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ゲンロン0 観光客の哲学 単行本 – 2017/4/8
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否定神学的マルチチュードから郵便的マルチチュードへ――。
ナショナリズムが猛威を振るい、グローバリズムが世界を覆う時代、新しい政治思想の足がかりはどこにあるのか。
ルソー、ローティ、ネグリ、ドストエフスキー、ネットワーク理論を自在に横断し、ヘーゲルのパラダイムを乗り越える。
著者20年の集大成、東思想の新展開を告げる渾身の書き下ろし新著。
【目次】
第1部 観光客の哲学
第1章 観光
付論 二次創作
第2章 政治とその外部
第3章 二層構造
第4章 郵便的マルチチュードへ
第2部 家族の哲学(序論)
第5章 家族
第6章 不気味なもの
第7章 ドストエフスキーの最後の主体
- 本の長さ326ページ
- 言語日本語
- 出版社株式会社ゲンロン
- 発売日2017/4/8
- 寸法15 x 2 x 21 cm
- ISBN-10490718820X
- ISBN-13978-4907188207
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出版社より

欧米の思想家も誰一人試みていない果敢な挑戦がここにある
――橋爪大三郎(社会学者・2017年4月23日 毎日新聞書評欄より)
『人文学の敗退』という難事をまるごと引き受けんばかりのその気合と骨太の立論に拍手を送りたい
――鷲田清一(哲学者・2017年11月 毎日出版文化賞選考コメントより)
グローバリズムが世界を覆い、テロ、排外主義、ナショナリズムが高まりを見せ、従来の思想が時代の状況に対する答えを出せないでいる中、私たちはいかにして新しい政治思想の足がかりを探し、他者とともに生きる道を見つけることができるのか。
一個の人間の生のあり方から、人類史的問題に至るまで、さまざまに読まれうる可能性に満ちた、スケールの大きな哲学書が誕生しました。
ルソー、ローティ、ネグリ、ドストエフスキー、ネットワーク理論を自在に横断し、ヘーゲルのパラダイムを乗り越える。
否定神学的マルチチュードから郵便的マルチチュードへ――。
著者20年の集大成であり、新展開を告げる渾身の書き下ろし新著。

本書はいままでの仕事をたがいに接続するように構成されている。本書は、『存在論的、郵便的』の続編としても、『動物化するポストモダン』の続編としても、『一般意志2・0』の続編としても、『弱いつながり』の続編としても読むことができるはずである。『クォンタム・ファミリーズ』の続編としてすら、読むことができるかもしれない。
ぼくは本書を書き進めるなかで、この二〇年近い長い年月のなかではじめて、自分の「批評」のスタイルを、素直になんの屈託もなく肯定する心持ちになった。ぼくはいままでずっと、批評家であることに負い目を感じていた。批評なんて書いてもだれも得をしないし、喜ばないと思っていた。その迷いが消えた。本書の執筆を終え、ぼくはいま、かつてなく書くことの自由を感じている。
(本書「まえがき」より)

批評には、まだ大きなことができる。少なくとも、大きなことを語ることはできる。そんなメッセージが、できるだけ多くの読者に誤配されればよいと考えている。
(本書「まえがき」より)
商品の説明
メディア掲載レビューほか
東浩紀の「集大成」 インターネット以降の人間は「観光客」として生きていく
オビには「集大成にして新展開」とあり、著者自ら「最高傑作」と公言して憚らない渾身の書物である。哲学者として、批評家として、小説家として、思想家として、東浩紀がこれまで歩んできた道のりのすべてが本作に結集し、未来に向かって流れ出している。
