西部劇好きの筆者にとって、久しぶりのニューシネマ・ウェスタン鑑賞。しかも名品。これまた色々な事を考えさせられる作品だった。
出稼ぎから帰ったインディアンのウィリー・ボーイ(ロバート・ブレイク)は、故郷で待つローラ(キャサリン・ロス)にプロポーズをするつもりだった。しかし、ローラの父は断固反対。撃ち殺す事も辞さないローラの父は密会の場に乱入し、ウィリーは反射的にライフルを奪い、誤ってローラの父を射殺してしまう。
逃避行へ奔る二人。ローラに目をかけていた熱心なインディアン監督官のリズ(スーザン・クラーク)は、保安官補のクリストファー・クーパー(ロバート・レッドフォード)に、ローラを連れ戻すように頼み、追跡隊が編成される。が、地方遊説のために訪れる大統領護衛の任があったクーパーは、追跡隊から外れて町に戻る。やがて、山の中に立てこもったウィリーが威嚇で放った弾丸がきっかけで、銃撃戦に発展。大統領が地方遊説で訪れていた町では、事実が誇張され、200人のインディアンが反乱を起こしたと報じられてしまう。追跡隊に加わっていた父の旧友が撃たれたと聞いて、クーパー保安官補は再びウィリーの追跡に向かうのだが・・・。
1909年、アメリカで実際に起こったインディアン青年による事件を題材に、アメリカの恥部を鋭くえぐった問題作。ハリー・ロートンの原作を、監督のエイブラハム・ポロンスキー自らが脚色。
ウィリー・ボーイを演じるロバート・ブレイクは、『冷血』('67)の殺人犯役が注目され、本作に抜擢。差別に苦渋を嘗め、逃避行に走る寡黙なインディアン青年を静かに熱演。
筆者のお気に入りは、キャサリン・ロスが、ガングロメイクでインディアンのヒロインを体当たりで演技している事。やや美人すぎるきらいはあるが、不思議とインディアン娘に見えるのだ(笑)。ロバート・ブレイクがあまり感情を露わにしない分、キャサリン・ロスの人間臭い演技が追われる者への共感を呼ぶ。
そして、ロバート・レッドフォードは相変わらずの飄々としたキャラクターで追跡者を演じる。
この映画が日本で公開された'70年当時のパンフレットを閲覧することができたのだが、映画評論家の品田雄吉氏がこんな文を寄稿している。
【最近のアメリカ映画には、よそ向きのアメリカの顔ではなく、いつわりのないアメリカの素顔をさらけ出した作品が多く見られるようになってきた。近頃のアメリカ映画が良くなっているというのは、まさにそこに理由があるのだと思う。(中略)追う者の側からこの事件を描けば、“正義”が立証され、強調される。逆の立場から見れば、あやまれる正義への告発になる。が、この映画は、そのどちらにも立とうとはしない。その両方を共に客観的に見つめ続ける。だから、この作品は、単純幼稚な正義礼賛映画ではもちろんないばかりか、権力に対する単純で性急な告発の映画でもなく、より深い人間的な感動をもたらす佳作になりえているのである】
ちょっと長くなってしまったが、注目したいのは、「アメリカン・ニューシネマ」という言葉が使われていないことだ。「ニューシネマ」という言葉が、いつ、誰によって初めて使われた言葉か不勉強のため判らないが、それはもう少し後になってこの時代をふり返った時に生まれた言葉なのだろう。まさにこの瞬間、新しい映画の波が次々と生まれ、アメリカ映画に何かが起こりつつあるということが生々しく伝わってくる文章だ。
もうひとつ、筆者が面食らったのは、公開当時のパンフの中でインディアンのことを「土人」と表現していることである。当時、アフロ系に限らず先住民族は十把ひとからげに「土人」と呼ばれていたのだ・・・。遠くアメリカから離れた日本ですらこんな時代だった訳だから、こうした「ニューシネマ」のムーブメントがいかに鮮烈で、型破りなものだったのかが判る。
