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新世紀エヴァンゲリオン Volume 1 [DVD]
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フォーマット | ドルビー, 色 |
コントリビュータ | 三石琴乃, 庵野秀明, 緒方恵美, 林原めぐみ |
言語 | 日本語 |
稼働時間 | 1 時間 37 分 |
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対象商品: 新世紀エヴァンゲリオン Volume 1 [DVD]
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商品の説明
レビュー
監督: 庵野秀明
原作: GAINAX
キャラクターデザイン: 貞本義行
音楽: 鷲巣詩郎
声の出演: 緒方恵美/立木文彦/林原めぐみ/関智一/三石琴乃/山口由里子/宮村優子/岩永哲哉
-- 内容(「CDジャーナル」データベースより)
登録情報
- アスペクト比 : 1.33:1
- メーカーにより製造中止になりました : いいえ
- 言語 : 日本語
- 梱包サイズ : 14.6 x 12.9 x 1.2 cm; 99.79 g
- EAN : 4988003926380
- 監督 : 庵野秀明
- メディア形式 : ドルビー, 色
- 時間 : 1 時間 37 分
- 発売日 : 1997/7/19
- 出演 : 緒方恵美, 三石琴乃, 林原めぐみ
- 言語 : 日本語 (Dolby Digital 2.0 Stereo)
- 販売元 : キングレコード
- ASIN : B000007WOV
- ディスク枚数 : 1
- Amazon 売れ筋ランキング: - 155,584位DVD (DVDの売れ筋ランキングを見る)
- - 27,437位アニメ (DVD)
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2021年3月8日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
非常に面白いです。
2021年5月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
価格が安く、少し心配でしたが外観、試聴ともに問題ありませんでした。
当時物なので、画質、画面サイズが気になりましたが解説など充実しているのでメリットのほうが高いです。
当時物なので、画質、画面サイズが気になりましたが解説など充実しているのでメリットのほうが高いです。
2011年9月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
最近、こっちのリマスターされてないバージョンがほしくてしょうがない!!
アニメに特にこだわりがない人や、初めて見る人にはデジタルリマスターでぜんぜんかまわないと思いますが。
たとえば、CDよりアナログレコードのあの味がいい!!・・・というような物好きな方には、
今の時代では、過去の遺産としてなくなってしまった、「セル画」のあの味を楽しんでいただくために、
あえてこちらの古いバージョンを買うという選択も、大いにありなのではないかと思います。
むしろ、デジタル版が発売されてなお、このバージョンが残っているということは、あえてそういう部分を残しているのだとも考えられます。
(ちなみに、現代のアニメでセル画を使っているのはサザエさんのみ・・・)
※セル画とは、コンピュータによるデジタル彩色ではない彩色のものをいいます。要はほぼ全部手書き。
アニメに特にこだわりがない人や、初めて見る人にはデジタルリマスターでぜんぜんかまわないと思いますが。
たとえば、CDよりアナログレコードのあの味がいい!!・・・というような物好きな方には、
今の時代では、過去の遺産としてなくなってしまった、「セル画」のあの味を楽しんでいただくために、
あえてこちらの古いバージョンを買うという選択も、大いにありなのではないかと思います。
むしろ、デジタル版が発売されてなお、このバージョンが残っているということは、あえてそういう部分を残しているのだとも考えられます。
(ちなみに、現代のアニメでセル画を使っているのはサザエさんのみ・・・)
※セル画とは、コンピュータによるデジタル彩色ではない彩色のものをいいます。要はほぼ全部手書き。
2012年7月22日に日本でレビュー済み
「エヴァンゲリオン」第1巻。
冒頭に主人公の碇シンジが秘密組織ネルフの司令官である父親の碇ゲンドウに呼ばれるところから物語の幕が上がる。
久しぶりの再会を喜ぶわけでもなく、父親は息子に人造人間・エヴァンゲリオンに搭乗して使徒という怪物と戦えという。
無茶な注文だと思いつつも、父親への反発と既にパイロットとして戦闘し負傷したレイの代わりに戦場に立つシンジ。
緒戦は勝利を収める。
だが・・・父親は自分を道具扱いしかしないと絶望するジンジは自暴自棄になり家出をするなど無気力な日々を送る・・・・。
作品としての雰囲気は暗く、主人公の心情とも相まって陰鬱な雰囲気が漂います。
唯一、保護者を買って出たミサトの存在が救いですが・・・・正体不明の敵「使徒」の存在などはまだ先送りされます。
決して見やすい導入部ではないと思いますね。
冒頭に主人公の碇シンジが秘密組織ネルフの司令官である父親の碇ゲンドウに呼ばれるところから物語の幕が上がる。
久しぶりの再会を喜ぶわけでもなく、父親は息子に人造人間・エヴァンゲリオンに搭乗して使徒という怪物と戦えという。
無茶な注文だと思いつつも、父親への反発と既にパイロットとして戦闘し負傷したレイの代わりに戦場に立つシンジ。
緒戦は勝利を収める。
だが・・・父親は自分を道具扱いしかしないと絶望するジンジは自暴自棄になり家出をするなど無気力な日々を送る・・・・。
作品としての雰囲気は暗く、主人公の心情とも相まって陰鬱な雰囲気が漂います。
唯一、保護者を買って出たミサトの存在が救いですが・・・・正体不明の敵「使徒」の存在などはまだ先送りされます。
決して見やすい導入部ではないと思いますね。
2019年10月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
こちらは旧盤で新しいのと比べると画質が劣りますが、ちゃんと長所はあります!!
