ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ【字幕版】 [VHS]
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商品の説明
Amazonより
チェロの才能に恵まれるが、私生活では不遇な人生を送る妹。妹の才能に嫉妬しながらも、女として平凡な幸せをつかむ姉。前半と後半で、姉妹それぞれ別の視点から描かれる構成の妙が、本作の特徴だ。少女時代の発表会から、姉の夫をめぐる三角関係まで、姉妹が人生で共有したはずのエピソードも、見方が変われば、まったく逆の様相を呈していく。そんな姉妹の、ある種、ドロドロとした確執を、姉妹間のテレパシーのような意志の疎通、死者との対面などシュールな要素も挿入しながら展開していく。
本作でアカデミー賞にノミネートされたエミリー・ワトソンは、自分の才能を重荷に感じつつ、セックスに溺れ、重病を患う実在の天才チェリストという難役を、渾身の演技で見せる。嫌々ながらも、いったん舞台に立ってしまえば、宿命のように名演奏を披露、その集中力を再現するコンサート・シーンは圧巻! 一方の姉役レイチェル・グリフィスの演技も、“天才ではない”多数の人々にとっては共感たっぷり。(斉藤博昭)
レビュー
『奇跡の海』のエミリー・ワトソン主演による感動ドラマ。28歳の若さで不治の病に冒され、第一線を退いた天才チェリスト、ジャクリーヌ・デュ・プレの生涯を描く。
-- 内容(「VIDEO INSIDER JAPAN」データベースより)
監督: アナンド・タッカー
脚本: フランク・コトレル・ボイス
撮影: デヴィット・ジョンソン
音楽: バリントン・フェロング
出演: エイミー・ワトソン/レイチェル・グリフィス/ジャイムズ・フレイン/デヴィッド・モリシー
-- 内容(「CDジャーナル」データベースより)
登録情報
- メーカーにより製造中止になりました : いいえ
- 梱包サイズ : 18.6 x 10.64 x 2.85 cm; 173.88 g
- 監督 : アナンド・タッカー
- メディア形式 : VHS
- 発売日 : 2000/7/7
- 出演 : エミリー・ワトソン
- 販売元 : パイオニアLDC
- ASIN : B00005FZBX
- ディスク枚数 : 1
- カスタマーレビュー:
カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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前世紀(90年代)に一度観たきりで、ずっと記憶に残っていた映画です。あらすじは覚えていないのですが、ジャクリーヌを演じるエミリー・ワトソンが鮮烈でした(と言うことで、星5つです。この映画に星4つは、私はちょっと考えられません)。今回、20年以上振りに無性にこの映画が見たくなり、レンタルビデオ屋さんにはもう置いていないので購入しました。
ジャクリーヌの姉(ヒラリー)が書いた原作小説が、90年代当時、酷評されていたのですが、その反対に、映画の評価が高かったです。映画の製作者が、よほど良識のある人だったのだろうと思います。映画の中でも「この映画は事実に基づく(based on a true story)」とは表示されずに、「この映画は小説に基づく(based on the novel)」と表示されています。
また、この物語が姉(ヒラリー)の視点で描かれていることが明確にわかるように映画が作られているので、その点、かなり良識のある映画だと思います。
しかし「伝記映画」と呼べる代物では到底ありません。
親類縁者の著書による良質な伝記映画としてはスティーヴン・ホーキング博士の生涯を描いた「博士と彼女のセオリー(2014年)」が思い浮かびます。「ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ」との主な違いを挙げると、
1. 書いた人が同居していた妻であること
当然のことですが、兄弟姉妹と言うものは、親から独立すれば、普通は別々に暮らすものであり、ジャクリーヌの姉もまた然り。ですので、離れて暮らしている間に妹のジャクリーヌの本当の生活ぶりなど、知る由もないのです。これに対して、ホーキング博士とずっと同居していた妻ならば、夫の生活ぶりをつまびらかに記すことができます。
2.「博士と彼女のセオリー」は、ホーキング博士本人の存命中に公開されたこと
ですので、ホーキング博士から見て事実と異なる点があれば、本人が指摘できるわけです。これに対して、「ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ」は原作本自体が、ジャクリーヌの死後に書かれたものであり、その点・・・ごめんなさい、なんか、本当にもう、ムカムカと来てしまいますね。「親類縁者」と言うだけの立場を利用して、ああいう根拠のない内容の本を書くと言う、ヒラリー・デュ・プレのその著作姿勢に対して。
であるにもかかわらず、やはり私にとっては星5つ以外の評価はあり得ない映画です。原作本は最低なのに、映画自体は素晴らしいという・・・不思議な映画ですね。原作と映画は別物であることを示す良い見本でしょうか。この映画を観れば、次の事実に気づくことができる点も、この映画の大きな魅力だと思います。
ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレって、どんなだったんだろう? と言う問い自体に意味はない。彼女の演奏の中に、その答えはあるのだから。
3.「博士と彼女のセオリー」は、博士の研究内容および当時の学界の状況などについて、きちんと述べられている。
特に、ブラックホールの特異点定理に関するシーンは、圧巻だと思います。
それに対して、「ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ」は、ジャクリーヌが当時の音楽界に残した業績についてはほとんど語られておらず、姉と共演していた頃(子供時代)にトロフィーの数が増えていくだけ。あとはパーティーで、ボサッと座っているだけです。話の内容もチグハグで、いや、まったく、よくこの脚本でここまで上質の映画が作れましたね、と映画製作者とエミリー・ワトソンに、ただただ脱帽するのみです。
その意味では、映画「アマデウス(1984年)」の方が、モーツァルトの「伝記映画」としての観点からすれば、「ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ」よりもはるかに秀逸と言えます。
口止めしたと書いてあります また原作の末尾にジャクリーヌは あまり
練習しなかったとあります 晩年の難病の原因は 過度の練習だと思っていました
まさかヒラリーが毒を盛ったのではないでしょうね
ヒラリーについては別の解決方法があったのではないでしょうか
ヒラリーのしたことは家族の恥を手段とする売名行為です
「胸のすくような」からは程遠い復讐です
ヒラリーの娘など生前のジャクリーヌの知人たちは実際の彼女と違うと異議を唱えているようです
ジャクリーヌには子孫がいないため 彼女の名誉と真実について誰も闘わない
世界中がヒラリーに言いくるめられているのが残念でなりません
原題のままのほうが作品としては生きてくる様に思う。
演奏そのものももちろん「それっぽいだけ」ではある気がいなめない。
(”現場の生音”を超えられないとうだけのことかもしれない。)
当時の医療の水準からして、そんなわけない。
(しかし、それも”生身の彼女の苦悩は描ききれるものではない”のだから当然なのかもしれない。)
しかし「観てみて損した気分」にはならない。
そんな「彼らが描いた作品」
というところかな。
洗濯物の匂いに包まれて眠る彼女の描写にこそ涙する。。。。
そんな人には、甘ったるい感傷無しに、真にいい映画と思う!