監督・脚本はエイブラハム・ポロンスキー。本作2作目にして59歳というが、遅咲きではない。デビューは'48年で、本作は'69年。なぜ21年ものブランクがあるのかというと、赤狩りでハリウッドを追われ、変名でTVや映画の脚本を書いていたのだ。脚本家としての代表作に『刑事マディガン』などがあり、仏カイエ・デュ・シネマ誌にも、アメリカの一流脚本家として評価されたほどの手腕の持ち主だ。
「この作品はインディアンを描いたものではない。私自身を描いたものである」
ポロンスキーはそう語る。この映画でのウィリーは、ポロンスキーの分身でもあるのだ。
前述の品田氏のコメントに通じるのだが、筆者がこの映画を観ていて感じたのは、いわゆるアメリカン・ニューシネマが持つ「怒りの告発」的な色合いよりも、アメリカの病巣を冷静に見つめるかのような、静かで穏やかな印象すら受ける演出である。
この映画には、様々なタイプの人間が登場する。ウィリーは、自分たちを差別する白人を嫌悪し、信用していない。「牢屋は、白人を入れるために作ったものだ。俺が入れられるのはご免だ」
しかしローラは、インディアン監督官のリズと親しく、白人には信頼できる人たちもいると考えている。監督官で女医のリズは、インディアンの理解者のように見えるが、白人の価値観でインディアンを教育しようとしているようにも見える。追跡隊の中にも、インディアンをあからさまに差別する者、一方でウィリーと同じ牧場で働いていて、彼を理解している青年もいる。特ダネをものにしようとする新聞記者は、事実を大幅に誇張して報道する。レッドフォード演じる保安官補のクーパーは、差別意識など全くない飄々とした人物に見えるが、父の旧友が撃たれたと聞くや、形相を変え再びウィリーを追う。
「善」「悪」という単純な目線で人物を描いていないのだ。そして人間は、置かれた状況によって、いかようにも変貌してしまうことが判る。赤狩りで、長い不遇の時代を余儀なくされたポロンスキーが見たアメリカ社会の歪みと、人間という生き物が抱える矛盾。その縮図ともいえるのがこの映画ではないだろうか。「西部劇」という小さなくくりで語るべきではない、優れたニューシネマ作品としてもっと再評価されるべき映画だと思うのだ。
名カメラマン、コンラッド・ホールによる、美しい陽光を捉えた撮影も素晴らしい。『明日に向って撃て!』('69)と同年に製作されているというのも興味深い。
本作の元になったのは、20世紀初頭にパイユート族のインディアン青年が起こした事件。カリフォルニア州パーム・キャニオンからルービー・マウンテンに至る500マイル以上に亘って追跡行が繰り広げられ、クライマックスの舞台となったルービー・マウンテンにはウィリーの碑があり、「大西部最後のマンハント」と記されているという。ウィリーの物語は伝説となり、インディアンの間には、白人たちが伝えるものとは違うバージョンの結末があるという。
尚、筆者はDVDの方を購入したが、画質はとても良い。パッケージに記載されていないが、おそらくニュープリントか、そうでなければソフト製作会社がレストアしたものと思われ、明るさや色なども美しい。文句なし。
最近アメリカで主流になってきているオンデマンドDVDは、コストを削減するためこうしたレストア作業をしていなく、フィルムのプリント状態がいまひとつ良くないものが大半で、それをそのまま転用する日本のソフトも必然的に画質が良くないケースが多い。
なので、こうしたメーカーの愛がこもったソフトに出逢えると嬉しくなる。ありがとうございます。
夕陽に向って走れ [VHS]
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商品の説明
レビュー
『スニーカーズ』のロバート・レッドフォード主演のニューシネマタッチの西部劇。
-- 内容(「VIDEO INSIDER JAPAN」データベースより)
監督・脚本: エイブラハム・ポランスキー
撮影: コンラッド・ホール
出演: ロバート・レッドフォード/キャサリン・ロス/ロバート・ブレーク
-- 内容(「CDジャーナル」データベースより)
登録情報
- メーカーにより製造中止になりました : いいえ
