はじめに、DVDとの比較を書こうと思う。 ⇒ 結論、画質がかなり向上した。(あっ、もうレヴューが終了した・・・)
最初のタイトルロールはしっかりと安定し、画面のゆれは(完璧に)消えている。ディテールの向上もかなりのもの。本作の冒頭はアップショットが続くが、毛穴までバッチリ見える。メイクののりまで見えそうな勢い。見えすぎちゃって困るぐらいだ。全編この調子である。(音質についてはそれほど明確な違いはわからなかった)
仕様については、解説が入っているものの特典映像等はなく必要最低限といった印象。封入物も同様で少々貧弱なのだが、商品全体としては画質向上がかなり明確で価値あるブルーレイソフト化なのは間違いない。
といったところで…ソフトについては終了…。
以下の雑文は極個人的な感想です。申し訳ないのですが…。
本作の内容は、主人公アランが死に至る直前の行動を…小さな巡礼を…淡々と描写するだけである。一つ一つの描写はたわいのない小さなことだが、死臭をともなった奇妙な輝きを放っており、本作全体が黄泉路のようにすら見える。当然、黄泉路の巡礼はアランに絶望しか与えてくれない。
本作の原題は『ゆらめく炎』だそうだが、それを『鬼火』とした邦題のセンスは凄いと思う。鬼火…熱のない…実体のない炎。アランはまさに‘揺らめく鬼火’のように死者の国をいく。全ての事象が死に向かうように(彼には)感じられてしまう。ときおりかかる美しい音楽…それすら死を誘うかのように響く。
初見は高校時代だったと思う。幸いなことにそのときはサッパリ理解できなかった。退屈だった。
次は20代後半。ある程度理解できるようになってしまった…。痛みを感じた。それは、青春時代の終わりが(肉体的な意味で)見え始めた時期だったからかもしれない。
…それにしても痛々しい。二重に痛々しい。それはアランの感じる痛みへの単純な辛さと、そんな風にしか世界を感じ取ることが出来ない彼のイタさだ。本作で示される痛みは青年時代を終える頃、‘健全な男性であれば誰もが(ある程度は)感じる不健全さ’のようにも思える(女性はどうなのか…わからないけれど)。程度の差はあっても普遍的な感情のような気もする。
…そして…誰もが乗り越えなければならない‘甘え’でもある…。
製作時主人公アランと同じ年齢だったというルイ・マル監督にもそんな面があったのだろうか…。ひょっとするとこの映画を作る過程で…つまり‘痛みと甘えを客観化’していくことで…乗り越えたのかもしれない。
いまや私も40台も半ば過ぎ。久しぶりにアランの死の遍歴を見つつ…いろんな次元ですでに気持ちが離れているのを感じないではいられなかった。アランには黄泉路にしか見えなかった場所はそうではなかった。キチンと実体のある‘人生’だったし‘生活’だった。実体がないのは‘鬼火’のほうだった。‘鬼火’の輝きは実体を伴っていない。
…いまならそう思えるが、20代後半の私に本作は痛みしか与えなかった…。
(とがいいつつ、いまだにアラン同様に中二病が完全に抜けない私は、どこか共感する部分を残しているのであった…キケンだ。)