観光客とは何か? それは「特定の共同体にのみ属する『村人』でもなく、どの共同体にも属さない『旅人』でもなく、基本的には特定の共同体に属しつつ、ときおり別の共同体も訪れる」という存在のことである。この三分法はすでに以前の著作『弱いつながり』で提示されていた。本書はそのような「観光客」の出現の意味と意義にかんする理論的な説明と、そこから発展してゆくさまざまな可能性を述べたものだ。重要なことは、東の言う「観光客」が、文字通りの意味であると同時に、一種のメタファー(隠喩)でもあるということである。それは実際に他国に観光目的で出かけてゆく者たちを指すだけではなく、明らかに、インターネット以後の人間の生の様式を表している。とりわけ検索エンジンとSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)は、ひとびとのコミュニケーションや社会的なコミットメントのあり方、知識や情報の獲得の方法、自己と他者の評価の仕方/され方、などを大きく変えた。そのことには良い面と良くない面があると言えるが、もちろん後戻りは出来ない。東が力強く素描しようとするのは、ポスト情報社会、後期(末期?)資本主義社会ともいうべき現在において、ひとはどうあるべきか、どう生きるべきなのか、という極めて巨大な問いへの解答である。「観光客」とはけっして無責任な存在ではない。現実世界でも、ネットでも、たまたま訪れた場所を好奇心の赴くままに見聞し、そこにいる人々と仮初めの関係を持つこと。東はそこに新しいかたちの共感と連帯の可能性を見出そうとする。一見飛躍と思えるような論旨展開も、練り上げられた平易な文体と周到なロジックによって、読者の読む悦び、思考する歓びを刺激しつつ、しかし観念的な哲学論議とはまったく違った確かな実感を与えてくれる。一言でいえば「これは自分(たち)の問題だ」という感覚を抱かせてくれるのだ。
本書の第2部では「観光客の哲学」から「家族の哲学」への接続がなされる。この「家族」も字義通りであり、またメタファーである。「観光客」と「家族」という何の変哲もない言葉に著者が込めた射程はおそろしく深く広い。このような書物が登場したのは本当に久しぶりのことである。
評者:佐々木 敦
(週刊文春 2017.06.22号掲載)著者について
1971年東京生まれ。批評家・作家。ゲンロン代表。
東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了(学術博士)。
専門は哲学、表象文化論、情報社会論。
著書に、『存在論的、郵便的』(1998年、サントリー学芸賞 思想・歴史部門)、
『動物化するポストモダン』(2001年)、
『クォンタム・ファミリーズ』(2009年、第23回三島由紀夫賞)
『一般意志2.0』(2011年)
『弱いつながり』(2014年、紀伊國屋じんぶん大賞2015)ほか多数。
登録情報
- 出版社 : 株式会社ゲンロン (2017/4/8)
- 発売日 : 2017/4/8
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 326ページ
- ISBN-10 : 490718820X
- ISBN-13 : 978-4907188207
- 寸法 : 15 x 2 x 21 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 158,470位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 206位近代西洋哲学
- カスタマーレビュー:
著者について

1971年東京生まれ。批評家・作家。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。株式会社ゲンロン創業者。専門は哲学、表象文化論、情報社会論。著書に『存在論的、郵便的』(新潮社、第21回サントリー学芸賞 思想・歴史部門)、『動物化するポストモダン』(講談社現代新書)、『クォンタム・ファミリーズ』(新潮社、第23回三島由紀夫賞)、『一般意志2.0』(講談社)、『ゲンロン0 観光客の哲学』(ゲンロン、第71回毎日出版文化賞 人文・社会部門)、『ゆるく考える』(河出書房新社)、『ゲンロン戦記』(中公新書ラクレ)ほか多数。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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現代の我々はグローバリズムとナショナリズムの狭間で人間性を失っている(動物化)とします。観光客とは郵便化されたマルチチュード(民衆、衆愚)であるとします。郵便的とは誤配にもとづく意図しないコミュニケーションです。
