わざわざ私が書くこともないとは思うのですが、映画「アマデウス(1984年)」を観て、「モーツァルトを殺すなんて、サリエリって、ほんま、悪いヤツやな~」と本気で思う人・・・いませんよね?
前世紀(90年代)に一度観たきりで、ずっと記憶に残っていた映画です。あらすじは覚えていないのですが、ジャクリーヌを演じるエミリー・ワトソンが鮮烈でした(と言うことで、星5つです。この映画に星4つは、私はちょっと考えられません)。今回、20年以上振りに無性にこの映画が見たくなり、レンタルビデオ屋さんにはもう置いていないので購入しました。
ジャクリーヌの姉(ヒラリー)が書いた原作小説が、90年代当時、酷評されていたのですが、その反対に、映画の評価が高かったです。映画の製作者が、よほど良識のある人だったのだろうと思います。映画の中でも「この映画は事実に基づく(based on a true story)」とは表示されずに、「この映画は小説に基づく(based on the novel)」と表示されています。
また、この物語が姉(ヒラリー)の視点で描かれていることが明確にわかるように映画が作られているので、その点、かなり良識のある映画だと思います。
しかし「伝記映画」と呼べる代物では到底ありません。
親類縁者の著書による良質な伝記映画としてはスティーヴン・ホーキング博士の生涯を描いた「博士と彼女のセオリー(2014年)」が思い浮かびます。「ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ」との主な違いを挙げると、
1. 書いた人が同居していた妻であること
当然のことですが、兄弟姉妹と言うものは、親から独立すれば、普通は別々に暮らすものであり、ジャクリーヌの姉もまた然り。ですので、離れて暮らしている間に妹のジャクリーヌの本当の生活ぶりなど、知る由もないのです。これに対して、ホーキング博士とずっと同居していた妻ならば、夫の生活ぶりをつまびらかに記すことができます。
2.「博士と彼女のセオリー」は、ホーキング博士本人の存命中に公開されたこと
ですので、ホーキング博士から見て事実と異なる点があれば、本人が指摘できるわけです。これに対して、「ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ」は原作本自体が、ジャクリーヌの死後に書かれたものであり、その点・・・ごめんなさい、なんか、本当にもう、ムカムカと来てしまいますね。「親類縁者」と言うだけの立場を利用して、ああいう根拠のない内容の本を書くと言う、ヒラリー・デュ・プレのその著作姿勢に対して。
であるにもかかわらず、やはり私にとっては星5つ以外の評価はあり得ない映画です。原作本は最低なのに、映画自体は素晴らしいという・・・不思議な映画ですね。原作と映画は別物であることを示す良い見本でしょうか。この映画を観れば、次の事実に気づくことができる点も、この映画の大きな魅力だと思います。
ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレって、どんなだったんだろう? と言う問い自体に意味はない。彼女の演奏の中に、その答えはあるのだから。
3.「博士と彼女のセオリー」は、博士の研究内容および当時の学界の状況などについて、きちんと述べられている。
特に、ブラックホールの特異点定理に関するシーンは、圧巻だと思います。
それに対して、「ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ」は、ジャクリーヌが当時の音楽界に残した業績についてはほとんど語られておらず、姉と共演していた頃(子供時代)にトロフィーの数が増えていくだけ。あとはパーティーで、ボサッと座っているだけです。話の内容もチグハグで、いや、まったく、よくこの脚本でここまで上質の映画が作れましたね、と映画製作者とエミリー・ワトソンに、ただただ脱帽するのみです。
その意味では、映画「アマデウス(1984年)」の方が、モーツァルトの「伝記映画」としての観点からすれば、「ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ」よりもはるかに秀逸と言えます。