そして、彼女は、チェロを弾けない自分も愛してくれる事をダニー(夫)に求めていた、才能の全てがチェロに向き、他は不器用な彼女の個性に共感し、繰り返し、観てしまいます。
深い作品ですね!
師のロストロポービッチも夫のバレンボイムも影が薄く、チェロの演奏が
さほど出てくるわけでもない(バックには有名なエルガーの協奏曲が流れるが)。
この作品は、あくまでヒラリーとジャッキーの姉妹と家族の物語。
(それだけにすべてが事実に基づく、と考えない方が良いと思う)。
多少ドロドロしたところもあるが、そういう目で見ると高く評価できる一作だ
(アカデミー賞にもたくさんノミネートされた)。
もちろんBGMのジャクリーヌ本人の演奏も素晴らしいが、チェロをまるで
バイオリンのように弾きこなしたジャクリーヌの姿を、うまく演じた
ワトソン(あまり好きな女優ではない)もなかなか良い。
一見理不尽に切れるし
どんなに体が衰えても心身で頼りにすることは全くない。
しかし、前半生のこの両親をもう一度思い出して、納得できた。
才能が行き詰まった姉は心理的に見捨て
かたや才能が伸びた妹には練習漬けの毎日で
下着の洗濯ひとつできない「楽器バカ」にしただけで
あとは放り出してしまっているのだった。
(原作はまたちょっと違っているのだが)
自分も優れた芸術家として生きてきたが故に
我が子に対しても、重視する価値はなによりかにより
「才能」である母。それを止めず協力する父。
両親の行動は、無意識のうちにこどもたちに
「天才になれ、なれないのなら天才の養分になれ」
というオブセッションを刷り込んでいる。
この二人の「悪気ない」仕打ちが
映画では随所にさりげなく、しかしていねいに描かれている。
刷り込みのため
妹は普通の女性としての自分を誰も愛してくれない不安から
精神のバランスを崩し
姉は天才の妹が望むなら、懊悩しながらも結局自分の夫を捧げてしまう。
どっちも病んでいる。
病んだ心をぶつけ合いつつも
最終的に理解し合えるのもまた苦しみを共有したお互いだけなのだった。
解説やコピーには「家族の絆」とあるが
この映画は、ともに生き抜いた姉妹の濃い絆の話と思った。
この映画はジャクリーヌ・デュ・プレの一体何を訴えたかったんだろう?
二時間の映画なのでそれなりに満腹感は在るが
やはり、ここは伝記映画なので故人の一体何をアピールしたかったのかを
はっきりさせる必要が有るのではなかろうか?
残念ながら、私には押し寄せる様な感動はなかった。
二人は最も親しい友人として、姉妹として永遠に続くと考えていました。ヒラリーはフルートをジャッキーはチェロを習っていました。彼女たちの母親が音楽家でした。先にヒラリーの才能が開花します。嫉妬したジャッキーは、ただひたすら練習をしコンテストに優勝し才能を認められます。その瞬間、両親の愛情が妹に向かうのをヒラリーは実感するのです。ヒラリーも王立音楽アカデミーに通うほどなのですが妹には歯が立ちません。この映画は、3つの物語で構成されています。ジャッキーとヒラリー。ヒラリー。そしてジャッキー。二人の間に隙間がない頃。そして二人は別の時間を過ごしてゆくのですが、ヒラリーの視点とジャッキーの視点を別々に見せて、二人が辿ってゆく運命を描き出すことに成功しています。ジャッキーは、自分の才能は他人に愛されているが、自分を愛してくれていないことを感じています。唯一姉のヒラリーを慕いつづけるのですが、愛憎が入り混じるのです。二人が元の関係を取り戻すのは、ジャッキーが死を迎える時だったのです。ジャッキーの死はイギリスでニュースになりました。それをラジオで聞きながら涙が止まらないヒラリー。思わず貰い泣きしてしまいました。