- 梱包サイズ : 18.6 x 10.64 x 2.85 cm; 173.88 g
- 監督 : エイブラハム・ポロンスキー
- 発売日 : 1994/12/2
- 出演 : ロバート・レッドフォード
- 販売元 : CICビクター・ビデオ
- ASIN : B00005EV9N
- ディスク枚数 : 1
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2012年5月12日に日本でレビュー済み
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2015年11月10日に日本でレビュー済み
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どんなに成功した映画俳優にも、始まりがある。大して評価されず、ひたすら演技を続ける。そして、
なお、認められず消えて行く。そんな中で、レッドフォードは、世界に知られ、引っ張りだこの俳優と、なった。有名過ぎて、囲われた中でしか、動けない現在。年を重ねる間に、監督した映画を作り、
後進の指導をし、サンダンス映画祭も軌道に乗った。この d v d は、若い頃のもので、ナタリーウッドの
人気にあやかって作られた。故に、面白くない。でも、このような類いの、小規模の映画に出る事により、人気を得て行った。軽々しく観てはならない。彼は、しっかり演じたのだから。
なお、認められず消えて行く。そんな中で、レッドフォードは、世界に知られ、引っ張りだこの俳優と、なった。有名過ぎて、囲われた中でしか、動けない現在。年を重ねる間に、監督した映画を作り、
後進の指導をし、サンダンス映画祭も軌道に乗った。この d v d は、若い頃のもので、ナタリーウッドの
人気にあやかって作られた。故に、面白くない。でも、このような類いの、小規模の映画に出る事により、人気を得て行った。軽々しく観てはならない。彼は、しっかり演じたのだから。
2012年7月8日に日本でレビュー済み
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この作品西部劇の範疇に入れて良いのか微妙な年代設定だ。1909年のインディアンの居留区で起きた事件が元になっているからだ。すでに自動車が走る20世紀初頭のアメリカが舞台。ウィリー・ボーイ(ロバート・ブレイク)が恋人のローラ(キャサリン・ロス)と結婚する為に戻ってきたが、彼らの結婚を認めないローラの父親を誤って射殺してしまう。これだけなら、インディアンの世界の事件だが、ウィリー・ボーイとローラの逃避行の途中で白人の追手を撃ってしまう。このことが、白人のインディアンに対する復讐心をかきたててしまう。マイノリティに対する白人の執念のようなものが赤裸々に描かれているところが、赤狩りでほされたエイブラハム・ポロンスキーらしさか。
逃げるウィリー・ボーイと共鳴する部分を持つ追手の保安官(ロバート・レッドフォード)もなかなか良い。当時、既に人気沸騰中の彼が、単なる正義の保安官でなく、インディアン居留区の監督官である女医(スーザン・クラーク)に迫るシーンや彼女との時間に溺れていたことから事件が大きくなったことに対する後悔等、生身の人間臭さがある。自分を追い詰めるストイックな部分がふたりの共通点なのかもしれない。
そして、衝撃の結末を迎えた後、保安官の取った行動はまさにウィリー・ボーイに対する敬意の表れか。彼に抗議する白人に対して「土産ものは売り切れだ」と吐き捨てるシーンが何ともいえない。
邦題通り、とにかく荒野を走りまくりロバート・ブレイクとキャサリン・ロスにはびっくりさせられる。チョット気になるのは、キャサリン・ロスがインディアン役からか黒く塗り過ぎところ。
でも、デイブ・クルージンの抑えた音楽も渋くて最高だし、全体的に抑えた演出が冴えるポロンスキーの秀作だ。
