ユニット名を冠した芸の無い原題より、内容を的確に把握した邦題の方が適切。
まさに、「音楽工房」的なアルバム(1980)と言える。
だが、音楽を楽器演奏や、歌唱の技術から解放しようと意図したキャブズやT・Gとは異なっている。
前衛的で難解なポスト・ロックではなく、当時の「先端」を繋ぎ合わせた「遊び」の賜ではないか。
ブライアン・イーノをもバンド時代から、熱心に聴いただろうデヴィッド・カニンガムの初ソロは、退屈なアンビエントだった。
そのアルバム『GREY SCALE』(Piano 001)は、当時なかなか入手し難く、高額ではあったが、俺は買ったぜ、友人から借金までして。
そして、失意のどん底に、沈み込んでしまった。
「本当に面白いレコードに出逢うためには、詰まらないレコードを、沢山購入しなければならない」と、自分を慰めたっけ。
本作品のインストゥルメンタル8、9にソロで試したアンビエントの片鱗がうっすらと視える。
全体的に有効だったのは、レゲエのシングルB面として流布したダブ的手法。
クラッシュ、XTCのA・パートリッジ、E・シャーウッド他、パンクとレゲエの結び付きは緊密。
ジャマイカで生まれたレゲエは、七つの海を征した大英帝国の仇花だ。
この作品で、カニンガムは素材を掻き集め、一旦構築してから解体したと臆測する。
さらなる組み直しを図ったが、それは飽くまでも「脱構築」ではなく、「再構築」に過ぎない。
そこに働いているのは意識的な知性ではなく、偶然が齎(もたら)した遊び心と思われるから。
何故ならば、その後に、カニンガムのプロデューサーとしての才覚が、実に曖昧になってしまうから。
イーノやコニ―・プランク等の優れた製作者は、長期間において対象や周囲、及び時代を冷静に判断する自己制禦力に長けている。
しかし、カニンガムはその能力が欠如していたか、あっても何等かの理由から放棄したのではないか。
まさに本作は「遊び」心が幸運を呼び込んだ、ある意味、プチ奇蹟的なアルバムとあえて書いて、嗤って貰おうか。