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地球生まれの異星人: 自閉者として、日本に生きる 単行本 – 2003/11/1

4.6 5つ星のうち4.6 16個の評価

商品の説明

著者からのコメント

ごくわずかに普通と違う脳を持つというのが、どんなことかという物語
五歳で同世代の子供たちの社会にデビューした初日から、私はなぜか皆と違う異星人だった。学校に行けば仲間はずれやいじめにあい、就職してもなぜか混乱と失敗 の連続。
居場所を求めて海外に出、異文化の友人を作り、世界の多様さを楽しむように なるが、日本社会との違和感は常に消えることなく、理由はずっと謎のままだった。

結婚しても、経済的自立を失ったことでむしろ心は不安定になり、アルコール乱用や摂食障害に 陥る。このどん底からの立ち直りの過程で、自分の生きにくさの原因について生来の好奇心 を発揮して調べるうち、たどりついたのが「自閉症スペクトラム」の診断。何と生まれつき 、私の脳は微妙に普通の人と違っていたのだ!

30代半ばにして初めて、自分が変わった脳を持ち、普通の人とはまるで違った風に世界をとらえているのだと知って驚きながらも、自 分なりの感性と特徴を活かして生きようと奮闘する、私の人生の物語。

内容(「MARC」データベースより)

小さい頃からいじめに苦しみ、一流大学を卒業しながら引きこもりとなった著者は、30代になって初めて自分が「自閉症」であると知った。様々な苦しみを味わいながらも自閉症の診断をきっかけに立ち上がろうとする魂の記録。

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 花風社 (2003/11/1)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2003/11/1
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 単行本 ‏ : ‎ 262ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4907725574
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4907725570
  • カスタマーレビュー:
    4.6 5つ星のうち4.6 16個の評価

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泉 流星
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上位レビュー、対象国: 日本

2017年9月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
 Wrong Planet という仮想コミュニティがあることからもわかりますが、テンプル・グランディンさんの自称「火星の人類学者」のように、自らを異星人になぞらえる自閉症者は、むしろふつうなのかもしれません。しかしながら、それをそのままタイトルに使ったのは、本書の著者以外にはほとんどいないのではないでしょうか。とはいえ、本書の内容は、このタイトルから想像したものとはかなり違っていました。つまり、“地球人”的な、非常に“泥臭い”ものだったのです。これは、決して悪い意味ではありません。自閉症といえども、やはり地球人だということです。その意味は、以下を読んでいただくとおわかりになるはずです。

 自閉症者は圧倒的に男性が多いのに対して、自伝を出版しているのは、興味深いことにほとんどが女性であり、本書の著者である泉流星(いずみ・りゅうせい)さんもやはり女性です(男性の場合は、東田直樹さん、イド・ケダーさん、ビルガー・ゼリーンさんなど、重症の古典的自閉症者がなぜか目立ちます。ちなみに、わが国で最初に自伝的な著書を発表したのは、石井哲夫先生との共著という形ではありますが、山岸裕さんという男性です。この共著書〔『自閉症克服の記録――書くことによって得たもの』1988年、三一書房刊〕は、本人の手記と母親や療育担当者の記録とが並行して配置されている――つまり、少数であるにしても同じ出来事が当事者と第三者の双方の目で見たまま記述されているため、両者の比較ができる――非常に貴重な資料なのですが、世界的に見てすら最初期の出版物であるにもかかわらず、なぜかほとんど無視されて現在に至っています)。

 以下、自閉症の人たちには少々辛辣に受けとられかねない発言をすることになりますが、事実を明らかにしようとするという立場からすればどうしても必要なので、その点についてはご容赦いただきたく思います。

 本書の全体の流れは、ドナ・ウィリアムズさんや森口奈緒美さん、グニラ・ガーランドさん、藤家寛子さんなどと同じで、おおよそ次のようなものです。早期小児期から現実の世界と接する中でどのような違和感や問題が起こってきたか、それに対してどのような対応をとってきたか、成長とともにどのような変化が起こったかなどについて具体的な出来事をとりあげ、時に微に入り細を穿って記述していること、最終的に“自閉症圏”の診断を受けたことにより、それまで自らにとっても不可解だった違和感が自分の中で多少なりとも位置づけられ、自己治療的な意図などを込めて半生記を執筆するに至る、という経過です(この中では、森口さんだけが例外的に、幼少期に自閉症児の施設に通っていました)。
 自閉症の、少なくとも本を書いている人たちに共通して見られる特徴は、周囲との接触の中で悩まされ続けてきた違和感の原因を探り当てるべく懸命に努力を重ねてきたことであり、その位置づけができた後には、同じ問題を抱えている人たちのために、本を書いたり苦手な講演を行なったりなどの啓蒙活動にとり組むようになることです。中には、ドナさんやテンプル・グランディンさん、グニラ・ガーランドさん、トーマス・マッキーンさんのように、その道の専門家になる人たちもいます。これは、他の障害や疾患にはあまり見られない特性です。

