本書上巻に対し、☆五つを付けたが、下巻にも☆五つを付けたい。福沢諭吉の朝鮮観、福沢諭吉のアジア観、福沢諭吉と日清戦争との関わりなどを、資料を駆使しながら明確にしている。非常に説得力がある。ただし、丸山眞男の福沢諭吉論に対する評価や、福沢の「修身要領」の位置づけについての議論に、ページを取りすぎている印象がある。むしろ、これらを省いたほうが、筆者の意図は、端的に伝わったのではないか。
上下巻を通じて、痛切に感じたのは、今日、学問的議論にふさわしいのはどこなのか、ということである。本来であれば、「学界」なのであろうが、ここは、学者間の人間関係が「真理」に優先する世界であり、さまざまな「イデオロギー」やときどきの「政治的動向」が交錯する世界でもある。インターネットの世界は、昔から、ポスト・トゥルース(post-truth)、オールタナティブ・ファクト(alternative facts)が主流を占めてきた。
そうした中で、筆者が、マンガという媒体を用い、しかも、「公教育」という、一見すると、学問的議論の場にふさわしくない場面を設定して、斬新な福沢諭吉論を提示した試みに、賛同と敬意を表したいと思う。
なお、上巻に対するレビューで私は、「福沢の右腕である井上角五郎が朝鮮でおこなった事業について言及してほしかった」と書いた。実はこのとき、「下巻」を手にしていなかったため、下巻の17~28ページでは、「井の角」こと井上角五郎の触れていることを知らずに、そう書いてしまった次第である。しかし、下巻の同箇所においても、井上角五郎が朝鮮で「新聞発行」をおこない、漢文・ハングル混合文を実用化したことに触れていない。とりあえず、「福沢の右腕である井上角五郎が朝鮮でおこなった事業について言及してほしかった」というコメントは、そのままにしておく。なお、これまた、ないものねだりになるが、参考文献に、井上角五郎『漢城廼残夢』(春陽堂、1891)があるとよかったと思う。
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マンガまさかの福澤諭吉 下 単行本 – 2016/12/1
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- 本の長さ365ページ
- 出版社遊幻舎
- 発売日2016/12/1
- ISBN-104990931106
- ISBN-13978-4990931100
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- 出版社 : 遊幻舎 (2016/12/1)
- 発売日 : 2016/12/1
- 単行本 : 365ページ
- ISBN-10 : 4990931106
- ISBN-13 : 978-4990931100
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2020年10月4日に日本でレビュー済み
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この著者は民主主義というのが何か分かっていない。それは国民が主権を持つ政治体制であり、具体的には国民が自分達が選んだ議員から成る国会を通して、自分達の主権を行使するものである。
そして、福沢諭吉は国会論なども書いて、日本の民主化を訴えている。また、福沢が支持していた明治憲法も、この本では「天皇大権」の憲法としているが、実際は法律の範囲という限定付だが国民の権利を認めており、また予算も法律も議会を通らなければ認められなかったのだから、完璧ではなくても、当時の水準ではかなり民主的な憲法だったのだ。実際、明治憲法下で政党政治や普通選挙法、婦人参政権が認められているのだ。
それから、福沢が清との戦争を支持していたから、民主主義者ではないというのはおかしい。対外的な政策である戦争の支持と国内の政治制度である民主主義とは関係がない。実際、当時の民主主義国家の英国、米国、仏国etc.はみんな同時に侵略国家だったではないか?
また、福沢のアジア政策が満州事変や日中戦争や日米戦争に至って日本を焦土にしたというのは、誇大妄想も甚だしい。当時は帝国主義の時代であり、福沢に限らずたくさんの日本人が清やロシアと戦って破ることにより日本が一等国になることを夢見ていたのだ。それに少なくとも、福沢は民主主義者だから、満州事件以降の政府の統制に服さなくなった帝国陸軍の行動を支持しないだろう。
福沢を見るときは、その当時の西洋列強のことを考えるべきだ。みんな領土的野心を持ち、好戦的だったので、福沢も同じことを考えたのだろう(もちろん、西洋がやっていたから、日本の戦争も許されるとは言わないが)。
そして、その後、西洋でも、日本でも、民主主義は成熟し、人権を尊重するようになり、人種や国籍による差別を悪い物であると認識するようになった。問題は、今の成熟した民主主義から、明治時代の福沢を評価しようとするから、「福沢は民主主義者ではない」などというとんでもない結論になってしまっているのである。
そして、福沢諭吉は国会論なども書いて、日本の民主化を訴えている。また、福沢が支持していた明治憲法も、この本では「天皇大権」の憲法としているが、実際は法律の範囲という限定付だが国民の権利を認めており、また予算も法律も議会を通らなければ認められなかったのだから、完璧ではなくても、当時の水準ではかなり民主的な憲法だったのだ。実際、明治憲法下で政党政治や普通選挙法、婦人参政権が認められているのだ。
それから、福沢が清との戦争を支持していたから、民主主義者ではないというのはおかしい。対外的な政策である戦争の支持と国内の政治制度である民主主義とは関係がない。実際、当時の民主主義国家の英国、米国、仏国etc.はみんな同時に侵略国家だったではないか?
