の分析や、再分配・承認の脱構築など(バトラー流アイデンティティの政治が流行した90年代の反動でもあるかのようにフレイザーの再分配・承認論が最近は多くの研究者が取り上げているのは大変に興味深い事だ)、もう少し言いたいこともあるのだがこの辺りにしておこう。
星は4つであるが期待を込めてのマイナス1つと取って頂きたい。そう、この本が取り上げている内容にはまだまだ可能性があるのだ。
2018年5月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
意味深な句読点だ。権力者の娘は戦い、庶民の娘は働くのか?いや、そうではないらしい。
戦う姫と働く少女ではなく、戦う姫や働く少女のことらしい。
LGBT問題てんこ盛りだった「りぼんの騎士」やら男装しなければ戦えなかった「ヴェルサイユのばら」のオスカルから随分変化したものだ。
学問的アプローチとしては面白かったけれど、女性たちがどう生きたら良いのかの参考になるのだろうか。
私が働き始めた時には、とんでもない勘違いをしていた。40年も前のことだから仕方なかったのかもしれないが。
男女共に働けば、ひとりあたりの労働時間や労働量は減り、子育てや余暇を楽しめるようになるのではないかと。
資本主義経済、新自由主義はそんな生き方を許してくれるはずもなく、仕事量は増え続け、疲れ果てて年金を貰えるだけの年数働き、退職した。
そして3歳の女の子が「大きくなったらお姫様になりたい」と言うので、読んでみた。
その母親は「ディズニーのお姫様も変わっている」と言うので、手にした本だ。
ポスト新自由主義の女性たちは連帯せよ、せざるをえない、というのが結論だろうか。
私はのんびり暮らしたかった。
のんびり働きたかった。
男性は、いつも全力投球しなくても働き続けるスキルを長い歴史の中で磨いてきた。
女性は、ついいつも全力投球しないとダメだと思って息切れしてしまう。
シェリルサンドバークはもう結構。
では、どうしたらいい?
それは、フェミニズムが教えてくれることではなく、個々の女性が体験のなかで手さぐりで見つけなくてはならない課題なのだろう。
戦う姫と働く少女ではなく、戦う姫や働く少女のことらしい。
LGBT問題てんこ盛りだった「りぼんの騎士」やら男装しなければ戦えなかった「ヴェルサイユのばら」のオスカルから随分変化したものだ。
学問的アプローチとしては面白かったけれど、女性たちがどう生きたら良いのかの参考になるのだろうか。
私が働き始めた時には、とんでもない勘違いをしていた。40年も前のことだから仕方なかったのかもしれないが。
男女共に働けば、ひとりあたりの労働時間や労働量は減り、子育てや余暇を楽しめるようになるのではないかと。
資本主義経済、新自由主義はそんな生き方を許してくれるはずもなく、仕事量は増え続け、疲れ果てて年金を貰えるだけの年数働き、退職した。
そして3歳の女の子が「大きくなったらお姫様になりたい」と言うので、読んでみた。
その母親は「ディズニーのお姫様も変わっている」と言うので、手にした本だ。
ポスト新自由主義の女性たちは連帯せよ、せざるをえない、というのが結論だろうか。
私はのんびり暮らしたかった。
のんびり働きたかった。
男性は、いつも全力投球しなくても働き続けるスキルを長い歴史の中で磨いてきた。
女性は、ついいつも全力投球しないとダメだと思って息切れしてしまう。
シェリルサンドバークはもう結構。
では、どうしたらいい?