 当事者による自伝をいくつか読んでみると、同じ自閉症スペクトラムと言っても、多くの人たちが指摘しているように、“症状”や行動特性などにかなりの個人差の見られることがわかります。共通部分であるいわば“中核症状”を除けば、多様に見える人たちの集合体だということです。ドナ・ウィリアムズさんは、こうした個々の人たちの症状群を「フルーツサラダ」になぞらえました。ただし、いずれにしても発達障害という概念でくくられていることからわかるように、世間一般の“定型発達者”には容易なはずの、ごく“ふつう”の社会的行動が困難なわけです。つまり、家族の中で、さらには集団の中で協調的に行動すること、学校を卒業すること、特に男性の場合、定職をもつこと、経済的、心理的に自立すること、恋愛や結婚をすること、子育てをすることなどが難しいという点で、ほぼ共通しているということです。ここで注意しておかなければならないのは、これらのほとんどは、人間が勝手に作った文化的制度というよりは、おそらく系統発生の中で準備され、人間に至って完成されたものだということです。

 著者は、単身で上京して生活しながら、一流とされる大学を卒業しているようです。卒業後は、かなりの混乱を巻き起こし、退職を余儀なくされることになったとしても、いったんは正社員として一般企業に勤めていますし、後に結婚して、そのまま夫婦関係を維持してもいます。また本書には、多くの自閉症者に特徴的に見られる、人との身体的接触に対する強い恐怖について書かれていないようです。長年にわたって結婚生活を続けているわけですから、著者には、そのような恐怖心はほとんどないということなのでしょう。したがって、障害の軽重で言えば、「ごく軽い」(同著『エイリアンの地球ライフ』77ページ)部類に入るはずです。
 もし自閉症スペクトラムが真の意味での連続体であるのなら、著者のように、社会生活上の深刻度が最も軽い人たちに見られる違和感や問題点こそ、その中核に位置づけられる可能性が高そうです。その意味で本書は、グニラ・ガーランドさん(『ずっと「普通」になりたかった』2000年、花風社刊)やウェンディ・ローソンさん(『私の障害、私の個性』2000年、花風社刊)、スティーブン・ショアさん(『壁のむこうへ 』2004年、学習研究社刊)などの著書と並んで、たいへんに貴重です。

 現在、日本語で読める自伝的著作だけでも、既にかなりの数にのぼっています。したがって、それらを丹念に読んで精密に検討した、あるいはそれぞれを厳密に比較した研究書や研究論文があってもよさそうなものですが、少なくとも現段階では、世界的な視野で眺めてすら一点も存在しないようなのです。まさしくありがたい資料群を、専門家が十分に活用できていないということなのでしょう。そのような観点から目を通すと、本書および著者は、先述の点に加えて、いくつかの点で重要な記述をしていることがわかります。それらを、一部ですが順不同で列挙すると、次のようになるでしょう。これらは、多様性という名のもとに片づけてしまえる種類のものではないはずです。

1 自分の感情と表出した表情とが一致しないこと(41ページ、95ページ)。この現象は、ドナ・ウィリアムズさんや東田直樹さんやビルガー・ゼリーンさんが述べているように、自分の思いと表出されたことばとが一致しない、場合によっては逆になってしまうという現象と軌を一にするものでしょう。これは、自閉症者特有のものとまでは言えないにしても、その開きの大きさは、他ではあまり見られないかもしれません。