サイバーパンクの段に来ると饒舌になるので、根はやはりオタクなのかなと思います。
ルソー、カント、ヘーゲルにまで遡って人間のあり方を再考する壮大な試みです。「動物化するポストモダン」に比べると格段の進化です。
個人的には、哲学については軽くかじっただけなのですが。それでも著者ができる限り平易に哲学を紹介してくれている配慮が(だからこそ)文面から透けて見えて好印象かつ有り難かった(笑)
またその上で語られる"錯覚の集積がつくる連帯を考えたいと思う。"と観光客という概念のもとでの【郵便化】の紹介は、なるほどと、こちらも知的好奇心が刺激される感覚でした。
ダークツーリズムやオーバーツーリズムなど、表面的な数字だけで一喜一憂するだけではなく観光自体をあらためて考えてみたい誰かに、そしてドストエフスキー好きな誰かにもオススメ。
このような筆者の試みが成功しているかどうかは、個人的には掴みづらい。ただし、国家を前提とした成熟を考える近代哲学を乗り越えるために、国家への接続抜きに成熟が可能かという著者の問題設定は、現代において極めて重要な問いであると感じたし、我々一人一人が何らかの方向性を探していく必要があると思った。
しかしながら、む、難しい......。
家族を連帯の中心にというところで、下記のことを思い出した。
中央政府がないソマリアで、見知らね同士があった場合、長い部族名を名乗り合う。部族名には、それらの家
族の関係性が分かるようになっていて、名乗り合う事で、お互いの背景が分かる。このブロックチェーンのタ
グのごとき家族名を名乗る事で、見ず知らず同士でも商取引が出来る。家族を基盤としたマルチチュードって
のは、この中央政府を持たない部族社会のやり方を近代社会に持ち込もうって感じなのだろうか?
引っかかったのは、ネットワーク理論を指数的なものと、比例的なものの説明に持ってきたところ、 相関が
見られる≠相関があるなので、少々強引なのかとも思った。最後は家族に繋げたけど、前にも書いたが、これ
って新たに宗教や神話をってことになりそう。まあ、哲学と宗教は守備範囲被ってるけどね。
宗教で考えると、仏教とか「会うものすべてが仏だ」みたいに言うし、これもある意味誤配の薦めかな?こ
れから宗教の時代再びって感じになるのかね。そのたとえで言えば、観光客を仏に読み替えても、微妙に文章
の意味が通じてしまいそうな。収斂進化か。否定神学のマルチチュードが小乗仏教で、郵便的マルチチュード
が大乗仏教って感じだろうか。ついでに宗教のモチーフにたとえれば、ネグリのマルチチュードってのは、宗
教改革の共産主義版か。”法王も教会もいらない”が、”指導者も党組織もいらない”ってことなのだろうか
。しかし、左翼自体劣勢になってたので”宗教改革”でもいまいち挽回せず、んで小乗仏教から大乗仏教、と
いう流れなのか?
現代政治を貫くリバタリアンの哲学とコミュニタリアンの哲学(文中の分割では資本主義とナショナリズム)の二元論をすり抜け、そしてヘーゲルの国家観を乗り越える試みとして、『郵便的マルチチュード』という新しい概念を提起する。
これは東さんによるデリダ哲学(抽象的かつ哲学に留まってしまったデリダ哲学!)の具体的な進展なのだと思いました。
それと、最終章の『ドストエフスキー最後の主体』では、亀山郁夫さんの想像する〈カラマーゾフ第二部〉を手引きに一つの共同体である家族について論じられますが、個人的には、自分の想像していた〈カラマーゾフ第二部〉と違っていたので、まずそこが興味深く感じました。
(私は第二部では、ニコライの名(スタブローギンの名でありロシア皇帝の名)を持つコーリャがテロリストになり、ロシア皇帝=父を暗殺しようとして失敗し、アリョーシャは彼の関係者として共に捕まり、コーリャは死刑。アリョーシャはドストエフスキーのように減刑されシベリア流刑となり、その経験を経て、アリョーシャは思想的(ロシア正教的)にドストエフスキーに同一化する・・・というシンプルな想像)
この一冊を読み終えてから私は、まず、亀山郁夫さんの新書『〈カラマーゾフの兄弟〉続編を想像する』と、バフチンの『ドストエフスキーの詩学』を読んだあと(さっそく買いました)、亀山郁夫さんの絶賛する作家・中村文則さんの代表作『教団X』を読む直してみようと思いました。