ラフマニノフ/ピアノ協奏曲第3番
仕様 | 価格 | 新品 | 中古品 |
CD, CD, 2016/12/7
"もう一度試してください。" | CD | ¥1,432 | ¥980 |
CD, 1993/8/21
"もう一度試してください。" | 1枚組 |
—
| — | ¥159 |
CD, 2012/12/5
"もう一度試してください。" | 1枚組 |
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| — | ¥1,020 |
CD, 2007/11/7
"もう一度試してください。" | 1枚組 |
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| — | ¥1,200 |
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曲目リスト
1 | ピアノ協奏曲 第3番 ニ短調 作品30 1.Allegro ma non tanto |
2 | ピアノ協奏曲 第3番 ニ短調 作品30 2.Intermezzo:Adagio |
3 | ピアノ協奏曲 第3番 ニ短調 作品30 3.L’istesso tempo;Finale:Alla breve |
4 | ヴォカリーズ作品34の14 |
5 | 前奏曲変ロ長調作品23の2 |
6 | スペイン狂詩曲 |
7 | 献呈 |
商品の説明
商品の説明
ラフマニノフ/ピアノ協奏曲第3番
メディア掲載レビューほか
この大変な難曲を,みずみずしくも強靱な表現力を駆使してキーシンは演奏している。今年1月のボストンでのライヴであり,共演が小澤というのも大きな魅力である。協奏曲の後の熱狂的な拍手は,この演奏のすばらしさを如実に示している。老成するなよ。
-- 内容(「CDジャーナル」データベースより)
登録情報
- 梱包サイズ : 14.09 x 12.63 x 1.37 cm; 80.32 g
- メーカー : BMGビクター
- EAN : 4988017042724
- 時間 : 1 時間 12 分
- レーベル : BMGビクター
- ASIN : B00005EG4J
- ディスク枚数 : 1
- Amazon 売れ筋ランキング: - 256,088位ミュージック (ミュージックの売れ筋ランキングを見る)
- - 12,635位交響曲・管弦楽曲・協奏曲
- カスタマーレビュー:
イメージ付きのレビュー
4 星
『キーシンと小澤征爾&ボストンso.とのラフマニノフのピアノ協奏曲第3番(1993/1)』を聴く
1993年1月21~23日(21と23日は午後8時開演で、22日は午後2時開演)、ボストン、シンフォニー・ホールでのライヴ。いずれの日も前半にバルトークの「弦楽器と打楽器、チェレスタのための音楽」が演奏されている。オーケストラは大きく広がり、心地好く鳴るが、ピアノはオフで、細かいニュアンスが伝わり難い。その意味で、ホロヴィッツとオーマンデイ&ニューヨーク・フィルハーモニックとの同曲ライヴ[SONY・BMG]盤と共通している。第1楽章のオーケストラからして小澤征爾の指揮らしく、ゆったりと入念に始まる。キーシンは録音がオフに過ぎて、今ひとつ良さが伝わり難い感があるが、凄味というよりは、しっかりと曲想を見据えた非常に良い意味で模範的かつ、優等生的な演奏だ。それにしても、この安定感とロマンの大河がごとくスケールの豊かさには驚かされよう。それでも、9:00以降からは両者燃えに燃えゆく。さらに感じ入った弦楽器郡に心打たれよう。 11:15からのカデンツァはホロヴィッツが前述の1978年のアメリカ・デビュー50周年公演でこの曲を取り上げるにあたって、『長過ぎて、それ自体に終結感がある』と述べたそれだろうか。かつての神童キーシンにしては、演奏行為において極めて重要なキーワードとなる『ほの暗いデモーニッシュさ』がよく表れている。その後はキーシンの独壇場だ。16:37からのオーケストラの入りは、決して悪くはないのだが、小澤征爾との芸格の違いを突き付けられるようだ。それでも、第2楽章も小澤征爾はベストのサポートぶりだ。このオーケストラに聴く、落ち着いた音色ぶりをかなぐり捨てて、痛切さのカンタービレは名職人オーマンディ&フィラディルフィア管弦楽団の至芸ぶりを彷彿とさせる。キーシンのソロはロシアの大地における春の雪溶けのような、北国の北海道に住む人間からすると、ちょうど今時期、あの特別な春へ抱く希望を思い、感じさせるものがある。 第3楽章の入りでの何とごくごく自然でいて、堂々たる恰幅だろうか。