また、福沢のアジア政策が満州事変や日中戦争や日米戦争に至って日本を焦土にしたというのは、誇大妄想も甚だしい。当時は帝国主義の時代であり、福沢に限らずたくさんの日本人が清やロシアと戦って破ることにより日本が一等国になることを夢見ていたのだ。それに少なくとも、福沢は民主主義者だから、満州事件以降の政府の統制に服さなくなった帝国陸軍の行動を支持しないだろう。
福沢を見るときは、その当時の西洋列強のことを考えるべきだ。みんな領土的野心を持ち、好戦的だったので、福沢も同じことを考えたのだろう(もちろん、西洋がやっていたから、日本の戦争も許されるとは言わないが)。
そして、その後、西洋でも、日本でも、民主主義は成熟し、人権を尊重するようになり、人種や国籍による差別を悪い物であると認識するようになった。問題は、今の成熟した民主主義から、明治時代の福沢を評価しようとするから、「福沢は民主主義者ではない」などというとんでもない結論になってしまっているのである。
2017年3月20日に日本でレビュー済み
書店で見かけてすぐ買って読んでみたのだが、個人的な感想としては親しい友人や家族には推薦できない。それよりも「学問のすすめ」などを直接読んだり、現代語訳版を読むなどして自分なりに解釈することを強くお勧めする。
理由は、かなり個性的な解釈が展開されているので、福沢諭吉の思想やその著書の標準的な解説本としては不適切だと感じるからだ。福沢諭吉が「学問のすすめ」やその他の文章を書いた意図を真摯に読み取るというより、初めから懐疑的な解釈をしようという意図が上・下巻を通して感じられる(下巻の方がより強く感じられる)。また明治時代当時の時代背景を考慮した形跡がほとんど見られず、独自の結論に導くために福沢諭吉の文章の内容をかなり曲解しているように感じる。たとえて言えば、「ネス湖のネッシーや芦ノ湖のアッシーは実在した!」というような、定説を大胆に覆す意図で書かれたのではないかと思う。内容の学術的な信憑性は期待せず、ほとんどフィクションに近い読み物か都市伝説のような読み物と捉えて読むほうがいいだろう。お読みになる方は、特に頭の柔らかい若い方は、その点によくご注意の上で読んでいただきたい。
大航海時代以降は白人国家の武力による有色人種国家のきわめて暴力的な植民地化がすさまじい勢いで進行していた。明治時代の日本においても、白人国家による植民地化は実現性がかなり高かった。明治政府の首脳はこの大変な危機に対し、西洋文明を取り入れ、日本国民全体を賢く強く豊かにし、武力や経済力や知力などの国力を高めることで、自力で国を守らなければならないという危機感を非常に強く持っていた。そして江戸時代という封建社会の名残も、明治維新後ある程度の期間、当時の比較的古い世代の人々の意識の中にはまだ多少は残っていても不思議ではない。その点を考えるとこの「まさかの福沢諭吉」の内容は、非常に強い違和感を感じる。上記のような危機感を持っていた当時の人々の視点とは全く異なる現代日本の視点で批評しているし、国際社会の中の「国家」という視点が全く抜け落ちているように感じる(福沢諭吉や明治政府首脳や明治天皇は、まさに国際社会の中の国家というものの地位向上こそが中心的な興味の対象だっただろう)。そして、福沢諭吉の著書の中の特定の表現を、その文脈からかけ離れて独創的な解釈をしていると思われる個所が非常に多い。
理由は、かなり個性的な解釈が展開されているので、福沢諭吉の思想やその著書の標準的な解説本としては不適切だと感じるからだ。福沢諭吉が「学問のすすめ」やその他の文章を書いた意図を真摯に読み取るというより、初めから懐疑的な解釈をしようという意図が上・下巻を通して感じられる(下巻の方がより強く感じられる)。また明治時代当時の時代背景を考慮した形跡がほとんど見られず、独自の結論に導くために福沢諭吉の文章の内容をかなり曲解しているように感じる。たとえて言えば、「ネス湖のネッシーや芦ノ湖のアッシーは実在した!」というような、定説を大胆に覆す意図で書かれたのではないかと思う。内容の学術的な信憑性は期待せず、ほとんどフィクションに近い読み物か都市伝説のような読み物と捉えて読むほうがいいだろう。お読みになる方は、特に頭の柔らかい若い方は、その点によくご注意の上で読んでいただきたい。
大航海時代以降は白人国家の武力による有色人種国家のきわめて暴力的な植民地化がすさまじい勢いで進行していた。明治時代の日本においても、白人国家による植民地化は実現性がかなり高かった。明治政府の首脳はこの大変な危機に対し、西洋文明を取り入れ、日本国民全体を賢く強く豊かにし、武力や経済力や知力などの国力を高めることで、自力で国を守らなければならないという危機感を非常に強く持っていた。そして江戸時代という封建社会の名残も、明治維新後ある程度の期間、当時の比較的古い世代の人々の意識の中にはまだ多少は残っていても不思議ではない。その点を考えるとこの「まさかの福沢諭吉」の内容は、非常に強い違和感を感じる。上記のような危機感を持っていた当時の人々の視点とは全く異なる現代日本の視点で批評しているし、国際社会の中の「国家」という視点が全く抜け落ちているように感じる(福沢諭吉や明治政府首脳や明治天皇は、まさに国際社会の中の国家というものの地位向上こそが中心的な興味の対象だっただろう)。そして、福沢諭吉の著書の中の特定の表現を、その文脈からかけ離れて独創的な解釈をしていると思われる個所が非常に多い。