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がんばっていても不安なあなたへ: 完璧主義からの解放 単行本 – 2000/12/1

5.0 5つ星のうち5.0 2個の評価

商品の説明

内容(「MARC」データベースより)

「失敗は許されない」「いつも一番でなくちゃ」という完璧主義。実は、自分に対する自信のなさ、ちょっとしたことで人から見捨てられてしまうのではないかという恐れの裏返し。このままの私でOKと思えるように導く。

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ ヘルスワーク協会 (2000/12/1)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2000/12/1
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 単行本 ‏ : ‎ 214ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 493884432X
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4938844325
  • カスタマーレビュー:
    5.0 5つ星のうち5.0 2個の評価

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アン・W.スミス
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上位レビュー、対象国: 日本

2017年4月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
私だって、自分では目を敢えて背けたり、気付いたりしていないだけで、他人の差別に加担する自分がいます。自分の嗜好によって、好き嫌いを持ってしまう時点で、すでに差別に加担してしまっているのだと思っています。

この本、アマゾンさんから購入しましたが、私、「私が思う完璧さを備えていないと言う意味で、完璧でない人を嫌に思う」という差別をしています。
この例以外にも、私はたくさん差別をしているので、他人の言動を決して非難できない差別主義者です。

ですが、自分の中のこう言った面に気付いていくことで、自分は「解放」されていくのだと思います!
自分の生い立ちなどに完璧主義を見つけることも大切ですが、現存する対人関係の中に完璧主義を見付けていくことも大切だと思います。一瞬だけしか会わない人、例えば郵便配達やお荷物配達の方に対して、こうした完璧主義が出るのだと思います。親しい人ではなくて。

「時間が遅い」、「サービスが悪い」などと非難していく自分の中に、横柄で心の狭い(サービスを受けている側だと思って偉ぶる)完璧主義があるのだと思いました!

でも、私の苦しみは、天文学的な数光年という時間の単位で解決するものなのだと、すでに割り切っています。精神療法が提供する、苦しみの解決方法って、カウンセリング室の中でだけうまくできるだけです。カウンセラーさんと話す時の話し方・聞き方には向きます。それは精神医学の専門家さんから提供されるのですから。まず日常の関係では、精神医学の解決方法って、無理です。
精神医学の専門家さんと話す時には、共通理解し合った社交の方法として、精神医学流社交術は有効です。でも日常では、私たちって、絶えず不条理にさらされます。社交術ではうまく処理できないほどに、不条理な問題です。私の伝え方の問題として、相互理解の難しさの真相を、そう解釈する精神医学。精神医学って、精神医学の外ではなくて、カウンセリング室の中の「逸脱者」を「治療」することでしか、相互理解の難しさを解決しようとしません。カウンセリングをわざわざ受ける人って、基本的に自己内省ができる方が多いと思います。他人の境遇にまで、気を回せる方。もちろん全員がそうではないでしょうけれど。
他人に悪態を吐いたことを思い出して後ろめたく思わない人というのは、カウンセリングに来ませんよ。そういう人(全員がそうではないかもしれないけれど)が、自己反省をして苦しむ人を、「ネガティヴな逸脱者」として扱うんです。
精神医学の対象って、本当に対象になるべき人や状況を、決して取り扱えません。たとえ私に悪態を吐いた人であっても、私が気障に感じても、同じ人間。その人に対してでさえも、専門家が「逸脱」扱いするのは嫌です。私だって、自分の記憶にない部分で、人に悪態を吐いて、偏見を持って、抑圧するんです。もしもそんな私が、いきなりカウンセリングに強制連行させられて、覚えがない悪口について、精神療法によって反省を求められたら?
私、確かに反省をすると思うけれど。でも、そんなことをするための精神医学って、かなり残酷。私にも、私に悪態を吐いた相手も、カウンセラーさんもみんな、一度は誰かを抑圧したり偏見を持ったりするものです。
なので、「憎らしくて、私が正しいから、逸脱のレッテルを貼られれば仕返しできるんだ!」という気持ちも私にはありますが、冷静になると、そうではありません。自分の逸脱性だけを問いただされるのは、たとえ悪態を吐いた相手であっても、嫌なはず。そういうことです。

カウンセリングって、人の苦しみや苦しむ姿を病状に仕立てあげて、それがまるっきりない状態を「健康」扱いしているみたい。苦しみで生計を立てることを悪いとは言いません。私だって、人の苦しみを解決することで生計を得ている面もあるので、内面の専門家の先生方を批判できません。ですが精神医学は、あまりにもその点に無自覚だと、感じるんです。社交術や内面の手当てを、応急処置的に提供するけれど。
精神医学さえ、精神医学以外の、人の疑問の解決によって生計を立てるお仕事と、同じなんです。精神医学以外の場面で役立つ社交術を提供するけれど。提供する側の中身が、私の生計を立てるお仕事の場面と相似しています。
だって、精神医学の先生の中には、「良い先生だと思われたくて、今考えればうしろめたいことを、いらした方に伝えた」という方もいるんです。

私、社交術で、今思えばうしろめたいことを、生計を立てるお仕事で散々してきました。自分だったら決して実践しないことでも、「多くの人がきっと良いと言うだろう」と思って。それが最も無難です(手早い解決法探しが、今の世の中のブームなんです)。

周囲は、先生のアドバイスを抜きに、「治療」に積極的に参加なさるべきです。周囲が関わらないことで、私の診察に集中できるなんてことはないです。精神医学って、医学らしく、私の中に問題を見つければ良いとだけ思っているのでしょうね。周囲の無関心や偏見が、私だけが「治療」に参加することで、どんどん深まっていきます。「治療」によってどんどん、周囲は私のことを理解できなくなりますし、さらに溝が深まります。内面のテストによって、自分が何者か分かることはありません。余計謎は深まります。
テストで調べた能力が、周囲との関係の中で、全く表れていないか、疎まれるのならば、テストの意味はありません。テストの結果を受け入れるのは、私だけで良いはずはないです。周囲は、私以上にきっと、テストの結果を理解していません。さらには、テストの意味さえも。先生が行うことならば、何でも正しいと思っているのでしょうが、あまりにも無頓着すぎです。
テストの結果の受け止め方を、周囲は知る必要がないのでしょうか? 私を「普通」にさせることを先生に要求して、先生も周囲には負担を与えないことを良しとします。私の周囲は、無意識的に私に手を貸してしまうけれど( 先生から見れば大罪でしょうか? )。先生は、言行不一致でも、それでも、手を差し伸べてしまう周囲の姿って、理解できないのでしょうか。私、周囲との関係はかなり悪いです。でも、好きな面もあるんです。だから、憎まれ口を言われようとも、気丈でいられるんです。これは病気ではないんです。
タクシーに乗るか、一人で運転するかのどちらか。周囲の手を借りることは、「成長の妨げ」なんでしょうね。
周囲を、気持ち良くいてもらうためのお客さんのように扱うのは、周囲の目だけ見て、「治療」なさっているからだと思います。先生は、「治療」がうまくできなくても、「まだ研究が進んでいない」と言い逃れられます。
周囲も、先生の仰るアドバイスに対して疑問を感じながらも、先生を支持する姿勢です。周囲も本当はつらいと思います。「治療」の意味自体がおそらく分かっていないんです。ただ「普通にすればいい」と思っているだけで。私の言動、先生の助言、周囲自身の考え方、世間体、これらの間で、私と周囲は不安になっています。これは決して不安障害ではないんです。そこに、私の逸脱の診断名が加われば、もう悪者は私です。
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