2 著者は高校生の時にアメリカに留学するのですが、数人の留学生とともにワシントンDCに到着して、「アメリカの空港で乗り換える段になると、正しいゲートを見つけ、カウンターのスタッフに航空券を見せて、一行をリードした」(75ページ)のだそうです(著者は、それを、テレビドラマを英語で見ていたため、そうしたことに慣れていたからではないかと推測しています)。さらには、大学を卒業する前に、アメリカとヨーロッパを2ヵ月ほど「放浪」するのですが、「綿密な旅行計画は立てなかったので、毎日、気の向くままにどこへでも行き、お金と時間の許す限り好きなだけ好奇心を満たすことができた」というのです(122-126ページ)。「地図さえあれば、ほとんどどこへでも一人歩きすることができた。街のおおざっぱな地理も、主要な地名や通りの名前も、どの土地へ行ってもすぐ頭に入った。そして、「旅行中も帰国後も病気というほどのものにはかからなかった」のでした(127ページ)。実に手際がいいのです。
 それに対して、本拠地での日常生活では、人との会話の中で「微妙に言い回しが変わると戸惑ってしまい、不安になってイライラし始める」ほどなのです(222ページ)。周知のように、ふつうの人でも、地理が即座に把握できるかどうかを別にすれば、海外や別の土地では、能力や自信に基づく行動を含め、それまでできなかったことが簡単にできるようになるのはそれほど珍しくないことです。したがって、著者の体験したことも、この脈絡で説明できそうに思います。いずれにせよ、自閉症者といえども、いつもはできない行動が本拠地を離れるとできるようになる可能性があるということです。この点については、他の自閉症者の証言をもっと調べてみる必要があります。

3 アメリカ留学から帰って、高校2年に復学するのですが、担任の英語教師には、「留学帰りの生徒をもつという気負いもまったくなかった」と書いていること(97ページ)。これは、“心の理論”があるどころではなく、相手の気持ちが(意識の上では、理論的推定という形をとっているとしても)わかっているということですが、それだけではありません。そうした気負いという微妙な心理的状態を、相手の言動や表情や態度から、たぶん正確に読みとっているということでもあるからです。状況によって違うのかもしれませんが、著者の場合、ことばを通じてしかわからないわけではないということです。推定を言えば、必要性や実用度が高い時ほどわからなくなるのではないかと思います。

4 『自閉症は津軽弁を話さない』(2017年、福村出版刊)という著書とも関係してきますが、著者は、両親ともが家庭内で関西弁を話す家庭で育った関西人であるにもかかわらず、共通語を話したことを自ら解説しています。これは、関西人からすると、想像を絶するほど異例のことのようです。
 また、著者は短期のアメリカ留学から帰国し、空港から母親に電話した時、とっさに日本語が出てこなかったそうです(33-34ページ)。そして、まもなく日本語で会話できるようにはなったものの、「復活した日本語からは関西弁がきれいに抜け落ちていて、以後、二度と身につけることはなかった」のだそうです(96ページ)。東京に出てきた関西人は「何年たっても関西弁でしゃべっていてまったく平気」であることを著者自身が承知している(103ページ)にもかかわらずです。
 以上のことからわかるのは、自閉症児が地元の方言を話さないのは、テレビなどから共通語を身につけることが真の理由なのではないのではないかということです。これについては、意識的なものではないにしても、やはり家族や周囲のことばを強く避けた結果と考えるべきなのではないでしょうか。これは、他ではあまり見られない現象なので、自閉症特有のものと言えるかもしれません。

5 大学で言語学を専攻して、書き言葉と話しことばはまったく違うものであることを知った時、「自分がほとんど書き言葉そのままで話していることに、突然気がついた」(113ページ)こと。これは、自閉症者がやたらと難しい言葉を使いたがる傾向と通底する現象なのでしょうが、定型的な発達とはむしろ逆の経路をなぜか辿っています。これも、話し言葉よりも書き言葉のほうが習得の早い場合があるという現象とともに、自閉症に特有の特性なのかもしれません。これについては、非常に不自然という印象を免れるのは難しいでしょう。これは、意識的なものではないにしても、実用的なコミュニケーションを避けた結果と考えるとわかりやすいと思います。

6 著者は、ふつうの人よりも広い世界を見て、多くの職種を経験しているにもかかわらず、「どんなに経験してもそこから学ぶことがなぜかできなかった。人と円滑に接することや、人とつながりを作る方法といった対人関係の技術を実体験から身につけていくことができなかった。私に言わせれば、それこそが大問題なのだ」と明言しています(123ページ)。おそらくそうなのでしょう。
 経験を通じて学ぶことや、家族を含めた他者との間に持続的な対人的、社会的関係を築きあげることは、生物としてのヒトに備わった基本的な行動様式であり能力です。ところが、自閉症スペクトラム障害をもつ人には、それらがなぜか欠け落ちている、正確に言えば、壊れているのではなくおそらくその表出が妨げられているのです。したがって、これこそが、自閉症スペクトラム障害と言われるものの最も中核にある特性のひとつということになりそうです。
 ローナ・ウィング先生は、これらを含めて三つ組みの障害として定式化したのでしょうが、問題は、そうした現象をもたらしている原因です。ふつうはここで、脳機能の異常を考えます。

