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少女ムシェット [DVD]

4.7 5つ星のうち4.7 26個の評価

仕様
価格
新品 中古品
DVD 通常版 ¥5,466 ¥3,925
DVD 通常版
¥2,253
DVD 通常版
¥3,168
フォーマット 色, ドルビー, ワイドスクリーン
コントリビュータ ナディヌ・ノルティエ, ロベール・ブレッソン
言語 フランス語
稼働時間 1 時間 22 分

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商品の説明

レビュー

『田舎司祭の日記』のロベール・ブレッソン監督が、ジョルジュ・ベルナノスの同名小説を映画化。アル中の父と病気の母を持つ14歳の少女と森の番人の心の交流を描く。
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内容(「DVD NAVIGATOR」データベースより)

製作: アナトール・ドーマン
監督・脚本: ロベール・ブレッソン
原作: ジョルジュ・ベルナノス
撮影: ギスラン・クロケ
音楽: クラウディオ・モンテヴェルティ/ジャン・ヴィエネール
出演: ナティーヌ・ノルティエ/ジャン=クロード・ギルベール/ポール・エベール/マリア・カルディナル/ジャン・ヴィムネ/マリー・シュジーニ/マリー・トリシェ/リリアーヌ・プランセ
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内容(「CDジャーナル」データベースより)

登録情報

  • アスペクト比 ‏ : ‎ 1.78:1
  • メーカーにより製造中止になりました ‏ : ‎ いいえ
  • 言語 ‏ : ‎ フランス語
  • 梱包サイズ ‏ : ‎ 18.8 x 14 x 1.4 cm; 117.94 g
  • EAN ‏ : ‎ 4510242161156
  • 監督 ‏ : ‎ ロベール・ブレッソン
  • メディア形式 ‏ : ‎ 色, ドルビー, ワイドスクリーン
  • 時間 ‏ : ‎ 1 時間 22 分
  • 発売日 ‏ : ‎ 2000/3/24
  • 出演 ‏ : ‎ ナディヌ・ノルティエ
  • 字幕: ‏ : ‎ 日本語
  • 言語 ‏ : ‎ フランス語 (Mono)
  • 販売元 ‏ : ‎ パイオニアLDC
  • ASIN ‏ : ‎ B00005FX1Q
  • ディスク枚数 ‏ : ‎ 1
  • カスタマーレビュー:
    4.7 5つ星のうち4.7 26個の評価

カスタマーレビュー

星5つ中4.7つ
5つのうち4.7つ
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上位レビュー、対象国: 日本

2018年8月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
・通学は男物の上着
・時計回りに身を隠す
・最初の標的は耳飾りの子
・履いてる下着にもコンプレックスあり
・休校日は朝から機嫌が良い
・コツを掴むのが上手い
・酒場は教会の向かい
・年上好きで積極的
・森番が重装備なのを見て、森に行く決心をした
・ぬかるみに脱いでった靴は、彼女が仕掛けた罠
・「道に迷ったの」は嘘
・左足の靴を脱いでったのは、右足のストッキングに穴が開いている為
・密猟者の手に負傷はない
・母親が寝たきりになって、お手伝いの女性が来ている
・女主人に施されたクロワッサンを背を向けた状態で左手で投げ返したあと、左ノブにも拘らず右手の容器を持ち替えることなく左手で開け、身体を回転させながら店を出て行く
・ラスト、彼女は死んでいない
9人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2017年11月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
モノクロの映像がとても美しかったです。
悲しい物語ですが映像に癒されます。
2人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2011年6月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本作『少女ムシェット』の原作者は、ジョルジュ・ベルナノスというキリスト教文学の作家である。
実はムシェットという名の少女は「悪魔の陽の下に」という作品で初めて登場し、そののち「新ムーシェット物語」(これが本作の原作)という中篇小説が書かれるのだが、この2人の少女は、同じ名前ではあるが別人物である。しかし、なぜ原作者はこの2人の少女に同じ名前をつけたのだろうか?
DVD添付のブックレットには、遠山純生氏による詳細なすばらしい解説が書かれているのだが、一つだけ残念だったのは、「悪魔の陽の下に」のムシェットとは直接関係ない、の一言で切って捨ててしまっている事だ。これは原作者自身が言っている事でもあるので、それで事足れりとしてしまったと思うのだが、ではなぜわざわざ「新ムーシェット物語」と「新」という言葉を原作題名に入れたのか。この2人の〔ムシェット〕は、似たような受難の途をたどる悲劇の少女で、背中合わせの、いわば時空を超えた双子のような存在だと筆者は思うのである。特に二人目(本作)のムシェットに託されたものは何だったのか ― その「相違点」を、映画・原作を織り交ぜながら比較してみたい、と思う。