その円満ぶりはキーシンの当時の年齢と小澤征爾によるサポートの巧みさを思うと、一致一会といえるだろうか。巧みといえば、キーシンは実に自然体でいながら、スケール大きく描いていくさまは当時、22歳になろうとしていたピアニストとしつはやけに大成した表現で、戸惑いと目眩すら覚える。こうなっていくと、小澤征爾の指揮ぶりとオーケストラは巧く付けていようとも、さらにいかに卓越していようとも、明らかに部が悪くなってしまうが、とても優れた演奏なのは確かだ。細部への配慮ぶりはキーシンらしく、かつ小澤征爾らしくもあるが、あえてここで意地悪くいうならば、ライヴならではの熱気がスポイルされてはいまいか。もし、残されているであろう放送用録音を耳にし得るコトが出来るのならば、一度は聴いてみたいものである。キーシンによるアンコールが2曲収録されている。ヴォカリーズはイギリスのピアニストで作曲家アラン・リチャードソン(1904~1978)によるピアノ編曲のそれで、1月23日公演のアンコールだ。とにかくピアニッシモが儚くも美しい。続く前奏曲作品23-2は1月22日公演のアンコールで、正攻法でいながら、飛び掛からんばかりの勢いに息を飲む。さらにこの国内盤[BVCC-633]には1990年9月30日(午後3時開演)、ニューヨーク、カーネギー・ホールにおけるデビュー・リサイタルからリストのスペイン狂詩曲と、アンコールで弾かれた献呈が収録されており、こちらはやや細身ながら木目あるピアノの音色がしっかりと捉えられている。前者の正面から体当たりして、切り込んでいく爽快感と後者のひたすらに優しく語り掛けてくる演奏ぶりは、キーシンの才気がなせる業そのものである。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2022年11月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
楽譜とともに、娘たちに誕生日でプレゼントしてもらいました。聴きながら眺める趣味です。
2014年1月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
キーシンが小澤征爾の指揮するボストン交響楽団と共演した、
93年度レコードアカデミー賞を受賞したライブ録音。
アシュケナージなどの定番の演奏とは異なる表現やテンポの取り方など、
独自の解釈に溢れたキーシンの演奏の素晴らしさは語るまでもないことだろう。
だが、長らく聴いていた発売当初のCDでは、折角の素晴らしい演奏や終楽章の盛り上がりも、
明瞭さに欠けた籠ったような録音がもうひとつで、残念に思っていた。
ところがどうだ、新しく出た Blu-spec CD2リマスタリング には本当に感動した。
いや、キーシン達の本当の音楽に心が震えた。
スピーカーから出てきた一音一音が鮮明でピアノが前面中央前に響き、
キーシンの繊細でニュアンスに富んだ音、ひらめきに満ちたテンポの変化や
早いパッセージでも玉のように粒のはっきりした音、それでいて流麗な響き、
消え入るような弱音から力強いタッチまで、
何もかもが素晴らしく再現されているではないか!
第2楽章の静寂の中に響くロマンチックで色彩豊かな音、
終楽章のラスト数分は、マエストロ小澤とボストン交響楽団とキーシンが一体化した
白熱した凄まじいクライマックスに、聴き手の私もゾクゾクと鳥肌が立った。
ゾクゾクとする演奏には、なかなか出会えるものじゃない。
聴衆の叫び声にも似たブラボーと拍手の嵐にも納得です。
本当にキーシンの演奏、彼のラフコンが好きな方は、
一度この新しいリマスタリング版で再聴されることを心からお勧めします。
93年度レコードアカデミー賞を受賞したライブ録音。
アシュケナージなどの定番の演奏とは異なる表現やテンポの取り方など、
独自の解釈に溢れたキーシンの演奏の素晴らしさは語るまでもないことだろう。
だが、長らく聴いていた発売当初のCDでは、折角の素晴らしい演奏や終楽章の盛り上がりも、
明瞭さに欠けた籠ったような録音がもうひとつで、残念に思っていた。
ところがどうだ、新しく出た Blu-spec CD2リマスタリング には本当に感動した。
いや、キーシン達の本当の音楽に心が震えた。
スピーカーから出てきた一音一音が鮮明でピアノが前面中央前に響き、
キーシンの繊細でニュアンスに富んだ音、ひらめきに満ちたテンポの変化や
早いパッセージでも玉のように粒のはっきりした音、それでいて流麗な響き、
消え入るような弱音から力強いタッチまで、
何もかもが素晴らしく再現されているではないか!