それは、フェミニズムが教えてくれることではなく、個々の女性が体験のなかで手さぐりで見つけなくてはならない課題なのだろう。
2020年9月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
サブカルチャーと目されるアニメを、フェミニズムの視点から解き明かしているのは面白いです。評論ずれてしている方には陳腐と思われるのかもしれませんが、「こういう見方もあるのだ」というのは新たな魅力の発見になりました。
2017年9月5日に日本でレビュー済み
物語の女性主人公を通して説く社会文化論。
身近な物語を題材に、よくもこんなにも小難しく考えたなというのが率直な感想。まあ、大学のセンセーが書いているので、その分マニアックにはなっていると思うので、自分の興味を超えているところはナナメ読みすれば、素人でも十分楽しめる。
ジブリの映画はテレビでやる時に漠然と見てきただけだから、今度意識して見ようかな。
身近な物語を題材に、よくもこんなにも小難しく考えたなというのが率直な感想。まあ、大学のセンセーが書いているので、その分マニアックにはなっていると思うので、自分の興味を超えているところはナナメ読みすれば、素人でも十分楽しめる。
ジブリの映画はテレビでやる時に漠然と見てきただけだから、今度意識して見ようかな。
2017年8月9日に日本でレビュー済み
本書は、ポップ・カルチャーをフェミニズムの新自由主義的位相という文脈に置いて分析した、優れた批評である。『スターウォーズ』『アナと雪の女王』『魔女の宅急便』『風の谷のナウシカ』『おおかみこどもの雨と雪』『かぐや姫の物語』などのコミックやアニメだけでなく、『逃げ恥』などのTVドラマや映画も素材にして、「女性の労働」という一貫した視点から分析している。なぜ「労働」なのか? それは、毎日の自分の生活を維持する「個体の再生産」や、恋愛→結婚→出産→子育てという「人間の再生産」の中核にあるのが「労働」だからである。ファンタジーアニメであれラブコメであれ、その内容やストーリーは、個体と人間の再生産から成っており、ドラマの一番ありふれたテーマである恋愛は、実は人間の再生産の一部なのである。『逃げ恥』の主人公みくりが家事労働の有償化をしつこく要求したように、現代では、サービス業が中心となり、コミュニケーション労働、感情労働、ケア労働、そしてFB などネットに自分を表現するアイデンティティの労働など、よく考えてみれば、我々は毎日の時間を、さまざまな「労働」に費やしており、その労働を貨幣に換算する「有償化」こそが、資本主義の新自由主義という位相である。新自由主義はすべてを競争にゆだねるので、勝ち組と負け組が必ず生じる。古代のかぐや姫は結婚市場をめぐる自由競争という文脈から、ナウシカやクシャナは、家父長制や腐敗した王国という「制度=第二の自然」と戦ってユートピアを夢見た(が、挫折した)戦闘美少女として、『魔女の宅急便』のキキは、郵政自由化(=民間の宅急便)という新自由主義と感情労働との接点で苦闘する働く少女として、そして『アナと雪の女王』はディズニーの従来のプリンセスものの文法を根底から否定する革命的フェミニスト・テクストとして、読み解かれる。制度としての女性の権利をめぐって戦った第二派フェミニズムに対して、現在のポストフェミニズムは、承認やアイデンティティをめぐる文化の政治が前景に押し出されているが、実は労働をめぐる制度としての男女の関係性と、そこにおける自由競争こそが真の問題であることを本書は明らかにしている。中でも、第5章と終章は非常に感動的である。かぐや姫、ナウシカ、クシャナらは美しく魅力的な王女であるが、彼女たちは恋愛も結婚もしない。「第二の自然=制度」の中で「生きなければならない」過酷さと、彼女たちの挫折こそが物語の真の核心なのである。そして、1960年代のイギリスのストライキを扱った映画が2010年に作られたことから、第二派フェミニズムとポストフェミニズムを繋ごうとする、作者の祈りのような終章。フェミニズムがこれほど深い思想の問題であることに驚かされる。
2022年6月28日に日本でレビュー済み
これとは別のもう一つの作品を読んだ後で評価を下すのなら、別の形でステロタイプを強化しているだけだと思われる。
女性は解放させ、男性は自省させる。という典型的な男性学と女性学のなんの工夫もない決まり切った結論。
これを読んで真に受けても、思想を誘導されるだけのことである。
新しい形の在り方とは言うが、その結果は性別を元に新しくこうすべきと言う新しいジェンダーがあるだけ。
女性は解放させ、男性は自省させる。という典型的な男性学と女性学のなんの工夫もない決まり切った結論。
これを読んで真に受けても、思想を誘導されるだけのことである。
新しい形の在り方とは言うが、その結果は性別を元に新しくこうすべきと言う新しいジェンダーがあるだけ。
2020年11月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
良くも悪くも、大学の講義で使うものでしたので購入しました。