この曲をカラヤン指揮ベルリンフィルハーモニーで初めて聴いたのが昭和53年(1978)
中3の夏休み後半、美術の宿題を片付けながら、石丸寛氏のFM東京日曜日16時からの番組。2週に分けてだった。
第1楽章終わりはまるで当時の東芝のTV-CMに似ているなどと思った。
通俗的な時のマーラーを中3の自分はそう例える位しかボキャブラリーを持っていなかった訳だが、今思うと、マーラーは故意にチープな音楽をしばしば書くし、あながち的外れでもなかった?
第2楽章でマリンバやシロフォンが乱打され、ブラームスやチャイコフスキーと全然違っているのかと理解したが、20世紀の扉を開き、シェーンベルクのブラームスのアレンジに似ていて違和感を持ち、でもこれがマーラーなんだよな…と判った積もりで、しかも擬古典主義らしくカッチリまとまっているお陰で宿題が進んだ。
1週間経った。
絵の続きを順調に仕上げる積もりで、アンダンテを聴き、マーラーの緩徐楽章はいつも綺麗だ、いいなあ、マーラーもカラヤンも。
美しい日曜日の夕方だ…クラシックに出逢えて幸せだなあ。
フィナーレが始まった…
冒頭ラジカセではよく解らないモゴモゴした奇妙な?鐘?なのかよく判らない神秘的な、気味悪いサスペンスな響きが聴こえ、今のはどんな意図があるのか考える暇もなく、最初のハンマーが落とされた…
この辺りから2度目のハンマー迄を当時の記憶は朧気で詳しく思い出せないが、、現実(宿題)と悲劇的交響曲の黙示録的世界の狭間を彷徨い、大混乱に陥っていた。
そして2度目のハンマーが落とされた…
このハンマーから再現部にかけてベルリンフィルの低弦・低音楽器の竜巻に文字通り巻き込まれ、危うくラジカセの小さなスピーカー に吸い込まれてしまう処だった…
危ない!!!! 思わずラジカセから後ずさった。
全身鳥肌だらけだった…今思い出しても寒気がしてくる…
クラシックを聴いて約1年経った頃だが、後にも先にも、こんな危険で恐ろしいと感じた事はない。
その後も、幸いにして?ない。
ないのは、恐怖からこの種のクラシックから無意識に距離を置いたからだ。
生まれて初めて聴いたマーラー第6「悲劇的」でこのような体験した影響は、図り知れず大きな意味を持った。
カラヤンは本気になると聴衆を奈落に突き落とす、恐ろしい指揮者の側面を持つ。
マーラーの交響曲はよく言われるように分裂などしていない…
分裂している様に聴こえるのは、演奏に問題があるか、昔の音楽関係者の先入観なのではないか?
バーンスタインと較べたら遥かに整然としている。
ショルティと較べたら、スタイリッシュ過ぎて、表面的と思われて仕舞うのは仕方ないかも知れないが、そう感じる聴き手は、無意識にカラヤンのオーラを遮断せずにいられないのだと思う。
インバル盤がマーラーの自作自演に近いのかな?とよく思うが、カラヤンの神秘主義とは解釈の出発点が違い過ぎて、比較の仕様がない。
アバドはいい線行っているが、重苦しさが欠けている。
ラトルが結構カラヤンに近いかも知れないが、深くて暗い何かがない。
ペトレンコはまだよく判らない。
クルレンツィスはフルトヴェングラーに似ていると時々感じる。フルトヴェングラーのマーラーは勿論空想だが。
だがカラヤン以降、マーラーが分裂していると余り言われなくなったのではないか?