第2楽章の静寂の中に響くロマンチックで色彩豊かな音、
終楽章のラスト数分は、マエストロ小澤とボストン交響楽団とキーシンが一体化した
白熱した凄まじいクライマックスに、聴き手の私もゾクゾクと鳥肌が立った。
ゾクゾクとする演奏には、なかなか出会えるものじゃない。
聴衆の叫び声にも似たブラボーと拍手の嵐にも納得です。
本当にキーシンの演奏、彼のラフコンが好きな方は、
一度この新しいリマスタリング版で再聴されることを心からお勧めします。
2011年12月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ラフマニノフの協奏曲の最高傑作にアプローチする十分な条件ができていたのでしょうか?何か指揮者とのコミュニケーションがとれていないような感じで終わってしまったセッションのような気がします。少なくともキーシンの代表盤にはなりえない録音。もう少し時間を置いてパーヴォ・ヤルヴィと録音して欲しいと思っています。
2016年12月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
注文してからすぐに納品されました。ありがとうございました。また機会があったらよろしくお願いします。
2024年2月20日に日本でレビュー済み
いずれの日も前半にバルトークの「弦楽器と打楽器、チェレスタのための音楽」が演奏されている。
オーケストラは大きく広がり、心地好く鳴るが、ピアノはオフで、細かいニュアンスが伝わり難い。その意味で、ホロヴィッツとオーマンデイ&ニューヨーク・フィルハーモニックとの同曲ライヴ[SONY・BMG]盤と共通している。
第1楽章のオーケストラからして小澤征爾の指揮らしく、ゆったりと入念に始まる。キーシンは録音がオフに過ぎて、今ひとつ良さが伝わり難い感があるが、凄味というよりは、しっかりと曲想を見据えた非常に良い意味で模範的かつ、優等生的な演奏だ。
それにしても、この安定感とロマンの大河がごとくスケールの豊かさには驚かされよう。それでも、9:00以降からは両者燃えに燃えゆく。さらに感じ入った弦楽器郡に心打たれよう。
11:15からのカデンツァはホロヴィッツが前述の1978年のアメリカ・デビュー50周年公演でこの曲を取り上げるにあたって、『長過ぎて、それ自体に終結感がある』と述べたそれだろうか。
かつての神童キーシンにしては、演奏行為において極めて重要なキーワードとなる『ほの暗いデモーニッシュさ』がよく表れている。その後はキーシンの独壇場だ。16:37からのオーケストラの入りは、決して悪くはないのだが、小澤征爾との芸格の違いを突き付けられるようだ。
それでも、第2楽章も小澤征爾はベストのサポートぶりだ。このオーケストラに聴く、落ち着いた音色ぶりをかなぐり捨てて、痛切さのカンタービレは名職人オーマンディ&フィラディルフィア管弦楽団の至芸ぶりを彷彿とさせる。
キーシンのソロはロシアの大地における春の雪溶けのような、北国の北海道に住む人間からすると、ちょうど今時期、あの特別な春へ抱く希望を思い、感じさせるものがある。
第3楽章の入りでの何とごくごく自然でいて、堂々たる恰幅だろうか。その円満ぶりはキーシンの当時の年齢と小澤征爾によるサポートの巧みさを思うと、一致一会といえるだろうか。
巧みといえば、キーシンは実に自然体でいながら、スケール大きく描いていくさまは当時、22歳になろうとしていたピアニストとしつはやけに大成した表現で、戸惑いと目眩すら覚える。
こうなっていくと、小澤征爾の指揮ぶりとオーケストラは巧く付けていようとも、さらにいかに卓越していようとも、明らかに部が悪くなってしまうが、とても優れた演奏なのは確かだ。
細部への配慮ぶりはキーシンらしく、かつ小澤征爾らしくもあるが、あえてここで意地悪くいうならば、ライヴならではの熱気がスポイルされてはいまいか。
もし、残されているであろう放送用録音を耳にし得るコトが出来るのならば、一度は聴いてみたいものである。
キーシンによるアンコールが2曲収録されている。