 あらゆる動物種の中で、人類がただひとり、家族という安定した生活単位を作り、さらには大きな集団を形成して、それを恒常的に維持しながら生活しています。一夫一婦とその子どもたちという生活形態が、どの民族でも最もふつうに見られる家族の基本単位であることを考えると、これは、人間が勝手に作りあげた制度の結果ということではなく、生物としてのヒトの本性に根差した、最も根本的な行動特性のようです。ヒトに最も近縁である類人猿は、人間のような家族も作りませんし、大きな群れも作りません。のみならず、協調した集団行動をとることも原則としてないようなのです。したがってこれらは、人間に特有の社会的行動ということになります。季節的につがいや群れの離合集散を繰り返す鳥類や哺乳類は数多く存在しますが、人間は、それらとも根本的に違っているということです。
 そのような観点から考えると、家族や集団生活から(心理的にであっても)離れるということは、生物としてのヒトとして本来的にできない逸脱行動になるはずです。アスペルガーやカナーが驚いたのは、まさにここだったのでしょう。自閉症スペクトラム障害と総称されるものを、脳の機能異常で説明するにしても、現実にヒトという生物としてきわめて考えにくい状態に、ごく幼少期から陥ってしまっているのは(最初からなのか、それとも、regression や setback と表現されるタイプが少なからずあるように、途中からなのかはともかくとして)なぜか、という疑問に答えられなければならないということです。
 精神医学では、横断的にも縦断的にも、ヒトとしてふつうの行動様式がとれるようになるにつれて障害は軽くなると、半ば暗黙の裡に考えられているわけですが、本書は、その事実をあらためて認識させてくれるという点で、非常に存在価値の高い著書と言えるでしょう。

 最後についでながらふれておくと、本書の続編と言うべき『僕の妻はエイリアン』と『エイリアンの地球ライフ』は、配偶者が書いたという設定で著者自身が執筆した作品です。こうした芸当は、自分をよほど客観視できなければ不可能なことであり、立場を入れ替えて考えればわかりますが、“定型発達”者にとっても簡単なことではありません。ましてや、人の気持ちがわからないとされる自閉症の人たちには、相当に難しいはずの離れ業を演じていることになるわけです。少々皮肉を込めて言えば、もしかすると、こうした“齟齬”も、自閉症特有の現象と言えるのかもしれません。
8人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2008年8月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
 一人の個性的な人の自叙伝として、大変興味深く面白い、惹きつけられる読み物でした。
私には流星さんの異性人的情報処理能力が羨ましいです。
普通の地球人なら当たり前にこなしてしまうであろう日常のあれこれを、
様々な視点から探りその本質を汲み取ろうとする著者の才能は、
何の変哲も無く世の中を渡ってしまう普通の地球人では気付く事のできない
この世の面白さを沢山見い出す事のできる才能なのではないかと思う。

 流星さんにはアスペルガーというアイデンティティーだけに囚われない、
ユニークで面白い生き方をして欲しいです。
地球の流儀に囚われず、異性人パワーを発揮して頂きたいです。
8人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2016年9月21日に日本でレビュー済み
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40歳にもかかわらず、挨拶すら出来ないという孤立感じます。自閉的ですが、どうしたらいいか、よく分かりました。この本にも出会えて良かったようです。
2人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2018年2月22日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
自分が何処か人とは違っている。働き始めて、人が出来ることが自分には出来ないことに気付きました。この本を読んで長年の疑問に合点がいきました。道理で接客が出来ない筈だわ。数字の羅列が怖い(笑)今のところ自己判断でしかないですが、濃いグレーゾーンな感じです。著者はアスペルガーの特質を試行錯誤しながらも活かせていて羨ましいです。多くのアスペルガーはそうではないと思うから。
2008年9月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
私にも思い当たる症候がなくもないので,覚悟して読み始めた.そして感動した.ここまであからさまに自身のことを語る才能は只者ではない.特にアメリカ留学の部分には圧倒される.かの地では目立たなくては生きている価値がない.そのため著者のハンディは逆に有利に働くし,友達もできる.日本と言う了見の狭い人間の集まった所に生きるのが辛いのだ.日本の教育は個性を育てるのではなく,徳川時代以来,個性を殺すものだったことがこの著しい対照の基本にある.幼い頃から日本の教育に疑念を抱いて,先生達に反抗することで身を守ってきた私だが,今はそれすら不可能のように見える.この国に未来はあるのか,疑わしい.個性を育てる教育に切替える以外に未来はないだろう.ここまで考えさせられた自叙伝は稀である.なお,症候を明瞭に示すことが,同様な脳の持主に不安を与える心配はないと私は (多分著者もこれについては熟考しただろうし) 判断する.
8人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2008年3月20日に日本でレビュー済み
当事者の本は、辛い体験を想起させるので
何冊かトライしたが最後まで読めずにいた。
そんな状態が続いたある眠れない夜、
半ば諦め気味に、この本を手に取り読み出した。
そして、読み終わるまで一度も本を置く事がなかった。