マーラー分裂論を目にする度に、いまだに違和感が増大する。
翌年バイト代で買ったショルティ&シカゴの6番をやっとLPで聴いたり、カラヤン版は高校合格のご祝儀で5番や『大地の歌』と共にブックカセットで聴いたが、ラジカセで聴いたFMの時の恐怖は2度と体験できず、何故か腑に落ちない高校生活を送り、1979年10月のカラヤン&BPOの来日公演を心待ちに過ごした。
39番とツァラトゥストラの翌日、いよいよマーラーの6番の日が来たが、又しても朧気な記憶しか残らない経験を今度は実演でしてしまい、今日に至る。
カラヤンの実演に初めて接した聴き手がよく述懐すること…レコードと同じ音がしたとか、巨大な音にたまげたと確かに自分も感じたが、あれくらいの大音響だから、普門館の隅っこにも届いた。
手前の高い席では間違いなく、大音響が上空をホームランの様に通過した筈である。
あとは例えばベルリンフィルメンバーの出待ちをして、カラヤンはもう帰りましたと係員に言われたとか、やっぱりドイツ人メンバーはガタイがいいなあ、とか、カラヤンがさっさと帰るのは勿論知っていたが、それにしても第1楽章冒頭から、物凄い大振りで、全身全霊の気迫でベルリンフィルハーモニーの猛者達を、これでもかとグイグイ引っ張り、これがカラヤンの実演かあ、と呆気に取られていた。
隣席の大学生が、フィナーレで両手の握りこぶしを指揮せんばかりに震わせていたとか、どうでも良いことばかり思い出すが、、
2度目のハンマーとタムタム(銅鑼)がずれていたようだ…いやカラヤン指揮ベルリンフィルに限り、んな筈あるまいと、悩みが増えた…
約20年後、インバル指揮N響の6番を神南で聴いて、ハンマーとタムタムがピタリ合った、マーラーの企み通り凄まじい音響効果
に遭遇して、初めて、嗚呼あの時のカラヤンとベルリンフィルはずれていたのかと、やっと合点がいった…
肝心の全曲の構造は?
ボーっとしていたというより、極度の緊張で掴みきれなかった。5千人の聴衆は興奮の坩堝なのだが。
深いまるで摩周湖を覗き込むと吸い込まれて戻って来れない、かの如き不思議な透明感の120人の集団が、眼前に途方もない拡がりを出現させて黙示録を鳴らし、あっという間に去って行った…なんかの新興宗教集団みたいだった気がしないでもないが…
最初にちゃちなスピーカーに吸い込まれて、危ないと思ったほどだから、精神的安全装置が作動してしまい、音楽の外側に置いていかれてしまった。勿体ない話だが、あんな音楽体験は高校1年生に堪えられる筈はない。
やはり、これも早すぎた初体験の1つだったらしい…
もし、まともに受け止めていたらと思うと、ゾッとする。
…気が狂って死んだかも知れない。
カウベルがテープで流れたようだ、という事は雰囲気は覚えているが、柴田南雄が鬼の首でも取ったかの如く、だからこの曲のLIVEが駄目だったとは思わない。
ついでに言えば私が好きな吉田秀和は、普門館が気に食わず、台風のせいにして聴きに来ていない。
当時の日本を代表する2人の音楽的知性がそんな事じゃ駄目だ。
5000人収容可能な普門館だったからこそ、高校生のガキだった私の様な者が、天下のカラヤン指揮ベルリンフィルの来日公演を、しかも2回も聴けたのだ。普門館以外で、4000円のチケットなどあり得ない。
しかし何しろ器がデカイから、カウベルはテープでホール全体に流す方がよく聴こえる筈だと、いかにもカラヤン的合理主義でパパっと決めてしまったんだろう。それが良いなどとは到底言わないが、ここもカラヤン一流の普及重視だったとも思う。
マーラーの第6交響曲をザルツブルグとベルリン以外で殆ど演奏していないだろう。
わざわざ時差8時間の東京くんだりまで、こんな大曲を、まだ音楽後進国の日本に、よくぞ持って来てくれたと感謝すべきで、まだそうゆう時代だったのだ…
天井桟敷からは特殊打楽器は小さすぎてあまり、見えなかったが、それでもLPにレンジの都合でろくに入らないハンマーを振り下ろす瞬間はハッキリ目に浮かぶ。
マーラーの5番は今でも名刺代わりに来日公演でも、よく取り上げられるが、6番となると、どんな大指揮者もオケも、算盤を弾いて二の足を踏む。
昭和54年(1979年)によく公演自体成立したなあと思う。
…翻って令和21世紀の現代は、まずコロナ禍をベルリンフィル、ウィーンフィルですらどう乗り切るか、乗り切れるかで頭を抱えているのだ。
こういう時、カラヤンやフルトヴェングラーだったらどうするだろう?