ヴォカリーズはイギリスのピアニストで作曲家アラン・リチャードソン(1904~1978)によるピアノ編曲のそれで、1月23日公演のアンコールだ。とにかくピアニッシモが儚くも美しい。
続く前奏曲作品23-2は1月22日公演のアンコールで、正攻法でいながら、飛び掛からんばかりの勢いに息を飲む。
さらにこの国内盤[BVCC-633]には1990年9月30日(午後3時開演)、ニューヨーク、カーネギー・ホールにおけるデビュー・リサイタルからリストのスペイン狂詩曲と、アンコールで弾かれた献呈が収録されており、こちらはやや細身ながら木目あるピアノの音色がしっかりと捉えられている。
前者の正面から体当たりして、切り込んでいく爽快感と後者のひたすらに優しく語り掛けてくる演奏ぶりは、キーシンの才気がなせる業そのものである。
1993年1月21~23日(21と23日は午後8時開演で、22日は午後2時開演)、ボストン、シンフォニー・ホールでのライヴ。
いずれの日も前半にバルトークの「弦楽器と打楽器、チェレスタのための音楽」が演奏されている。
オーケストラは大きく広がり、心地好く鳴るが、ピアノはオフで、細かいニュアンスが伝わり難い。その意味で、ホロヴィッツとオーマンデイ&ニューヨーク・フィルハーモニックとの同曲ライヴ[SONY・BMG]盤と共通している。
第1楽章のオーケストラからして小澤征爾の指揮らしく、ゆったりと入念に始まる。キーシンは録音がオフに過ぎて、今ひとつ良さが伝わり難い感があるが、凄味というよりは、しっかりと曲想を見据えた非常に良い意味で模範的かつ、優等生的な演奏だ。
それにしても、この安定感とロマンの大河がごとくスケールの豊かさには驚かされよう。それでも、9:00以降からは両者燃えに燃えゆく。さらに感じ入った弦楽器郡に心打たれよう。
11:15からのカデンツァはホロヴィッツが前述の1978年のアメリカ・デビュー50周年公演でこの曲を取り上げるにあたって、『長過ぎて、それ自体に終結感がある』と述べたそれだろうか。
かつての神童キーシンにしては、演奏行為において極めて重要なキーワードとなる『ほの暗いデモーニッシュさ』がよく表れている。その後はキーシンの独壇場だ。16:37からのオーケストラの入りは、決して悪くはないのだが、小澤征爾との芸格の違いを突き付けられるようだ。
それでも、第2楽章も小澤征爾はベストのサポートぶりだ。このオーケストラに聴く、落ち着いた音色ぶりをかなぐり捨てて、痛切さのカンタービレは名職人オーマンディ&フィラディルフィア管弦楽団の至芸ぶりを彷彿とさせる。
キーシンのソロはロシアの大地における春の雪溶けのような、北国の北海道に住む人間からすると、ちょうど今時期、あの特別な春へ抱く希望を思い、感じさせるものがある。
第3楽章の入りでの何とごくごく自然でいて、堂々たる恰幅だろうか。その円満ぶりはキーシンの当時の年齢と小澤征爾によるサポートの巧みさを思うと、一致一会といえるだろうか。
巧みといえば、キーシンは実に自然体でいながら、スケール大きく描いていくさまは当時、22歳になろうとしていたピアニストとしつはやけに大成した表現で、戸惑いと目眩すら覚える。
こうなっていくと、小澤征爾の指揮ぶりとオーケストラは巧く付けていようとも、さらにいかに卓越していようとも、明らかに部が悪くなってしまうが、とても優れた演奏なのは確かだ。
細部への配慮ぶりはキーシンらしく、かつ小澤征爾らしくもあるが、あえてここで意地悪くいうならば、ライヴならではの熱気がスポイルされてはいまいか。
もし、残されているであろう放送用録音を耳にし得るコトが出来るのならば、一度は聴いてみたいものである。
キーシンによるアンコールが2曲収録されている。
ヴォカリーズはイギリスのピアニストで作曲家アラン・リチャードソン(1904~1978)によるピアノ編曲のそれで、1月23日公演のアンコールだ。とにかくピアニッシモが儚くも美しい。
続く前奏曲作品23-2は1月22日公演のアンコールで、正攻法でいながら、飛び掛からんばかりの勢いに息を飲む。
