宇宙 日本 世田谷
仕様 | 価格 | 新品 | 中古品 |
CD, CD, 2016/9/7
"もう一度試してください。" | CD | ¥2,442 | ¥2,943 |
CD, 1997/7/24
"もう一度試してください。" | 通常盤 |
—
| — | ¥732 |
CD, 限定版, 2009/3/25
"もう一度試してください。" | 限定版 |
—
| — | ¥3,699 |
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メーカーによる説明
宇宙 日本 世田谷 | 宇宙 日本 世田谷 | 宇宙 日本 世田谷(紙ジャケット仕様) | |
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カスタマーレビュー |
5つ星のうち4.7
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価格 | ¥2,442¥2,442 | — | — |
製品仕様 | CD | CD 通常盤 | CD 限定版 |
発売日 | 2016/9/7 | 1997/7/24 | 2009/3/25 |
曲目リスト
1 | POKKA POKKA |
2 | WEATHER REPOPT |
3 | うしろ姿 |
4 | IN THE FLIGHT |
5 | MAGIC LOVE |
6 | バックビートにのっかって |
7 | WALKING IN THE RHYTHM |
8 | DAYDREAM |
商品の説明
Amazonレビュー
前作『空中キャンプ』で確立した独自の音楽性をさらに突きつめ深化させた、日本のポップス・ロック史に輝く至高の大傑作。ゆったりと覚醒するような<1>から、圧倒的な音の渦に呑まれる<2>、さらっとしているようで後を引く<3>、ささやかで情けなく儚くて泣ける<4>、恋する気持ちをここまでヴィヴィヴィッドに描いた曲が他にあるだろうかという<5>、グループのテーマのような重要曲<6>、感動的な歌詞と強いリズムに突き動かされる<7>、太陽にゆっくりと溶け込むアトムのような<8>まで、見事なまでにすべて名曲。(麻路 稔)
メディア掲載レビューほか
TBS系『COUNT DOWN TV』エンディング曲「MAGIC LOVE」他、全8曲を収録したアルバム。 (C)RS
登録情報
- メーカーにより製造中止になりました : いいえ
- 梱包サイズ : 14.09 x 12.63 x 1.37 cm; 80.32 g
- メーカー : ポリドール
- EAN : 4988005200822
- 時間 : 59 分
- レーベル : ポリドール
- ASIN : B00005FJU8
- ディスク枚数 : 1
- Amazon 売れ筋ランキング: - 94,431位ミュージック (ミュージックの売れ筋ランキングを見る)
- - 32,050位J-POP (ミュージック)
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2024年4月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
best album of fishmans.
2024年2月4日に日本でレビュー済み
フィッシュマンズはこの「宇宙 世田谷 日本」に全てが集約されてるような気がします
プライベートスタジオを持ち、時間の制約無く音楽に打ち込む事が出来るようになり
名曲「ナイトクルージング」を生み出しその後の世田谷3部作へという流れなのですが
あまりに濃厚すぎる2年間の間で失ったものも大きかったそうです
初期のデトロイトテクノやHIPHOP、ゲームミュージックなどはたくさんの制限がある中で
様々なアイデアを駆使し独特なグルーヴを生み出しました
作品は創造主にもよりますが、環境に非常に左右されるものだと思います
それはもちろん音楽に限らずですが、あまりにも自由になってしまうと...
フィッシュマンズは活動していた時よりも確実に現在の方が評価が高くなってます
それは途方もない苦しみや我慢の果てに生み出された結晶であるからで
時間が経てば経つほどに光り輝くものだと解釈しています
その究極の作品がこの「宇宙 世田谷 日本」であると思います
可能であるなら2枚組LPを入手して最高の音質の「バックビートにのっかって」を
聴いてみて下さい、低音が凄すぎて衝撃を受けると思いますよ!
プライベートスタジオを持ち、時間の制約無く音楽に打ち込む事が出来るようになり
名曲「ナイトクルージング」を生み出しその後の世田谷3部作へという流れなのですが
あまりに濃厚すぎる2年間の間で失ったものも大きかったそうです
初期のデトロイトテクノやHIPHOP、ゲームミュージックなどはたくさんの制限がある中で
様々なアイデアを駆使し独特なグルーヴを生み出しました
作品は創造主にもよりますが、環境に非常に左右されるものだと思います
それはもちろん音楽に限らずですが、あまりにも自由になってしまうと...
フィッシュマンズは活動していた時よりも確実に現在の方が評価が高くなってます
それは途方もない苦しみや我慢の果てに生み出された結晶であるからで
時間が経てば経つほどに光り輝くものだと解釈しています
その究極の作品がこの「宇宙 世田谷 日本」であると思います
可能であるなら2枚組LPを入手して最高の音質の「バックビートにのっかって」を
聴いてみて下さい、低音が凄すぎて衝撃を受けると思いますよ!
