内容以前に、「絶対的正義」や「絶対神」という言葉は、聖書やコーランに存在しませんし、アメリカ人もまず使いません。
また、作者は、聖書の正義はジャスティスではなくライチャスネスなこと、ジャスティスの基本的な意味すら知らないようです。
ジャスティス
・戦争における勝利者は決められない正義。
・統治する側にも決められない正義。
・「統治される者の同意」によって決まる正義。
あまりに幼稚な偏見と無知によって書かれた、差別的で無価値な本です。
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正義と不自由: 絶対的正義の限界 単行本 – 2004/9/1
仲正 昌樹
(著)
- 本の長さ282ページ
- 言語日本語
- 出版社実践社
- 発売日2004/9/1
- ISBN-104916043758
- ISBN-13978-4916043757
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登録情報
- 出版社 : 実践社 (2004/9/1)
- 発売日 : 2004/9/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 282ページ
- ISBN-10 : 4916043758
- ISBN-13 : 978-4916043757
- Amazon 売れ筋ランキング: - 837,810位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
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2007年1月24日に日本でレビュー済み
本書の性格を一言で言えば『ポスト・モダンの左旋回』の詳細な注釈書といったところか。「大きな物語も小さな物語も終わった」の項では著者の基本的な姿勢が述べられている。そこで著者は宮台真司氏のしゃべり方に対する嫌悪感を表しているのだが、私も同じように感じた時があった。
あるテレビの討論番組で宮台氏を含む数人の論客と大勢の女子高生とが向かい合う形で集っていた。最初にその討論会の意図を宮台氏が説明し始めた。すると女子高生が笑い始めたのだ。勿論その原因は宮台氏の話の内容に対してではなく、氏のその特異なしゃべり方なのだが、笑われていることに気がつく様子もなく、氏はしゃべり続けていた。宮台氏は援助交際している女子高生に関してフィールドワークをしていたそうだが、本当に女子高生とコミュニケーションがとれていたのだろうか。まるで、フィールドワークというものが事前に立てていた綿密な計画を全て忘れることだということを知らないかのようだった。その時、現代思想が死んだとは思わなかったが、現代思想がどうでもよくなった瞬間を見てしまった感を抱いた。
‘しゃべり方’の軽視がポストモダンの失墜につながったように思えてならない。
あるテレビの討論番組で宮台氏を含む数人の論客と大勢の女子高生とが向かい合う形で集っていた。最初にその討論会の意図を宮台氏が説明し始めた。すると女子高生が笑い始めたのだ。勿論その原因は宮台氏の話の内容に対してではなく、氏のその特異なしゃべり方なのだが、笑われていることに気がつく様子もなく、氏はしゃべり続けていた。宮台氏は援助交際している女子高生に関してフィールドワークをしていたそうだが、本当に女子高生とコミュニケーションがとれていたのだろうか。まるで、フィールドワークというものが事前に立てていた綿密な計画を全て忘れることだということを知らないかのようだった。その時、現代思想が死んだとは思わなかったが、現代思想がどうでもよくなった瞬間を見てしまった感を抱いた。
‘しゃべり方’の軽視がポストモダンの失墜につながったように思えてならない。
2004年10月3日に日本でレビュー済み
いわゆる「右」の言説にも、「左」の言説にも違和感を覚える人は、結構いるのではないか。かく言う私もその一人。
とりわけ、どちらの言説に対しても違和感を覚えたのは、あのイラク戦争のときだ。
「正義」の名の下に「悪の枢軸」を倒すというアメリカに追従する“親米保守”にも、あまりにも非現実的な理想ばかり語る“反米保守”にも、違和感を覚えた。
だが、それ以上に違和感を覚えたのは、「正義」や「平和」の名の下に、反米を唱える「左」の言説だ。自分たちの信じる「正義」のために彼らは理想を語ったんだろうが、それって、アメリカの、ブッシュの裏返しにしかならない。それって、なんか意味あるの? イラク戦争のときに限らず、自民党批判するときだって、官僚批判するときだって、保守派の言論人を批判するときだって、いつも同じだ。
そんな「左」の言説の硬直性にコリゴリしている人は、この本の第3章「”不自由”な左翼思想」を読むと、スッキリすると思う。
「右」の人は、「だから左翼はダメなんだ」という主張をする際の理論武装として利用できる――そういった利用の仕方はしないで欲しいけれども――し、「左」の人は、これを読んで襟元正していただきたい。
とりわけ、どちらの言説に対しても違和感を覚えたのは、あのイラク戦争のときだ。
「正義」の名の下に「悪の枢軸」を倒すというアメリカに追従する“親米保守”にも、あまりにも非現実的な理想ばかり語る“反米保守”にも、違和感を覚えた。
だが、それ以上に違和感を覚えたのは、「正義」や「平和」の名の下に、反米を唱える「左」の言説だ。自分たちの信じる「正義」のために彼らは理想を語ったんだろうが、それって、アメリカの、ブッシュの裏返しにしかならない。それって、なんか意味あるの? イラク戦争のときに限らず、自民党批判するときだって、官僚批判するときだって、保守派の言論人を批判するときだって、いつも同じだ。
そんな「左」の言説の硬直性にコリゴリしている人は、この本の第3章「”不自由”な左翼思想」を読むと、スッキリすると思う。
「右」の人は、「だから左翼はダメなんだ」という主張をする際の理論武装として利用できる――そういった利用の仕方はしないで欲しいけれども――し、「左」の人は、これを読んで襟元正していただきたい。