さらにこの国内盤[BVCC-633]には1990年9月30日(午後3時開演)、ニューヨーク、カーネギー・ホールにおけるデビュー・リサイタルからリストのスペイン狂詩曲と、アンコールで弾かれた献呈が収録されており、こちらはやや細身ながら木目あるピアノの音色がしっかりと捉えられている。
前者の正面から体当たりして、切り込んでいく爽快感と後者のひたすらに優しく語り掛けてくる演奏ぶりは、キーシンの才気がなせる業そのものである。
いずれの日も前半にバルトークの「弦楽器と打楽器、チェレスタのための音楽」が演奏されている。
オーケストラは大きく広がり、心地好く鳴るが、ピアノはオフで、細かいニュアンスが伝わり難い。その意味で、ホロヴィッツとオーマンデイ&ニューヨーク・フィルハーモニックとの同曲ライヴ[SONY・BMG]盤と共通している。
第1楽章のオーケストラからして小澤征爾の指揮らしく、ゆったりと入念に始まる。キーシンは録音がオフに過ぎて、今ひとつ良さが伝わり難い感があるが、凄味というよりは、しっかりと曲想を見据えた非常に良い意味で模範的かつ、優等生的な演奏だ。
それにしても、この安定感とロマンの大河がごとくスケールの豊かさには驚かされよう。それでも、9:00以降からは両者燃えに燃えゆく。さらに感じ入った弦楽器郡に心打たれよう。
11:15からのカデンツァはホロヴィッツが前述の1978年のアメリカ・デビュー50周年公演でこの曲を取り上げるにあたって、『長過ぎて、それ自体に終結感がある』と述べたそれだろうか。
かつての神童キーシンにしては、演奏行為において極めて重要なキーワードとなる『ほの暗いデモーニッシュさ』がよく表れている。その後はキーシンの独壇場だ。16:37からのオーケストラの入りは、決して悪くはないのだが、小澤征爾との芸格の違いを突き付けられるようだ。
それでも、第2楽章も小澤征爾はベストのサポートぶりだ。このオーケストラに聴く、落ち着いた音色ぶりをかなぐり捨てて、痛切さのカンタービレは名職人オーマンディ&フィラディルフィア管弦楽団の至芸ぶりを彷彿とさせる。
キーシンのソロはロシアの大地における春の雪溶けのような、北国の北海道に住む人間からすると、ちょうど今時期、あの特別な春へ抱く希望を思い、感じさせるものがある。
第3楽章の入りでの何とごくごく自然でいて、堂々たる恰幅だろうか。その円満ぶりはキーシンの当時の年齢と小澤征爾によるサポートの巧みさを思うと、一致一会といえるだろうか。
巧みといえば、キーシンは実に自然体でいながら、スケール大きく描いていくさまは当時、22歳になろうとしていたピアニストとしつはやけに大成した表現で、戸惑いと目眩すら覚える。
こうなっていくと、小澤征爾の指揮ぶりとオーケストラは巧く付けていようとも、さらにいかに卓越していようとも、明らかに部が悪くなってしまうが、とても優れた演奏なのは確かだ。
細部への配慮ぶりはキーシンらしく、かつ小澤征爾らしくもあるが、あえてここで意地悪くいうならば、ライヴならではの熱気がスポイルされてはいまいか。
もし、残されているであろう放送用録音を耳にし得るコトが出来るのならば、一度は聴いてみたいものである。
キーシンによるアンコールが2曲収録されている。
ヴォカリーズはイギリスのピアニストで作曲家アラン・リチャードソン(1904~1978)によるピアノ編曲のそれで、1月23日公演のアンコールだ。とにかくピアニッシモが儚くも美しい。
続く前奏曲作品23-2は1月22日公演のアンコールで、正攻法でいながら、飛び掛からんばかりの勢いに息を飲む。
さらにこの国内盤[BVCC-633]には1990年9月30日(午後3時開演)、ニューヨーク、カーネギー・ホールにおけるデビュー・リサイタルからリストのスペイン狂詩曲と、アンコールで弾かれた献呈が収録されており、こちらはやや細身ながら木目あるピアノの音色がしっかりと捉えられている。
前者の正面から体当たりして、切り込んでいく爽快感と後者のひたすらに優しく語り掛けてくる演奏ぶりは、キーシンの才気がなせる業そのものである。
5つ星のうち4.0