2021年7月27日に日本でレビュー済み
1994年当時、高校生の頃宅録マニアでレコードマニアだった私はTVkテレビのミュートマジャパンで「My Life」を聞いてフィッシュマンズを知った。
好みのタイプではあったがポップすぎたのでハマる事もなくレンタルしてちょい聞きする程度だった。
その2年後、クラブキングのフリーペーパーの付録のMIXテープでアルバム空中キャンプ発売当時のプロモーション用のbaby blueとナイトクルージングを聞いてそのキャッチーさを気に入ってヘビロテで聞いていた。だが当時はトータスやビョークやシガーロスなどの音響派が流行っていたし日本でもコーネリアスのファンタズマやサイレントポエッツやリトルクリーチャーズのようなクールで斬新な音像のアルバムは多かったのでサウンド的に空中キャンプが取り分けスゴい!新しい!と思うような事はまるで無かった。
どちらかと言えばフィッシュマンズは人前で聞くのは少し気恥ずかしいから部屋で一人で聞くし友人に薦めたりもしない類のバンドだった。
(その当時の口コミでも「フィッシュマンズなんか好きなの俺だけだろ」となぜか思わせるバンドだよね、みたいな話がよくあった。)
空中キャンプは自分にはまだポップ過ぎたしフィッシュマンズ自体も少しカッコ良さに浮かれてるようなフシがあってやっぱり心にまでは入ってこなかった。
しかしその2年後、彼らの事も忘れてた頃にたまたま友人宅で聞いて初めてガッチリ心(いや、脳かな)を鷲掴みにされたのがこのアルバムの一曲目のPOKKA POKKAだった。
それはよく言われてるライブがどーのとか詩の世界観がどーのとか天才佐藤伸治がどーのとかそうゆうのとはまた違う『何も狙ってなさ」というような感覚。好かれようとも思ってないような。暖かくも冷たくもない質感。彼がどういう人なのか知らなかったけど知ろうとすることも拒否されているような突き放した感じ。
こういう音楽の部分ではない次元にある異質なエネルギーのようなものに衝撃を受けて見事に洗脳されてしまった。
そんな異質のエネルギーを放ち始めたのはこのアルバムからだと思うしまた97年以降のライブからだと思う。
彼が亡くなってからフィッシュマンズにハマった人達はきっとこの97年以降の異質なエネルギーに最初から洗脳された状態からその前作の空中キャンプやロングシーズンやライブ映像を見ているから全てが神々しいフィルター越しに見えるのだと思う。
けれど96年頃( 空中キャンプの頃)の彼らはまだ「ちょっと変わった新し物好きにウケるようなバンド」程度だったことを知ると見方聞き方もちょっと変わると思うのでそれを踏まえて聞くといいかもしれない。
好みのタイプではあったがポップすぎたのでハマる事もなくレンタルしてちょい聞きする程度だった。
その2年後、クラブキングのフリーペーパーの付録のMIXテープでアルバム空中キャンプ発売当時のプロモーション用のbaby blueとナイトクルージングを聞いてそのキャッチーさを気に入ってヘビロテで聞いていた。だが当時はトータスやビョークやシガーロスなどの音響派が流行っていたし日本でもコーネリアスのファンタズマやサイレントポエッツやリトルクリーチャーズのようなクールで斬新な音像のアルバムは多かったのでサウンド的に空中キャンプが取り分けスゴい!新しい!と思うような事はまるで無かった。
どちらかと言えばフィッシュマンズは人前で聞くのは少し気恥ずかしいから部屋で一人で聞くし友人に薦めたりもしない類のバンドだった。
(その当時の口コミでも「フィッシュマンズなんか好きなの俺だけだろ」となぜか思わせるバンドだよね、みたいな話がよくあった。)
空中キャンプは自分にはまだポップ過ぎたしフィッシュマンズ自体も少しカッコ良さに浮かれてるようなフシがあってやっぱり心にまでは入ってこなかった。
しかしその2年後、彼らの事も忘れてた頃にたまたま友人宅で聞いて初めてガッチリ心(いや、脳かな)を鷲掴みにされたのがこのアルバムの一曲目のPOKKA POKKAだった。
それはよく言われてるライブがどーのとか詩の世界観がどーのとか天才佐藤伸治がどーのとかそうゆうのとはまた違う『何も狙ってなさ」というような感覚。好かれようとも思ってないような。暖かくも冷たくもない質感。彼がどういう人なのか知らなかったけど知ろうとすることも拒否されているような突き放した感じ。
こういう音楽の部分ではない次元にある異質なエネルギーのようなものに衝撃を受けて見事に洗脳されてしまった。
そんな異質のエネルギーを放ち始めたのはこのアルバムからだと思うしまた97年以降のライブからだと思う。