逃げるウィリー・ボーイと共鳴する部分を持つ追手の保安官(ロバート・レッドフォード)もなかなか良い。当時、既に人気沸騰中の彼が、単なる正義の保安官でなく、インディアン居留区の監督官である女医(スーザン・クラーク)に迫るシーンや彼女との時間に溺れていたことから事件が大きくなったことに対する後悔等、生身の人間臭さがある。自分を追い詰めるストイックな部分がふたりの共通点なのかもしれない。
そして、衝撃の結末を迎えた後、保安官の取った行動はまさにウィリー・ボーイに対する敬意の表れか。彼に抗議する白人に対して「土産ものは売り切れだ」と吐き捨てるシーンが何ともいえない。
邦題通り、とにかく荒野を走りまくりロバート・ブレイクとキャサリン・ロスにはびっくりさせられる。チョット気になるのは、キャサリン・ロスがインディアン役からか黒く塗り過ぎところ。
でも、デイブ・クルージンの抑えた音楽も渋くて最高だし、全体的に抑えた演出が冴えるポロンスキーの秀作だ。
2013年2月6日に日本でレビュー済み
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1970年代ムービーに光りあれ!!できることならブルーレイ化を期待したい。
2013年3月12日に日本でレビュー済み
個人的には`さすらいのカウボーイ`と並んで大好きな西部劇。隠れた傑作。R.レッドフォードとキャサリン・ロスはご存知のように`明日に向かって撃て!`という、メジャーな作品でも共演しているが、この作品はどちらかというと華がない。アクションも地味だと思う。しかし、テーマは重い。確かニュー・ウェスタンと宣伝されていたはず。ヒーローなど存在しない。レッドフォードの苦悩とD.グルーシンのエンドタイトル曲が心にしみる。昨今の日本人出演しまくりのハリウッド映画も、かつて70年代はこんなマイナーでも余韻の残る作品も山ほどあった。やはり70年代アメリカ映画は奥深く、凄かった。
2022年3月18日に日本でレビュー済み
何とも後味のわるい、カタルシスのない映画だ。何人もの犠牲者をだしながら追いつめていった果てにある、これが結末だなんて、何ともやりきれない。そして、それこそがこの映画の製作者たちの意図したことなのだろう。原題にあるウィリー・ボーイは、ただインディアン、いやネイティヴ・アメリカンというだけで忌み嫌われ、除け者にされ、竟には殺されてしまうのだ。勝手に“新大陸”と呼ぶ大陸へ後からやって来たイギリス人たちは、先住民であるネイティヴ・アメリカンに立ち退くことを迫り、刃向かえば法の下に裁きを行っていった。逃走すれば、ポーズと呼ばれる徒党を組んで彼らを追い殲滅することが当たり前だった。そんな時代。3年後に「シノーラ」でクリントイーストウッドが演じたと同時代の話だろう。赤狩りで追われていたエイブラハム・ポロンスキー監督が、アメリカの汚点とでもいうべきこの時代を取り上げたのはさもありなん。共産主義思想をもつことが、そのまま反体制に与することではないというシンパシーをもって臨んだ題材だろう。人種の平等や思想の自由こそは当時にあっても現在にあっても当然の権利である。アンチ・エンタテインメントであるからして、決して血沸き肉躍るシークエンスはない。しかし、その代わりと言っては何だが、ニューシネマのもう一つの特徴であるエロティシズムの解放は、今観てもなかなかに刺戟的だ。ウィリー・ボーイと逃避行するローラ演ずるキャサリン・ロスも、保安官クーパー(ロバート・レッドフォード)と複雑な関係のアーノルド博士を演じるスーザン・クラーク(当時20代半ばで実はキャサリンより3歳年下!)も素っ裸の熱演を見せる。しかし、それにも増して見応えがあるのが、60~70年代のアメリカン西部劇で堪能することのできる遥かなる西部の広大で目を瞠る大自然の光景だ。ここを裸足で走るローラと独走状態のウィリー・ボーイの傷ましさよ。まだ駆け出しだったデイヴ・グルーシンの音楽も心弾むものではないが、心に沁みる。