『汚れた絆/優しい陽射し』は、尾崎豊が発売を待たずしてこの世を去った遺作シングルで、逝去から15日後に同時発売された『放熱への証』からのシングルカット版です。世間一般には影が薄いようですが、この時期の彼自身を最も的確に表した、彼以外では有り得ない、尾崎豊然りの2作品だと思います。このレコーディングはディレクターなど不在のままの孤軍奮闘、孤立無援の仕事だったと云います。それだけに西本明氏をはじめとするミュージシャンらの陰の功績が大きいと思われます。
『汚れた絆』は、軽快なロックナンバーですが、内容は人生の厳しさを描きながら、そこに何とか希望をもたらそうとしている中身の濃いものに感じます。「絆」のモデルは諸説あり、親密な関係だった特定の人物へ向けたものとされていますが、尾崎と不特定者との二人と普遍化して解釈した方が正しい気がします。人としての本来の関係性を築くのが困難な時、前向きにどう生きるのかを示すニュアンスを悟ることが出来ます。
カップリング曲の『優しい陽射し』は、この「裏切り」についての答えのように思えます。「育む」ことによって、他者を受け入れることが出来るようになるという認識は、まさに尾崎が26歳の晩年にして到達した真の悟りであり、これこそが生きる証であったのだろうと感じ取れます。
尾崎豊は裏切りそれ自体のドロドロした経緯を歌おうとしたのではなく、裏切りが生じた背景を見ようとしていたようです。人が人を裏切るのは、その個人の悪意のせいではなく、社会的役割や、世間の側から割り振られた仕事をしていく時に、やむを得ずそうなってしまうからなのだ、と淡々と語るように歌っています。尾崎の求める美しい絆は、憎しみも哀しみも優しさもあり、どこまでが人間らしさなのかということを、自分の中で肯定的に問い質し、人間の本質を見抜いていたのかも知れません。
この頃の尾崎には身内やスタッフとの確執云々の話も伝えられ、作品と死との関連性が取り沙汰される憶測もありますが、自らの内的イメージを最大限正確に描いた作品として、邪推は止めて真っ当に評価されるべきと思います。尾崎豊はアーティストとしてある種の完成形態に到達した時点で夭逝し、結果的に自らが築いた共同幻想を完結、普遍化させたようです。彼が最後にこのシングルを遺してくれたことは、今も自分にとって言葉にならない深い意味を残しています。