『悪魔の陽の下に』は、モーリス・ピアラ監督が映画化し、カンヌでパルムドールを受賞した作品でもある。同VHSソフトのレビューにも書いたが、掲載されるか怪しい雰囲気があったのでここでも改めて書くと、この物語に登場するムシェットは16歳。商人の娘だが公爵と情事を重ね、妊娠する。だが公爵は彼女の妊娠に対して逃げ腰になったため、ムシェットは逆上して公爵を射殺。もう一人の情事の相手であった医者からも無関心な態度をとられ、カミソリで自らの命を絶ってしまう。

一方、本作『少女ムシェット』の主人公は14歳。死の床にある母と、アル中の父の貧しい家庭。学校では誰からも相手にされない孤独な少女はある日、森の中で密猟者のアルセーヌに犯されてしまう。母が亡くなると町の人々は彼女に同情を寄せかけるが、彼女の身体の「男の印」に気付くと、冷たくあしらう。孤独との闘いの果てにムシェットは最期、斜面を転がり入水する・・・。

ふたりのムシェットに共通して言えるのは「受難」=特に、男に弄ばれるという点があり、誰にも理解されず、孤独な状況に追い込まれていくところがそっくりだ。
では、違うところは?まず『悪魔の陽の下に』は、主人公は朴訥で生真面目な若い神父なのである。そして悪魔が登場し、この神父の「試練」が描かれる物語なのだが、ムシェットは彼が救う事ができなかった少女、として描かれている。『悪魔の〜』のムシェットは、己を弄んだ男を、怒りにまかせて殺害してしまい、その果てに絶望して自死を選ぶ。それはいわば「悪魔の誘惑」に負けてしまった少女の物語、といえる。
一方『少女ムシェット』は?気に食わないクラスメートに土を投げつけ、自分を愚弄したお店の女将にもパンを投げつける。この物語のムシェットは「人々の悪意」や「孤独」と闘い続ける少女なのである。ベルナノスが原作「新ムーシェット物語」を書いたきっかけのひとつに、1936年に勃発したスペイン市民戦争が背景にあった事に言及している。
「私が『新ムーシェット物語』を書き始めたのは、かわいそうな人々が、武装した男たちにはさまれてトラックに乗せられて通り過ぎるのを目撃した時なのです。だが、あの人たちはまっすぐに背を伸ばし、最も耐え難い不幸の最中にも、スペイン人特有のあの尊厳を保っていました」
また「私にとっては、彼女(ムーシェット)は絶望した女ではないのです。小さな英雄なのです」とも言っている。

ラスト、ムシェットが入水するシーンは、原作と映画とでは方法が違っている。
原作では、自らゆっくりと水の中に身を沈めてゆく。
【一瞬、何か不吉な戯れででもあるかのように、空の最も高い一点を見つめながら頭をのけぞらせた。水が彼女のうなじに沿うてそっとしのびより、華やいだ楽しいささやきが耳にあふれた。しずかに腰で旋回したとき、生命がからだの下から逃げて行くのが感じられるように思った。(松崎芳隆・訳)】
しかし、ブレッソンはこの入水方法には納得できなかったらしく、斜面を転がって池に落ちる(2回失敗し、3回目にようやく落ちる)という方法に変えている。

