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無冠、されど至強 東京朝鮮高校サッカー部と金明植の時代 単行本 – 2017/8/23
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- 本の長さ256ページ
- 言語日本語
- 出版社ころから株式会社
- 発売日2017/8/23
- ISBN-104907239254
- ISBN-13978-4907239251
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商品の説明
メディア掲載レビューほか
東京朝鮮高校サッカー部が「幻の日本一」と呼ばれた理由
「ピッチの中では国籍も民族も問われない。うまいやつが王様なんだよ」と語っていたのは、Jリーグ・名古屋グランパスの元スカウトだった金益祚(キムイッチョ)だ。本田圭佑を高校時代から常に見守り続けた在日コリアン二世は、日本はもちろん、韓国・北朝鮮、ブラジルやヨーロッパにも幅広いネットワークを持つサッカー人だった。
その金益祚が“恩師"と慕っていたのが本書の主人公・金明植(キムミョンシク)だ。一九三八年・東京生まれ。べらんめえ調で「サッカーに政治や思想を持ち込んだりしちゃいけねぇよ」と啖呵を切る粋で元気な老人である。
その半生も波乱万丈。東京・枝川の朝鮮人集落で生まれ育ち、北朝鮮の政治思想や朝鮮総連の組織論理に翻弄されながらも、かつて「幻の日本一」と呼ばれた在日朝鮮蹴球団や東京朝鮮高校サッカー部に黄金時代をもたらした。小柄だがブレザー姿に黒いサングラスでサッカー指導するカリスマ性が強烈で、当時の朝高生たちから恐れられる存在だった(筆者もその一人だ)。
尤も、昭和の時代に青春期を過ごした者たちが朝鮮高校と聞いて連想するのは、「喧嘩とサッカー」だろう。本書では、各種学校扱いゆえ長らく公式戦に出場できずとも(九四年解禁)、朝鮮高校サッカー部が強かった理由が、詳細に綴られている。金明植が北朝鮮サッカー界を経由して当時としては珍しい東欧サッカーのエッセンスを習得・実践していく過程はその情景が浮かんでくるほどだが、個人的に興味深かったのは対峙する側だった日本の高校サッカー界の名将たちのインタビュー集だ。
「帝京が強かった理由? 朝高に金明植さんがいたっていうこともある」(古沼貞雄)、「サッカーだけではなく言葉まで真似た」(本田裕一郎)といった証言は、国籍や組織に縛られず親交を深めた人間同士の交流の素晴らしさに改めて気づかせてくれる。本書は日本サッカー裏面史という領域にとどまらず、いよいよ多文化共生時代を迎えた日本社会への貴重なメッセージが込められているような気がしてならない。
惜しむらくは東京朝鮮高校サッカー部監督として、前出の日本人指導者たちとの交流をも恩師から受け継いだ金益祚が登場しなかったことだ。ただ、彼はガンを患い、享年五十八で他界しているだけにそれも仕方ない。「幻の日本一なんて虚しい自己満足に過ぎない」と毒づくも「それでも日本サッカーの一部として記憶されて光栄」と嬉しそうだった“伝説のスカウト"は、本書にどんな感想を抱いただろうか。そんな読後感が過(よぎ)る一冊だった。
評者:慎 武宏
(週刊文春 2017.10.12号掲載)著者について
登録情報
- 出版社 : ころから株式会社 (2017/8/23)
- 発売日 : 2017/8/23
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 256ページ
- ISBN-10 : 4907239254
- ISBN-13 : 978-4907239251
- Amazon 売れ筋ランキング: - 604,023位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 84,905位ノンフィクション (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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W杯後のエジルの代表引退騒動や、日本における性多様性への不理解問題などを踏まえてこの本を読むと、
差別や多様性の拒絶という行為がいかにナンセンスなことか、より深く理解できる気がします。
エピローグの「ぼくらはもう一緒に生きている」というタイトルが胸に沁みます。
1980年代、地方の公立高校サッカー部ですら、全国選手権の季節になるごとに「ほんとうに一番強いのは朝高」とウワサされていた。しかし、それは都市伝説の一種かと思っていたが…。
この本は、『オシムの言葉』をはじめ『悪者見参』など、サッカーを切り口にその社会や背景にあるものを描くジャーナリストによって書かれた「日本の物語り」だ。
1950年代に一度だけ東京朝高が公式戦に出場したことも、そもそもほんの数年間だけ都立高校であったことも初めて聞くことばかりだ。しかし社会状況の変化によって、当時の文部省は朝高を「日本の学校」とは区別し、自動的にあらゆる部活動が公式戦から排除されてしまった。
都立校でなくなった東京朝高の扱いをどうするか高体連で話されたときの「日本の学校」である青学高キャプテンの言葉はいまでも、いやいまこそ胸を打つ。
サッカーにまったく興味のない人に、この本がどう読まれるのか、そこは分からない。
が、本書の「エピローグ」にこそ、この本の真価があるように思う。
東京朝高の選手たちは「移民」の子であった、「難民」そのものであった。
高校サッカーファンはもちろん、この社会のありようを考える人には強く勧めたい。
「ザ・木村元彦」といえる一冊です。
それでも、このセンシティブで多面的な要素をもつテーマは誰でも書けるものではないのであろう。被差別のコミュニティから名フットボーラーが生まれるのは、ジダンやマラドーナにも通じるものがあるという指摘には、なるほどと思うし、至強ながら公式戦に出れない状況が続いたことについては、少なくとも日本サッカーの発展の観点からは残念な気がする。
そして、名だたる名監督と朝高監督との交流は、やっぱり、この情勢下においても、サッカーを通じた国際交流の可能性を感じさせるのである。
朝高サッカーの強さが戦術ではないとの岡野俊一郎の指摘も素直に認めており、ただ単に褒めたたえるようなことばかり書いているわけではない。「あたり」の強さだけではない、モチベーションの違いが日本の学校の選手とは違ったのだろうということはわかる気がする。