『キーシンと小澤征爾&ボストンso.とのラフマニノフのピアノ協奏曲第3番(1993/1)』を聴く
2024年2月20日に日本でレビュー済み
1993年1月21~23日(21と23日は午後8時開演で、22日は午後2時開演)、ボストン、シンフォニー・ホールでのライヴ。2024年2月20日に日本でレビュー済み
いずれの日も前半にバルトークの「弦楽器と打楽器、チェレスタのための音楽」が演奏されている。
オーケストラは大きく広がり、心地好く鳴るが、ピアノはオフで、細かいニュアンスが伝わり難い。その意味で、ホロヴィッツとオーマンデイ&ニューヨーク・フィルハーモニックとの同曲ライヴ[SONY・BMG]盤と共通している。
第1楽章のオーケストラからして小澤征爾の指揮らしく、ゆったりと入念に始まる。キーシンは録音がオフに過ぎて、今ひとつ良さが伝わり難い感があるが、凄味というよりは、しっかりと曲想を見据えた非常に良い意味で模範的かつ、優等生的な演奏だ。
それにしても、この安定感とロマンの大河がごとくスケールの豊かさには驚かされよう。それでも、9:00以降からは両者燃えに燃えゆく。さらに感じ入った弦楽器郡に心打たれよう。
11:15からのカデンツァはホロヴィッツが前述の1978年のアメリカ・デビュー50周年公演でこの曲を取り上げるにあたって、『長過ぎて、それ自体に終結感がある』と述べたそれだろうか。
かつての神童キーシンにしては、演奏行為において極めて重要なキーワードとなる『ほの暗いデモーニッシュさ』がよく表れている。その後はキーシンの独壇場だ。16:37からのオーケストラの入りは、決して悪くはないのだが、小澤征爾との芸格の違いを突き付けられるようだ。
それでも、第2楽章も小澤征爾はベストのサポートぶりだ。このオーケストラに聴く、落ち着いた音色ぶりをかなぐり捨てて、痛切さのカンタービレは名職人オーマンディ&フィラディルフィア管弦楽団の至芸ぶりを彷彿とさせる。
キーシンのソロはロシアの大地における春の雪溶けのような、北国の北海道に住む人間からすると、ちょうど今時期、あの特別な春へ抱く希望を思い、感じさせるものがある。
第3楽章の入りでの何とごくごく自然でいて、堂々たる恰幅だろうか。その円満ぶりはキーシンの当時の年齢と小澤征爾によるサポートの巧みさを思うと、一致一会といえるだろうか。
巧みといえば、キーシンは実に自然体でいながら、スケール大きく描いていくさまは当時、22歳になろうとしていたピアニストとしつはやけに大成した表現で、戸惑いと目眩すら覚える。
こうなっていくと、小澤征爾の指揮ぶりとオーケストラは巧く付けていようとも、さらにいかに卓越していようとも、明らかに部が悪くなってしまうが、とても優れた演奏なのは確かだ。
細部への配慮ぶりはキーシンらしく、かつ小澤征爾らしくもあるが、あえてここで意地悪くいうならば、ライヴならではの熱気がスポイルされてはいまいか。
もし、残されているであろう放送用録音を耳にし得るコトが出来るのならば、一度は聴いてみたいものである。
キーシンによるアンコールが2曲収録されている。
ヴォカリーズはイギリスのピアニストで作曲家アラン・リチャードソン(1904~1978)によるピアノ編曲のそれで、1月23日公演のアンコールだ。とにかくピアニッシモが儚くも美しい。
続く前奏曲作品23-2は1月22日公演のアンコールで、正攻法でいながら、飛び掛からんばかりの勢いに息を飲む。
さらにこの国内盤[BVCC-633]には1990年9月30日(午後3時開演)、ニューヨーク、カーネギー・ホールにおけるデビュー・リサイタルからリストのスペイン狂詩曲と、アンコールで弾かれた献呈が収録されており、こちらはやや細身ながら木目あるピアノの音色がしっかりと捉えられている。
前者の正面から体当たりして、切り込んでいく爽快感と後者のひたすらに優しく語り掛けてくる演奏ぶりは、キーシンの才気がなせる業そのものである。
このレビューの画像
2014年7月29日に日本でレビュー済み
このCDは発売からずっと現在まで聞き続けているが
名盤といっても過言ではないかもしれない.