商品説明に記載がないのが不思議ですが
ディスク特典がすげー充実してて
「各話解説」「スタッフリスト」「キャスト解説」「アフレコ台本」がディスクで再生できます。
本編を見る前や後に読むとよりエヴァが楽しめます
商品説明に記載がないのが不思議ですが
ディスク特典がすげー充実してて
「各話解説」「スタッフリスト」「キャスト解説」「アフレコ台本」がディスクで再生できます。
本編を見る前や後に読むとよりエヴァが楽しめます
2014年1月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
エウ゛ァは劇場版「破」のテレビ放送が初めてでした。だから、海が赤くない。使徒が消えない。が違和感たっぷりでした。が、劇場版での?はテレビ放送観てないと ダメ駄目!って良く分かりました。(^^)v テレビ放送を修正して結論、海もエウ゛ァも使徒も「血」
2013年3月19日に日本でレビュー済み
自分は一体どのような存在なのか。
また、その存在にかかわる現実をどう受け止めればよいのか。
多くの人が、こうした疑問をもったことがあるだろう。
「エヴァンゲリオンのパイロット」、「権力の象徴たる父親の息子」、
「周囲の期待に応えなければならない存在」……
さまざまな“役割”を背負い、苦しむ少年
――碇シンジの生々しく、リアリティ溢れる物語は多くの人の共感をよび、
この作品を社会現象にまで発展させた。
人間は、自らの意思とは関係なく“世界に投げ出された存在”である。
そこにおいて、人は無数の役割を与えられ
(または自ら役を作り上げることを余儀なくされ)、
さまざまな演じ手となって生きてゆく。
そうした役割とは、いわばラベルのようなものである。
自らに貼り付けられたラベルに気づくとき、
人は自らの“主体性”の不在にも気づく。
ここで、真に主体性を獲得しようとするならば、
当然、そうした“ラベルを剥がす”という行動の選択可能性が生じてこよう。
しかし、一枚のラベルを剥がしたところで、
「本来的な自分」というものが現れることはない。
それは、剥がしたラベルの下には、
また別のラベルが存在しているからである。
例えるならば、ある人物が社会参加を拒絶したところで、
彼が誰かの息子や友人であり、
また、かつてはどこかの共同体に属していたことがある、
といった事実を避けることが出来ないように。
それを象徴するかのように、
シンジは、こうした人が決して逃れるのことのできない、
非常にラディカルな苦しみの連鎖に陥り、
「死にいたる病」まで患うに至っている(キルケゴール『死にいたる病』)。
※この文脈において、「逃げてはいけない」という彼が自己暗示をかけるシーンは、きわめて印象的なものであった。
こうした陰惨な姿を通して、
人は頽落した状態から脱することができるのか?
果たして主体性は構築しうるのか?
そう彼は視聴者に問いを投げかける。
彼が最後にとる選択は、
自らの意思で主体性を獲得し、未来を創造してゆくこと。
それは、さながら“実存は本質に先立つ”とした、
サルトルの議論を髣髴とさせるものである。
その意味で、この物語は、実存主義を軸に据えた、
アンチ構造主義的な作品と位置づけることができよう。
ここで、「本来的な自分」はありうるのか?
という抜け出すことのできない、
デカルト以来のあまりに根源的ともいえる問いに終始せず、
“自らの意思で主体性と未来を構築(選択)してゆく”という結論は、
非常に希望に満ちたものである。
このような文脈からすると、
残酷かつ絶望的なシーンばかりが際立つとされるこの物語は、
そうであるが故に、人間がニヒリズムに対して超越論的なスタンスを獲得するまでのプロセスを、非常に丁寧に辿ってきていると考えることができる。
しかし、文化や言語といった記号の網の目に絡め取られている
――構造主義の下で活動をしている我々は、
果たして本当に「自らの意思」で主体を構築することができるのか?