この両者の微妙な見解の違いを読み解くキーワードとして「ジャンヌ・ダルク」という名前がある。原作者ベルナノスの妻の名はジャンヌ・タルベール・ダルク。これは偶然ではなく、あの聖女ジャンヌ・ダルクの兄の直系の子孫なのである。敬虔なカトリック教徒だったベルナノスは、かつて悪魔の誘惑に負けて絶望の果てに死んでいった少女を、人々の原罪を背負って自ら死んでゆく「聖女」の物語として語り直そうとしたのではないだろうか?
では、ブレッソンの映画からはキリスト教的な要素が薄れているのか、というとそうではないと思う。劇中には音楽をかけないというブレッソンは、この映画に限って冒頭と最後に「聖母マリアの夕べの祈り」という音楽を使用していて、その理由として「あれは支えや補強としての音楽ではありません。映画をキリスト教信仰で包んでいるわけです」と言っている。
五木寛之氏は「若者たちにとってのラップは念仏と同じ」と言っていたと記憶するが、ムシェットが斜面を転がっていく行為を、ブレッソンは「ゲームのよう」と言っている。それは一種の儀式とも取れるのではないだろうか。実際に、多くの宗教で「回転」という運動は重要な意味を持っている。生まれてきた時の「無垢」な状態に戻るための儀式=結局のところ、入水の方法は違っても、その行為が意味するところはほとんど同じような気がする。

この映画のラストは、ムシェットという少女なりの「聖性」を表現した、哀しくも美しいシーン、なのだ。

ふたりのムシェットを巡る考察、これにて【完】
26人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2021年10月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2016年11月19日に日本でレビュー済み
何度見てもハートフルボッコの筈なんだがなあ…ヒロインの健気な姿を見るだけで元気になれるのは何故なんだろう。

「バルタザールどこへ行く」に並ぶ、少女の不幸を冷徹な眼差しで…いや見守ってやることしか出来ない無力さに打ちのめされるシネマトグラフ。
この映画を見て落ち込んだという方には同じブレッソン「スリ」「ブローニュの森の貴婦人たち」、ドタバタコメディ「公共の問題(公共問題)」、良い意味の“ハラハラ”を味わいたいんだよという人には「抵抗」を見て心を癒すことをオススメします。

薄暗い部屋で心配事を語る疲れ切った女性、森の中で茂みをかき分ける者、帽子から輪になった紐を取り出し、木の枝に括りつけて草木の上に置く者、“仕掛けた”者が待っていたもの、引っ掛かり悶える鳥、それを掴み取る手、一部始終を見届ける視線。
抜け穴、収獲、すれ違う帰還者と登校途中の少女。

授業でみんなが歌う中で口をつむぐ理由、だからって突き飛ばしピアノの前で首根っこ掴んでまで曝しものにするこたぁねえだろ。何度も歌わされ、嘲笑され、耐えきれなくなり顔を覆い泣き出してしまう。誰も助けちゃくれない。
男の子もわざわざ呼び止めてズボンを脱いで見せつける嫌がらせ。

家に帰れば父親たちは夜遅くまで酒に溺れ(警察にバレないように酒瓶を布で隠して)、冒頭で語っていた母親は病で寝込み、夜泣きする赤子の世話と忙しい。

だが彼女もただ黙って耐えるだけの少女じゃなかった。
ちょっと大人の男に視線を送っただけで平手打ちを浴びせるようなロクでなしの父親だ。教会にもわざと泥まみれの靴で入るのは、突き飛ばされるのが分かっていても暴力を振るう父親へのせめてもの抵抗。
それは散々な目に遭っているのにどうして宗教にまで縛られなきゃならないの。何もしちゃくれねえ宗教なんぞを信仰する馬鹿馬鹿しさ、冗談じゃないと彼女が…ブレッソンが叫びたかったことなのかもしれない。

下校時には道脇の茂みに伏せるように隠れ、女生徒たちに泥をブン投げまくる。例え振り返ったとしても隙あらば投げることを繰り返す。
幼い少女たちは下着が露になるのもお構いなしに鉄棒を回り、香水をかけ合い、男の子が乗るバイクにまたがり、早く大人になりたそうに振る舞う。
遊園地に行くのは憂さを晴らすため。ゴーカートのぶつけまくりぶつけられまくることが許された運転、回転飛行機で飛ぶように二人きりの男女を見つめる視線。

