1960年録音
ブッカー・リトルが参加しているので聴いてみた。
リトルは有り余る才能を持ってジャズシーンに登場したが、そのタイミングが微妙だった。
大江健三郎的に言うと、「遅れてきた青年」。
彼の最初のリーダー作『Booker Little 4 and Max Roach』は1958年。この頃には、マイルスは
モダンジャズでやるべきことはやり遂げつつあり、最後に秘めていた「モード・ジャズ」を1959年に
『Kind of Blue』で出す。
この年に西海岸からオーネット・コールマンがNYに雪崩れ込んできて、フリージャズ旋風が起きる。
コルトレーンは『ジャイアント・ステップス』を出し、「シーツ・オブ・サウンド」に突進していく。
ここに新進気鋭のジャズマンとして船出していくのだからきつい。
ただでさえきついのに、この時期の有能なトランペッターたちは窮地に追い込まれつつあった。
マイルスは、フリーに押され、第2期黄金クインテットで、名盤を4枚出して、落とし前をつけるが、
その後、ロックやポップスなどにもNo.一の地位位を奪われ、窮余の策として電化していくが、
なしくずし的に活動休止に追い込まれる。リー・モーガンも”ファンキー路線”という売れ線に乗って
寿命を縮め、撃ち殺されてしまう。”ほとんど何も考えていません”という感じで、すべての注文に
応えていたフレディ・ハバードだけ元気だが、それでもフュージョンが主流になると、存在感が
雨散霧消。リトルもエリック・ドルフィーを得て、1960年61年と最後の光を発するが、病没して
しまう。そのドルフィーもヨーロッパで急死。ファッツ・なヴァロといいクリフォード・ブラウン
といい、名ジャズ・トランペッターの光芒は鮮烈で短い。
というわけでリトルにとっては、『Jazz In The Garden At The Museum Of Modern Art』の
ようなゲスト参加もこなしつつの活動だった。一応、ビブラフォン奏者のテディ・チャールズの
バンドということになっている。聴いてみると、彼の輝かしいトランペットの存在が光るが、
「ベースとドラムスにみるべきミュージシャンがいないと、ジャズはひどいことになる」という
見本のような演奏になっている。悲惨なほど陳腐。マル・ウォルドロンさえ、普通に聞こえてしまう。
逆にこういう演奏をきくと、アート・テイラーのような、さほど個性も華もない、堅実なだけに
聞こえるドラマーが、レコーディングになぜ引っ張りだこだったのか、その理由もわかってくる。
グリスを塗ったような、ジャズを聴いているという実感が、『Jazz In The Garden At The Museum
Of Modern Art』の演奏には希薄だが、ジャズマンたちは、まずなりよりもそれ(黒いグルーヴ)の
確保を優先したのだろう。