それは、我々が意思決定をする際に用いられるものが、
他ならぬその“意思をプログラミングしている文化や言語”であることを考えたときに、不可能であると言わざるを得ない。
※かつて隆盛をきわめた(とりわけサルトル的な)実存主義が潰えたのは、
構造主義にとって代わられたからである。
しかしながら、机上の空論に終わったと目されがちな、
この希望の哲学をこれほどの規模で甦らせたことには、大きな意味がある。
たとえ我々がそうした網の目から抜け出せないのだとしても、
その事実と向き合い、そしてそれを引き受けさえすれば、
“そこにも”多くの選択可能性はあるのだから。
その意味において、彼が我々に差し出した一つの答えは、
そう簡単に否定できるものではないだろう。
シンジが提示する答えを敷衍し、
より多くを引き受け認識することで生まれる可能性。
構造の中にあっても、人は主体性を構築できるのかもしれない。
そう思わせるところに、この作品(TV版)の良さがある。
また、その存在にかかわる現実をどう受け止めればよいのか。
多くの人が、こうした疑問をもったことがあるだろう。
「エヴァンゲリオンのパイロット」、「権力の象徴たる父親の息子」、
「周囲の期待に応えなければならない存在」……
さまざまな“役割”を背負い、苦しむ少年
――碇シンジの生々しく、リアリティ溢れる物語は多くの人の共感をよび、
この作品を社会現象にまで発展させた。
人間は、自らの意思とは関係なく“世界に投げ出された存在”である。
そこにおいて、人は無数の役割を与えられ
(または自ら役を作り上げることを余儀なくされ)、
さまざまな演じ手となって生きてゆく。
そうした役割とは、いわばラベルのようなものである。
自らに貼り付けられたラベルに気づくとき、
人は自らの“主体性”の不在にも気づく。
ここで、真に主体性を獲得しようとするならば、
当然、そうした“ラベルを剥がす”という行動の選択可能性が生じてこよう。
しかし、一枚のラベルを剥がしたところで、
「本来的な自分」というものが現れることはない。
それは、剥がしたラベルの下には、
また別のラベルが存在しているからである。
例えるならば、ある人物が社会参加を拒絶したところで、
彼が誰かの息子や友人であり、
また、かつてはどこかの共同体に属していたことがある、
といった事実を避けることが出来ないように。
それを象徴するかのように、
シンジは、こうした人が決して逃れるのことのできない、
非常にラディカルな苦しみの連鎖に陥り、
「死にいたる病」まで患うに至っている(キルケゴール『死にいたる病』)。
※この文脈において、「逃げてはいけない」という彼が自己暗示をかけるシーンは、きわめて印象的なものであった。
こうした陰惨な姿を通して、
人は頽落した状態から脱することができるのか?
果たして主体性は構築しうるのか?
そう彼は視聴者に問いを投げかける。
彼が最後にとる選択は、
自らの意思で主体性を獲得し、未来を創造してゆくこと。
それは、さながら“実存は本質に先立つ”とした、
サルトルの議論を髣髴とさせるものである。
その意味で、この物語は、実存主義を軸に据えた、
アンチ構造主義的な作品と位置づけることができよう。
ここで、「本来的な自分」はありうるのか?
という抜け出すことのできない、
デカルト以来のあまりに根源的ともいえる問いに終始せず、
“自らの意思で主体性と未来を構築(選択)してゆく”という結論は、
非常に希望に満ちたものである。
このような文脈からすると、
残酷かつ絶望的なシーンばかりが際立つとされるこの物語は、
そうであるが故に、人間がニヒリズムに対して超越論的なスタンスを獲得するまでのプロセスを、非常に丁寧に辿ってきていると考えることができる。
しかし、文化や言語といった記号の網の目に絡め取られている
――構造主義の下で活動をしている我々は、
果たして本当に「自らの意思」で主体を構築することができるのか?
それは、我々が意思決定をする際に用いられるものが、
他ならぬその“意思をプログラミングしている文化や言語”であることを考えたときに、不可能であると言わざるを得ない。
※かつて隆盛をきわめた(とりわけサルトル的な)実存主義が潰えたのは、
構造主義にとって代わられたからである。
しかしながら、机上の空論に終わったと目されがちな、
この希望の哲学をこれほどの規模で甦らせたことには、大きな意味がある。
たとえ我々がそうした網の目から抜け出せないのだとしても、
その事実と向き合い、そしてそれを引き受けさえすれば、
“そこにも”多くの選択可能性はあるのだから。
その意味において、彼が我々に差し出した一つの答えは、
そう簡単に否定できるものではないだろう。
シンジが提示する答えを敷衍し、
より多くを引き受け認識することで生まれる可能性。
構造の中にあっても、人は主体性を構築できるのかもしれない。
そう思わせるところに、この作品(TV版)の良さがある。
2014年10月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
テレビ放送時もレンタルでも見たことがなかったので今回、一気に見よ〜と思い購入。買って良かった!