横路に逸れた。
高校時代の後半以降、なるべくカラヤンからは距離を置き、出来るだけ他の名指揮者達を1人でも多く聴くようにした。
マーラーも3番はスコアを見ながらナンとかラストに辿りつき、初めて理解した。(レヴァイン指揮シカゴ響)
いよいよ本格的なCD時代になったが、まだカラヤンは出来るだけ遠ざけ、インバルのマーラー全集やN響始め在京オケで色々聴いた。
90年代からインバルが好みで、カラヤンの6番は近くの図書館から借りて漸く十何年振りに聴き、カウベルのリマスタリングに不満を覚えつつ、15歳の時と同じ恐怖を理解し、やっと何とかこの演奏をアタマで再構成出来た。
結局この録音はエアチェック→ミュージックテープ→LP→CD→リマスタリングCDと、全てを買い求め、聴いて来た。
詳しくなるにつれ、カラヤンからは遠ざかるのは、この演奏の持つ恐ろしさを脳内再構成する事に益々躊躇するからだと思う。
カラヤンの「浄夜」「サロメ」もその種の恐怖の演奏だ。
アンチカラヤンに転ずる前後に、柴田南雄がNHKホール1973年「浄夜」でカラヤンが曲の究極の美を永遠に封じ込めてしまった、と的確に批評したのはシェーンベルクだからなのだろうと党派性から予想がつくのが無惨であろう。
このマーラー6番を含む1979年の全公演をNHKがTV放送したい旨、カラヤンサイドに伝え快諾を獲ていたが、帝王の何気ない『テレモンディアルと共同制作しないか』の一言で全て流れたという。
痛恨事とはこの事だ。
NHKの絶望的官僚的融通の無さは、この頃、山口百恵が真っ赤なポルシェをクルマと変えさせられていた時代だから、まあ、なるほどとも思うが、こうしてカラヤンのマーラーも『ツァラトゥストラ』も『天地創造』も『モツレグ』も『テ・デウム』も全て演奏と同時に瞬時に、永遠の彼方に過ぎ去り、5千人の聴衆の記憶にしか残っていない。
なんとか超法規的措置で放送に漕ぎ着けていれば、84年の『ローマの松』の様にカラヤンレガシーに加わって、レガシーを豊富に彩り文字通り人類の遺産になっただろう。
惜しいどころではない。
最近の若手演奏家達の種々の来日公演も映像が殆んど出てこないのは、メディアツールの複雑多様化から仕方ない側面は在るだろうが、その中にきっと驚くべき演奏が含まれ、それを契機にファン拡大に繋げられルのにとよく残念に思う。
だが亡くなった大演奏家は更にどうする事も出来ない。
ステレオLIVEやTV中継映像を多数遺したカラヤンを、フルトヴェングラーやニキシュ、マーラーと同じ幻にすべきではない。
時代は遥かに移ろい、セッション録音の、この録音をtweetする若いファンをよく目にする様になった。
柴田南雄がカラヤンのマーラーは商業主義、新古典主義で時代遅れと岩波新書で、こき下ろした事は、遠く過去の事になり、今も未来もカラヤンは聴かれ続けている。
私もアンチカラヤン派に、カラヤンから洗脳されている等と侮辱され、ずいぶん反論してきたが、先入観のないまっさらな感受性を持つ若い聴き手達がカラヤン、フルトヴェングラー双方を素直に楽しめる時代になり、SNSを通じ交流出来る世の中になって、かなり嬉しい。
まんざらクラシックも見捨てたモンでもないではないかと、時々勇気を貰っている。