密猟の男たちが河原で拳を浴びせ揉みくちゃになるのは、仲直りし飲み合うため。

スカートからのぞく女の肢体、ストッキングを止めるバンド、泥に埋まり残される靴、雨に濡れた少女を“捕まえる”ための誘い、手の出血を焼けた枝で止める荒療治、蝋燭立てになった酒瓶、机の上に逆さまで並べられた椅子、カバンの中にしまわれる小銭?、ふら付き発作が起きようが泡を吹くまで飲んだくれブッ倒れる。虚空を見つめて目を開っきぱなし、そんな姿に思わず歌うのを嫌がっていたはずの少女が男を介抱するため、子守唄を聞かせるように歌声を響かせる。
豹変、酒瓶の山を落とし割り、机を薙ぎ倒し、燃え盛る火の前まで追い詰め襲い掛かる。どうして男ってこんな奴しかいないの?という絶望。

木の枝に紛れる逃亡、辛いことがあったら母親の手を掴み慰めてもらう。わずかに残った希望…。

森番に部屋の中まで連れられ夫婦揃って説教を喰らい、ミルクを買いに行った先で親切にスープとパンを振る舞いポケットに“ほどこし”を入れる女主人。ポケットに手を入れる「スリ」とは真逆の行動で彼女に幸せが訪れるのか…それを粉砕する様に割られてしまうカップ。机の上に投げ捨てられる“ほどこし”。

文句言いながら渡されるほどこしなんて御免だよと、絨毯を泥だらけの靴で踏みにじる。

ウサギ狩りで猟銃が刈り取る命、命、命。「バルタザールどこへ行く」の動物たちがそうだったように、この映画も容赦なく犠牲になっていくのだ。

もらった服も木の枝で引き裂き、寝転がり草まみれにし、それを纏いながら転がって、転がって、転がり続けた先…。
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2019年8月9日に日本でレビュー済み
1967年製作のフランス映画で、監督はロベール・ブレッソン。本BDは2017年IVCからリリース。特典映像にオリジナル予告編(編集はなんと、ゴダールが担当)。他には、主人公のムシェットが写ったB4サイズのポスター(裏に三浦哲哉氏の解説が記されています)が付属します。

登場人物の服装や車の型式から察するに、戦後の40年代の後半ごろの時代設定かな。フランスの田舎町に暮らす14歳の少女ムシェットは貧しい暮らしをしています。母親は何の病気か分かりませんが、不治の病に倒れて寝たきりなので、ムシェットは小さな乳飲み子の弟の面倒も見なくてはいけません。父親はアル中で彼女に暴力も振るうし、そして学校に行っても誰にも相手にされません。

こう言えば目も当てられない悲惨な物語なのかというと、そうでもないのです。まずはセリフが極端に少なくて、どうでもよいセリフや生活音などのサウンドは聞こえてくるものの、物語に関する重要なセリフは殆どないに等しい。まるでサイレント映画のようです。ですからムシェットの不幸な状況は映像で知るのみで、音には出ないので陰惨な感じはかなり目減りしてしまうのです。しかもムシェットの淡々とした表情と澄んだ瞳もそれらを和らげています。

しかし彼女は嵐の晩に森の中の番小屋で猟師に強姦されたり、その後ようやく家に帰ったら母親が死んだりと、不幸の連鎖は果てしなく、あの衝撃のラストを迎えるわけですが、私的には彼女は生まれ変わるために、あのラストを選択し行動したのだと信じたい。そしてやっぱり陰惨な感じはしないがしないどころか、爽やかな幕切れと私は感じました。

なんとも説明の難しい映画ですが、決して難解ではないと思います。上映時間80分ちょっとなので、あっという間に終わるのも良いですね。白黒の撮影が美しく、BDとしての画質も良好です。ゴダールが尊敬して止まなかったというブレッソンには駄作がありません。これも傑作、未だのファンは必見でしょう。
5人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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