他のピアニストのこの曲を聴いていると
突然ピアノが暴走しだしたり主張が激しいことがよくある.
しかし、この指揮者小澤氏とのキーシンの3番は
音楽としてのまとまりを大事にしているような印象を受ける.
ピアノがオーケストラに溶け込んでいる箇所が
あるし、ピアノが他楽器のソロとタイミングよく絡んでいて
その掛け合いも楽しめる.ソロでも決して暴走しないし
かといってピアノの個性が抑制されているわけでもない.
全体の調和を考えると,とても説得力のある演奏だと感じる.
指揮が冴え渡っているのだろうけれども,あらためて
キーシンは耳がいいピアニストだと感じたCDである.
個人的に特に聴き入っているのは2楽章で
特にバイオリンの音の響きが豊かで全てが冴え渡って
ピアノとの調和が鳥肌が立つくらい心地よい.
アシュケナージ版は録音技術のせいなのだろうか、それとも
指揮者の意向なのだろうかピアノが前面に出すぎていて
それでいて非常に抑制的で若干不安定さを感じさせる
箇所もあるが,ピアノテクニックを追って聴くには
なるほど,という印象である.比較しても仕方ないが
やはりこちらの小澤盤CDが個人的には好きである.
名盤といっても過言ではないかもしれない.
他のピアニストのこの曲を聴いていると
突然ピアノが暴走しだしたり主張が激しいことがよくある.
しかし、この指揮者小澤氏とのキーシンの3番は
音楽としてのまとまりを大事にしているような印象を受ける.
ピアノがオーケストラに溶け込んでいる箇所が
あるし、ピアノが他楽器のソロとタイミングよく絡んでいて
その掛け合いも楽しめる.ソロでも決して暴走しないし
かといってピアノの個性が抑制されているわけでもない.
全体の調和を考えると,とても説得力のある演奏だと感じる.
指揮が冴え渡っているのだろうけれども,あらためて
キーシンは耳がいいピアニストだと感じたCDである.
個人的に特に聴き入っているのは2楽章で
特にバイオリンの音の響きが豊かで全てが冴え渡って
ピアノとの調和が鳥肌が立つくらい心地よい.
アシュケナージ版は録音技術のせいなのだろうか、それとも
指揮者の意向なのだろうかピアノが前面に出すぎていて
それでいて非常に抑制的で若干不安定さを感じさせる
箇所もあるが,ピアノテクニックを追って聴くには
なるほど,という印象である.比較しても仕方ないが
やはりこちらの小澤盤CDが個人的には好きである.
2006年3月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ラフマニノフ好きな私はこれまで何枚もCDを購入しました。
ピアノコンツェルトには特に思い入れもあるせいか、いいと思える演奏も数少ないものでした。
キーシンはこの大曲を演奏するにはまだ年齢も若いのでは?と期待せずに購入しましたが、どんどん演奏に引き込まれてしまいました。
みなさんがコメントされている通りです。
大事にしていきたい演奏です。
ピアノコンツェルトには特に思い入れもあるせいか、いいと思える演奏も数少ないものでした。
キーシンはこの大曲を演奏するにはまだ年齢も若いのでは?と期待せずに購入しましたが、どんどん演奏に引き込まれてしまいました。
みなさんがコメントされている通りです。
大事にしていきたい演奏です。
2007年11月2日に日本でレビュー済み
車のCDチェンジャーに、ラフマニノフの3番ばかり入れて聞いていますが、私の中では一番のお気にいりです。小沢さんとボストン響のアシストも良いです。一緒にカップリングされている、曲もなかなか良い演奏だと思います。
他の国からのトップレビュー
Sophia Kao
5つ星のうち3.0
Three Stars
2016年2月29日にアメリカ合衆国でレビュー済みAmazonで購入
The CD cover was crashed while arrived. :(