当事者が書いた本の中では一番読みやすかった。
それは、過去の出来事の章でも淡々と綴られていて、
思い出して辛くなる事が少なかったから。
そして、著者と共通する部分が多く(夫婦間の事など)
経験からくる悲壮感が漂っていないことが理由だろう。
お陰で、自分を振り返る作業ができ、生活する上でヒントにもなった。

きっと地獄のような日々が何年もあったに違いない。
でも、それを感情を込めて書かなかった (書けなかった?)著者に感謝したい。
25人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2003年12月8日に日本でレビュー済み
自閉症スペクトラムという世界に住む異星人の著者は、子どもの頃から自分とこの世界との間に違和感を感じながら生きてきました。
誰でも多かれ少なかれそういう体験はありますが、自閉症の人は通常の人よりもそういう部分の感受性が鋭敏で、そのためにさまざまな理不尽な体験をしなければなりません。
そんな自閉者自身の世界を描いたのが本書。
自分とは違う世界に住む人のお話・・・、そんなふうに思って読んだとしたら、それはきっと大きな誤りです。
人間は誰でも、この世界と自分の間に違和感を感じて生きているはず。それは生まれた瞬間に感じていたはず。
子宮から生れ落ちた瞬間の違和感は、人間の根源的な精神的外傷だそうです。
自閉者は普通の人が鈍感になっている感覚に対して敏感です。
脳の機能の微細な違いからくる感覚の違い、それゆえに周りの人と違う言動をしてしまう。
横並びや協調性を重んじる日本では、そういう人はとても生きにくい。
仕事もうまくいかない・・・。
そのため、著者はうつや依存症に苦しみます。
私が心を打たれたのは、自分のハンデを克服するために自分で様々なやり方を考え出して、必死で生き抜こうとするその姿です。
工夫して自分なりの方法を考え出す事の大切さを感じます。
いろんな事に鈍感になってしまう前に、自分が今感じている不具合に対して、どうしたらこの状況から抜け出せるんだろうと、日々考えて、常に前向きで生きる事の大切さを感じました。
30代半ばにしてようやく自閉症スペクトラムという診断を受けた著者。
診断によって、今までなぜ自分がこんなにも生き難かったかの謎解きができた。
自分を客観化し、生き難かった世界を読み変えていくエネルギーをそこに感じます。
46人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2006年10月10日に日本でレビュー済み
幼少期から学生時代、様々な職業を転々とした時期、そして自閉症と診断されて本書を書き上げるまでの半生を綴った自伝である。そこには、主に失敗経験、たまに成功経験と、その原因分析があるのみで、どうすればよかったのかという「答え」はほとんど書いていない。

そして現状を、障害を「克服」したのではなく、まだやっとスタートラインに立ったばかりだとしている。普通の人なら生まれたときから自然に身に付けていくはずのものを、30代になってやっとゼロから学びはじめた、そういう状況だ。だから、あのときああすればよかったはずだ、という答えは出せないのだ。

だから本書は、健常者がアスペルガー症候群の実例を知るという目的においては非常に優れたサンプルになっているが、実際に自閉症スペクトラムやその周辺領域の症状に苦しんでいる人にとっては、かえって自分の失敗体験とばかりシンクロして、読むのがつらくなるのではないか。本書でつらくなった人は、続巻『僕の妻はエイリアン』から読み始めることをお勧めしたい。
37人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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