彼が亡くなってからフィッシュマンズにハマった人達はきっとこの97年以降の異質なエネルギーに最初から洗脳された状態からその前作の空中キャンプやロングシーズンやライブ映像を見ているから全てが神々しいフィルター越しに見えるのだと思う。
けれど96年頃( 空中キャンプの頃)の彼らはまだ「ちょっと変わった新し物好きにウケるようなバンド」程度だったことを知ると見方聞き方もちょっと変わると思うのでそれを踏まえて聞くといいかもしれない。
2023年8月6日に日本でレビュー済み
時代が追い付いた?世界で再評価されて良かった。生きてればね。2023年にどう進化してたか。
2006年6月10日に日本でレビュー済み
空中キャンプ〜ロングシーズンまでのフィッシュマンズは(局部的
ではあるが)日本の音楽シーンの最前線に立っていた。
ライブでのロングシーズンには誰もが賞賛の声を上げ、テクノや
ハウスに熱狂し「歌詞なんていらない」と言っていた音楽評論家や
リスナーはこぞってフィッシュマンズの歌詞にシンパサイズしていた。
そのような高まる期待値の中でリリースされた「宇宙日本世田谷」。
タイトルとジャケットの素晴らしさの中で批判的なレビューは当時
あまり見受けられなかったが、このアルバムは「空中〜」や
「ロング〜」とは全く異なる趣のアルバムである。
先行シングルの「MAGIC LOVE」以外はどの曲も驚くほどに静かで
達観したような声で歌われる。後半に進むほど、佐藤伸治の飄々と
した佇まいが圧倒的な完成度を誇る音の中に消え入りそうになる。
この当時、佐藤伸治は「テクノ聴いて人生が変わるようなヤツが
嫌いだ」という名言を残したのだが、佐藤伸治自身も音楽によって
本来持っていた資質が隠れてしまったようにも感じる。
ではあるが)日本の音楽シーンの最前線に立っていた。
ライブでのロングシーズンには誰もが賞賛の声を上げ、テクノや
ハウスに熱狂し「歌詞なんていらない」と言っていた音楽評論家や
リスナーはこぞってフィッシュマンズの歌詞にシンパサイズしていた。
そのような高まる期待値の中でリリースされた「宇宙日本世田谷」。
タイトルとジャケットの素晴らしさの中で批判的なレビューは当時
あまり見受けられなかったが、このアルバムは「空中〜」や
「ロング〜」とは全く異なる趣のアルバムである。
先行シングルの「MAGIC LOVE」以外はどの曲も驚くほどに静かで
達観したような声で歌われる。後半に進むほど、佐藤伸治の飄々と
した佇まいが圧倒的な完成度を誇る音の中に消え入りそうになる。
この当時、佐藤伸治は「テクノ聴いて人生が変わるようなヤツが
嫌いだ」という名言を残したのだが、佐藤伸治自身も音楽によって
本来持っていた資質が隠れてしまったようにも感じる。
2015年1月13日に日本でレビュー済み
空中キャンプは曲調的に何処か暗めのアルバム。宇宙日本‾はポジティブ寄りとゆうか、明るめのアルバムです。
ただ、当時の取材で言ってた様に佐藤さんのソロ色が強いです。ソロとゆうかデモの段階で完成度が高かったみたいでfishmansの作品として落とし込むのに他二人のメンバーが苦労したと言っていました。
曲的には宇宙日本‾の方が好きですが、fishmansのバンドサウンドとしては空中キャンプの方が聞き応えがある気がします(主にリズム隊)。
個人的にはその流れもあって、空中キャンプ‾宇宙日本‾ゆらめきに続く、次の作品こそfishmans最高傑作になったんじゃないかと思います。
そんな事言ってもしょうがないのですが。
fishmansの中ではseasonが一番好きな曲だったので、このアルバムに入ってたらなぁと聴くといつも思います(long seasonはもはや別の曲)。
あと、weather reportはスタジオ音源だとなんだかノッペリしてますが、YouTubeに上がってるライブ映像はファンキーで無茶苦茶かっこ良いです。
ただ、当時の取材で言ってた様に佐藤さんのソロ色が強いです。ソロとゆうかデモの段階で完成度が高かったみたいでfishmansの作品として落とし込むのに他二人のメンバーが苦労したと言っていました。
曲的には宇宙日本‾の方が好きですが、fishmansのバンドサウンドとしては空中キャンプの方が聞き応えがある気がします(主にリズム隊)。
個人的にはその流れもあって、空中キャンプ‾宇宙日本‾ゆらめきに続く、次の作品こそfishmans最高傑作になったんじゃないかと思います。
そんな事言ってもしょうがないのですが。
fishmansの中ではseasonが一番好きな曲だったので、このアルバムに入ってたらなぁと聴くといつも思います(long seasonはもはや別の曲)。
あと、weather reportはスタジオ音源だとなんだかノッペリしてますが、YouTubeに上がってるライブ映像はファンキーで無茶苦茶かっこ良いです。
2016年9月16日に日本でレビュー済み
フィッシュマンズがこの『宇宙 日本 世田谷 』(1997年)を発表したちょうど10年後に、ゆらゆら帝国が『空洞です』(2007年)を発表している。どちらもラストのスタジオ・アルバムであり、(方向性はおおいに違えど同じように)先鋭的なサウンドで周囲に大きな影響を与え続けた存在が、あらゆる表現を貪欲に呑み込み続けた変化の末に辿り着いた特別な名作として今も評価され、聴き継がれている。
しかし、どちらのアルバムも、これらのバンドに初めて触れようとする人にはそれほどお勧めはできない。ファンによってはどちらもそのバンドらしくない(フィッシュマンズの場合は、軽快なポップ感が無くなった)という意見もある。そう、この2枚に共通しているのは、いわば満ち足りた閉塞感ともいうべきものだ。あるいは諦めや悟り、無我の境地という言葉でもいいかもしれない。しかし、それらを総動員しても摑みきれない、サウンド自体が放つ希望あるいは全能感のようなものもある。このような感触はリー・ペリーやCANの一部の作品、あるいはアーサー・C・クラークの小説やロスコーの絵画など限られたケースでしか出会えない貴重なものだと思う。
たぶん、新しい芸術が誕生する瞬間がここにあるのだと思う。個人の死はその代償だったのかもしれない。
しかし、どちらのアルバムも、これらのバンドに初めて触れようとする人にはそれほどお勧めはできない。ファンによってはどちらもそのバンドらしくない(フィッシュマンズの場合は、軽快なポップ感が無くなった)という意見もある。そう、この2枚に共通しているのは、いわば満ち足りた閉塞感ともいうべきものだ。あるいは諦めや悟り、無我の境地という言葉でもいいかもしれない。しかし、それらを総動員しても摑みきれない、サウンド自体が放つ希望あるいは全能感のようなものもある。このような感触はリー・ペリーやCANの一部の作品、あるいはアーサー・C・クラークの小説やロスコーの絵画など限られたケースでしか出会えない貴重なものだと思う。
たぶん、新しい芸術が誕生する瞬間がここにあるのだと思う。個人の死はその代償だったのかもしれない。
2005年5月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
異様にシャープな音楽である。「バックビートにのっかって」や「DAYDREAM」のギターソロを聞いていると、そのあまりに研ぎ澄まされた音に、痛ましいほどの感覚を覚える。
これは、単に音楽それ自体がシャープであるためではないと思う。寧ろ、そのような音楽性と、異様なほどナイーブな歌詞や弱弱しいヴォーカルとの間にある、あまりにも鮮やかなギャップが、悲壮なほどの鋭利さを作り出しているのだろう。
実際、その歌声の「弱弱しさ」は他に類例を見ないほどで、しかも表現として完全に昇華されている。「ドアの外で思ったんだ あと10年たったら 何でもできそうな気がするって でもやっぱりそんなの嘘さ やっぱり何もできないよ 僕はいつまでも何もできないだろう」――このような歌詞を、なんといっても30を過ぎた男が歌っているのだ!
とりわけ、弱いことが社会的に認められない傾向のある米国のような国では――あるいはこれは、他のどの国でもそうかもしれないが――、このような歌を歌うことはできないだろう。ましてやそれが表現として成立していることは期待できない。その意味で、まさに今の時代日本においてぎりぎりに存立しえている、稀有な音楽である。従ってこれを聞くリスナーには、どこにもない音世界が約束されている。
これは、単に音楽それ自体がシャープであるためではないと思う。寧ろ、そのような音楽性と、異様なほどナイーブな歌詞や弱弱しいヴォーカルとの間にある、あまりにも鮮やかなギャップが、悲壮なほどの鋭利さを作り出しているのだろう。
実際、その歌声の「弱弱しさ」は他に類例を見ないほどで、しかも表現として完全に昇華されている。「ドアの外で思ったんだ あと10年たったら 何でもできそうな気がするって でもやっぱりそんなの嘘さ やっぱり何もできないよ 僕はいつまでも何もできないだろう」――このような歌詞を、なんといっても30を過ぎた男が歌っているのだ!
とりわけ、弱いことが社会的に認められない傾向のある米国のような国では――あるいはこれは、他のどの国でもそうかもしれないが――、このような歌を歌うことはできないだろう。ましてやそれが表現として成立していることは期待できない。その意味で、まさに今の時代日本においてぎりぎりに存立しえている、稀有な音楽である。従ってこれを聞くリスナーには、どこにもない音世界が約束されている。